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フォン・ブラウンとコロリョフ。恵まれた家庭と、かたや苦労人というドラマチックな対比に当てはめやすい二人を軸に、宇宙開発が回ってゆく。
二人は交わる事なく、しかしまっすぐに宇宙へ向かう意識を持っていたようだ。
時に政治に翻弄されつつも技術屋として生きた二人の生涯をかけた情熱の物語に感動。
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(2006.03.17読了)(2006.01.26購入)
副題「アポロとスプートニクの軌跡」
アメリカの宇宙ロケットの開発を指揮した人は、ドイツからアメリカに渡ったフォン・ブラウンである事は、よく知られているけれど、ソ連(ロシア)の宇宙ロケットの開発を指揮した人は誰なのか知りません。
ソ連当局が彼の暗殺を恐れたため、存命中その存在は公にされなかったためということです。セルゲーイ・パーヴロヴィッチ・コロリョフと言う人です.
この本の半分は、フォン・ブラウンについて、残りの半分は、コロリョフについて書いてあります。ソ連の崩壊に伴い、宇宙ロケットについての情報が公開されたので、やっとこの本が書けるようになったということです。
●セルゲーイ・パーヴロヴィッチ・コロリョフ
1907年1月12日、ウクライナのキエフの近くジトミールで生まれた。
父親は、キエフの高校の国語教師。母親は、コサックの古い家柄の出身。
セルゲーイが3歳のとき、両親は離婚し、母親と母親の両親の元で育てられた。
1913年、6歳の時、近くの原っぱで飛行機が飛行するのを見た。
1916年11月、母親は、再婚した。
セルゲーイは、キエフ工科大学の航空学部に入った。「前ソ連グライダー・ラリー」に参加するために、グライダーの建造に夢中になる。
1926年7月、モスクワ高等技術大学への入学許可を受け、その秋、モスクワへ旅立った。(13頁)
ソ連では、1929年までにロケット・エンジンの製作やロケットの発射テストも行われていた。
1931年8月6日、セルゲーイは、キセーニヤ・ヴィンセンチーニと結婚した。
1933年8月17日、ソ連最初の液体燃料ロケット「ギルド09」が発射された。コリリョフも大きな役割を果たした。
●ヴェルナー・フォン・ブラウン
1912年3月23日、ドイツのポーゼン地方のヴィルジッツで生まれた。
父親は、男爵で、ヴィルジッツの行政官をしていた。農業食糧大臣を務めたこともある。
母親は、貴族の家に生まれ、6ヶ国語を自由にしゃべる。アマチュア鳥類学者、アマチュア天文学者だった。1920年ベルリンに居を構えた。
10歳過ぎから兄や友達と一緒にロケットを作り、廃品投棄場から持ってきた部品から組み立てたポンコツ車につけて走らせたりした。13歳になった年に、母より天体望遠鏡をプレゼントされた。天体望遠鏡で見た月や火星が、いつか月や火星に飛ぶロケットを作ってみたいという夢を燃え上がらせた。
中学生の時、「惑星空間へのロケット」という一冊の本に出会った。数学の苦手なヴェルナーには、この本の中に頻出する方程式の意味を理解することができない。必死の努力によって、彼はめきめきと数学の力を伸ばした。(15頁)
1928年、ドイツ宇宙旅行協会に高校生の「分際で」入会し、ロケットへの道を踏み出した。(17頁)
1930年、ベルリン・シャルロッテンブルク工科大学に進学した。
1930年8月、ロケット打ち上げのための液体燃料による燃焼実験を行った。
1932年11月、陸軍兵器部に入って大型ロケット開発を始めた。フォン・ブラウンは20歳になっていた。(31頁)
1933年1月、フォン・ブラウンの設計した水冷式のロケ��トの燃焼実験が行われた。
●セルゲーイ・パーヴロヴィッチ・コロリョフ
1938年6月27日ドイツにおける反ソヴィエト団体と共謀していると疑われ連行された。10年の刑を言い渡された。1945年の春に開放された。6年間の囚人生活だった。
●ヴェルナー・フォン・ブラウン
1937年4月、ロケット実験場はクンマースドルフからペーネミュンデに移った。
1937年9月グライフスヴァルダー・オイエで発射実験が行われた。A-3ロケット。
1938年夏A-5ロケット打ち上げ。飛翔の安定を目指す。
1939年秋第二次世界大戦勃発。
1942年10月3日A-4ロケット打ち上げ成功。ロケット推進が宇宙旅行につかえル琴を証明。
