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60年代から2010年代までの小説を斎藤節で網羅的に解説。あらためて80年代は百花繚乱だったなあというのと、2004年代の金原ひとみと綿谷りさは衝撃だったなあということが確認できた。村上春樹に厳しい。「テロの肯定に無自覚だ」など。この作家もあの作家もまだ読んでいないということに気づかされ役に立つ
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さながら近々の歴史をざっくりと見ながら、同時代の文学史をひも解いてくれるとてもわかりやすく面白い文学案内でした。確かにこういうのを待っていました!
わたしの読書人生は1950年代の後半から始まっています。その頃は桑原武夫や伊藤整の読書入門や、もう少し詳しいのだと中村光夫の『日本の近代小説』、1960年代後半に出た同じく『日本の現代小説』が参考書でした。まさに斎藤美奈子さんが「まえがき」にそうお書きになってます。
でも、そういう案内は1960年代までで終わっています。このようなわかりやすい案内は今現在2010年代までなぜか空白でした。もちろん専門書的なものはあったでしょうが。
世界が多様性にばらけている今、文学のジャンルも増え、しかも、堺がわからなくなり渾然の様相、まるっと見渡してまとめるのは大変な作業でしょう。
わたしとて情報に限りがあり、何をどう読めばいいのか?何か足りないようなもどかしさがありました。
近代、現代、そして「同時代」とはうまいネーミングであります。
斎藤美奈子さんもおしゃってますが、この新書を足掛かりにして、まだまだ埋もれている作家・作品を発掘しながら、読書人生を歩みたいと思いました。
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それが書かれた時代に読む、ということの意味を深く考えさせられた。
何はともあれ、読みたい、読まねば、と思う本がぞろぞろ出てきて、ああ、これから忙しくなるなあ。
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さらっと書いてるけど、これすごい本なんじゃないか?
1960年代〜2010年代の小説を、純文学・エンタメ小説問わず数行で紹介しつつ、その潮流と背景となる出来事を解説している。必ず読んだこと(聞いたこと)がある作品が含まれている。
最初の方はまだ文学史という気分で読めたけど、自分の読書生活と重なる90年代以降は時代の暗さや作品の痛々しさが辛かったが、解説が的確で未来の展望まで示しているのに救われた。
これを同時代でやってのけるの、やっぱりすごくない?
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時代背景とともにその当時に書かれた小説を、辛口交えて紹介していく本。こんな風に小説をとらえるのはとても面白かった。自分の読んだことのない小説もどんどん読んでみたくなった。
過去の章はただ興味本位で読んでいたが、だんだん現代の章へとすすんできてからは、まさに今「ディストピア」を生きているんだと絶望的な気持ちになってしまった。
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小説は社会を映すことがよく分かった。社会風俗とその時代の代表作を結びつける筆致が巧み。これまで、小説は古典を優先してきたけど、今後は積極的に現代作家を読みたいという気持ちにさせられた。各論で言えば、私小説の系譜とポストモダン系は読む価値がないと思ったが、現代におけるプロレタリアートの系譜は読んでみたい。
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1960年代〜2010年代までの小説を
時代背景ととも分析。
近代日本文学(〜1950年代)は「ヤワなインテリ」がいつまでも悩んでいるヘタレども。
60年代 大学進学率上昇に伴う 知識人の凋落
70年代 公害問題等による 記録文学の時代
80年代 バブル経済 遊園地化する純文学
90年代 バブル崩壊後 女性作家の台頭
00年代 9.11.リーマンショック 戦争と格差社会
10年代 3.11以降 絶望的ディストピア
芥川賞受賞した芸人さんのあの作品も往年の私小説に近い自虐的なタワケ自慢と貧乏自慢と一刀両断。
市場縮小も著しく、新しい表現による小説は
なかなか厳しい時代のようです。
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読んでいて、非常に濃い時間を過ごし愉しかった。本好きと称しつつも、如何に偏っているかを知ったし、「読めない時期」が結構あって、意外と知らない作家、作品が多いのも解った。
自身が「純文学は嫌い」とかねてより思っているし、今も変わらないのだがその中でも少しは読んできたつもり。純文学に有る「オープンエンド」が好きというせいもある。ヘタレの知識人から始まったというそのルーツの表現法に納得。
同時代文学史とは言い過ぎと感じたのは、そう行ってしまうと「思想史」に通じてしまいかねない事。
