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主にシングル女性の老後とか、死ぬ時のことが書かれていますが、やっぱり女性が一人で生きるのは難しいのかなと思います。
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「老後」は恐い…。恐くて恐くて仕方がない。既婚であろうが(いつ離婚するとも知れないし)、子どもがいたとして(いないけど)依存などできるはずもないだろう。経済的に、身体的に、そして人間関係のうえでも、どう「老後」を生きることが可能なのだろう。不安ばかりが先行すること――本書はそれを共感して読むことはできる。が、同時に、「老後」の不安への対策や解決法などない、という確認に終始する。まあ、重要なのは、この結論のなさ、を我が身に引き受けることが共有可能な事態であることを確認することかも知れないけれど…。★3までには及ばずかなあ。
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‘こわい’シリーズ第3弾です。老後に不安はありますが、今できることをやっていくしかないですよね。図書館予約数は19(06/09/27現在)です。
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以前読んだ『生きさせろ!』のインパクトの後では、
この著書はまだ距離がありすぎる。
http://takoashiattack.blog8.fc2.com/blog-entry-750.html
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[ 内容 ]
ひとりで暮らして「死」の瞬間は幸福だろうか。
「愛するひと」に恵まれた「人生」はあるのだろうか…。
[ 目次 ]
第1章 ひとり暮らしの友の死
第2章 “終の棲家”は必要か
第3章 いつまで働けるか
第4章 親の死はどう乗り越える
第5章 「介護は家族」が主流の中で
第6章 病気になると何がたいへん?
第7章 ペットを失う時
第8章 孤独死だなんて言われたくない
第9章 「私らしいお別れ」なんてあるのか
第10章 自分のための葬儀・遺骨処理を
あとがきに代えて―愛する人がいる人生もいない人生も
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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流れ
一人暮らしの死
↓
終の住み家
↓
いつまで働けるか
↓
親の死
↓
一人身の老後
↓
自分のための葬儀
『拒否される”女性のひとり暮らし”』(P. 20)
女性の一人暮らしは何かと理由をつけて
退去に追い込まれるようです。
理由ははっきりとは示されていませんが、
独身は自殺しやすい、と世間では思われているようです。
人が死んだ部屋は、次の貸し出しでは
事故物件として必ず入居希望者に説明しなくてはなりません。
人が死んだことがある部屋なんて、
普通は気持ち悪くて、安くても住みたいなんて思わないでしょうから、
大家さんとしては、そういう事故物件を抱えて
空室率があがってはたまらないと思うのでしょう。
『家賃の不払い、病気、事故等に対する不安感から
高齢者の入居を拒否することが多く、
高齢者の居住の安定が図れない状況にあります』(P. 27)
女性に限らず、年寄りの一人暮らしは嫌がられるようです。
きっと、老衰などの事故を恐れているのだと思います。
老衰であっても、もちろん事故物件になるので、
やはり次の借り手はなかなかつかないでしょう。
入居者をこういった一種の偏見で差別するのは
人道的にいかがなものか、と思いますが、
大家業がボランティアでない以上、
大家さんのリスクを考えた場合、単純に責めることはできません。
リスクを負うのは、私ではなく大家さんだからです。
この事実を鑑みると、持家派と賃貸派と、どちらが得か
という問答が巷ではよくみられるのですが、
こういう事実を知ってしまうと、
経済的な観点以外の面で、
持家派が正解なのかもしれないと思ってしまいます。
『グループホームで暮らすよりは、ひとり暮らしをしながら
ゆるやかなネットワークでつながるほうがよい』(P. 43)
