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烏兎の庭 第二部 書評 4.9.06
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto02/bunsho/marujidai.html#a1
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日本の政治経済、文化、官僚を支配する地のパラダイムである法学部的知と文学部的知も解体されつつある。
法学大学院と4文字学部(国際教養とか)によって、大衆教養主義の没落によって歴史、哲学、政治、思想、文学の知が崩壊している。最近の大学生で丸山を読んでいる人なんていないのかな。
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なかなか面白い。
丸山眞男と彼の生きた時代背景。
丸山にフォーカスしつつも裾野は広く、彼の生きた時代を、彼を通して捉えなおしている。
全闘連、戦争…知識が大衆化された現代、その制作に携わった人物の功罪を冷静にみつめ、その背景を読み解いた一冊。
今に近い歴史は中途半端に受けとめがちで、ともすれば古い歴史こそ率直に受け入れる。
この本はその中途半端さを解消し、今と近い時代に於ける日本で起きた知の変化を認識させてくれた。
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[ 内容 ]
戦後の市民による政治参加に圧倒的な支配力を及ぼした丸山眞男。
そのカリスマ的な存在感の背景には、意外なことに、戦前、東大法学部の助手時代に体験した、右翼によるヒステリックな恫喝というトラウマがあった。
本書は、六〇年安保を思想的に指導したものの、六〇年代後半には学生から一斉に背を向けられる栄光と挫折の遍歴をたどり、丸山がその後のアカデミズムとジャーナリズムに与えた影響を検証する。
[ 目次 ]
序章 輝ける知識人
1章 ある日の丸山眞男―帝大粛正学術講演会
2章 戦後啓蒙という大衆戦略
3章 絶妙なポジショニング
4章 大衆インテリの反逆
終章 大学・知識人・ジャーナリズム
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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アカデミズムとジャーナリズムの関係を明解に説明しながら、知識人としての丸山の当時の立場を紹介している。特に著者竹内による概念の対置構造のおかげで、はっきりしなかった教養主義や戦後の「革新」が整理された。例えば、法学部と文学部、学問界と政治界とジャーナリズム界、文化資本と経済資本などだ。
本書とは関係ないが、こういうイメージもあるらしい。 http://usamimi.info/~linux/d/up/up0860.jpg
また、蓑田胸喜という人物の「大学教授思想検察官」比喩に驚いた。思想の左右にかかわらず大学教授を糾弾し、いわば検挙していたとのこと。メディアを通じた糾弾はこの頃から始まったのか。雑誌記事索引集成DBで糾弾を引いたところ、1930年頃から1942年頃まで毎年数件が記事表題になっていた。(余談だが1975年が30件と、教育・地域関係の件で一番多い。)
終章では、「教授」の呼称と労働実態が合っていない状況を捉えて、大学教授を次のように表した。「大衆大学教授」「大学教授プロレタリアート」「プロフェッサリアート」「大学教育労働者」「大学教育プロレタリアート」。しかしもはやこの期に及んでは、著者が込めたルサンチマンはとっくになくなり、大学教員には字句のとおりの仕事が期待されているとしか思えない。
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丸山眞男像というものが今ではどうなっているのかわからないが、非常に現代的な評価だ。例えば蓑田胸喜などとの対照として丸山がいたことなどについて現代に通じる。
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丸山眞男の時代という書名通り、丸山だけに焦点をしぼらず、丸山が活躍した時代全体に焦点を当てようとするなかなかの力作。
著者は、教養主義の没落などの作品を書いてある社会学者の竹内洋氏であり、ところどころにある社会学的な統計的な裏付けもあって、読んでいて楽しかった。
簡単に要旨をまとまれば、丸山思想の背景や時代の説明に始まり、法学部の政治思想史を教える傍ら、「超国家主義の論理と心理」により、日本独自の視点を指摘して注目されたことや、その影響を描いている。しかし、その後は有名であるがゆえに、様々な批判も受けることになる。当時の教養主義についても、終章で触れている。
