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ちきりんtwitterで知るご参考)ペーパーテストでエリートを選ぶという方法を「平等だ」と感じる日本社会の仕組みについては、この本が非常に深い洞察を示していると思います。さすが学者さん。まだの方はぜひどうぞ!→ http://ow.ly/44r99約9時間前 HootSuiteから InsideCHIKIRINちきりん
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エリート(ホワイトカラー上層)は再生産される、ということが具体的なグラフによってしるされており、総中流を謳った日本社会がとっくに崩壊しているということをあらためて実感させられた。
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総中流が崩壊しつつある。
原因は経済成長が終わり階級の再生産、自営の数が少なくなっているからだ。これによりエリートの責任の空無化、一般層の一層の閉塞感が生じている。これを解決するには受験、新卒一斉就職をやめ、選抜機会の多様化を目指すべきだ。これにより、階級の固定化がなくなり、ホワイトカラーに責任感が復活する。単純な教育改革では何も変わらない。
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戦後社会をつくりあげてきた人々は死ぬほど頑張ってきたのに現在の自分はなぜぬくぬくと生活していられるのか。そんなことも考えたことがないから僕は大学に入ってもヘボなのだと思いました。
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子供の学歴と親の収入の相関関係が話題になるのは昨日今日に始まった話ではなく、少なくとも私が高校生の頃からありました。しかし、親の学歴、親の収入、親の職歴、子供の学歴、子供の収入、子供の職歴がどれほど関係するものか、そして団塊の世代からその階層が固定化されたことなどを社会統計から読み取れるとは思いませんでした。著者は新進気鋭の社会学者であり、初めての新書執筆のようで気負いが感じられましたが、研究テーマは非常に興味深いので、2005年のSSM調査の分析も期待しています。
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最近平等、平等ってたしかによく聞くけど、平等って結局何なのか、どこをめざしているのか、よくわからなかった。そもそも貴族的な社会の不平等を解消するために学歴社会ができたわけで…なのにいまはそれが不平等だという。解決策はあまり納得いきませんでしたが、頭に入ってくる感じがとても心地よかったです。
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統計やグラフやそういうのが何度も出てきて自分にはそんなに不向き、
でも興味のあるテーマなので読みました。
不平等をどう解消しようとかいうよりは、
結局生まれも才能っていう持論を支える材料を一つ手に入れられたみたいなのが大きいかな。
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平等とは何か、実績での平等か、努力をみるのか、あるいは最も必要な人に最も与えられるのが平等なのかという問題提起に最初に興味を持ち。真の実績主義と言っても難しくて、機会の平等は事後的にしかわからないというのも興味深い。データ分析は、納得できるところもあれば、そこまで言える?ってところもあった。
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「それが「大正世代」「戦中派」「昭和ヒトケタ」と順調に下がっているのが、最後の「団塊の世代」で七.九と反転上昇しており、「大正世代」とほぼ同じ水準で、いわば戦前に戻っている。「団塊の世代」では、父親がW雇上だった人は、そうでない人とくらべて、本人四十歳職では約八倍、W雇上になりやすい。」(p.59)学園紛争は、社会の開放化を反転させる反革命であった。
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データの分析の解説が難しくてよく分からなかった。
いまのお嬢様は、親の学歴・職種が資産となっているが自覚が無く自らのステイタスを実績と勘違いしている。
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日本は「努力すればなんとかなる」と「努力しても仕方ない」の二重底から成り立つ。かつては個人の責任か集団の責任か問われなかったが、それが崩壊した。
