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会津藩主といえば、松平容保が有名だが、その容保が、なぜあそこまで頑なに徳川家を支えようとしたのか、幕府の力が衰え時代が明らかに変わっていたなかで、なぜ愚直にも最後までふんばりつづけたのか、全ての源泉はこの1人の名君にあるわけで、幕末や維新のことに興味がある人は是非読んで欲しい一冊。
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まるで物語の中の人のような数奇な人生と、彼の成し遂げた功績の大きさ、後世への影響力。すごい人です。
どうしても幕末好きだと避けて通れない会津藩ですが、藩祖である正之公のことを知りたいと思ってもちゃんとした本になかなか出合えなかったので、こういう本が出て嬉しいです。
なのにイマイチ知名度が低いのは、作者が書いてるようなことが原因でしょうか・・・。
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(2010.07.04読了)(2010.06.15購入)
「天地明察」(冲方丁著)の中で出てきた人物の中で一番魅力的で、重要な人が保科正之ではないでしょうか。渋川春海の人物を見込んで改歴事業を任せた人物です。
徳川秀忠の息子で、家光の異母弟です。「武断政治を文武政治へと切り替えた立役者であった」(187頁)ということなので、江戸幕府の基礎を築いた人物でもあるということになります。
NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」を見た時に保科正之が出てきたような気がします。その時以来ずっと気になっていた人物でもあり、やっと読むことができました。
ただし、この本には、改歴の話も、渋川春海のことも出てきません。関連ある項目は、年譜の中に、「1623年、13歳、このころ幕府碁詰所勤めの安井算知から囲碁を学び」(192頁)と書いてあることぐらいです。
「はじめに」に保科正之の事績が三つあげてあります。
1.「明暦の大火」で焼失した江戸城天守閣の再建より町屋の復旧を優先させたこと。
「思うに天守閣と申すものは、戦国の世の織田信長の建てた安土城に始まると思われるが、これが軍用に多大な利点を発揮した例は史書に見えませぬ。いわば、ただ世間を観望いたすのに便利というだけの代物なれば、さようなものの再建に財力と人力とを費やすよりも、むしろますます町屋の復旧に力を入れるべきでござろう」
2.玉川上水を竣工させ水不足を解消。
玉川上水の開削を発案し、幕閣たちの大反対を押さえこんで竣工させた。
3.国許の会津に「社倉」を設置し凶作に備えた。
米を大量に貯蔵し凶作に備えたために会津藩は凶作の年にもほとんど餓死者を出さず、米不足に陥った近隣諸藩に救済米を与えることができた。
民のために何が大事かを考え実行した人です。政治家や人の上に立つ人々にぜひ見習ってほしい人です。
著者 中村 彰彦
1949年、栃木県栃木市生まれ
東北大学文学部卒業
文藝春秋に勤務
1987年、『明治新選組』で第十回エンタテインメント小説大賞受賞
1991年より執筆活動に専念
1993年、『五左衛門坂の敵討』で第一回中山義秀文学賞受賞
1994年、『二つの山河』で第111回直木賞受賞
2005年、『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞受賞
(2010年7月7日・記)
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[ 内容 ]
徳川秀忠の子でありながら、庶子ゆえに嫉妬深い正室於江与の方を怖れて不遇を託っていた正之は、異腹の兄家光に見出されるや、その全幅の信頼を得て、徳川将軍輔弼役として幕府経営を真摯に精励、武断政治から文治主義政治への切換えの立役をつとめた。
一方、自藩の支配は優れた人材を登用して領民の生活安定に意を尽くし、藩士にはのちに会津士魂と称される精神教育に力を注ぐ。
明治以降、闇に隠された名君の事績を掘り起こす。
[ 目次 ]
第1章 家光の異母弟として
第2章 将軍家綱の輔弼役
第3章 高遠・山形・会津の藩政
第4章 その私生活
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ずいぶん前に購入し,一度読み終えた本ですが,大河ドラマ「江」で,なつという女性が秀忠の子を身ごもったという場面があり,「あれっ,保科正之の母ってだれだっけ?」と思い,ささっと読み返してみることにしました。
読み返して改めて思ったのは,2代将軍秀忠の庶子として生まれ,とても数奇な運命をたどった人だということ。江戸前期の幕政の安定に貢献したことはもちろん,幕末の会津藩にまで影響を与えたすぐれた名君であったことを改めて確認しました。その事績を抹消してしまったのが明治政府であったかもしれないということも。
それにしても,正之の幼少期を支えたのが武田信玄の娘とその旧臣であったことや,悪妻に手を焼いていたことなど,彼を取り巻く人間模様もまた興味深いものです。
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二代将軍秀忠の息子で三代将軍家光の異母弟、お江の嫉妬を恐れて父親と離れて育ったために家光はこの弟の存在を長い間知らなかったんですね。
もし、もう一人の弟国松(忠長)と三人一緒に西の丸で育っていたら、歴史はどうなっていたんだろうか。
玉川上水開削や明暦の大火後の復興、武断政治から文治政治に転換に貢献した会津藩主はなかったかも。