丸山思想や時代背景も含めて全体としてとらえたいならば、丸山眞男の本は数多いが、そのうちの1つとしてこの本もお勧めしたい。
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竹内洋『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』中公新書、読了。戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。本書は、丸山を知識人論の観点から論じ、その歴史的。社会的意義を説き明かす一冊。評伝・ないし丸山論というより、丸山の生きた時代を解明する著作でもある。
戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。著者の特色は心理的人物分析と7で済むところを10語る点。本書でも発揮されている。戦前の蓑田胸喜らの帝大粛清運動の形式が左右問わず生きている。丸山が思想を問わず対峙したのがこれだ。
著者にとり丸山は憧れと批判の対象であったように、それが「知識人」に対する眼差しだった。タレント化する現在を思うと、良質なアカデミズムが生き生きとしていたことを教えられる。著者近著『メディアと知識人 清水幾太郎の覇権と忘却』 を併せて読みたい。
学問の自由と大学の自治を屠った蓑田胸喜(帝大教授思想資格民間審査官)らの帝大粛清運動は、文部行政と大学が蓑田化することで排除する対象を失ってしまう。すると今度は蓑田一派ら自身が排除される対象となっていく。単純なアナロギアはできないけど、ネトウヨ等々はこの方程式を自覚すべきか。
丸山眞男曰く「過激分子が必死となって道を『清め』たあとを静々と車に乗って進んで来るのは、いつも大礼服に身をかため勲章を一ぱいに胸にぶらさげた紳士官僚たちであった」(「戦前における日本の右翼運動」、『丸山眞男集 九』岩波書店)。利用されてポイですよ。
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丸山眞男という日本の戦後の思想界をリードした人に焦点を中てつつも、丸山が「覇権」を獲得することが出来た時代背景、そして彼の占めたポジション(東大教授であること。そしてしかも文学部ではなく、実践が重視される法学部であり、尚且つ法学部の中では周辺の文学部に近い日本政治思想史であったというラッキーさ)を分析する教育・思想史ともいうべき本です。丸山が左翼をリードしながら、全共闘からは批判対象とされざるを得なかった限界性も鋭く指摘しています。そしてこの著者は何よりも丸山に対する冷静な批評精神をもっているという点で面目を発揮しているように思いました。確かに丸山が日本に果した役割と日本を混乱させた罪があることは左右双方の立場から指摘せざるをえないのだと思います。丸山のジャーナリズムへの劣等感、大宅荘一のアカデミズムへの劣等感を背景に藤原弘達が自分が双方の架け橋になる存在だと恩師丸山を批判するようになる過程は約40年前を彷彿として思い出させてくれます。
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戦中戦後の大学、及びジャーナリズムと
大衆インテリの動きについて
丸山を中心に時代の流れを伝える一冊。
丸山らを取り巻く議論については
難しく感じる点が多々あった一方、
時代の雰囲気については理解しやすく、かつ内容も面白い。
もっと詳細に戦中や戦後安保闘争時の潮流を
知りたいと感じさせた。
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「普遍的知識人」としての丸山眞男の思想史的な位置を、戦中から戦後にかけての日本社会における文化資本をめぐる状況の推移のなかで検討しています。
前半は、狂信的な国家主義者として知られる蓑田胸喜について多くのページを割いて考察をおこなっています。また著者は、「亜インテリ」と「本来のインテリ」を区別しようとした丸山の主張に対する批判を展開し、ファシズムを下支えすることになった「亜インテリ」とされる人びとが、教養主義の丸山らとは異なるもうひとつの形態にすぎなかったことを明らかにしています。
そのほか、戦後の社会状況において丸山が「普遍的知識人」としての地位を占めた理由と、その後本格的に日本社会を覆うことになった大衆文化に直面するなかで丸山が直面することになった困難を、文化資本の社会的変遷という枠組みによって説明しています。
丸山眞男の思想そのものではなく、丸山眞男を焦点とすることで「丸山眞男の時代」について考察をおこなった本として、興味深く読みました。