1944年2月、フォン・ブラウンは、ハインリヒ・ヒムラーに活動報告。
数日後、逮捕され、牢獄入り。ドルンベルガーの奔走により釈放。
1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件。
1944年9月8日、A-4ロケットは「V-2」としてロンドンへ向け発射された。1945年3月27日までの間に1500発発射され、1万2685人の死者を出し、3万3700の住居や建物が破壊された。
☆関連図書(既読)
「ハレー彗星の科学」的川泰宣著、新潮文庫、1984.03.25
「人工衛星」シュテルンフェルト著・金光不二夫訳、岩波新書、1958.01.25
「宇宙からの帰還」立花隆著、中央公論社、1983.01.20
「宇宙ビジネス最前線」角間隆著、日本実業出版社、1986.05.25
「毛利衛 ふわっと宇宙へ」毛利衛著、朝日新聞社、1992.11.15
「宇宙実験レポートfrom U.S.A」毛利衛著、講談社、1992.11.25
「宇宙からの贈りもの」毛利衛著、NHK人間講座、2001.01.01
著者 的川 泰宣
1942年 広島県生まれ
東京大学工学部卒業
工学博士
専門:ロケット及び人工衛星の飛翔計画、設計
(「BOOK」データベースより)amazon
宇宙開発競争をくりひろげた冷戦期の米ソは、それぞれ稀有な才能を擁していた。ソ連には、粛清で強制収容所に送られながら、後に共産党中央委員会を「恫喝」して世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたコロリョフ。アメリカには、「ナチスのミサイル開発者」と白眼視されながらも、アポロ計画を成功に導いたフォン・ブラウン。遠く離れた地にありながら、同じように少年の日の夢を追い、宇宙をめざした二人の軌跡。
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単に同じ時代に同じ事をしたってだけのような…
この時代だからこそ出てきた人たちだろうし、対比させるのはわかるけれど、わざわざ「ライバル」にする意味がわからない。
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洋の東西に分かれはしたが、同じ時期に同じ夢を追い求め、
同じ高みへ駆け上ろうとした二人の科学者
- 戦後アメリカに渡ったドイツ人、フォン・ブラウンと、
ソ連のセルゲイ・パヴロヴィッチ・コリョロフの物語。
文章は平易で読みやすいが、丁寧に書き上げられた前半に比べ、
きっと締め切りに追われて慌てたのだろう、
やや書き飛ばしたような感のある後半が残念。
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米ソの宇宙開発、コロリョフとブラウンの2人の生い立ち、時代背景などがよくわった。たまに専門的で難しく感じた。
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ソ連のコロリョフとアメリカのフォン・ブラウン。対照的な生き方をしながらもロケットに心を奪われた科学者たちの数奇な運命をメインとしたそれなりに読みやすい内容。大きなプロジェクトを成し遂げるにあたっての組織構造はやはりアメリカが勝っていただろうし、だからこそコロリョフ亡き後の迷走があったり(それだけが理由じゃないだろうけれど)。
人類は火星に有人飛行したくないんだろうか。やっぱりしたくないのかもなあ、なんてアポロ計画の終わりのあたりを読んで思いました。わたしは行きたい。見たい。
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宇宙に魅せられ、紆余曲折を経ながらもロケット開発への情熱を貫徹した2人の科学者の物語。
1人は、ウクライナで生まれ、「スプートニク」を打上げ、「ヴォストーク」でガガーリンを宇宙に送り出したソ連の科学者コロリョフ。もう1人はドイツで生まれ、大戦終結の中でアメリカに渡り、「アポロ計画」に携わり「サターンV」ロケットを生み出したフォン・ブラウン。
この2人の生涯を、米ソの宇宙開発競争へという時代の流れの中で描いた一冊。
2人の科学者の物語としても十分に読み応えがあったし、宇宙開発の歴史に詳しくない人が、歴史を知るのにも良い本だったと思う。
宇宙に興味を持っている方は読む価値あり!
