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難しいですね〜…
また借りてじっくり読みこんでみたいです。
「どのように生きるか?」の模索を続けること…だったかな。
本をたくさん引用されていて、面白い本でした。
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『「世間」とは何か』の続編。
日本人が教養を大事にする世代を広範囲に持っていたから、経済発展することができたのか。
そうすると将来の日本は危うい。
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教養とは本来、いかに生きるべきかという問いに対して個人が答えようとするところで始まったものであった。なるほど。
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私、不覚にもこの本を読んでしまった今になっても、
この本の題名である『「教養」とはなにか』ということがよくわかりません。
この本では、教養について真正面から語るのではなく、
世間に対する人間のあり方という面からいろいろと語られています。
もしかしたら、それが教養について真正面から語っているということなのかもしれないのですが、
私にはそうは読めませんでした。
とりあえず、ただの「物知り」では「教養ある人」とは言えないようです。
………
我が国の文化が抱えている問題の根元にこの「世間」の問題がある。
先年この問題について一書を刊行したが、いまだ不十分だった点を補いつつ、
我が国の社会を捉える方法について考えてみたい。
その際に教養の問題を通して「世間」の問題に接近する方法を採ることにした。
現在さまざまな議論が展開されているかに見える教養の問題には基本的な疑問があるからであり、
それは「世間」の問題と不可分でもあるからである。
………
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2010.5.9読了。
教養とは、というタイトルにもかかわらず、世間とは何かの問いに対する説明が全般であった。
途中、アイスランドのサガについてのくだりは読み流してしまったが、結局、
教養:自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況
教養がある:世間の中で世間を変えていく位置に立ち、何らかの制度や権威によることもなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人
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[ 内容 ]
哲学のすべてを修めた後、靴直しや陶工として働く―西欧中世の知恵のあり方や公共性と「世間」の歴史的洞察から、誰もが身につけうる教養の可能性をさぐる。
[ 目次 ]
序章 建前と本音
第1章 公共性としての「世間」
第2章 「世間」の中でいかに生きるか
第3章 個人のいない社会
終章 「世間」と教養
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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教養を扱った本を読むのは久しぶり。
しかし予想に反し、教養についての記述は全体の半分ほど。
多くは日本が持つ特殊な「世間」という社会構造について。
西洋の「近代的個人」や中世アイスランドの「世間」によく似た特徴などを紹介している。
結局、教養って何だったんだろ。
しかし、色々なことが載ってて面白かった。
難易度は、内田樹の難しい本くらい。
なんとか読める程度。
有名な本らしいし、そこまで重くないので、とりあえず読んでみることオススメ。
1日あれば読める。
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著者の『「世間」とは何か』を読んで面白かったので、読んでみた。
中世ヨーロッパで「公」と「私」の区別が生まれた来た事に付随して、「公」の中で「私」がどの立場にあるか見極める力として「教養」が生まれたとか。
今はその構造の中で「公」を変容させる立場で「公」に屈せずに他の「私」に働きかける人のことを「教養がある」というのだとか。
著者があとがきで、『「世間」とは何か』の執筆直後に不十分な箇所を埋める為に書いたと言ってる。
正直、内容は「世間」の話ばかりで、楽しい本では無かった。
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教養があるということを「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状況、あるいはそれを素人努力している状況」と定義。高校、大学の時にはまったく中身がわからなかったが、多少わかるところが増えてきたといったところか。
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教養がある人とは、単に多くの知識を持っている人のことではない。それでは、コンピューターと変わらない。
社会における自分の立場を理解し、社会に対して自分が何をできるのかを理解している、もしくはそれを知ろうと学ぶ姿勢を持っている人が、真に教養のある人といえる。
教養は個人で身につくものではない。世間(個人と対比される形で本書のなかでは使用されている)を通して、教養のある人間は形成されてくる。
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本書は前著『「世間」とは何か』の続編である。筆者もあとがきで述べているように、前著は不十分であったようで、本書は前著を補う形で書かれている。しかしながら、私は前著を読んでいない。読んではいないけれど、十分楽しめた。特に後半のアイスランドサガの記述に至っては、国家がない場所で、「世間」が果たす役割は非常に大きいことに驚いた。アイスランドと日本では島国という点で似ており、学ぶところが多いと思った。
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要約
世間の中でいかに生きるか?に答えるものが教養。この問いが生まれたのは12cに職業選択の幅が広がったから。そして、「教養がある」とは、「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況。」である。つまり、自分の生き方を通して世間を変えて行く位置に立ち、何らかの制度や権威に依らず、周囲の人に自然に働きかけていける人が教養人たりうる。
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教養人は集団の中でしか存在しない。
それは、アイスランドサガから読み取れる。
???
アイスランドサガの話を随分繰り返すなぁと思っていたら、この結論のためだったのか。
だから、自分はこの辺りから話についていけなくなったんだ…
いつかまた再挑戦。
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むかーし買って、教養話のではなく世間の話をし続けることについていけなくなり挫折。なんとなく気分で第3章のアイスランドサガから読んだら、まぁ面白いではないか。
新書っていつも後半疲れちゃうんだけどもこの読み方いいのかも。
けっきょく世間の話に尽きて、教養ある人って世間を認識して自分の立場相手の立場をわかって上手にやりくりする人できる人だよってことなんだ。なるほど。
このタイトルである必要はないな。
ないけどおもしろき本であると思います。
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「世間」の続編なので半分弱は世間の話。ただし、前著に関して英独からの照会があったため、ハーバーマスの公共性の視点を導入したのは注目に値する。日本的「世間」と欧米的「共同体」はその歴史性において全く異なるものであり、欧米思想の導入および適用の難しさを指摘したのは、歴史学者としての哲学者・思想家への警告と言えるだろう。