投稿元:
レビューを見る
河出が新たに新書を刊行した。その最初の2冊のうちの1冊がこれ。またしてもこの2人の対談。前回は日本論だったか。2年ほど間があいている。アメリカって、ずいぶん後からできた国なのに、どうしてこうもいつもえらそうなのか、などと考えていた。まあ、その謎が解けたというわけでもないが、アメリカができてきた背景を若干知ることができた。キリスト教の中でもプロテスタントとかカルヴァン派とか、なかなか理解はできない。なんとなくわかったのは、健康保険とか、福祉などについては政府にどうにかしてもらおうとは思っていない、自分たちの判断でちゃんと準備しておきますよ、というような考えがアメリカでの主流であるということだろうか。ともあれ、これはどこの国についても言えることだと思うが、その国の国民性のようなものがある程度あるとしても、直接、個人的に接してみると、人間ってどこでも同じなんだなあという印象をもつことが多い。まあ40年ほど前のアメリカでの体験だけだけれど。それにしても、この2人の知識はすごいなと思いながらいつも読んでいるのだが、本書の中でも少し触れられているが、この対談に向けて、同じ本を読んで勉強したりしているのだ。そう、やっぱり勉強はされているのだ。さて、先の日本論、途中でもういいかと思って、止まったままだったが、本書のあとにもう一度読みだした。1年間「西郷どん」を観たあとで、またちょっと印象が違う。
投稿元:
レビューを見る
20181220〜20190109 橋爪・大澤両氏によるアメリカ論。プログマティズムについての解説は、対談形式だから泣きながら相手に分かりやすく説明する体をとっているから、門外漢の私でもかろうじて分かった。アメリカを理解することで、日米関係を、ひいては日本の明治維新以降の政治外交関係と戦争に対する意識を考える、と言う意図が本書にはあるようだ
投稿元:
レビューを見る
アメリカ合衆国は物理的な距離が遠い国にもかかわらず、日本国内あっては存在が水や空気のように当たり前の存在である。だから、DA PUMPがUSAを熱唱していることについて、誰も違和感を覚えない。しかし本書は日本が普段意識しないアメリカ像を啓蒙している。
日本人は宗教心の深化と世俗法の発展は背反することのように捉えがちだ。しかし、個人の信仰と他者の信仰の緊張関係があればこそ、仲裁者としての世俗法が重視される。自己にとっての信仰心は、他者の視点で社会化されると良心と呼ばれるものである。
経済的成功者の寄付行為について、本書では宗教的な脅迫観念の裏返しだというが、意味がよくわからない。ウェーバーのプロ倫的な考えとも少し違うらしい。日本でいう寺社における賽銭みたいなものだろうか。信じてないけど習慣づいているみたいな。
プラグマティズムは、多様な価値観それぞれをつなぐ廊下のようなものだという。廊下の色は解釈により異なる。意外にもカントの実践理性からの派生していることが指摘されている。
対米従属についてのスタンスに対談する両者の間でグラデーションがある。大澤は、対米従属の嫌悪感を述べて現状否定を繰り返す。現状に不満がありつつも、根本解決の方法の提示には歯切れの悪いリベラルっぽさがでている。
橋爪は、政治、軍事、外交を自力で判断することの重要性を説き、保守特有の論理的帰結を明確にする。対談のため、よりはっきり両者の違いが出ている。
そんな両者であるが、いわゆる永続敗戦の体制への批判は共通している。そして多くの人々が永続敗戦の体制に違和感を感じないことも嘆いている。現代の我々が1941年の末裔であることについて、対談の両者とも肯定できないという。そして、その1941年の末裔を破ったアメリカ支配も肯定できずにいる。
しかし、DA PUMPのUSAを空気とした心情を持った大多数の人々はそんなことを考える必要性を感じていない。つまり、1941年の末裔であることを肯定するとともに、戦後のアメリカ支配をも肯定しているのではないか。それは、明治維新の末裔であることを肯定することと同じように、また、戦後の平和で豊かな時代を謳歌した20世紀後半の末裔であることを肯定することと同じように。
現代に影響をおよぼしている近代日本の様々な出来事のうち、アメリカ支配をことさら否定するイデオロギー的な理由がうすれている。現在に影響をもつ出来事のひとつとして、すっかり歴史化されているのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
おなじみの二人による対談。
最後がほんとに言いたかったことかなと思う。
前半が面白いけど、長い前置き感がある。
あとがきにあるけど森本あんり氏の本を先に読んだ方が理解は深まると感じた。
アメリカ人の、異常なまでの権力への不信とかビジネス的成功への執着、才能への考え方など独特の考えなどについてなるほどと思う。
最後の部分はさらっと書かれているけど、日本人のアイデンティティーをどこに求めえるかという点を扱っている。
歴史が連続的なものである以上、敗戦という絶対的なマイナスを考えるにはどこまでも原因はさかのぼれるし、逆に開き直ってあの戦争を肯定する人も出てくる。
とりあえずアイデンティティーはアメリカに任せるという戦後のやり方ある程度成功したけどそろそろ考え直す時に来ているが、まだそれはこれからと感じた。
投稿元:
レビューを見る
米国の文化的風土をキリスト教や哲学?の切り口から掘り下げようとする議論は興味深かったが、3章の日本との関わりというか日本からみた米国との関わり方の議論が白井聡の「永続敗戦論」そのものであることに驚く。(文中でも同書が参照されている)
本邦が米国に盲目的に、かつ米国や欧州からみて異常なほど服従している(のに自覚していない)とする立場から書かれた米国論にどこまで説得力があるのか。
結局、全共闘世代は半世紀前の呪縛から逃れられないということか。
投稿元:
レビューを見る
