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精神と肉体は切り離されているのか?という二元論的な問いを考えていた時に、先輩が貸してくれた本。
非常に面白かったです。
アンドロイドと言うと、ついつい内容的な部分(こんな新しいことができる!とか)に目がいってしまいますが、外見がこんなに重要だと思わなかったです。
面白かったのは、自分とそっくりなアンドロイドが、整備のために頭を開かれている時に衝撃を感じるとか、うっかり急停止ボタンを押してしまい、萎んで崩れて行く姿は「人の死」を感じさせるという話。
物質的には機械だし、自分ではないはずなのに。
あと、ロボットを遠隔操作している時に、ロボットが人に触れられると、自分が触れられたような妙な感覚になるという話。これに関しては実際に試してみたいなーと思わされましたw
それが事実なら、精神と肉体を接続するものって実に曖昧なんだなと。デカルトが考えたように、あくまで人間の本体は精神であって、身体はたまたまくっついているだけなのかも。
人間って、心って、不思議ですね。
石黒さんにとって、アンドロイドを開発する意義が、人間の存在を問うたり、心を解き明かしたりすることであるというのが、とてもすごいことだなと敬服しました。
研究していくうちに、そういう疑問に突き当たった部分も大きいのかもしれませんが、科学技術的な面だけに収まらないというのが面白いです。
その問いの答えは簡単には見つからないと思いますので、石黒さんにはこれからもアンドロイドを開発して、面白い本を書いてほしいなと思います。
最近、落語家のアンドロイドを開発した?とのニュースをみました。いつか本物のアンドロイドを見に行きたいな。
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ヒューマノイドロボ研究の目的から、今後の課題、夢までを筆者の経歴ベースで概観した明晰な本。研究者としての葛藤も含め凝縮された内容。技術者として読んで、共鳴することが多く、平易かつ端的な記述ながら奥深さを感じる名文と感じた。多くのロボット研究紹介本のなかでも特によかった。
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これは面白い。
講演を聞いたことあるし、彼のロボットを見たことあるしで、
研究内容について目新しいことは何もなかったが、
彼の意図する研究の深い意義について理解でき、
彼の研究を改めて面白いと思った。
下手な哲学書とか読むより良い。
「人間とは何か」非常に面白いテーマです。
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その風貌から一種のマッドサイエンティストを想像していたのだが、著者は「ど」がつくほどに真面目で誠実。
だからこそ、世界観を根底から覆すような大きな真理を発見するわけではない。
ものすごい労力をつぎ込んで、想像しうる範囲の知見を得、考えを得る。
しかしそれはさらに大きな疑問や研究テーマに結び付く。
そもそも人間という存在が謎で、鏡が迷宮であるならば、落着など永遠に得られないのだ。
もっともっと根源的な謎が引きずり出される。これが本書の熱いところ。
視覚、表面、皮膚から、社会や心へのシフト。
技術論ではない。誠実に積み重ねられた研究からはじき出される謎の深化。哲学論だ。
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ロボットとは何か――人の心を映す鏡 ロボットは何かを考えるのは人間とは何かを考えるのと同じではないのかという話。ずっとこの著者をただの変態だと思っていたが、そういうわけではないらしい。 http://bit.ly/4M0TmM
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一読して,人間は思った以上に自分自身・人間自身のことをわかっていないし,わかりづらいのだなと感じた.そのためにもロボットを作ることで人間を理解するというアプローチは面白い.
また,ロボット演劇では人間とロボットに対する支持の出し方が同じ,という話も面白かった.これは人間の「心」とは観察を通して感じるものであることに起因していると思った.
たにちゅ先生の記号創発論と合わせて読むと尚おもしろいかも.あっちはルールベースの限界を書いてるけど,こっちは環境を限定すれば感情があるように見せられると書いてる?
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ロボットとは何か?工場などで一定のプログラムに基づいて動くロボットは以前からあるが、そもそもロボットと人との違いは何か?それは人との関わりをもつこと、そして“心”があること。
著者が人間型ロボットの研究を始めるきっかけから今までの経緯、そして今後の方向性について述べている。
「知の逆転」でマービン・ミンスキーが“チェスに勝ててもドアを開けることができないコンピューター”と言った通り、人と同じ行為をするというのは容易ではないということは、これを読むと手に取るようにわかる。著者は人とは何か、心とは何かを突き詰めることにより、人間とロボットの違いを浮き彫りにし、それをロボットで再現するにはどのようにすればいいかという考えで研究を進めてきている。つまり、どのような研究も突き詰めれば「人間」それも感情・知能・意識などカタチとして見えないところにぶちあたる。これらを理解し人間型ロボットの研究を進めるには複数の研究の総和が必要となってくる。その結果は“子供でもできること”かもしれない。しかし、その一歩が重要である。それを認めない限り、前述のミンスキーの言葉をかりると“なぜ福島にロボットを送れなかったのか”に通じる。
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研究は、最も基本的問題を探ることである。
最新の研究は、絶望と向き合うことである。
研究は、自分に耐えることが必要である。
石黒先生は天才ではなく、誰よりも探究心が強く、誰よりも考えている。
・そして彼は自分に正直で素直で矛盾を作らない。自分に妥協はしない。
研究に没頭するだけでなく、研究者のあり方や位置付けをしっかりわきまえている。
不可能と思う時点で、真の研究はできない。
人は、人を知るために生きている。
研究テーマ間の繋がりがはっきりしていて、まるでストーリーのようである。
最終目的が明確であるからこそ、今必要なことを選択できる。
『私は天才などではない。単に一つのことを誰より考えてただけだ。』
アインシュタインの言葉が頭をよぎる。
私は、本書から
・研究という営みはどういうことか?