これは実際にいろいろと経験した人の言葉だけに
興味深い発言であると思います。
ずっと独身でいくと決めた、というのであれば、
そういう独身者同士みんなで寄り添って生きていくというのが、
容易に助け合いもできて、とてもよさそうです。
しかし実際は、あまりにも他人が近くにいると
わずらわしいことの方が多いのでしょう。
いわゆる、「ヤマアラシのジレンマ」というやつなのでしょう。
『「負け組」には「仕事がない」人に加え
「仕事をしなくてはならない人」も含まれているように思う』(P. 70)
確かに、年金がもらえるのは65歳からですので、
それまで不労所得や貯蓄のない人は
パートでもなんでもして生きていくしかありません。
悠々自適な定年後の生活ではなく、大変な生活だと思います。
しかも、年金というものは、生活費としてはぎりぎりの額です。
年金をもらえるといっても、
通常それだけで暮らしていくことはできません。
貯蓄や不労所得がなければ
やはり、高齢になっても働くしかないのです。
もちろんそん���状況では
病気になっても、治療費は払えません。
これは命にかかわる大変な状況です。
『努力妄信病とでも言おうか。
しかし、自分の努力で思い通りにできることなど、
案外、少ない』(P. 146)
死ぬことでさえ、自分の努力だけでは決められません。
明日事故で死ぬかもしれませんし、
まともに治療費が払えないのに、100歳まで生きてしまうかもしれません。
それなのに、世の中のことは
努力すれば絶対になんとかなる、といわれています。
努力でなんとかなるものは、
実際のところ、そんなに多くないように思います。
しかし、だからといって、
努力をすることが無駄だとは思いません。
いい結果を得るための必要条件が努力だからです。
十分条件ではないのが残念ですが、
努力が必ずしも報われるわけではない、
ということを覚悟してなお努力せずにはいられない、
それが成功する人なのだと思うのです。
料理教室に通う男性が多いのだといいます。
そこで、どうして料理教室に通うおうと思ったのですか?と
質問してみるとその理由は、
『「定年で時間ができたから」であって、
「いざというときのために」ではない』(P. 172)
というらしいのです。
でも、料理の重要性に気づいてない男性が
わざわざ60歳過ぎて料理を習いにくるでしょうか?
ほんとうはすでに料理の重要性に気付いているのだと思います。
しかし、これまで女性がやるべきと思って
一切やってこなかった炊事をいきなりやり始めるというのも、
ちょっと恥ずかしい気がするので、
どうして料理をする気になったんですか?と問われたら
時間ができたから、と言ってるだけなんだと思います。
そんなことどうでもいいことなのかもしれませんが、
年配の男性だって料理の重要性は十分把握していると思うのです。
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最近自分の老後が気になって仕方ない。誰にもいずれは訪れる終末をどう対処しようかと考えてしまう。もちろんきっかけはあるのだけど。老後まで待たずとも病気や事故にあい余命が決まってしまったり突然死が訪れる可能性だってある。今現在は夫と子供、兄弟もいて多分自分が何を考えようが滞りなく終わるのだろうなとは思うが。香山リカさんは何と同じ年だ。彼女が第1章でひとり暮らしの友の死に自分を重ねた不安とか今の現状や働くこと親の死に対する不安、ペットを失ったときに感じるだろう悲しみ、共感する部分は多い。立場は全く違う。ほとんど夫の収入に頼りっぱなしでこれといった技術も資格も経験もなく、パート主婦で子離れできていないとよく言われる私のどこが彼女に共感するかはわからない。だが、いずれはひとりになるだろうという予感はあるのだ。年の順でいけば両親に続き夫が、子供は自分たちの家庭なり生活を気づいていくだろう。そうなったときやはりパート主婦もひとりになるのだ。上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」を読んだときは元気なうちの老後の暮らし方、もっと年を行ったときの暮らし方のヒントのようなものが書かれていた。けれど、上野さんは恐れてはいない。もう自分の今後をある程度このようにしようという意思が固まり着々と準備も進めていての本でじたばたとした感じはない。そういえば上野さんは干支でひと回り上の方だった。