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軍から天皇に報告するものには、様々な報告形体がある。その中で、天皇に正式に報告する最高文書は上奏である。
自民党の実力者田中角栄の了解を得ずに、鈴木は首相辞任を強行しようとしたが、はじめは納得しなかった田中も天皇への内装の事実の前に承諾せざるを得なくなる。
中曽根は戦後政治の天皇問題を考えるうえで、もっとも重要な政治家の一人である。もともと中曽根は昭和天皇退位論者であったが、1959年の科学技術庁長官を皮切りに何度も閣僚を務め、天皇と身近に接するうちに中曽根の考えは変わっていく。
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首相や閣僚などの政府高官が天皇に対して国政についての報告を行う「内奏」は、近代以来の慣例として現在も続けられています。憲法で国政に関する権能を有しないと規定された天皇に対するこの慣例はなぜ現在まで続いているのか。これが本書のテーマです。
そもそも「奏」とは、天皇・太上天皇に対して「申し上げる」ことを表す最高謙譲語でした(皇后や皇太后、皇太子には「啓す」を用いました)。著者はまず、明治から戦前、戦中にかけての公文書や私文書を読み説くことで、この「奏」が近代以降制度化したプロセスを紐解いていきます。「奏」の制度は実にユニークで、たとえば同一の「奏」が記録される場合でも、記録した人物によって「奏上」「内奏」とばらばらになっていたり、また奏を行う機関によっても形式が異なっていたりと、「奏上」「上奏」「内奏」という語はかなりあいまいな用いられ方をしていたことが分かります。明治憲法下で「詔勅」が形式や内容によって厳密に規定されていたのと比べると、その姿は奇異にすら映ります。
幕末に出現した「密奏(機密扱いの奏上)」の系譜を引いていたがために極めてあいまいな形態を持っていた内奏は、戦後になっていったん廃止されそうになります。しかしそれは平成の現代でも続いている。なせか。その理由を著者は、昭和天皇自身が内奏の廃止に強硬に反対の姿勢を見せたからだと指摘します。このことは、敗戦直後の昭和天皇がそれだけの政治力をまだ持っていたことを示しているようで、実に興味深い指摘だと思いました。本書から浮かび上がるのは、戦後の昭和を通じて内奏が君臣のインフォーマルな紐帯として機能したという、近代政治史における重要な一側面です。これを描き切ったことこそが、本書の有する最大の価値なのではないでしょうか。
(2010年3月入手・5月読了)
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[ 内容 ]
内奏―臣下が天皇に対し内々に報告する行為を指す。
明治憲法下では、正式な裁可を求める「上奏」の前に行われた。
戦後、日本国憲法下、天皇の政治関与は否定され、上奏は廃止、内奏もその方向にあった。
だが昭和天皇の強い希望により、首相・閣僚らによる内奏は続けられる。
天皇は「御下問」し、それは時に政治に影響を与えた。
本書は、「奏」という行為から、天皇と近現代日本の政治について考える試みである。
[ 目次 ]
序章 「奏」の近代化―上奏・内奏
第1章 上奏と陸海軍―帷幄上奏と最終決定
第2章 内奏―曖昧な慣習の姿
第3章 権力者たちの認識―日記に登場する内奏
第4章 昭和天皇の「御下問」
第5章 敗戦直後の内奏―廃止と継続の迷走
第6章 自民党政権下の内奏
第7章 平成の内奏―代替わり後の継続と変化
終章 近現代日本の「内奏」とは
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[ 参考となる書評 ]
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内奏―臣下が天皇に対し内々に報告する行為を指す。本書は幕末以降から現在に至るまでの天皇への報告の実態を研究した書である。過去の内奏の詳細な研究書であるが、その変遷の理由や歴史的な位置づけや評価への記載が不足していると感じた。読後感は「物足りない」である。
本書では、1930年代~1940年代における陸海軍の上奏にも大きなスペースを割いている。当時陸軍と海軍とで上奏のやり方に違いがあったとは知らなかったし、昭和天皇は「御下問」という形で、自らの意思と違った政治運営に異議を唱えることができたらしい。この内奏という資料から、戦争に至る詳細な経過を見ると、昭和天皇は、一般に言われているように「立憲君主として、政府と統帥部の一致した意見は拒否しなかった」とは言えないかと思う。本書では、統帥部では詳細な内容を昭和天皇に報告していたし、同時に統帥部は昭和天皇の御下問を恐れていたというのだ。だったら、なぜ昭和天皇が望まなかったとされる日米戦争になったのだろうか?という疑問が出てくる。