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冷戦下のソ連とアメリカによる壮絶な宇宙開発競争。コロリョフとフォン・ブランのふたりは生涯顔を合わせることはなかったが、ふたりが同じプロジェクトにいたら人類はもっと早く宇宙に行っていたかも知れぬ。
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50年代から60年代にかけて行われたアメリカとロシアのロケット開発競争.その競争を引っ張ったのは,アメリカのフォン・ブラウンと,ロシアのコロリョフの2人の技術者.熱い.僕はコロリョフ派です.
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ナチスのスポンサードでV2ロケットを開発したウェルナー・フォン・ブラウンと、流刑にあいながらも不屈の精神でソ連の宇宙開発をリードしたコロリョフ。ふたりのオッサンの夢競争。
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1957年、世界で初めて人工衛星(スプートニク)が打ち上げられた。旧ソ連の仕事だ。当時、冷戦中のアメリカは、技術力の差を見せつけられ大いにあせった。これをスプートニクショックと呼ぶ。このことは皆おそらく周知の事実だろう。ところで、ソ連のこの打上げで中心的役割を果たしたコロリョフという人物を知っている人はどれくらいいるだろう。さらに、当時アメリカでロケット開発の中心人物であり、後に人類初の月面着陸を成功に導いたドイツ人のフォン・ブラウンという人物を知っている人はいるだろうか。僕は2人とも全く知らなかった。ひょっとすると映画や何かテレビ番組などで知っている人も多いのかも知れないが、とにかく僕は初耳だった。この2人は直接の知り合いというわけではないが、どちらも「月へ人類を送りたい」という強い夢を持って、ロケット開発にいそしんだ。2人の夢は戦争に利用されたり、政治に利用されたりする。それでも、そのことによってまわりに批判されることがあったとしても、自分の夢のためにこの仕事を続けた。人工衛星ではソ連に先を越されたアメリカは、月への有人飛行では何としても先行しなければいけない。フォン・ブラウンへの要望は強くなる。急いだために大きな事故が発生。宇宙飛行士が亡くなっている。そんなことがあったということも、僕は知らなかった。たぶん、僕はものごころつき始めたころ、テレビで人が月面に降りるのを見たのだと思う。それは録画を見たのか、リアルタイムで見ていたのか、その辺が定かではない。フワー、フワーとスローモーションのように歩いている姿と星条旗が月面に立てられていたのをうっすらと覚えている。そこに至るまでに、いろいろなドラマがあったのだということを本書を通して知った。宇宙開発には莫大なお金がかかる。そこには批判がつきまとう。でも、それはロマンであることには間違いない。みんなは宇宙飛行士になりたいという夢を持ったことがありますか?僕には残念ながらそういう思いにかられたことは一度もないのだけど、そういう夢を抱かせるような環境は大切だろうなあと漠然と考えています。(追記)1986年1月スペースシャトルチャレンジャーが爆発事故を起こした。真っ青な空に炎が舞い上がった。その映像を何度見たことだろう。あんなものはできれば2度と見たくない。