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武断政治から文治政治への転換期において、保科正之の政策が如何に重要だったのかが良くわかります。私生活の暗い陰を払拭するように政務にうち込み、民衆の信を得て一時代を築いたまさに名君ですね。著者の惚れこみようも相当なものです。
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天地明察の中に登場した人物で、どこかで読んでみたいと思って手に取った本。
飢饉時の貧農・窮民の救済のために開設した「社倉制」を実行できる偉大な人物。
時代劇とかに出てくるお米を貸して金利2割で返すなんて悪党のやることじゃんって思ってたけど、その金利分は窮民のために使うためとあればすごい。
そして凶作とかだと、金利分を免除したりと、民のための政策であることが十分に伝わる。
また、天守閣も見晴らしが良いだけで、役に立っている例が過去の文献に無いといって、建て替えたりしないのもすごい。特に見た目にこだわらず、国費を何に使うかという(=民に使う)というのが一貫している。
一貫した生き方が尊敬できるのと、藩主としての見本となるような生き様がかっこいいなと思う。
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保科正之が家光に取り立てられた経緯や、在世中の善政、継室おまんの方の悋気など、正之の知らなかったことが分かり面白かった。玉川上水は玉川兄弟が有名だが、その影に正之による推進があった話などは初めて知った。
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家光の四男、保科正之。恥ずかしながら最近までその存在を知らず。松平を名乗ることを潔しとせず、ひたすら世のため人のために陰から幕政を支えた男。江戸時代があれほど長く続いたのはこの男の存在に依るところが大きいのでは。会津と徳川の関係もそういうことかと納得。
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ゴジラに破壊されようが、巨神兵に薙ぎ払われようが、華の都大東京の象徴・東京タワーは再建されるが、華のお江戸の江戸城天守閣は再建されなかった。それはなぜかと問われれば、初代会津藩主の名君保科正之がいたからだ。
3代将軍の家光の異母弟として生を受け、権力争いに巻き込まれることを避けてひっそりと育てられていた正之だが、その存在を知った家光に抜擢され、その才能を評価されてからは右腕として手腕を発揮した。頼朝と義経みたいだが、最期までその兄弟愛が深かったところが違う。
明暦の大火により焼け落ちた天守閣の再建よりも民の復興を優先すべきであると献策し、天守再建論を退けた。また人口増加により深刻化していた江戸の水不足を解決するために、玉川上水の掘削事業にも着手する。(どうでもいい話だが、保科正之がいなければ太宰治が入水自殺をすることもなかったといわれているらしい)
会津藩主になってからも将軍の信頼厚く江戸を離れることができなかった正之は、遠隔の地から藩政を行った。
民中心の政治姿勢は江戸でも会津でも変わらなかった。
飢饉や不作に備えて、備蓄米を常に一定量蓄えたのもそのひとつ。米を貨幣代わりに備蓄するのではなく、災害時の救済米という目的限定で蓄えておくことをしている藩はなかったらしい。
のちに奥羽諸藩が飢饉に苦しんだ時も会津藩からは餓死者が出なかった。救済米として他藩に分け与えてもいる。
そんな名君なのに、なぜ今じゃ知る人も少ないのか。
深く考えずともわかると思うが、薩長閥の支配した明治新政府が、会津の藩主のことなんかよく言うわけがない。だから次第に忘れられてしまったのだ。
正之の思想信条が後々まで藩の命運を左右してしまった有名な会津家訓十五箇条。
「君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、 則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。」
これによって松平容保は京都守護職という火中の栗を拾わざるを得なくなってしまった。
ああ、この一条さえなければ・・・
他にも「婦人女子の言、一切聞くべからず」という一条もある。
今なら炎上必死のこの一文は、悪妻が政治に口を挟み、汚職や権力闘争に暗躍したからだとか。
名君といえども女を見る目は節穴だったか。
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著者は保科正之に惚れ込んでいるのだなぁ。
保科正之は確かに政治家として優れた人間かもしれないけれども、彼の素地となった朱子学なるものこそなかなかの代物なのではなかろうか。
会津が悲しき歴史を背負うこととなり、正当な評価を受けることなく、歴史の影に葬られようとし、そこから著者のような人間が事実を掘り起こし、会津の素晴らしさを伝えてくれることに感謝はするが、ちょっと主観が強い気がするし、根拠も弱いかなと思った次第である。
ただ、現代にはもはや絶滅危惧種となってしまった、真の意味での政治家であったことは、政策から伺えたのは良かった。
もう少し、会津の勉強しよ。
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徳川秀忠の庶子として生まれ、心ある周囲の方々から守られて、徳川幕藩体制の基礎に重要な役割を残した保科正之のじせが理解できた。
幕末官軍に最後まで抵抗し、尊王攘夷派を恐れさせた会津藩の松平家の礎を築いた正之の生き方や思考は清々しさを感じる。勝者優位の明治以降、検証されなかった事績を中村氏が丁寧に追った著作である。