ここで浮かび上がる昭和天皇の姿は「強い天皇」である。この姿は最近の研究「昭和天皇伝」での昭和天皇の姿「威信のない天皇」とはいささか違っている。まだまだこの当時の権力のインナーサークルである天皇・宮中・陸軍・海軍・政府の関係の解明が不足していると感じた。ひょっとしたら昭和天皇の年代によってもこれらの諸関係に違いがあるのかもしれない。歴史の検証には、より多角的な研究が必要かと思われる。
現天皇にたいしても、内奏は続いているのであるが、現在の象徴天皇に対して政治の内奏が必要なのであろうか?との疑問も本書を読んで思った。もっと内奏についての研究と議論が進むことを望むものである。
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「奏」と呼ばれる天皇への報告と,天皇からの「御下問」の内実を分析。帝国憲法下と日本国憲法下,それぞれにおける天皇と政治のかかわりを考える本。
帝国憲法下では,天皇には大権があり,それぞれについて臣下から「上奏」が正式な制度として行なわれた。官僚の人事関係,召集などの議会関係,外交関係,陸海統帥部関係など。その上奏の前段階の非公式な報告・説明が「内奏」とされて,本書の中心となる。
内奏は多分に慣習として続いてきたもので,呼び方も「奏上」「伝奏」など一定しない。日記を書いた人によってもそれぞれ。このあたりをかなり綿密に解き明かそうとしているが,それはあまり意味があることのようには思えなかった。戦後,日本国憲法になると,「上奏」は廃止。
しかし,内奏は残った。芦田内閣が,内奏も廃そうとしたようだが,昭和天皇の意向により,慣習として続いていくことになった。佐藤首相に見られるように,内奏と御下問の繰り返しで「君臣情義」が形成され深まっていく例もあった。戦前は統帥部の「御下問対策」に見られるように,天皇の個人的見解が国政に間接的に反映されることが当然あったのだが,現憲法下でも,その傾向はある程度残ったのかもしれない。
戦後は何度か「内奏漏洩」が不祥事として起こる。防衛庁長官が天皇の言葉を公にしてしまい,「自衛隊のために天皇を利用した」と批判され更迭された事件など。
今上天皇への内奏も続いている。ただ,昭和と異なり,首相や閣僚の天皇に対する思い入れも薄くなって,天皇と政治の距離感は遠くなってきているようだ。
昭和天皇が戦後も長く在位したことが,今の内奏のあり方に及ぼした影響は大きい。やはり歴史はつながっているのだな。
ちなみに内奏・御下問に対する政府の公式見解は,「象徴としての天皇陛下に国情を知っていただき、理解を深めていただくということのために御参考までに申し上げる」ということらしい。(宮内庁次長 昭和63年5月26日 参院決算委員会)
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序章 「奏」の近代化―上奏・内奏
第1章 上奏と陸海軍―帷幄上奏と最終決定
第2章 内奏―曖昧な慣習の姿
第3章 権力者たちの認識―日記に登場する内奏
第4章 昭和天皇の「御下問」
第5章 敗戦直後の内奏―廃止と継続の迷走
第6章 自民党政権下の内奏
第7章 平成の内奏―代替わり後の継続と変化
終章 近現代日本の「内奏」とは
著者:後藤致人(1968-、神奈川県、日本史)
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県立図書館で読む。興味深い本でした。内奏には根拠はない。歴代首相は何の意味もないと思っている。これは意外でした。ただし、熱心な昭和天皇のコメントにより、内奏に熱心になる。そういうことだったんですね。属人的なものなんですね。よくわかりました。それだけです。
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愛知学院大学文学部准教授(日本近現代史)の後藤致人(1968-)による戦前・戦後を通じた臣下から天皇への内奏・御下問に絞った研究。
【構成】
序 章「奏」の近代化-上奏・内奏
第1章 上奏と陸海軍-帷幄上奏と最終決定
1 帷幄上奏-天皇との直結
2 海軍の「奏上」
3 陸軍の上奏-南部仏印進駐と上奏・御下問
4 上奏・御下問対策-日米開戦までの道
第2章 内奏-曖昧な慣習の姿
1 東京裁判と「内奏」論議
2 多彩な内奏-口頭・公文書・私文書
3 形式と内容
第3章 権力者たちの認識-日記に登場する内奏
1 大正期-『原敬日記』の上奏・内奏
