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作文とはウソを書くことである! 学校では教えられない、ふつうでない作文のすすめ。個性的である必要はない。個性的に「見える」方法を教えよう。いつまでみんなと同じこと書いてるの?
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なんか、めっちゃいいこと言ってるような気がしてんけど、ちょっとつかみきれへんかった。むずかしかった。でも、少なくとも私はこれまでちょっと聞いてこなかったような新鮮な話が多かったので、この著者さんの本はまた読みたいと思う。
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学校や国語教育に対する著者独特の見方は確かに面白いんだけど、筆者の本を数冊読んでみるともう食傷気味で、「単にシニカルな見方をして新味をアピールする相対主義者」みたいにも思えてくる。
だったら学校では何をどうすべきか提言すべきなんだよな。あるいは、「こうやっていい子しか評価しない学校だが、それが本来あるべき姿なんだ」などと価値判断を明確にすべき、だと思う。
斜に構えて皮肉ばかり連ねてる態度は、ちょっと失礼すぎるんじゃないの、と感じる。
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作文教室というより哲学教室だった。
自分のまわりのガラスの壁を考えてみる。
作文の書き方として、もっともなるほど!と思ったのは読者を意識するということ。恥ずかしながら、考えてなかった。作文じゃないけど。
自由の怖さは、よく思う。
中学生よりは、高校生向きかも。
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学校は個性を伸ばすところではなく、個性を殺すところだ、という視点による、しかし、そんな場でも生き延びなければならない人のための「作文教室」だ。
こう聞いただけで、いかにシニカルなものか想像できる。
「個性的な作文」を「個性的に見える作文」に、「個性的でない作文」も「個性的に見える作文」に書く技術。
ひどい、と言うなかれ。個性を伸ばすという名目は、実のところ道徳教育になっている。自由に書きなさい、自分の頭で考えなさい、なんてことは、その組織は本当は望んでいない(というか、そこまで考えていない)ことが多い。「自由に」というのは、「こっちに迷惑がかからない範囲で」「うちに利益が出る範囲で」という見えない枕詞がついているのだ。
本書は「14歳の世渡り術」だから、対象はそういう若い人たちだ。僕もその頃は相当シニカルだったが、こういう技術を学ぶこともなかった。
『坊ちゃん』を読んで「審査員特別賞」を狙う。そういうことを学んでいたらもっとシニカルになれたのだろうなあ。
今からでも遅くはない。
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「良い子であること」「嘘をつくこと」が学校という壁の中では大事になるということはわかった。ハウツーとしては少ないように感じた
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[墨田区図書館]
久しぶりの14歳の世渡り術シリーズ。
かなり面白かった。
作文を上手になる方法、と誤解する人もいるかもしれないが、そうではないだろうことは分かっていたし、ただ、どういうことを教えようとしてくるのか、その方向性と着地点に興味をもって読んでいた。
・(試験のときは)個性はいらない「学校(設問者が求める)範囲内」での模範的なことを答えれば良い。
・接続詞や二項対立など、多少のテクニックがあるし、ストーリー型をプロット型にすることで、自分の意見を覗かせ、少し書き手の気持ちを伝えることができる。
・三行程度の筋道を持った核があれば、後はそれを太らせるだけ。
どんなお題をもってきても、最初の核で「伝える論理」が明確になってれば、それに沿うエピソードつけるだけ。