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短編集だが、全ての話しに共通してわけのわからない凶暴な生物が出てくる。表題のクチュクチュバーンがまだ読めるかな・・・。そんな苦しい無意味とも思える中でも人間は「生きていたい」と思うのだという感じの話し。
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コンプレックスなんか誰も彼もが持っていて、持っていないっていう完璧な人間がいたらあっては見たいけど、そんな人とは友達になんかなってみたいと思うこともないだろう。
この本がはたしてコンプレックスを、顕在化した全く違った現実を描いているのかはしらないけれど、
僕にはそう見えて仕方がなかった。
そんな風にちょっと違った目線で街を見渡してみる。
狂っている人の姿、今の世の中がチラッと姿を見せる。
なぜか気分が良い。
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肯定的な意味で無茶苦茶だ。こればかりは流石に筆者の感性を疑った。表題作だけなら分かるが、同収録の2作も同じような世界で、確実に作者がどこかしらこういった世界に興味を持っていることが推測されて好感を持った。面白くはないが、なるほどと思った。
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好き嫌いがはっきり分かれそうな作品。
これでもかってくらいバイオレンスですが、ぶっとんでるんである意味爽やか。
宇宙の何を信じればいいのかわからなくなる、素敵なおはなし。
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トラウマになりかけた、ある意味ホラーとしては逸品。
コレを読んで『純文学』の定義が分からなくなりました。
実は母と妹は吉村萬一先生ご本人と面識アリ。
頭のバンダナを取ると地球が爆発するんだとか。。。
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●きっとシマウマ男は神様で、決してこの世界に干渉することなく、見ることを仕事としているのだろうと思った。
でも、そんなことは何とでも言えるな。抽象的なテーマを提示して読者の考えを想起させるのってずるいと思う。
☆きっかけは文学賞メッタ斬りで絶賛されていたこと。
読了日:2010/12/06
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全ての有機体も無機物も一つになってクチュクチュしてバーンするだなんて、わくわくが止まらない。気持ち悪さを通り越しての痛快さに脳裏が刺激される。人類補完計画の悪趣味バージョンだと思っている。
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恐怖によっても快感を与えられるのかと気付いた作品。
あと、わたしこーいうの好きなんか、て気付いた作品。でも多分、この人の文章じゃないと読めんかったと思う。設定自体はありきたりだし、言ってることはあざとい。破壊力半端ない文章でぐいぐいキてるから読めた。
めっちゃ体力使う。
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強烈だった。救いがない、なんてもんじゃない。
命も、生きる努力もすべてを無意味にしてしまう不可抗力。理不尽すぎる。
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ある日人間が異形に変様するようになり、世界が崩壊していく「クチュクチュバーン」他2編。
いずれも世界の終わりを描いている。
読みながら、映画「宇宙戦争」を思い出した。
異形の襲来を受けて、混乱する人間の有様を延々と詳述し続ける作者の熱意には、ある意味脱帽だった。
読んでよかったとは、思わなかった。
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「ボラード病」で開眼し、「ハリガネムシ」で病みつきになったこの作者。
もとから「ボラード病」に潜む、畸形や変形や集団への違和などがあった、ことが本書でまざまざとわかった。
それが原発事故を経てああいう形で噴出したのだ。
さて本書は、はっきりいってぐっちゃぐちゃ。
漫画や映像から影響を受けた趣味や衝動がぶち込まれたごたまぜの鍋。
僕は大好きなのだけれど、どうして新人賞を獲れたのかが理解できない。
むしろ「ハリガネムシ」は(藤沢周に寄せて)芥川賞を狙っていったのだとわかる。
でも、いいね。
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【本の内容】
ある日突然、世界のすべてが変わる。
蜘蛛女、巨女、シマウマ男に犬人間…地球規模で新たな「進化」が始まる。
究極のグローバリゼーション?
新しい人類の始まり?
「巨大な塊がクチュクチュと身をよじらせて、バーンと爆発する」。
小説界を震撼させた、芥川賞作家、驚異の文学界新人賞受賞作。
単行本未収録作品併録。
[ 目次 ]
[ POP ]
表題作は、あらゆるモノと人間が同化していき、異形の人間というより化け物で溢れた世界で、人々が愛し合い、憎しみ合い、散々に殺し合う。
蜘蛛女にシマウマ男、巨女、犬人間、これは進化なのか?
到底受け入れたくないような、異常な光景。
もうやめて欲しいくらいなのに、なぜか吸い寄せられ、あっという間に読了。
それから、何が起きたのかもう一度確認するように、二回目はもう少し落ち着いて読んでみた。
じっくりと読んでも、未来にこんなことが起きたら、という恐怖は全く沸いてこない。
読む前はクチュクチュバーン?
何それ?
だったのが、読了後は、私たちがいる世界で、他者、情報、開発などと遠い距離感を感じた時の虚無感と、クチュクチュという音が、私の頭の中でもやもやと同化してくる。
このまま行ったら世界はバーンなのかな、等とぼんやり考えが浮かんだ時、著者の想像力が紙の上で今繰り広げている、クチュクチュバーンという世界に、初めてぞっと恐怖が沸いてきた。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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悪趣味な話です。
読んでいると指先とか耳の奥の辺りとかがムズムズしました。
20世紀末の頃ってこういう破滅に向かう世界で生きる人を描いた漫画が多かった印象があります。
ただ、そういう漫画との大きな違いは、登場人物たちが破滅に抗おうとしていないところでしょうか。
いやーな読後感を味わえる作品でした。
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「クチュクチュバーン」「国営巨大浴場の午後」「人間離れ」の三作を収録しています。
「クチュクチュバーン」は、人びとが異形へとすがたを変えていく世界のなかで、生きる意味を求めるなどということがまったくうしなわれてしまった状況をえがいています。他の二作も同様の趣向で、「国営巨大浴場の午後」ではナッパン星人の襲来以後の世界がえがかれ、「人間離れ」は緑と藍色の奇妙な生物が人間たちを襲うなかで「人間離れ」を試みて助かろうとする人びとがおこなう「直腸出し」などの奇妙なふるまいをえがいています。
「解説」を担当している椹木野衣は、「クチュクチュバーン」に登場するシマウマ男が体現している「見る」ことを、本作の重要なモティーフとしてとりあげています。こうした見かたに悪乗りしていえば、世界がその法則性を崩壊させてしまったなかで、なんらかの理論的背景にもとづいておこなわれるはずの「見る」ことが、もはや実践的なふるまいと見分けがつかなくなってしまうような臨界点を示しているところに、本作のひとつの読みかたを見いだすこともできるのではないかと思います。
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再読。
『クチュクチュバーン』『国営巨大浴場の午後』『人間離れ』の3作を収録。人類全体を襲う急激な身体の変化(進化?)や、または、宇宙人(と思われるもの)などの到来によって、あっという間に絶滅へと突き進む人間たちを描く小説集。
表題作もダイナミックで面白いけれど、他2作の方が、滅びゆく経過にある世界の壮絶さや人間存在というものの悲しさを感じさせて印象深い。
成すすべもなく無為に死ぬことを、「虫のように死ぬ」という言葉があるけれど、ドライでシニカルに続く地獄絵図の中で、人間は虫のように死ぬことすら許されない。どうやっても人間は、自らが人間であるという自意識から逃れられず、そしてそれを(「人間は考える葦である」というような)高潔な精神と結びつける余裕もないまま、激烈な苦痛と屈辱を絶えず意識し続けながら、しかし傍目には淡々と無意味に死んでいく。
突飛な設定ながら異様な説得力のある小説集。消耗させられるので、心に余裕があるときに読みたい本。