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新訳版。
本書や『木曜の男』のような、『変な話』が無性に好きである。ブラウン神父ものはろくに読んでいないというのにw
個々の短編もいいが、最大の魅力は、全体の構成だよなぁ。
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チェスタトン初期の連作短編集。話の手法は、後のブラウン神父シリーズを彷彿とさせる、
発端は奇妙な出来事の発見→探偵役のさらに奇妙な行動→理由が判明してすっきり
という例のパターン。毎度、読んでる最中に訳がわからず読者すらも翻弄する読書体験がとても楽しい。
さらに、本作に感心したのは、タイトルにもなっている「奇商クラブ」というキーワードを使ってこの1冊を仕上げてきたという事。詳細は実際に読んで汲み取ってほしい。
解説も丁寧でわかりやすくて良かった。
(もし、本文を読んでて、チェスタトンの文章が理解しづらく躓きそうになったら、まず解説の最初の2頁程を読んでから本文にとりかかると少し楽になるかもしれませんw)
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チェスタトンについて、おもしろくない、わからないと言うのは勇気がいる。
「私は馬鹿です」「阿呆です」と告白するに等しいからだ。
およそミステリー好きからしてみれば、チェスタトンは教科書である。必読教本である。
「チェスタトンを読むことはね、君、知的な遊戯なんだよ」
「人間というものについて鋭く説いてある。基本であり、応用であり、まったく真実そのものだ」
とかいうことを言いたいのである。
チェスタトンの素晴らしさはもちろん色々あるのだが、その特徴のひとつに、風刺があげられる。
社会、世相、大衆、あれこれについて、彼一流の筆致で述べられるのだが、これがわからない。
まっすぐ真面目に書いてあるのか、すっかり冗談で書いてあるのか。
冗談めかして真剣なのか、真剣めかして冗談なのか。
私はよくわからない。
チェスタトンは、一説によると、人種差別的なところがあるというが、私はそうは思わない。
彼は、馬鹿差別者なのだ。
知性のない者、ユーモアのない者、あるいはユーモアセンスのあわない者、
無知蒙昧の輩なぞ、相手にする価値もない。同じ人間としてみる価値なぞないのだ。
彼が"読者諸兄"とするのは、彼と同じ人間のみであり、同等の知性とユーモアを備えた者だけなのだ。
だから、彼らはチェスタトンの述べることがすっかり解るし、彼のユーモアに共に笑うことができる。
もしもどこかの馬鹿が、うっかり「諸兄」に紛れ込んだとしても、話はまったく理解できないし、せいぜい頑張って理解したふりをするのが精一杯だ。
著者先生は、そんな馬鹿のトンチンカンな「理解」っぷりを、鼻で笑っていることだろう。
そうに違いない。と、私は確信している。
じゃあ、なぜそんな差別主義者の書いたものを、読もうとするのかというと、それは、実は、面白いからである。
チェスタトンの、持って回って煙に巻く手法で生まれた数々の作品で、どうにか私が煙を払い垣間見ることができた風刺、皮肉、ユーモアが、思わず吹き出すほどに面白いのだ。
百年前に描かれた世相、人の様々が、今の世にもぴったり当てはまって、その描きようの鋭さ、容赦のなさに、感心も得心もする。
ああ、もっとチェスタトンの文章、作品、世界を掴めたらなあ、理解できたらなあと、どれほど望んでいることか。
望んでいるが力及ばない私の手元に、ひょっこり適切な一冊が現れた。
『奇商クラブ』
1904年から翌年にかけて執筆された、短編シリーズである。
チェスタトンが文壇デビューしたての頃、いわばチェスタトンがチェスタトンとしてのレベル1か2の頃の作品だ。
持って回って煙に巻く手法を使ってはいるが、まだずいぶん控えめで、私などにもずいぶんよく理解できるのである。
『「ここの人々はみんな善人だと行ったのは、まんざら間違っちゃいなかった。かれらは英雄だ。聖人だ。時々、スプーンの一本や二本盗むかもしれない。火掻き棒で女房の一人や二人ぶったたくかもしれない。だが、それでも聖者なんだ。天使なんだ。かれらは白衣をまとっている。翼や光輪を身につけている。――少なくとも、あの男に較べれば」』(58頁)
ロンドン一、イギリス一の悪人と言われた人物のありようは、次第に明らかになっていく。
それにつれて、私は、今の世にもいるその類いの人々を思い浮かべる。
百余年前のイギリスだけではなく、いつの時代にも、どこの国にも、そういう悪人はいるらしい。
彼らは、自分も周りも不幸にして、さらにその不幸を世に巻き散らそうと邁進しているのだ。
・・・・・・などと、考えに耽ることができるのは、それがどういう人物なのか、私が理解できたからである!