2 昭和戦前・戦中期-宮中と内閣の文書による相違
3 密葬の系譜を継いだ内奏
第4章 昭和天皇の「御下問」
1 田中義一首相不信任
2 二・二六事件と天皇の「厳命」
3 東條内閣人事の上奏・内奏と御下問
第5章 敗戦直後の内奏-廃止と継続の迷走
1 日本国憲法と天皇の政治関与
2 内奏廃止から復活へ-芦田均と吉田茂の意識の相違
3 岸信介内閣による知事会議の奏上復活
第6章 自民党政権下の内奏
1 佐藤栄作の昭和天皇への傾斜
2 昭和天皇と佐藤の「君臣情義」関係
3 閣僚内奏と御下問の「威力」
4 増原防衛庁長官の内奏漏洩-内奏の政治問題化
5 1980年代の内奏
第7章 平成の内奏-代替わり後の継続と変化
1 天皇明仁の特別な意識
2 内奏の変遷-竹下政権から小泉政権
3 象徴天皇制と天皇明仁
終 章 近現代日本の「内奏」とは
前半3章は、広く「奏」と呼ばれる臣下から天皇への報告・決裁を仰ぐ行為全般を分類していく。文書により正式な裁可を仰ぐ「上奏」、上奏を含み天皇へ政府決定事項を報告する「奏上」、そしてその奏上との境界が曖昧な「内奏」。
特に書名となっている「内奏」についてはその曖昧さゆえに実態の把握が課題となるが、本書では、
①上奏前に天皇に内々に奏したもの
②上奏はないが、天皇大権との関係で上奏が想定されるものの何らかの理由で上奏の代わりに内奏されたもの
③上奏と直接関係ないもの
と区分している(p.80)。
特に人事関係の内奏の手順は興味深い。想像するに親任官クラスの人事の場合は、天皇から御下問がある場合があるため、上奏前にかならず内奏を行い天皇の内諾を得た上で、正式な上奏手続きを取っていたように見える。つまり、天皇大権に基づく人事権が不文の慣習として確立されていたと言えるだろう。
また、後半の4章は昭和の戦前・戦後から平成にかけての内奏・御下問による天皇の政治的指示についての概観が行われている。
張作霖爆殺事件に際しての田中義一首相への不信任表明はよく知られているが、それについての昭和天皇の誤解を指摘する視点は面白い。田中は事件直後の1928年12月に内奏した厳重処罰方針から一転して、微温的な対応にとどめる旨の上聞(裁可を���めず、報告をお耳に入れる)を行った。しかし、昭和天皇はそれが田中が政府として決定した正式な「上奏」と思い、自らにそれを裁可させようとする田中の態度に対し、自ら報告を打ち切った。
そしてその後経過により田中内閣総辞職となり、昭和天皇は反省する。『昭和天皇独白録』によればその後昭和天皇は、「上奏」に対しては拒否権を行使しないと決意したという。
そして、この誤解の故、「上奏」以外の「内奏」に対しては引き続き御下問を通じて自らの意思を反映させていく。
戦後の内奏については、よく知られる占領期の天皇外交だけでなく、芦田、吉田、鳩山、岸そして佐藤と首相の性格を踏まえた内奏の温度差を指摘している。特に佐藤の態度変化は面白い。ただ、占領期以降については、ほとんどエピソード紹介にとどまっており、分析・議論というレベルにはない。
全体として、興味深いテーマであり、各用語の違いをくみ取って戦前期の政治過程を見直してみると、新たな発見があると思う。また、昭和天皇個人の政治思想を読み解く上で戦後の内奏・御下問は史料公開を進めながら、掘り下げていくことが必要である。
ただ、本書において、近現代史の天皇-政府関係の構造を捉えるというところまでは、踏み込めていないという印象である。
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2010年刊行。主として昭和天皇から今上天皇までの、政治家と天皇との情報交換・意思表明のありよう等を説明し、天皇の政策決定への関わりや政治的決断の具体的様相に光をあてようとしたもの。今上天皇にも妥当している以上、いまここにある問題と捉える必要性を痛感。いろいろ考えさせることが多かったが(戦争責任論・象徴天皇の意義・憲法との整合性)、とりあえず情報公開(全面的な情報公開は事後的とすべき場合もあろうが)とルール化(法制化されていない点)の問題は検討されるべきか。
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内奏と上奏の明確な線引き。そして、法的位置づけが無いが故に戦後も形式のみならずな実際の影響力を維持したまま継続された内奏。さらに、平成時代にも続く内奏。芦田均内閣で内奏が一時期廃止されるが第二次吉田茂内閣で復活したこと。佐藤栄作が岸信介よりも皇室を重んじていたことと、阪神大震災後に総理のみならず関係閣僚により頻繁に内奏が行われていた事が意外であった。できれば連立政権以後の内奏についてももう少し掘り下げて欲しかったところ。