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小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション、つまり物語
性をもった事実の記録が生まれたのが1970年代。その後、私小説と
いうジャンルが幅を効かせていた時代から、多様な書き手による相
対化の時代となる1980年代には、文化の担い手であったオトナの男
の対極として「少女」がクローズアップされるようになった。そし
てジェンダーという媒介が挿入され、鮮度の高いポストモダン文学
として1990年代には女性作家が台頭するようになっていった。
私が成人するまでの時代は、小説の書き手が多様化した頃にあた
る。世代でモノを語る風潮があるが、同時代小説の感性の持ち主は、
世代を超えていけるのだ。そんな小説の魅力を感じる一冊。
◎3つのキーワード
・記録文学
・遊園地化
・女性作家
◎3つのセンテンス
1番目:「小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション」は「次の一手」としての意味を持ったはずです。
2番目:もう一つはやはり「脱近代」との関係です。近代の文化の担い手が「オトナの男」である以上、「コドモの女」の視点が導入されること自体、文化の相対化につながります。
3番目:女性作家のポストモダンは、ジェンダーという媒介項が挿入されている分、鮮度が高かった。
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中村光夫「日本の近代小説」「日本の現代小説」は若い頃,人に紹介されて読んだ.その後継を目指して書かれた本書.著者は56年生まれ.同時代小説は1960年台から始まる.(わたしの同時代小説は1970年代から.ブクログでもカテゴリ分けしてる.)
目次を見るだけで内容がわかるような感じ.
1. 1960年代 知識人の凋落
2. 1970年代 記録文学の時代
3. 1980年代 遊園地化する純文学
4. 1990年代 女性作家の台頭
5. 2000年代 戦争と格差社会
6. 2010年代 ディストピアを超えて
たくさんの作家と小説を紹介しているのでいささか急足だが,小説の視点からうまく時代の空気を掬い上げている.
私が現役で読んだ小説が出てくる 1980年代から,現代小説に興味をなくす1990年代前半までの記述が懐かしい.今思えば空虚ではあるが,幸せな気分もあった.
少なくとも小説家からみて2000年以降の日本社会はそうとうひどい.(まあ現実にも気分が悪いことは多い.)しかし著者も言う通り,「厳しい時代に,厳しい小説なんて誰も読みたくない」(p.259) . そう考えると文芸評論家でもない私が2000年以降の小説を読む無理して読む義務もないわけだ.
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「1960代 知識人の凋落」から「2010年代 ディストピアを超えて」のように10年ごとに、当時の社会状況の中で小説がどう変ってきたかという目線で数々の小説を紹介する。
登場する400人以上の作家の小説には大家の名作や人気作家のベストセラー作品も多く含まれるが、媚びずに容赦がない斎藤美奈子の評論は相変わらず切れ味が抜群。
新たな視点を知り再読したくなったり、これは読みたいと思わされる小説があまりに多すぎて困った。
#日本の同時代小説 #斎藤美奈子 #岩波新書 #読書 #読書記録 #読書記録2023
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10年ずつ区切られた、その当時の文学のかたち。
1960年代 知識人の凋落
1970年代 記録文学の時代
1980年代 遊園地化する純文学
1990年代 女性作家の台頭
2000年代 戦争と格差社会
2010年代 ディストピアを超えて
相変わらず読書量も凄ければ、分析力もハンパない。
知らないことを読めば「ふむふむ、そうか」と思い、知ってる部分を読めば「そうでしょうとも」と膝を打つ。
子どもの頃の私は学校にある子ども向けの世界文学全集を読み、そのほか中学生くらいまでは海外のミステリを中心に読み、高校生でSFにハマり、同時代小説を読み始めたのは子どもが小学生になった頃からだった。
というわけで、この本に関して言えば、1990年代以降からしかピンとこないのが実態。
それはつまり、出版不況が始まってからなんよ。
そんな中、ある程度時代を代表する作家だったり、世の中の確信を作用の作品はたいてい網羅しているのに、西加奈子がなかったなあ、と思いました。