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福音書に記述がないにも関わらず、
娼婦・宮廷婦人・修道女etcとして
イヴと聖母マリアの橋渡しとなってきた
マグダラのマリア。
模範でも警鐘でもあった彼女の図像は振り幅が大きい。
悔悛というテーマを内包した結果、
メランコリーやウァニタスとイメージが重なったり、
修隠生活を描いたものが異教的な画面になったりと、
あらゆる思想の受け皿になっていたのが印象的。
絵画を通じてなんとなく知っていた
マグダラのマリアのイメージと
違うものを知ることができて良かった。
モノクロではあるものの図版多数で嬉しい。
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・結婚の年齢に達したマリアは、輝くばかりのその身体の愛らしい美しさにおいて並ぶものなく、その手足の動き、美しい容貌、見事な髪の毛、もっとも優雅な身のこなし、優しくて従順な心において、光彩を放っていた。その顔の美しさ、その唇の優美さは、百合の白さに薔薇を混ぜたようなものだった。要するに、造形主たる神の、並ぶもののない驚くべき創造物と呼ばれるほど、彼女の容姿の美しさは輝いていたのである。
・ああ、大いに祝福された十字架よ。わたしが、あなたになり代われたらよかったのに。我が主が、わたしの腕のなかで磔にされ、わたしの手が、彼の手に釘づけにされ、彼の心臓を貫いた矢が、わたしの心臓にまで達していたらよかったのに。そうすれば、わたしは、彼とともに死に、この世でもあの世でも、けっして彼から離れることはないだろうに。
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〈「復活」の最初の証人〉であり、〈最初の「使徒」〉にもなる
=「使徒たちの女使徒アポストロールム・アポストラ」
ヨハネ解釈とマタイ解釈
美術ではマタイのほうが多い
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アダムのような両性具有的存在への回帰や、あるいは、苦行者たちの禁欲主義的なジェンダー放棄の精神
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Renaissanceがヴィーナスにしょうち象徴されるなら、baroqueはマグダラのマリアによって象徴される
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回心した娼婦、聖女にして娼婦というイメージを持つ彼女であるが、聖書を紐解くとキリストの磔刑、埋葬、復活といった場面に登場するものの、罪や悔い改めといったテーマには直接関係していないことを指摘する。
では、いつ、どのようにしてこのようなマグダラ像が形成されてきたのか。時代、宗派、地域などの視点から豊富な絵画・彫刻などの紹介も交えて解説。
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非常に面白い。
これ程ダイナミックで多面的なアイドルがかつていただろうか。
まるで合わせ鏡の奥の奥を覗くようなスリルと
痛みや苦痛の内側にある真の無垢さと人間らしさ
そしてキリストが人間の罪を受け止めるように
彼女は人々の感情を全て生身で受け止めるかのようで
無原罪の御宿りの聖母マリアにはない優しさと
厳しさがマグダラのマリアにはある。
これ程に様々なレッテルを貼られながらも
マグダラのマリアはマリアと言う名に恥じず
不動の地位を守り続けている