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その時代時代において、革命家、愛国者、教育者など理想として語られる吉田松陰が実は時代の求めるものを鏡のように映していたという内容。歴史は後世の解釈によるものが大きいという点に気づかされて面白かった。坂本竜馬も司馬遼太郎があれほど面白くかいたからみんなに愛される人物になったという面もありそう。
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吉田松陰が戦時下において理想的国民像として昇華され、戦後新たに見直されてゆく流れを描いている。松陰の人物史をある程度把握している事が前提となっており、作中では軽くおさらいするのみ。
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主観による評伝ではなく、明治・大正・戦前・戦後とさまざまな評価の変遷を伝えながら、いずれの時代も全否定されることのない松陰の魅力と、被差別民や障がいにも平等に向き合った先見性を明らかにした、松陰研究のレファレンス。
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本書は松陰死後現代までの松陰像の遍歴をたどったもの。松陰死後しばらくは弟子の中からは松陰伝ははばかれて書けなかったという。そして、松陰は要するに尊皇の人であるから、戦前は教科書にとりあげられるし、かなりの程度まで祭り上げられる。戦後はもう少し客観的に評価するものもあらわれるが、まったくマイナスに評価するものはいなかったという。田中さんは,野山獄にいた女囚と松陰が心を通わせたことを別の本でも書いているが(海原さんは否定的)、松陰の人々を平等に見ようとする姿勢はかれの弟の敏三郎が聾唖者であったことと関係があろうと言っている。身内に障害者がいるといないとで、人に対する接し方、見方が違ってくるのである。本書にはさらに、ペリーたちやそれ以後の外国人の評価もあり、興味深い。
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吉田松陰について書かれている本は、相当数あるそうで、それは彼の人物像が時の政権に利用されたことにもよるのだそうだ。この本は、そのような本の松陰への評価を利用し、松陰を再評価しようとするなかなか面白い視点のものである。しかし、歴史上の人物の像とはそのようなものかもしれない。
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明治維新から150年以上が経過したが、右派政党が「維新」を名乗り、左派政党が「新撰組」を名乗っている時代を考えると、「幕末・維新」が左右に限らず政治利用される状況が相変わらず続いていると言っていいだろう。
本書は「吉田松陰」が明治・大正・戦前昭和・戦後において、どのように解釈され、そして政治利用されてきたのか?の歴史を紐解いている。一般的には右派的なイメージがあるが、革命家として考えた場合には政権批判の左派的文脈で扱われてきたという歴史も垣間見えるのが興味深い。そこには革命家である吉田松陰の門弟たちが藩閥政府を形成し保守勢力となった事への批判の意味が込められているという皮肉もある。他方、太平洋戦争初期には愛国者としての吉田松陰がクローズアップされ、多数の書籍が刊行されたという歴史もある事が記述されている。
このように「吉田松陰」というブランドは左右からその時々の時代状況によって都合よく利用されてきたわけだが、彼の根底思想にある人間平等観はどこに起因しているのだろうか?というのが著者の最後の問いとなっている。それは尊王思想に見られる「一君万民」思想などではなく、障害者である弟への愛のまなざしであるというのが著者の答えである。この点は華々しい活躍から見落とされがちな事象ではあるが、吉田松陰に感じるある種の優しさのようなものは家庭環境が育んだものであり、それが多くの日本人を惹きつけている要因であるのかもしれないとも感じられ妙に納得させられる。
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田中彰 「 吉田松陰 」
時代により変わってきた松陰像を整理しながら、最後は 松陰の「人間を平等に見る目線(一視同仁)」に着目して、普遍的な松陰像を試みている
戦争中の松陰像は 忠君愛国の象徴で偶像的。徳富蘇峰 の名著「吉田松陰」も 戦争中に「革命家 松陰」から 「改革の率先者 松陰」に改訂され、侵略戦争の正当化の役割を担った様子
戦後の松陰像は 失敗の中に松陰の人間性を見出している。敗戦の時代背景が関係しているのか。
名言「 秩序の中に進歩がなく、破壊の中に進歩が保障されている〜人は歴史を作る。そして、それ以上に 危機は人を作る」
著者の松陰像が一番爽やか
*人間を平等に見る目線(一視同仁)
*その目線は 松陰の実弟(障がいを持つ敏三郎)により 養われたのでは?
*福堂策(読書等により囚人を善人に転じさせ、獄を福堂に変える)
*罪は憎んで人は憎まず(罪は病と同じ〜病さえ治せば、真っ当な人間として蘇る)
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吉田松陰像は時代よって異なる
→一方で強く批判されることはない
→対照的に井伊直弼は時代によっては批判の的
→革命家や教育者として捉えられやすい
身分や性別、障害を問わず一人の人として扱った
→師と生徒との関係であっても優越を乱用しない