紙の本
「日本人のしつけは衰退し」ていない!
2004/09/15 00:30
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BCKT - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は1959年(広島県)生まれ。卒業大学(学部)不明。東大大学院
博士課程修了(88年,教育学)。現在は東大勤務(助教授)。『陸軍
将校の教育社会史』(97年),『教育言説の歴史社会学』(01年),
『教育には何ができないか』(春秋社,03年),など。手許のは初版。
序章「家庭のしつけは衰退してきているのか?」,第1章「ムラの世界,
学校の世界」,第2章「『教育する家族』の登場」,第3章「変容する
家族としつけ———高度成長期の大変動」,第4章「変わる学校像・
家庭像———1970年代後半——現代」,第5章「調査から読むしつけの
変容」,第6章「しつけはどこへ」。
『教育には何ができないか』の新書版というべきか。本書の論旨は
これとほぼ同じ。学界ではまだ若手に属するからであろうが,典拠の
明示が各所にあり,勉強ぶりがうかがわれる。小さいフォントで
7ページを越える参照文献・引用文献の巻末リストは新書では
異例だが,読者にはありがたい。
要するに,高度成長期を境に,それまで無関心だった学校教育に対して,
子弟を教育する責任を負う主体としての「教育する家族」が出現し,
半面で教員が児童に「教えさせていただく」立場になり,子供が事件を
起こせば,親はその教育責任を世間的に追及される時代になった,
と言っている。半面で,高度成長期前後を一貫して,青少年期の
犯罪件数はどちらかというと減少傾向にあり,世間的評価が
どうあろうと,親というのは子供に対してそこそこの愛情を
注いでおり,愛情が特に大きく注がれなくとも,子供は立派に
育っているということも併せて述べてある。評論家とマスコミと
一部の学者が騒ぎ過ぎなのだといっている。一言で言って,
「日本人のしつけは衰退し」ていない!というわけだ。
昔の教育事情は,つねに郷愁の念を持って想起されるのが
不可避だから,どうしても美化されて現状と比較されてしまい,
対比による現状分析はつねに捏造されてしまう。さらに言うと,
家族が学校に対して突きつける要求は矛盾しているために
(しつけの主体やたとえば宿題),学校側はなかなか統一的な
行動を取れないでいるということも指摘してあった。だいたい,
学校なんぞに自分の子供の教育をまかせっきりにしてしまうこと自体,
自己責任の放棄に等しい。とくに公務員教員など勤務時間を
消化することに(のみ?)関心がある大人しかいないことくらい,
小学生で理解していいはずだ。それに公立学校は税金で
運営されている以上,誰でもが入ってくるという意味で雑種の
世界だ。雑種の世界で生きるのは,知見を広める上でとても
効果があるけれど,人生の目的を追求するには不自由な場所だ。
だから,みんな野球やサッカーのエリート校を,もしくは進学校を,
それぞれ選んで進学しているんだ。
(しつけ)教育パターンが,児童主義(児童中心主義),厳格主義,
学歴主義などという要素に還元されているのには興味を抱いたが,
分析上興味深いだけであって,実践上は余り役立ちそうにはない。
だが,教育社会学という研究分野を知る材料にはなった。
投稿元:
レビューを見る
日本人のしつけは本当に衰退したか??筆者論には衰退してはいないと書かれているが…よく読むと…。ってまぁね、考え方が違えば基準も違うわけですよ。
投稿元:
レビューを見る
この本を読んで思った。「マジでしつけは衰退してんのか!?」でもいろいろ文句のつけどころも…一度は読むべし?