評価は「実績」に依るべきだとする人は年収と相関するが、それは主にホワイトカラー雇用上層(年功序列下)である。また、実績主義は父の学歴とも因果関係にある。これは近年加速している。
親と子の職業が違う(管理職が平になってる)のは年功序列を考えると当然。W雇上は、流入が多いから少し変動しているにすぎない。事実、40歳時点でのW雇上の父を見ると、同職となる傾向がさらに強まっていることがわかる。これは戦後の経済成長で高まった開放性が、その自体の閉鎖性により覆われたということである。
階級再生産は「なって当然」の世界であるために、階級における責任感(やりたいこと)を失わせる。しかも、形式上平等のため、なおさら。
敗者の再加熱の仕組みは「選抜機会の多元化」と「選抜自体の意味の空虚化」がある。日本では形式上平等なため、後者。この結果、エリートの責任感をも失わせる。
唯一、B雇上→W雇上ルートの存在が、挑戦の機会を開いてきたが、近頃このルートも閉鎖されてきている
現在の選抜社会の行き詰まりを打破するためには、1.ブルーカラー専門職とホワイトカラー専門職の融合、2.専門職キャリアの再編、3.選抜機会の多元化、4.世代を超えた不公平の緩和がある。
機会の平等は、階級再生産を考慮すると達成しにくいし、この社会に実力の代理指標しかない以上確認しにくい上、事後的にしかわからず、対策が打ちにくい。例えば、学歴を打破する情報リテラシーにも(父の職業に伴う)格差が存在するし、それは後からしかわからない。その中で機会の平等原理を確保するためには、不平等の監視と、事後的な不平等の保障が必要になる。
学歴に変わる指標として、市場はまだマシなのではないかと考えている。
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ブルデューの論じた文化資産による階層の再生産を、戦後日本の社会調査に基づいて実証的に論じています。
日本社会は戦後になって、メリトクラシーが全面的に行き渡ることになりましたが、実績主義の中に入り込んでいる機会の不平等が目に見えなくなってしまったことを、著者は説得的に示しています。
結果の平等原理に基づく社会では、一人ひとりの持つどのような背景がどの程度有利・不利に働くのかということは、後になってからでないと分からないと著者は言い、それゆえ結果の平等がどの程度実現されているかをつねにチェックし、その不公正を事後的に補償できる仕組みをあらかじめ用意しておかなければならないと、著者は提言しています。
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どうもすっと頭に入ってこない本だった。なぜだろうと考えたが、2000年という時期の意外と古い本であることが今の実感とリンクしなかったからかもしれない。また、SSM調査のみに依存した分析というのも少々ひっかかる。できれば、他の調査も引用して、この分析の確からしさを高めて欲しかったと思う。最後の統計の解説は親切と思うが、途中にコラムの形で散在させても良かったのではないかと思った。
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1 95年SSM調査における「資源配分原理(現実/理想)」に関する質問(回答は実績・努力・均等・必要):理想は努力主義だが、現実は実績主義。ホワイトカラー被雇用上層で実績主義、つまり努力すれば何とかなるという意識。ただし実際には父親の学歴と本人の学歴に関係がありそう。自営業では努力主義。
2 「世代間(職業)移動」についてオッズ比などを見ると、日本は階級のない、開かれた(選抜)社会になっている(新中間大衆論:村上泰亮)ように見えるが、しかし、W雇上の経路依存性(若い頃はみなW雇下)を考慮して計算すると、団塊世代以降で戦前の閉鎖性に戻っている。
3 (1)W雇上の再生産の潜在化、(2)ホワイトカラー/ブルーカラー境界の横断、(3)ブルーカラー雇用から自営への上昇ルート…戦後の開かれた社会(可能性としての中流)を形成した要因→団塊の世代以降急激にW雇上が閉鎖化
4 「団塊の世代」以降の知識エリート、W雇上…1 力のおよばない範囲まで「実績」にしてしまう 2 その「実績」は既得権へと曖昧化される 3 エリートの自己否定を強いられる
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10年前の衝撃の本を今更読む
団塊の世代以降、ホワイトカラー上位の集団の子どもが同じ階層の職に就く傾向が高まり、階層間の移動が減っているという内容。
階層間の移動が減っていると言っても、20%程度はあるので、完全に隔絶されたわけではないし、おそらく地方と都会の格差という要因もあると思われる。
しかも、これを解決する方法は、見当たらない。