投稿元:
レビューを見る
県試、府試、院師、歳試、科試、郷試、挙人覆試、会試、会試覆試、殿試
世界一過酷な試験とされる科挙には、上記の試験が存在する。清時代にはすべて行われていた。試験地獄と言われるだけのことはある。
殿試を首位で通過すると「状元」と称せられる。人生で最高の栄光を勝ち得たことになり、小説の主人公にもよく状元の才子が登場する。浅田次郎の「蒼穹の昴」にも登場していた。
そもそも、科挙を実施するにいたった理由はなんなのか
1400年前に存在した科挙、ヨーロッパはまだまだ封建制度で、一般市民から官僚を登用することは考えられなく、中国の科挙が斬新な制度であった。
科挙を実施する理由は、貴族への牽制
世襲的な貴族政治に打撃を与え、天子の独裁権力を確立するためにあった。
また、科挙に合格することは、大衆からの尊敬のまなざしを得る以外に、実利があった。一般市民が富貴になるための唯一といっていい手段であった。
科挙の理想と現実
科挙の素晴らしいとされる点は、「だれでも受けられる」ということ。しかし、上記の試験をすべて受けるには相当の費用が発生する。万人には等しく開かれていなかったという方が正確である。しかし、家柄も血筋も問わず、力のあるものはだれでも試験を受けることができるという精神だけでも、当時の世界ではその比をみない進歩したもであったといえる。
唐から宗の時代では、中国の教養レベルは世界でトップクラスであったとされる。それがなぜ、清の末期には西洋に後れをとっていたのか。それは、
国が科挙という試験だけに注力し、学校(大学)で教育を怠ったためである
とされる。これはかなり納得。 科挙の試験内容は、「四書」「五経」が中心となる。国が教育に金をかけて学校をつくらずとも、民間で教育は行われるが、それは試験対策の教育でしかない。 自然科学などを教えるには、学校という箱と、最先端の知識人そして制度が必要であった。 これを怠ったため、中国の知識レベルは、清末期に西洋にかなり遅れをとることとなった。
日本は明治維新後、学校制度を整え、自然科学をはじめとする学問を早期に教育しはじめた。その結果が、日清戦争、日露戦争での勝利をもたらしたのだろうか。
教育の重要性を再認識させられる。
この本の最後の章に、日本の教育と科挙について述べていた
アメリカの教育は、日本はど入学難はないが、教師からいやというほどたくさんの宿題を負わされ、山のような参考書と取り組むといったものである。
「日本の試験地獄は、アメリカのそれに比べと性質が非常に遠い、むしろ中国の過去における科挙の試験地獄の方に近い。これはいったいなぜだろう。それが東洋と西洋との文化の相違なのか、あるいは世界史的に見て、社会発達段階の相違なのであろうか」(引用:本文P214)
この『科挙』を読んで、
今の日本の教育の問題点をたくさん含んでいた。
解決できない問題なのか、人は案外成長できない生物なのか
教育機会均等��問題、今の試験制度では計りえない優秀な者の選抜方法などなど
噂通りの名著でした。感動☆
投稿元:
レビューを見る
宮崎市定のいまや「古典」。
それにしても現代の「右翼」跋扈の世情を鑑みるに東洋学の伝統は一体どこへいったのか、と。嗚呼!