投稿元:
レビューを見る
実際には日本のしつけは衰退したわけではないことがわかる。
もともとの日本のしつけは非常に程度が低く、現状が最も高いようだ。
そもそも家庭内でのしつけはされておらず、ほとんどの場合無しつけで、たまにコミュニティによって出るもの杙打たれる方式でしつけが行われていた。
投稿元:
レビューを見る
とても参考になりました。家族史にも触れられていて、これから教育を考えていくヒントになりました。たくさんの文献が紹介されていたので、興味を持てたものを読んでみようと思います。
投稿元:
レビューを見る
「昔のしつけはしっかりしていた」というのは極めてあやしいということを順を追って冷静に検証していく書。家庭の形は多様であるから現在の社会問題が親の責任が原因なのか冷静に検討し直す必要があると結んでいる。
メディアに簡単に踊らされてしまう私たち。本当の問題をきちんと見抜くことが出来なければ情報に飲み込まれてしまうんだろうなと怖くなった。
投稿元:
レビューを見る
マスコミや世論で語られている「学校の教育の崩壊」「しつけの崩壊」がどのようなメカニズムで起こるのかの一考察が語られていると思います。もちろんこれが全てではないとは思いますが。序盤は少しつまらないのですが終盤非常に面白い論の展開が見られます。読む価値はありですね。
投稿元:
レビューを見る
しつけ本を読むなら、その前にこの本を読んだ方がいいかも。良かれ悪かれ人はしつけを受けて、今があり、先入観や、予備知識を持たない人はいない。だから、これを読んで、世にある「しつけ」というものを、一度ただしく認識するべきだと思う。
投稿元:
レビューを見る
「新しい時代を拓く心を育てるために」(1998)という、有名な中教審答申がある。サカキバラ事件を発端とした、心の教育ブームの火付け役である。
この答申では、日本の現状は「家庭の教育力が低下してきている」「父親の存在が家庭になくなってきている」「家庭のしつけが衰退している」状態であるという。
世論調査でも、こうした現状認識がされているようである。
少年事件が起きると、学者・文化人・コメンテータが常識のようにマスコミで語るイメージである。
しかし、こうしたイメージは正しいのだろうか。
本書は、これらの命題を問い直すことを目的としている。
「当然だ。常識だ」とされている前提を疑ってみる、という習慣をつけたいと思う。
どうして「青少年の凶悪犯罪の増加している」と思われているのか。
テレビがそう言うからでしょう。
テレビというメディアはいつも事実に基づいたのメッセージを発信しているわけではない。
本書のようなメディアを通して社会を見ることも必要なのではないだろうか。
本書が絶対に正しいとは思わない。
思い込みに負けずに、自分で考えることを学びたい。
1.家庭の教育力は低下しているか。
→歴史的考察から、「昔」より現在の方が家庭は教育力を持っている。
2.家庭の教育力低下が、青少年の凶悪犯罪の増加を生みだしている。
→青少年の凶悪犯罪は減少している。
3.家庭の教育力を高めることが、現在求められている方向である。
→現在は、子どもの教育への最終的責任を家族が一身に引き受けざるをえなくなっている。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
礼儀正しく、子どもらしく、勉強好き。
パーフェクト・チャイルド願望は何をもたらしたか。
しつけの変遷から子育てを問い直す。
[ 目次 ]
●「家庭の教育力」は低下した?
●「村のしつけ」は幸福なものだったのか
●「教育する家族」の登場
●童心主義・厳格主義・学歴主義
●高度成長は何を変えたか
●地域共同体の解体と家業継承の終わり
●親の自己実現としての子供の成長
●「教育する家族」の呪縛
●しつけの担当者は家庭か学校か?
●「しつけの衰退」という物語
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
出版社/著者からの内容紹介
礼儀正しく、子どもらしく、勉強好き。パーフェクト・チャイルド願望は何をもたらしたか。しつけの変遷から子育てを問い直す。
投稿元:
レビューを見る
世間を賑わす少年犯罪が起こるたびに、訳知り顔のコメンテーターたちは「昔は家庭のしつけが厳しく、こういう事件は起きなかった」、「最近の親は子のしつけに無関心」などとメディアで発言するが、そういった言説の虚を突くのが本書。
著者は明治時代など、主に戦前の史料をもとに、以下のような主張をする。
・旧来のしつけ観を残す山村地帯の家庭のほうがしつけを学校に依存する傾向が強いこと
→村でのしつけは目上の者への忍従・隷属。村の掟に従わない者は村八分という、封建的・排他的なもの。今では考えられない、人身売買もあった。
・親がしつけの主体となる傾向は、大正時代に入ってから見られるようになったこと
→学歴主義もこの頃から見られるように。
・「学校は要領だけ良くて自分の殻にこもりがちな子を作っている」という言説は戦前からあったこと
・「昔は良かった」という言葉には、誇張と歪曲が多い
→意図的にしろそうでないにしろ、現在の風潮をけなして抽象的な「昔」を賛美する傾向が昔から顕著です。例えば昔から頻繁に言われる「若者のモラル悪化」の言説も大抵は、具体性や実証性に欠ける年寄りのやっかみだと思う。
今流行りの「体罰をしなくなったから子供が調子に乗っている」論も信用できない。1879年の学校令で禁じられていたのに?昭和の戦争期や戦後間もない頃は頻繁に行われていたそうだけど。