キリスト教とプラグマティズムからアメリカを考えるとういことで、プラグマティズムはあまり知らなかったので勉強になった。
投稿元:
レビューを見る
米国という極めて特殊な国を理解するための深掘りとして、キリスト教(しかもプロテスタント)、そしてプラグマティズムという切り口から二人の学者が対話をする。「本気でキリスト教を信じる人たちの国」それがプロテスタントの独特の考え方と相俟って、無神論のような色彩も帯びていたりして、きっと日本人には分かりづらいだろう。
そして日本が米国のことを理解していないにもかかわらず、米国が好きであり、かつ米国に好かれていると思われている!米国という存在の不思議さを感じさせられる。
投稿元:
レビューを見る
アメリカについての理解について、日本はズレているのではないか?それは何故なのか?という事をアメリカの成り立ちから、宗教的な背景まで含めた対談本。
昨今、各地において民主主義の試みが上手くいってない事が気になっていた。それが民主主義(アメリカ)の方が特殊な為かもしれないと、本書を読んで改めて思う。
一種の世俗化したキリスト教が背景にあって、初めて機能するのではないか?そのキリスト教もプロテスタント系統でないとしっくりこないのでは。
アメリカの特殊性と、それがグローバル化によってスタンダード化した事への考察の一助になる本。
投稿元:
レビューを見る
アメリカについて、宗教(プロテスタント)とプラグマティズムという観点からの考察が深く書かれていました。
平等主義を掲げながら黒人差別や奴隷制度などが残る矛盾についての考察が特に印象的でした。
アメリカ人の思想について知らなかったことが多く、興味深かったです。
投稿元:
レビューを見る
【未知満ちた国の成り立ち】『不思議なキリスト教』でも対談を行った東京工業大学名誉教授の橋爪大三郎と社会学者の大澤真幸が,ずばりアメリカをテーマとして対談した作品。知っているようで知らないその国の根幹を,キリスト教やプラグマティズムを軸として語り明かしていきます。
あとがきに記されているとおり,アメリカの「急所」を知る上で大変参考になる一冊だと思います。目に見えないものとしてどうしても取っ付きづらさが伴う宗教・哲学面に光を当てることで,多くの方にとって新鮮なアメリカ像が浮かんでくるのではないかと思います。
~プラグマティズムは、宗教のことを考えている。さまざまなキリスト教の宗派(教会)と自然科学とを考え、これが調和し共存する、アメリカという空間をどう設計すればよいかと考えているのです。それは、宗教であって宗教でなく、哲学であって哲学でなく、科学であって科学でない。ひとつのアメリカ的生き方の提案なんです。~
対談ものは言葉が読みやすいのも☆5つ
投稿元:
レビューを見る
そもそもアメリカは、プロテスタントであるピューリタンがメイフラワー号に乗って、理想の国の建設を目的として米国はマサチューセッツ州プリマスに到着し、メイフラワー契約に基づき建国された、という前提から出発し、その歴史の中でキリスト教がどのように変遷、分派し、人々の心性に影響を与えていったかが、社会学者である二人の対話の中で語られていきます。
アメリカ独自の宗派、教会として、長老派(プレスビテリアン)、会衆派(コングリゲーショナル)、メソジスト、クウェーカー、バプテスト、ユニタリアン、ユニバーサリスト、アドベンチスト、モルモン教、クリスチャン・サイエンス、エホバの証人、などが紹介されていますが、日本ではあまりこうした宗派の違いになじみがないように思います。理神論(神を信ずるも、自然科学を肯定する)を提唱するフリーメーソンの果たした役割にも触れられていました。
聖書の言葉を神の言葉として重視する福音派が、トランプの支持地域である中西部に多い、という点は初めて知りました。
アメリカ、という主題から遡って、近代的啓蒙主義にも触れられていますが、デカルト(演繹法)とベーコン(帰納法)の対比は、アメリカという主題とは別に、演繹のフランス哲学と帰納の英国哲学、という観点から興味深かったです。
また、アメリカで発展を遂げたプラグマティズム哲学の提唱するアブダクションというアプローチが、アメリカの発明、起業といった個人の達成に対する考え方を裏打ちしているのではないかと言います。そこに予定説(神の救済はあらかじめ決定されている)の側面から、神が「見えざる手」を通して資本主義市場を支配している、という考え方も加わり、アメリカの資本主義を称揚するメンタリティーが醸成されているのでは、ないかと。
アメリカでソーシャリズムが嫌われるのは、自分の主体性を他人に預けることを良しとしない個人主義的考え方が根底にあり、それはカルヴァン派の考え方に近いと語られています。学者の研究では、再配分率が高いのはルター派、逆に低いのはカルヴァン派の地域で、カトリックがその中間という結果であったようです。
アメリカ人の精神の底流にこうしたキリスト教やプラグマティズム哲学があることは、なかなか読む機会がなく、大変興味深い一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
いや、このお2人の対談だけあって、その辺の底の浅いアメリカ論と違い深い。しかし、私のレベルでは消化不良…特にプラグマティズムに関する箇所。ただ、アメリカの何たるかを知るために…特にその宗教面から見た生い立ちについて概略を知るために読んでおいて損はない内容だったかと。
投稿元:
レビューを見る
「アメリカ」は宗教的な哲学的な解釈が難点である。あのような解釈が一般化しているとは思わないが、他の著者ではできないようなアプローチだ。その考え方は正しいのだろうかとケチをつけたくなるが、しかも結果も出している。そしてまたそれは日本論にまで波及している。考え方の流れを理解するには好著であった。どこまでが正しいかどうか、しかし悩める日本人の置かれている精神的土壌を理解する一助以上になる。