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・子どものうちは、ほかに仕事があるわけでなく、またややこしい人間関係のお付き合いがあるわけでもなく、その挑戦だけに専念できる。自由な時間とか、子どもにゆとりを、という考え方もあるようだが子どもというのはけっこう多くの時間をもっているもの。龍はヴァイオリンを弾き、学校の宿題をして、空手の道場にも通い、テレビ・ゲームもし、映画もビデオを観ていた。私は基本的に子どもに対して「ゆとり」などにこだわる必要性を認めていない。「ゆとり」が必要になってくるのはは50歳を過ぎてからでいい。大人のほうが「ゆとり」をもつべき。ゆっくりと人生を見つめる時間が必要なはず。子どもに「ゆとり」があるにせよないにせよ、思い切り高いレベルに挑戦させるには、子どもだけでなく、親も一緒にチャレンジすること。お互いを励まし競争し、高め合う、ときには同志として孤独を分かち合う。そういう親と子の関係こそ素晴らしい。
・みどりは指の動きが難しいくなると何度練習を繰り返してもうまくいかないときがかぞえきれないくらい、かなり不器用な子どもだった。逆に同じ箇所をさらりとやってのける子どももいる。ところがそういう子どもにかぎって、練習を繰り返さないことが多い。さらりとやってのけられるものだからそれでできたと思ってしまう。まだまだその技術が自分のものになっていないという考えをもてない。そういうケースを何人か見ていると不器用な子どものほうが、何をやらせても長続きする。不器用な子どもは、子どものうちに苦労を重ねるから精神的にも鍛えられる。どんなジャンルでも、大人になって「一流」と認められている人は、子どものときにそういう苦労をたくさん積み重ねたのではないか。
・「やめたい」と苦しむときは必ずある。どんなジャンルのことでも、最初は好きだったものが、大嫌いに思えるくらい苦しいときがあったはず。退屈な練習を繰り返すのは子どもにとっては苦しいもの。他人から注目されるような立場に立つようになった人には、好きで、楽しんで・・・というだけでなく、笑顔でさらりとでもいいから、苦しむこともあったということを、それを聞く子どもたちのために教えてやってほしい。
・子どもは、最初は「好きだから」ということがきっかけで何かを始めるが、好きなものを続けているうちに途中で絶対に、それを嫌いになるときが訪れる。やめたい、やめよう、と思う時は必ずくる。そういう気持ちは、何度も心の底から湧いてくる。でも、そこで嫌いになったからといってやめてしまえばそれまで。やめるのは簡単、継続は難しい。難しいことをやらないと、子どもの心は育たない。もちろんそれは、大人にも当てはまる。