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宇宙への夢を実現するため、ナチス・ドイツでミサイルロケットを開発し、戦後はアメリカに渡り、NASAでロケット開発に尽力したフォン・ブラウン。「映像の世紀プレミアム」の科学者篇を見て、フォン・ブラウンの生き方に引っかかった。子どもの頃からの夢を実現した強固な意志は素晴らしいが、そのために立場は選ばなくていいのだろうか。私はすごく優秀な人間であればあるほど、十分気をつけて生きるべきではないかと思うので、手放しでフォン・ブラウンを素晴らしいとは思えなかったのだ。彼に葛藤はなかったのだろうか。もっと知りたくなって手に取った本。著者は日本の宇宙開発第一人者である的川泰宣さん。本書は、タイトルにある二人の科学者―フォン・ブラウンとコロリョフ―へフォーカスするより、米ソの宇宙開発競争を俯瞰して眺めており、私の知りたかったフォン・ブラウンの人物や心の動きはあまり伝わらなかった。一方、もう1人のソ連のコロリョフのほうはかなり詳しく描かれていて、内面描写がなくても何となく伝わってくるものがあった。的川先生はコロリョフにシンパシーを抱いていたのだろうか?フォン・ブラウンの生き方は、同じように宇宙への憧憬が強い的川先生にはたぶんあまり否定するものではないのかもしれない。また違う本を探しましょう。NHKの「コズミックフロント」という番組でやったBBCのドキュメンタリー「宇宙へ~冷戦と二人の天才~」がいちばん面白そうなんだけど。
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●本書は、世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたコロリョフとアポロ計画を成功に導いたフォン・ブラウンについて書かれたもの。冷戦期の米露のロケット開発競争に奔走した知られざる科学者二人の物語。
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先日観たBBCドラマ「SPACE RACE 宇宙へ〜冷戦と二人の天才」の原作といった趣きでとてもおもしろい。コロリョフに惚れるね。
ドラマでは描かれなかった、アポロ計画後のフォン・ブラウンの苦悩に涙。最後にも。
そしてプロローグを読み返し、あいまみえることのなかった二人の天才が、わずかのタイミングですれ違っていたという運命のいたずらに感心、またふたりの元で働いた人物がいたことにも改めて驚いた。
amazonのレビューで誰かが書いてたが、これだけいろんなエピソードがあると新書一冊では足りず、たしかにそれぞれのエピソードがあっさりし過ぎの感は否めない。もっといろんなドラマがあったはずでもっと読みたい!
とにかくおもしろかった。こんなにも壮大でドラマチックな話しがはあるだろうか。手塚治虫か浦沢直樹がマンガ化すれば、もっと世の人々が知るところとなるのになあ。
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第二次世界大戦後に宇宙開発でしのぎを削ったアメリカとソ連で、それぞれ開発を主導したフォン.ブラウンと、コロリョフの生涯をたどるノンフィクション。
米ソ両国のロケット技術のルーツがどちらもドイツが主導していたロケット技術にあり、米ソ両国がドイツの技術を取り込もうと必死であったことが描かれています。
ドイツで研究を続けていたフォン・ブラウンはアメリカに投降することを決心しますが、ほんの数日違いのタイミングで研究拠点がソ連の手に落ちていたことが本書で紹介されています。もしもフォン・ブラウンがソ連に身柄を拘束されていたら、月に人類を送り込んだのはソ連になっていたかもしれません。
冷戦の期間中は米ソともに国を挙げて研究に邁進していたかのような印象を持っていました。しかしアメリカでは陸海空の三軍が開発の主導権争いを繰り広げ、ソ連では共産党幹部が宇宙開発の軍事的意義を理解せず、研究を継続するために常に政治的な活動を強いられるなど、必ずしも効率的な研究環境とは言い難いなかで開発が進められたことが描かれています。
アポロ計画を取り上げた本は数多く出版されています。一方、戦後まもなくからの宇宙開発の歴史を特にソ連とアメリカの状況を対比しながら紹介する本書はまた違った視点を提供してくれる1冊でした。
技術的な記述よりも開発の背景など政治的、社会的な描写に力点がおかれていて、技術的な知識がなくても読み通せます。