投稿元:
レビューを見る
科挙制度について。
科挙制度ができた背景から、一定の効果をもたらし、そして形骸化し、廃止に至るまでの歴史を描いている。
名前は聞いたことはあったけれど、具体的な試験内容、科挙の受験生、試験管などのエピソードなどもたくさんあり、おもしろく読めた。
投稿元:
レビューを見る
2013.11.25
科挙のネタ本
意義も書いてあるが、古いので現在の歴史認識と合致するかは調べてから参照しないといけない。
投稿元:
レビューを見る
この本、面白いですよ。お薦め。
高校生の時、世界史のM田先生が紹介してくれたのがきっかけで、一度読んだことがあるのですが、今回、図書館で借りてきて、もう一度読み直してみました。
科挙という時代も国も違う制度が、今の日本に通じるところがあるという筆者の指摘がとても印象に残ります。その原因が、今は崩壊したと言われる終身雇用制度にあるという指摘もシャープです。
何しろ私の生まれる前に書かれた本ですが、40年以上も読み継がれているのがうなずける素晴らしい一冊です。
投稿元:
レビューを見る
1963年刊行。著者は京都大学名誉教授。
1994年刊行版で53刷目という超ロングセラー。
タイトルどおり、中国の官僚選抜システムの試験制度について、試験の具体的な手順やその周辺事情(機能しなかった学校制度など)を詳細に解剖していく書である。
以前に文庫本を読んだ記録はあるが、記憶から完全に飛んでいるので新書版で再読。
試験に関して、余りにも細かな情景描写まで叙述され、個人的な関心事からはやや遠い印象。
そもそも、こちらとしては、科挙がどのような試験問題を出し、どのような官吏を求めていたかを時代毎に把握したいなということだったからである。
さて、備忘録兼問題意識。
① 公平性を旨としていた。そのための試験管側の苦心も。
② 武官の試験も別途存在。筆記試験もあるが、体力試験が合格の鍵。
③ 宋代以降、他民族による被侵略経験を持つが、大陸政権の内部クーデターがない点は科挙の功の部分。
④ 科挙=作文との指摘は事実?。思考力(萌芽でもいいが)を試していないのか。
➄ 問題の質は兎も角、科目は変わらなかった。何故?。⑥ 価値一元的な試験体系は、西欧の如き大学システムを生まなかった。この東西の違いはどこに起因?。教皇権と世俗権とに分離したという権力の相克が西欧にはあったが、中国にはなかったから?。
投稿元:
レビューを見る
高校時代に人から薦められて読んだ。科挙について書かれた名著である。科挙についての詳細が事細かに書かれている。驚いたのは当時のカンニング技術。命懸けのカンニングだね。
投稿元:
レビューを見る
試験制度と聞くと、やはり一番、科挙が有名じゃないかと思います。
官使登用制度として1300年以上の歴史をもつ制度は、世界に類をみません。
本書を私が読んだ理由としては、中国で現行実施されている大学入学試験(高考)を考察する上で、
科挙制度が、どのように影響しているかという点を理解したいと思ったからです。
東洋史学の泰斗である宮崎市定先生の、軽妙な語り口に、どんどんページが進みました。
科挙制度を客観的に紹介すると同時に、その制度の時代背景、導入にいたった経緯、理由まで、
非常にわかりやすく書かれています。さすが、中国史の泰斗です。
中国語の書籍でも、科挙を紹介する山ほどありますが、
宮崎先生ほどの、わかり易く説明した本に出合った、ためしがありません。
さて本書で重要なことは、副題が「中国の試験地獄」としていることです。
試験という制度は、本来、国を支え、発展させる上で、
優秀な人材を見つけることが第一の目的です(科挙自体は、貴族の勢力を抑えつけることも、大きな目的の一つ)。
しかし、時が経てば、本来の精神が希薄化し、
試験に合格するためのノウハウと不正行為が氾濫するようになります。
そして、膨大な量の書物を暗記でき、それを試験場で、表現できるか(答案に書き写せる能力)
という競争へと堕落します(いい意味で使うなら変化する)。
また、試験に参加する人数も、どんどん増え、試験が、地獄と化します。
現に試験に受からなかった者が、その恨み辛みをもって、
朝廷を転覆させる例は、中国史を垣間見れば、多く見受けられます。
また本書の副題で試験地獄と記しているのは、この本が出版された60年代~、
日本の学生は、まさに受験戦争の真っ只中にいたからです。
宮崎先生が、まえがきにも、あとがきにも記しているのは、
日本で、地獄化している試験制度を憂いてのことです。
この『科挙』という書籍自体の出版が、
その当時の日本の試験制度を批判したものとなっています。
それから半世紀後の現在は、試験地獄は、以前よりも圧倒的に緩和しました。
大学全入時代には当の昔に突入し、今は、深刻な少子化と、
毎年のように大学が経験破たんする事態になっています。
入学試験にいたっては、無試験で入れる大学も多数あり、四則演算も怪しい、
また、大学生の4分の1が、「太陽は東に沈む」と答える事態になっています。
宮崎先生がご存命なら、ここまでの状態になるなんて、想像できなかったと思います。