以上のことから、結局、現在のほうが親の子に対する配慮が強くなっていると言える。幼い頃からの教育に熱心な傾向から、昔より子の将来を心配していることが分かるだろう。「しつけ」という言葉が頻繁に取り上げられることも、人々の子供への「しつけ」に対する関心の高さを物語っていると思う。
投稿元:
レビューを見る
タイトル通り、日本人のしつけ観をまとめた一冊です。
大まかな流れとして、子供のしつけの責任所在は
①周囲の環境
②学校
③学校と家庭(主に親)
④家庭(主に親)
と変遷してきたようです。
その背景には高度経済成長による貧困層の縮小及びそれに付随する親たちの余暇時間の増加
としています。今の親たちはしつけがなっていない、等の世間的イメージや、
昔は良かったとする懐古主義を否定し、
寧ろこんなにも教育熱心になった親たち(子供のしつけは親に責任がある)が
『熱心にならざるを得ない』逼塞した状態になっていると反論しています。
少年の凶悪事件についても、マクロ的に見れば激減していて世間が過剰反応を起こしている。
また凶悪事件も昔から多数存在していたと報告しています。
道徳教育や教師の質の問題等、その問題の捉え方を根本から覆す様は痛快そのもので、
橋本元総理や安倍元総理の教育改革に対し、
言明はせずも暗に否定しています。
この点に関しては山岸俊男氏と共通するものがあり先駆的です。
総じて面白い。
歴史の変遷を踏まえて発言しないと、言葉に重みが無いなぁ~(政治家に対して)と思いました。
歴史を学ぶって、こんなにも重要だなと感心させられました。
内容も良く、新書と呼ぶに相応しい一冊です。
投稿元:
レビューを見る
「しつけ」なんてことを良く考える年代の方は参考に。
これを読んで「正しいしつけ」を学ぶことは全くできませんが
「家庭のしつけの昔と今」「教育全般の歴史的背景」
は学ぶことができるかもしれません。
「昔は良かった」というのは常に幻想が含まれている。
高学歴・高階層の親ほど、わが子のしつけに「自信がある」
と答え、にも関わらず、一般論としては「現代は家庭の教育力が
低下している」と答える比率が高い。要するに「自分のところは
上手くいっているが、世間はひどくなっている」という状況認識なの
である。 P186
どきっ、とした人が多いのではないでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
良い本ではあったのでしょうが、ちょっと古い知見・・・問題定義なので、
いま読むと、教科書以上のことが書かれている気はしない、というところです。
問題提議本の常套であり、またその為に「教科書的」に感じられるわけですが、この本では
「"過去との比較において"、現代の「家庭の教育力」は低下しているのか?」
という通時的な比較検討を行っています。
比較対象になるのは、戦前(ざっくりと明治の学制導入後)~高度経済成長期までの「家庭の教育」です。
(比較分析としての甘さが感じられるのは、学校教育に対置される村(地域)社会による教育を語るときの、「学校」、「村」が大分曖昧であること。
このあいだ『試験の社会史』を読んでいて(あれは読み物としては細か過ぎて疲れましたが)、「小学校」も、特に「中学校」は短い期間に大きく位置づけを変えていることが書かれていたせいですが・・・)
後に挙げる本田先生の著書のように一一データの前提が示されるようなものではなく、卒論くらいのノリでザクザクと「その時代の本・雑誌の題名」とか「その時代の学者はこう言っていた」ということが並べられるだけなので、ちゃんと学問的に見たら突っ込みどころがあってもおかしくはないんじゃないか、という気がしないでもないです。
ただ、
「きちんと歴史的な変化をふまえると、いま一般に言われているような「家庭の教育力の低下」、「むかしのしつけはしっかりしていた」という言説はノスタルジックな事実誤認を多く含んでいる。」ということ、
そしてあまり「家庭の教育力の低下」を言い立てることは、「パーフェクト・ペアレンツ」への脅迫観念を多くの親たちに植えつけ、追い詰めることになるのではないか?
また「家庭の教育力」を言うとき、それぞれの「家庭」により異なる状況、とくに階層格差が無視されている。
実際には(主に階層に相関して)家庭ごとに可能な「教育」には違いがある。
「家庭の教育力」を問題にするとき、それは「昔といま」の違い以上に、
「中流」意識のもとで見えなくなっていた、階層ごとの違い・格差をこそ問題にする必要があるのではないか?
といった問題提議は、その後の教育社会学において主に議論されている内容につながっているのではないかと。
本当のとこ因果関係は分かりませんが、恐らく前後としてはこの本で提議された問題を踏まえて「では『いま』の実際は?」を突っ込んだところで、
共に本田由紀先生主著ですが、
統計データに基づく分析を行ったものとして『女性の就業と親子関係―母親たちの階層戦略』、
インタビューを主とした質的調査を行ったものとして『「家庭教育」の隘路―子育てに強迫される母親たち』が挙げられるのではないかと思います。
(殊に『「家庭教育」の隘路―子育てに強迫される母親たち』については、力作であり、実際に母親になろうという一主体としては死にたくなれる本です)
それに時期的にはこの本の以前~同時期から論じられていますが、教育政策の面から階層問題を扱ってきた���が苅谷先生、なので・・・
そんなわけで、もうちょい早く読んでいたら感動したかもしれない本でした。