それにしては、1960年からの諸々の動きを俯瞰し、見つめ切れているかと簡単に攻撃を食らいそう(そういった流れが好きな人が多いし)とは言え、2000年までがもはや【現代史】と語り始められている今ではタイムリーと捉えられる。しかも女性の口から言われているのはとても好ましい。
やるなぁと言った感慨。
2010年まで、2010年からと大きく分けて語っているのが多論沸騰の可能性を持たせて愉しい。
少年犯罪・DV・格差社会・不倫・母子家庭・キャリア小説等といった食料を糧に書き手が広がり 増えたこの時期。小説は弱者や敗者に敏感という言い方にも納得。
そして今は ディストピアの時代という今、それだけかという気がしないでもない。
しかし、リーマンショックがもはや甘いと言われ、コロナ時代のビフォーアフターがテーマになるのは論を待たぬと言えよう。
女性作家の台頭は認めつつも、ファンタジー、カルチャー、BL,LGBTとひとくくりにできないのがその中身。性差を越えての語りが待たれる。
戦争~イライラ戦争を経ていま、日本の小説も国際化多国籍化は留まるところを知らない。いつ、どこが紛争の場となるのが解らないのだから。
ラスト「1960年は文字通り、航海記」だったがこれからの次代もそうなってほしいと結んでいるのは同感。
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非常に面白く、興味深かった。「同時代小説」を俯瞰的な視点で分析し、特徴を抽出することがいかに難しいか、ちょっと考えてみればすぐわかる。その困難に果敢に挑んだ本書、なるほどねえ、言われてみればその通りとうなずくことしきり、さすが斎藤美奈子さん。
60年代から10年ごとに、売れたり話題になったりした作品をとりあげ、そこに刻印された「時代の空気」を鮮やかに読み解いていく、その切れ味に唸ってしまう。文学というのは、現実から遊離した場所で行われる営みのように思ってしまいがちだが、なんのなんの、本書を読むと、これほど「時代」の要請によって創り出されたり読まれたりするものなのかと、目から鱗が落ちる思いだった。
また、自分の読書歴を振り返るという点でも実に面白い。教科書的な「名作」ではなく、まさに「同時代」のものとして読んだ作品の数々。はっきりそう感じた最初のものは、高校生の時、刊行後しばらくしてから読んだ「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった。それから2000年あたりまではここに出てくる作品の多くを読んでいたのだが、それ以降は急に未読のものが増える。そうだ、この辺で自分の趣味嗜好が固まって、手当たり次第に読んだりしなくなったんだなあ。特に最近の小説がどうも苦手で敬遠してしまうのは、やはり自分が旧世代に属するようになって、作家の問題意識を共有しにくくなっているからなのだろう。
多くの作品について内容が簡単に紹介されているのも嬉しいところ。食わず嫌いはやめて、気になったものを読んでいこうかと思う。
オマケ
美奈子姐さんおなじみの啖呵は、ここでは控えめ。それでも村上春樹へのピリッとした批判や、セカチューとか百田のベストセラーをバッサリ斬っているところなんか、やっぱり痛快。
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小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション、つまり物語
性をもった事実の記録が生まれたのが1970年代。その後、私小説と
いうジャンルが幅を効かせていた時代から、多様な書き手による相
対化の時代となる1980年代には、文化の担い手であったオトナの男
の対極として「少女」がクローズアップされるようになった。そし
てジェンダーという媒介が挿入され、鮮度の高いポストモダン文学
として1990年代には女性作家が台頭するようになっていった。
私が成人するまでの時代は、小説の書き手が多様化した頃にあた
る。世代でモノを語る風潮があるが、同時代小説の感性の持ち主は、
世代を超えていけるのだ。そんな小説の魅力を感じる一冊。
◎3つのキーワード
・記録文学
・遊園地化
・女性作家
◎3つのセンテンス
1番目:「小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション」は「次の一手」としての意味を持ったはずです。
2番目:もう一つはやはり「脱近代」との関係です。近代の文化の担い手が「オトナの男」である以上、「コドモの女」の視点が導入されること自体、文化の相対化につながります。
3番目:女性作家のポストモダンは、ジェンダーという媒介項が挿入されている分、鮮度が高かった。
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中村光夫「日本の近代小説」「日本の現代小説」は若い頃,人に紹介されて読んだ.その後継を目指して書かれた本書.著者は56年生まれ.同時代小説は1960年台から始まる.(わたしの同時代小説は1970年代から.ブクログでもカテゴリ分けしてる.)