もう定年という年では老後はいつか来るときではない。そもそも老後とはいつからなのかという事になるが、共通しているのはどちらも60代、70代は老後と考えているようだ。もちろん一概にその年代の人すべてが入っているわけではないだろうし高齢者が一般的にそのあたりからの人を指すのだからそうなるのだろうが。という事は、現役で働いている時期を過ぎればもう老後という事になる。そろそろ準備を始めなければという思い、心構えだけでもという思い、それが彼女や私をじたばたさせるのだろう。具体的な対処法というなら「おひとりさまの老後」の太字部分だけをさらっと読んだほうがいい。あまりこの本の中にはかかれていない。精神面のじたばたをいろんな文献の中から探している段階で彼女自身まだはっきりとした決意がないせいだろう。もっと本格的に知りたいならこの本中で作者が読んだ本、松原惇子さんが書いたシングル女性の老後についての本を読んだほうがいいだろう。人生というのは不思議だ。こんなに老後、特に終末が気にかかっているのに案外ずっと健康で長生きして100歳以上生きるかもしれない。そうなると今はまだ人生の半分までしかきていないことになる。そうなると一生の半分をずっと心配して暮らすという事になる。それもまたいやだなあ。この本は後半になると急につまらなくなる。筆が進まなかったと書いているが、作者もまた身近な友人が亡くなったとき感じたことがもしかしたら余りに遠い事のようにも思え転ばぬ先の杖を用意したら古くなりすぎて折れちゃったりなんて、そんな現実味がわかないせいかもしれない。上野さんの本にも香山さんの本にも「負け犬」という言葉が頻繁に出てくる。シングル女性は平然とこの言葉を使う。それほど彼女たちの間ではこの言葉は定着しているのかもしれないが、私はやはりそれには姫野カオルコ的解釈があると思う。「ああ正妻」の中で書かれていたように彼女たちは自らを「負け犬」と一歩も二歩もへりくだった言い方をしながら,自信とかプライドを感じさせる。配偶者に先立たれ子供も離れたおひとり様にはないものが彼女たちにはある。それが彼女たちに「負け犬だから」と言わせる。それがない私はどうすればいいのだ。だが、待てよ。母の年代で未亡人になった人たちはみんな不安に暮らしているだろうか。そうは見えない。なかなか気ままで楽しそうにしている。伯父の死の直後「夕方、4時ごろが一番辛い。淋しくて仏壇の前で独り言をいつまでも言っている。」と泣いていた伯母も喪の作業が終わったのか今は活動的にしている。「死んだら残った人が好きにすればいい」と言っている。なるようにしかならないという事なのだろうかとまたじたばたとしてしまう。
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香山リカの老後がこわいを読みました。シングルの女性がだんだん年老いていくとどのような老後がやってくるのか、ということを考察した本でした。老人の一人暮らしで、持ち家もないという場合、どのくらいのお金を用意しておかなければならないのか。リタイアした女性の一人暮らしではどんな困難が待っているのか。女性の一人暮らしでその人が死んだ後どうなるのか。私は古い価値観を持っているので、女性は家族に囲まれて老いていくのが幸せだ、というふうに思っているのですが、いろいろな都合でそれがままならない場合もあるわけですね。この本を読んで違和感があったのは、母親と娘が共生関係になってしまって結婚しようとしない、とか、シングルの女性が子供ではなく自分の言いなりになるペットを飼って満足しているというなエピソードです。該当する女性はたくさんいるのでしょうが、男性に興味を持たない、子供を育てようとしないというこれらの状態はちょっと病的なように感じてしまいます。
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「就職がこわい」「結婚がこわい」に続いて結果三部構成となった「こわい」シリーズ。因みに前2作は読んでません。一人暮らしの老後について、データをあたりつつ、また著名人の著書なども引用しつつ、今現在及び数十年後に訪れる高齢化社会での一人暮らしがいかに困難か、そして介護が必要になり、死を迎えるについてのあんなことやこんなことや。「あんな心配」「こんな心配」が色々と指摘されているんだけれど、その処方箋といったものが…見当たらない。「こんな選択肢もある」というものを提示できるのが手一杯。「負け犬の遠吠え」で酒井女史は『開き直って「負け犬でございます」って言っちゃうのが楽〜』と言っていたのに対してこちらはなんだか救いようがないです(笑)