主人公は、バジル・グラント、気が狂って引退した、もと判事である。
ああ、彼はまた症状が悪化したかなあ、大丈夫かなあと、時に周りをハラハラさせながら、当のもと判事はいつでもたいがい機嫌がよい。
笑ったり、踊ったり、時に暴れたり、なんだか楽しそうに謎を解いていく。
謎といっても、むごい殺人などではなく、いわば「日常の奇妙な出来事」なのだから、読んでいるこちらとしても気楽でいられる。
バジル・グラントと同じに、笑ったり、思考を踊らせたりして、楽しく読んでいけるのだ。
『奇商クラブ』は、チェスタトン初心者に、強くお勧めできる1冊だ。
いっぽう、『知りすぎた男』については、こちらは私には困難だった。
1922年に書かれたもので、つまりはチェスタトンが、チェスタトンレベル45ほどになっている。
持って回り方のレベルが上がっている上に、どうにも翻訳があわない。
『お陀仏』『珍文漢文』(17頁)というのは、まるで一昔前の時代劇か刑事ドラマのようで、20世紀初頭のイギリス社会を物語るにおいて、ふさわしい言葉とは思えない。
『聖パウロの一文銭』(84頁)にいたっては、何をかいわんや。
いずれ「合点でい!」などと誰かが言うのではとびくびくしてしまって、落ち着いて読むことが出来なかった。
さすがに「合点でい!」が出ることはなく、本の後半には時代劇風も見えなくなったので、ようやく落ち着いて読めるようにはなったのだが、その頃には私はもうすっかり濃い煙の中にいて、"読者諸兄"に紛れ込むには力及ばなかったのである。
翻訳中にどのような事情があったかは知らないが、誰か指摘しなかったのだろうか?
できれば、前半も後半のような訳であってほしかった。
それでも、懲りずに私はまたチェスタトンを読んでみるのである。
読むうちに頭が鍛えられて、いつか"諸兄"の端っこに紛れ込んで、笑ったり語ったりできるかもしれないと夢みているのだ。
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前例のない独創的な商いを営む者による秘密結社「奇商クラブ」。かつて法廷で発狂し、職を退いた元法曹家のバジル・グラントが出くわす奇妙な事件の数々は、その「奇商クラブ」にまつわるものだった。奇想天外なミステリ短編集。
登場するのはあまりに常識からかけ離れた職業ばかりで、解き明かされてみれば納得はできますが。しかし自力でこの謎を解き明かすことは到底不可能……語り手のスウィンバーン同様にぽかんとさせられたり、バジルの気が再び狂ったとさえ思えてしまいました。どれもこれもあまりに突飛でユニークです。
お気に入りは「牧師さんがやって来た恐るべき理由」。これにはなるほど! と思わされることしきりでした。登場する職業で面白そうなのは「ブラウン少佐の途轍もない冒険」かな。これ、すっごく楽しそうかも。
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正直に言えば、アシモフの「黒後家蜘蛛の会」シリーズのようなクラブメンバーが奇妙な事件に出くわす、といった内容を期待していた。
本作はミステリーと言えばミステリーだが、巻末解説にあるように奇譚とも言える。
バジル・グラントの“探偵”ぶりはホームズやポワロとも異なっているが、変人さ/面倒臭さは負けず劣らず。
最後に収録されている「老婦人の風変わりな幽棲」のオチは、少しずるいと思った。
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ブラウン神父で知られるチェスタトンの短編集ですね。 旧版は本筋の短編集の他に凄く面白い中編が2つも入ってるらしいのですが今回読んだのは新訳版になります。 奇抜な手法で利益を上げる秘密結社「奇商クラブ」、主人公たちの前に訪れる面妖な人物たちは一体どんな稼ぎの術を・・・?
奇譚の名にふさわしい六編でした。 自分の職業柄「家宅周旋人」が好み、実際すっごくニッチな分野ありますもの。 世の中が益々便利になっていき、個々の思想が具現化しやすくなった今世紀、如何なる者にも奇商クラブの会員に成り得るのだ。
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面白い、と感じるんだけど、今ひとつ入り込めなかった……。
「ブラウン少佐の途轍もない冒険」、「赫赫たる名声の傷ましき失墜」が結構よかったかな。