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2005年刊行。著者は関西大学文学部教授。◆本書は丸山眞男の見解の分析書ではなく、また、人物評伝でもない。戦前戦後の「知識人」という存在について、丸山眞男を定点として切り取る書というべきか。けだし、蓑田胸喜に多くの頁を割くのは、大衆の知識人化という観点でなければ、理由が不明であろう。もっとも、戦前の国粋主義者による大学糾弾と全共闘などの戦後共産主義者による大学糾弾とは酷似の構図という点、大衆教育化社会・大学の大衆化という点など本書の内容は新奇とは言い難い。思わず「天皇と東大」下巻を軽く再読してしまった。
本書で描こうとする大衆知識人化の過程よりも、本書で詳述される蓑田胸喜個人の人生行路の方が面白い。国粋主義を煽る時の権力に事実上迎合し、大衆をアジっていき、大学の自治・表現の自由を掘り崩す役割を果たした。が、権力側から不要になると、その権力に睨まれ、自由な発言すら困難になる。失意の下で熊本に隠棲して昭和10年代後半期を過ごし、終戦後しばらくして死に至る。言論人としての存立基盤を自ら掘り崩した末路が哀れを通り越して、滑稽なピエロのように映る。
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本書のいうとおり、戦後左翼にとって幻滅しつつあった共産主義に代わる器が丸山眞男だったとすれば、ものすごい影響力を持つ人物だったのだと思う。いま丸山眞男の評論を読んでも深く感じるところがないので、かつての時代の雰囲気を逆に強烈に感じる。
本書では現代からの視点で丸山眞男に対する違和感が数多く語られる。戦争に反対する社会的クラスと積極的に賛成するクラスを、画一的に論拠なく断定したこと。社会運動を煽るものの、サルトルなどとは異なり自身はそれらに参加しないこと。そして学生運動で自身の研究室が破壊され、学生をナチス以下呼ばわりしたこと。荻生徂徠を近代政治のきざしであるかのように牽強付会に論じたこと。日本の敗戦までのみちのりを西洋近代の理想からの落ちこぼれとみなしたこと、などなど。
丸山眞男は心のどこかで大衆社会を信用していない。にもかかわらず大衆社会を自身の理論と実践に最大限利用しようとする。それは30年代における大衆社会化の逆利用のようだ。だから戦後にファシズムや軍国主義が忌諱されたように、ひとたび大衆を裏切ったかように見られれば、丸山眞男も手のひらを返して糾弾されるのだ。よくも都合よく私たち大衆を利用したなと。戦争終結時の丸山眞男の有名な言葉、「どうも悲しい顔をしなければならないのは…」。ここからすでに大衆の心もちと掛け離れていたのであれば、はじめから運命は決まっていたのかもしれない。
当初は簑田胸喜との対比で丸山眞男が描かれる予定であり、簑田に触れる部分がずいぶん多い。
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1. 学術界における政治的粛正
- 東京帝国大学法学部における民主主義無国家思想に対する批判が高まった時期。
- 政治的な意見が学問に影響を与える現象が観察される。
- 極右団体との関係性が深く、権力との結びつきが強固であった。
2. 矢部貞治の日記とその影響
- 矢部貞治は、東京帝国大学法学部の助教授であり、日記に蓑田胸喜や原理日本社に関する記述が多い。
- 1938年2月7日の日記には、内務省の友人から『原理日本』が持ち込まれ、そこに矢部への攻撃があったことが記されている。
- 矢部は思想的理由から免官の可能性を感じており、治安維持法の問題に言及している。
3. 学問の自由と国家権力の干渉
- 学問の自由が国家権力によって脅かされる状況が描写される。
- 大学当局による学問への干渉が、教授や学生に対する脅迫として現れた。
- 矢部は、自身の思想が攻撃されていることを憂慮し、辞職も視野に入れていた。
4. 丸山真男の役割と思想
- 丸山真男は、戦後の日本社会における病理現象を学問の対象として扱うようになった。
- 戦後の日本において、丸山は天皇を「象徴」として位置づけ、国体の崩壊後に新たな政治主体として国民を描こうとした。
- 丸山は、知識人と大衆の文化的切断を指摘し、近代化の進展を論じた。
5. 文化的切断と大衆戦略
- 丸山は、知識階級と国民大衆との間に存在するギャップを強調した。
- 知識人が抱える問題と、一般国民との意識の違いが、戦後民主主義の中で顕在化した。
- 文化的切断を通じて、知識人が大衆に対してどうアプローチするかが課題とされた。
6. 戦後の日本と大衆運動
- 安保条約改定問題を契機に、大衆運動が活発化した。
- 丸山は、当時の政治情勢に対する批判的な立場を取った。
- 学生運動と大衆運動の関係性が変化し、大学知識人が批判の対象となった。
7. 結論
- 本書では、戦前から戦後にかけての日本における学問と政治の関係、及びその影響を考察している。
- 丸山の思想が、知識人と大衆の関係を再定義する試みとして重要な役割を果たしたことが強調される。
- 学問の自由と国家権力との関係が、現代にも続く問題であることが示唆されている。