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独身で子供がいない人間の老後はどうなるか。住むところがなくなる、満足な医療が受けられない、などなど本当に不安になるような話がいっぱい。こわいよう〜。結局、じゃあこうしようって対策はなにも見出せなかったんだけど、とにかくなにより、香山リカ先生が親の死を乗り越えられるか不安だと告白していて、そこに感動?しました。わたしだけじゃないんだと・・・・・・。・・・・・・子供のころにいつか親が死んだらどうしよう、と思うたび、いや、親が死ぬころはわたしにも夫や子供たちといった新しい家族ができているので耐えられるはずだ、と自分に言いきかせていたのに・・・・・・酒井順子、岸本葉子、群ようこなどのエッセイも引き合いに出されているのもおもしろかった。ほとんどすでに読んでいたけれど。これらのエッセイストのかたがた、そしてもちろん香山先生にも仲間意識を持っています。
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たしかに。
老後は明るくない、と思う。
でもそれは今だから?なのか?
老いていくということを考えると、明るいイメージが持てないというのはいつの世も、という気もする。
それにしても
私は自分の老後をどうしたい、と思っているのだろう。
このままその日、その日で精一杯、といううちにどっぷり老後にひたっているのだろうか?
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出版されてからだいぶ時間が経っているが、今もあまり変わっていないような気がする。
お葬式、お墓、親との関係、ペット、人生そのもの思い通りにならないことが多々あるけれど、人生の終焉にはさらにままならないことが増えていくのだなあと感じる。
ただ、あとがきにあるように悲観的に考えてもなるようにしかならないのかなとは思う。それにしても詩人の茨木のり子さん(代表作「倚りかからず」)が生前から死後に出すためのあいさつ状(死亡日と死因、投函日だけあとで記入)を準備していたというエピソードは素晴らしい。なるようにしかならないとは言っても、きちんと後始末をつけて去っていかれる人はやはり素敵だなと思う。
あともう一か所、すごく印象に残った部分。
介護が必要になった親を持つ人に対しての言葉。
「それまでの輝いていたはずの姿から死期の迫った姿にその人の記憶を塗り替えようとしているのは、本人ではなくてそう思う家族や周囲の人なのだ」
「やさしくてきれいだったお母さんがあなたのお母さんの本当の姿で、いま病気に苦しむ姿を“これが私のお母さんの姿なんだ”と思う必要はありません。~本当のお母さんの別バージョンだと思って~」
そうだ。その人の一番よかったとき、素敵だったとき、それが真実の姿。病に侵された姿が目の前にあるとどうしてもそこにしか目がいかなくなるし、実質的にやってあげなくてはならないこともあり、なかなかそこまで余裕が持てないかもしれないけれど、その人の輝いていたときの姿を忘れないで接することができたなら。ただ、輝いていたときの姿と病気になった後とのギャップを余計に感じてしまって辛いときもあるのかも。でも、相手にとってみたら輝いていたときの姿を思い出して接してほしいものだろうか。
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老後。それもシングル女性となるといつまで働けるか、賃貸の立ち退き命令、家族の介護と死別、入院の保証人問題…お金で解決できる課題も多いが、できない課題もある。
誰もが老後には不安があり、課題も多い。著者は課題を整理して、案や思考をまとめていますが、もちろん答えはありません。ただ、どんな課題が考えられるのかや、今からどんな対策をすれば良いかのきっかけになる本です。
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独身女性は部屋も借りにくいという話から親の死、ペットの死、さらには老後まで。 新聞の読者投稿レベルだからことだが、話はわかる。