・天才はいない。天才らしき人はそれなりの行動をしている。
・物事を考えることはもっともっとできる。突き詰めて考えることの本当の意味。
以上3点を強く感じた。
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半分自伝的でさらっと流し読みしてしまった。ちょっと真理に対する理解が近似し過ぎな気もしたけど、結構同感。もっと深くまで考察した上での結論かも知れない。あと、「悪用できない技術は偽物である」ってのは名言だと思った。
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人間らしいロボットをつくるということは、人間とは何かを突き詰めること。いつか、人間と見分けのつかないほどのロボットが現れる日が来るのだろうか。それは、人類にとって希望であり、脅威にもなるだろう。
筆者の石黒先生はマツコロイドを監修しており、「マツコとマツコ」にも出演されているので、録画して見てます。
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人間酷似型ロボット(アンドロイド)研究の第一人者が、自らの研究開発の過程と、そこから生まれた「人間とロボット」についての考察をまとめたもの。2009年発刊。
著者が2006年に作成した、自身をモデルにした遠隔操作型アンドロイド「ジェミノイドHI-1」は世界中の注目を集め、2007年に著者は英コンサル会社による「生きている世界の天才100人」の26位(同順位には、ダライ・ラマ14世とスティーブン・スピルバーグ)に選出された。
著者はもともとコンピュータビジョン(カメラから得られた画像をコンピュータで解析し、その画像に何が写っているかをコンピュータに認識させる研究)を研究していたが、コンピュータが人間と同等の認識能力を持つためには、人間と同じように、環境の中で動き回り、物に触れる体が必要になるとの考えから、ロボットの世界に研究の範囲を広げたのだという。
そして、人間型ロボット「ロボビー」(1999年)、自分の娘(4歳)のアンドロイド「リプリーR1」(2001年)、NHK女性アナウンサーのアンドロイド「リプリーQ2」(2005年、愛知万博に出展)、「ジェミノイドHI-1」(2006年)等を次々と作成する過程で、著者の問題意識が、「人間らしさとは何か?どのようにロボットで再現するか?」から「ロボットは心を持てるか?」、「心とは何か?」という、認知科学や脳科学の研究領域である、より深いものに変わっていったことが綴られている。
具体的な研究実験の結果で興味深かったのは、周りの環境・反応に合わせて操作者が指令を送る、遠隔操作型の「ジェミノイドHI-1」を使った実験で、第三者にジェミノイドの頬を突かれると、操作者が顔を避けようとしたり、「やめてくれ」と叫んだり、ジェミノイドを自分の体と錯覚するような反応を示したということである。著者はそれを「人間の体と感覚は密につながっていない」からと分析している。
「心(意識)とは何か」、「心(意識)はどのようにして生じるのか」というテーマは、現代科学の究極のテーマのひとつである。そうした中、アンドロイドの人間らしさを向上させるためには、人間についての理解を深めなければならず、また、開発したアンドロイドの性能を人間社会で試した結果をフィードバックすることにより、認知科学や心理学が進化していくことも事実であり、今後、相互の研究領域オーバーラップは進んでいくのだろう。
(2015年7月了)
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2009年刊行。著者は大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授で、人間酷似型ロボット研究の第一人者。認識とは、知覚とは何か、心とは何か。そして人間とは何か。コンピュータービジョンの研究の途上、「体」の持たないコンピューターに真の認識は可能か、との疑問から、ロボット研究に没入。本書は、その思索遍歴、研究の試行錯誤歴を、割合つらつら書き述べたエッセイ。ロボットが人間に似せられれば似せられる程、それは人間を映す鏡、つまり人間の認識や感情を投影し変化させる存在と化す。人が受ける影響は無からでも生じる。
愛情や信頼感、友情といった複数人の間で成立するに違いないと考えられている人間の感情や精神活動すら、それが「無」と言わざるを得ないロボットとの間でも成立する可能性すら想起できる内容。面白さと居心地の悪さを併有させた読後感である。PS.①多数の筋繊維のある人間の動きはゆらぎの存在が不可欠。「ゆらぎ」。②人間社会にロボットが参加するには、社会性の基礎となる要素の実装が必要。その一つが生殖機能。だが要らぬ誤解を招きかねず、悩みの種。
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借りて読んだ。
平田オリザさん演出のロボット演劇の章を興味深く読んだ。もう10年近く前に第1刷が発行されているが、ロボット演劇のシリーズは去年(2018年)にも再演されたようなので、次の再演情報を得たら観に行こうと思う。
エピローグはいろいろとつっこみどころ満載なのだけれど、10年も経てば世の中もいろいろと変わるので、細かくは触れない。その後、石黒先生の考え方が何か変わったのか、研究内容はどう移り変わったのか、気にはなっている(けれど、たぶん追わないだろうな)。
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外連味溢れる愛すべき教授。なにが素晴らしいといえば、専門外の部分での不用意な発言である。しかも、それが、最もらしくて、とても刺激になる。新書というフォーマットを熟知した著作と言える。新書は論文ではないから、自分の思い、思い込みを発表することは適しているし、みんな論文なんて別に楽しくないから読みはしないのだ。
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「ロボットも心を持つことができる」と考えている石黒先生。
心とは、自分でもどこにあるのかわからない、実体のないものである。だから、「人に心はなく、人は互いに心を持っていると信じているだけである」という言葉からこの本は始まる。
でも私は、人間には心があると信じている。
ロボットがどんなに人間に似ても、どれだけ精巧にプログラミングされても、心を持つことはないのだからそれが人間とロボットとの違いだと思ってきた。
でもこの本を読むと、ロボットに心を持たせることができるのではないかと思わされる。
心とは何か、それを突き詰めて考え、それが解明されれば、ロボットに心を持たせることはできるのかもしれない。