目次を見るだけで内容がわかるような感じ.
1. 1960年代 知識人の凋落
2. 1970年代 記録文学の時代
3. 1980年代 遊園地化する純文学
4. 1990年代 女性作家の台頭
5. 2000年代 戦争と格差社会
6. 2010年代 ディストピアを超えて
たくさんの作家と小説を紹介しているのでいささか急足だが,小説の視点からうまく時代の空気を掬い上げている.
私が現役で読んだ小説が出てくる 1980年代から,現代小説に興味をなくす1990年代前半までの記述が懐かしい.今思えば空虚ではあるが,幸せな気分もあった.
少なくとも小説家からみて2000年以降の日本社会はそうとうひどい.(まあ現実にも気分が悪いことは多い.)しかし著者も言う通り,「厳しい時代に,厳しい小説なんて誰も読みたくない」(p.259) . そう考えると文芸評論家でもない私が2000年以降の小説を読む無理して読む義務もないわけだ.
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「1960代 知識人の凋落」から「2010年代 ディストピアを超えて」のように10年ごとに、当時の社会状況の中で小説がどう変ってきたかという目線で数々の小説を紹介する。
登場する400人以上の作家の小説には大家の名作や人気作家のベストセラー作品も多く含まれるが、媚びずに容赦がない斎藤美奈子の評論は相変わらず切れ味が抜群。
新たな視点を知り再読したくなったり、これは読みたいと思わされる小説があまりに多すぎて困った。
#日本の同時代小説 #斎藤美奈子 #岩波新書 #読書 #読書記録 #読書記録2023
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10年ずつ区切られた、その当時の文学のかたち。
1960年代 知識人の凋落
1970年代 記録文学の時代
1980年代 遊園地化する純文学
1990年代 女性作家の台頭
2000年代 戦争と格差社会
2010年代 ディストピアを超えて
相変わらず読書量も凄ければ、分析力もハンパない。
知らないことを読めば「ふむふむ、そうか」と思い、知ってる部分を読めば「そうでしょうとも」と膝を打つ。
子どもの頃の私は学校にある子ども向けの世界文学全集を読み、そのほか中学生くらいまでは海外のミステリを中心に読み、高校生でSFにハマり、同時代小説を読み始めたのは子どもが小学生になった頃からだった。
というわけで、この本に関して言えば、1990年代以降からしかピンとこないのが実態。
それはつまり、出版不況が始まってからなんよ。
そんな中、ある程度時代を代表する作家だったり、世の中の確信を作用の作品はたいてい網羅しているのに、西加奈子がなかったなあ、と思いました。
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1960年代から2010年代までの純文学を中心に日本文学の流れを解説している一冊。文学について論じた岩波新書の『日本の近代小説』は戦前の日本文学がメインのため、戦後の文学について論じた手軽に読める新書判の本は多くはない。そのような状況のなかで、斎藤美奈子さんがこの新書を出版した。
1960年代以降の現代日本文学は多くの流れの中で存在し、このような簡潔にわかりやすくまとめられた本がなければ、現代日本文学を俯瞰することは難しいと感じる。
この本を読んで完全に自分のなかに落とし込むことはできてはいないが、大方は現代日本文学の流れをつかむことはできたと考える。