試験の歴史を知ることは、政治を知り、社会を知り、人を知ることでもあります。
宮崎先生のような、博学かつ読者をひきつけるような文章を書く学者は、かなり稀です。
他の宮崎氏の著作(特に岩波文庫から出版されている『中国史』がおすすめ)も手にとってみることをおすすめします。
投稿元:
レビューを見る
試験、試験、試験…
現代日本にも通ずるところのある、中国の試験地獄「科挙」の実態を客観的に記載する。
受験する側も実施する側も、相当の苦労を要する厳正な試験であったことがわかる。
反面、巧妙な不正や、妖怪変化的な逸話が多数言い伝えられたりしているのも面白い。
投稿元:
レビューを見る
ほとんどの世界で役職といえば世襲で成り立っていた6世紀。地方政府の勢力を削ぐため、地方高官は全て中央政府から任命派遣されることとなった。そのため中央での官史有資格者の保持のため出来た試験制度が、科目による試験選挙制度、科挙。これが終了するのが20世紀前半というのだから、恐れ入る。だが、常に効果を発揮していたわけでもなさそうだということは、幾度も繰り返される政権交代や、他国との競争力の違いからも明らかだ。改められず、膨大な古典の暗記のみを必要とする試験問題、中央に数百人を一度に集めて試験を開催するための施設、不正を防ぐために何度も繰り返される審査。そして特にあげられるのが、教育の不備。ろくな学校制度がないせいで、まともに試験対策するならば莫大な金をかける必要があり、結局は資産がある名家が有利になるという構造だ。
しかしこうしてデメリットをならべて見ると、現代日本においても反面教師として参考にできる点は多い。というか、いつの時代も似たようなことで悩んでるのは興味深い。このような複雑性の高い問題は、アルゴリズムや評価式の創出により一気に解決されうるのか。他分野も含め、調べてみたい。
投稿元:
レビューを見る
中国の官吏登用試験であるあの科挙を論じたもの。清代後期の爛熟した科挙制度を中心に実態とその周辺の社会風俗、思想、さらに歴史におけるその得失を論じている。科挙のことを知りたいならこれ一冊で大体間に合うと思う。単に科挙制度そのものを論じるだけでなく、中国の一般社会における科挙と受験者、合格者の位置づけにも触れられていて、中国社会の理解につながると思う。中国は昔から貧富の格差はひどく、金持ち士大夫層と貧乏庶民で二分されていたことがわかる。またそのためなのか、独特の道徳観念があり、道教思想に言が及ぶ。
「科挙に応じようという者は多くは有閑階級の子弟である。彼らは金もあるしひまもあるので、一番淫に陥り易い。したがって特にこの淫を厳しく戒めるのである。その次は金のある勢いにまかせて貧乏人を困らせることである。一方女子の貞操を守ってやったり、貧乏人の困難を救ってやることは無常の功徳として奨励し、科挙及第という褒美を惜しみなく与える。この思想を裏返せば、人類は本来対等なもので、平等に平和な生活を営む権利があるのだが、ただ貧富の懸隔があって、上に立つ者と下に位するものがあるばかりなので、上のものは決して勢いに任せて下のものの生活を脅かしてはならぬというにある。(pp.163-164)」
といった道徳観が格差の弊害の緩和に役立っていたことが読み取れる。また、あとがきで科挙試験の壮絶さと比して、日本の受験戦争が言及され、終身雇傭制を封建的で前近代的(!)として、受験戦争の原因と見、批判している。なかなかおもしろい。もし先生が今の派遣・請負奴隷やワープアとかを見たらどう思うんだろう。競争原理と格差の広がりの肯定の新自由主義な社会で生きづらくなってきたが、どうにかするには、結局、無理でも道徳観念の普及しかなさそう。負け組やできない人を笑ってはいけない。道徳観の変化も面白い。女子の貞操を守ってやるなどといった観念は現在は完全に消滅しているだろう。
投稿元:
レビューを見る
清代の科挙を例にとって、試験の詳細を紹介していく。途中挿入されるエピソードが人間味があって面白い。
もともと貴族に対抗するため隋唐代に導入されたものが、文を尊ぶ知識階級のあり方と融合して社会に根強くあり様が紹介されている。科挙が根強くことがなかった日本とは異なる社会層が中国には形成されていたのだろう。
投稿元:
レビューを見る
これまたマニアックな内容だが、非常に面白かった。科挙がこれほどシステマチックに運営されていたなんて想像すらしていなかった。中国はこういう歴史があるから侮れない。
投稿元:
レビューを見る
近年何かと話題になる中国。
その中国の歴史に多大なる影響を及ぼした科挙についてまとめた一冊。
オトラジで紹介されていて気になって購入。
副題の通りの“試験地獄”だけれど、ある意味では誰にでも門扉が開かれているフェアな制度だった側面も見逃せない。
どの時代も教育にはお金がかかることを再認識させられた一冊。
投稿元:
レビューを見る
1400年も前から誰にも開かれた(建前でもあるが)登用試験があり、王朝が変わっても受け継がれてきたとは!
実は中国の歴史では、一王朝の創業期以外には概して平和で、そこには科挙に起因する民度の高さやシビリアンコントロールが存在していたという点に驚いた