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本屋大賞を取った「羊と鋼の森」を読んだときの感触と違って、どうにも入り込めなかった。違いはなんだろう、と考えたけど、やっぱり共感出来るか・応援できるかなのかなと。
羊と鋼の森も綺麗な物語だったけれど、これは輪をかけて綺麗というか、綺麗すぎて現実感が伴わず共感に至らない物語だった。この現実感のなさを尊ぶひともたくさんいるとは思うのだけれど、私の好みかと言えば違ったなあ。
宮下さんは長編をもう一冊読んでみたいな。
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夜寝る前に今日一日を振り返るひと時。あの場面ではこうすれば良かった、ああいう人にはこう接すればいいんだ、と色んな瞬間が思い起こされるとともに、今日一日で学びを深めた、昨日より前に進んだ自分に気づきます。それが、恋人どうしだと、夫婦だとどうでしょう。彼があのように物事を考えてるなんて知らなかった、彼女にはこんな一面もあるんだな、とその気づきが二人の関係をさらに深めていくきっかけにも繋がります。でも、もし、今日の記憶が今夜眠ることで白紙になってしまったとしたら、今日の経験が無かったことになってしまうならどうでしょうか。その時、その人は果たして今日という日を生きたと言えるのでしょうか。
『遠くないうちにだめになるだろうと予想はついていたけれど、まさかこんなに早く来るとは思わなかった』と、冒頭の一文で主人公・行助が職を失ったことが語られます。そんな帰り道にふと見つけた『たいやき屋』。何気なく買っただけなのに、わざわざ戻って『これ、おいしい』と作ってくれた こよみに話しかけた行助。これをきっかけに二人の関係が始まりました。『いつも、ありがとう』そう返してくれたこよみに『それだけで体温が二度ほど上昇するような、胸元からバンビでも飛び出してくるような気分だった』という行助。一方、この表現の登場で早くも宮下さんを感じた私も全く同じ気持ちになりました。
しかし、幸せは続かないもの。バイク事故に巻き込まれたこよみ。三月と三日の長い眠りから目覚めますが、『古い記憶はしっかりしています。ただ、残念ながら新しい記憶は残らないようです』衝撃的な事実を告げられた行助。でもここからこよみと行助の本当の歩みが始まっていきました。
『病院でもらった診断書には、外因性精神障害と書かれていた。無性に腹立たしくて、僕はこよみさんには黙って病院に電話をかけた』、精神障害という言葉に引っかかる行助。ここで宮下さんは鋭い視点を入れます。『事故に遭って足を悪くした人が、先天性の麻痺を持つ僕を見て、こっそり、あの人とは違う、と線を引く。そういうことを僕は今まさにやっているのだった』、生まれつき足に麻痺があり松葉杖に頼ってきた行助。自分がされてきたこと、自分がそういう風に見られてきたことを、逆に大好きなこよみにしてしまっている自分に気づき愕然とする行助。人は線を引くのがとても好きです。辛いことがあると特にそうです。そうやって何か他人との間に線を引いて自分を区分けて納得する。どこまでいっても自分のことである以上、それで納得できるならそれでもいいとも言えますが、される側とする側を経験した行助を描くことで、人にそういった一面が誰にでもあることを強く意識させてくれます。
そんな中、二人の関係のこれからについて、『迷ってるうちは進まないほうがいいよ』と姉に言われた行助。でも逆にその言葉をきっかけに歩みを確かなものにしていきます。
作品では、中盤から後半にかけて、宮下さんならではの表現が惜しげもなく登場します。
『あたしの世界にもあなたはいる。あなたの世界にもあたしがいる。でも、ふたつの世界は同じものではないの』
『もし、面白いと思え��ものがあったら、それが世界の戸口なんだよ。あなたにとっては突破口かもしれない。いつでも開ける。そこからあなたは外に出られる』
宮下さんの本を読んでいるんだという喜びに満たされる瞬間です。そんな中でこよみが大切にする本の話が出てきました。『数学者は毎朝、自分の記憶が短時間しか持たないことを確認して、泣く』、映画は見ましたが本はまだ読んだことがない、小川洋子さんの「博士の愛した数式」のことだとピンときました。そもそもこよみのシチュエーションは博士と似た設定です。「博士」もとても印象に残る作品でしたが、この作品では毎日記憶がリセットされるこよみと行助の繋がりが描かれていく中で、そもそも人は何でできているのか、人生を作り上げていくものは何なのか、という問いかけがなされていきます。同じような設定でも「博士」とはかなり異なる印象を、そして宮下さんが描きたい世界を感じました。短い作品ですが、後半に行けば行くほどにとても読み応えのある作品でした。
どんな偉大な作家にも始まりの作品はあります。初々しさの残る作品に触れるのは、その後に大きく飛躍された人であればあるほどに、とても楽しみな瞬間でもあります。この作品は宮下奈都さんのデビュー作。この作品から11年後に「羊と鋼の森」で本屋大賞を受賞される宮下さん。読み終わった感想は、最初から宮下さんは宮下さんだった、ということでした。初々しさの残る、それでいて深いところに何かが響く。読んで、世界に触れて、そして、自分の中にすっと染み込んでくる、初々しさが故の味わいを深く感じられた作品でした。
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宮下奈都さんのデビュー作。
事故により記憶が1日しか持たなくなってしまったこよみ。
彼女の存在がすべての行助。
わたしだったら耐えられない。
まさに、日常のささいな幸せを一緒に覚えておけないのは辛いと思う気持ちが大きいから。
思い出は大切だと思ってしまっているから。
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表題作ほか中編1篇を加えた著者のデビュー作。静寂の中に燻るエネルギー、鬱屈とした中にも一筋の陽光が差すような感覚。“日をつなぐ”は著者の心情、奥底からの叫び声を余すところなく披露する。日本における家族のありように帰着するのか...。ラストでどちらを思い描くかは読み手次第。私は吐き気を催した。
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日をつなぐ、がすごく良かった。
慣れない土地での切羽詰まった感じ、話せる相手が夫しかいないのに夫と話せない寂しさ、きちんと子育てや家事をしなければならないという義務感。
真名が虐待をしませんように、と祈りながら読んだ。誰か助けてあげて、と叫びそうになる。
脩ちゃんの話がいい話でありますように。
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宮下さんの言葉のセンスが好きです。
ひとつひとつの言葉が素敵です。
また小説から醸しでている雰囲気も好きでした。
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○ユキとこよみさんとの静かなラブストーリー。鯛焼き屋さんを営みながら、いつもは愛想の良い人だが、実は喧嘩も強いこよみさんのギャップは魅力的だ。
個人的にはユキの姉が言った、本当に迷っている時は進もうと思っても前後がわからなくなっている、そういう時はやめたほうがいい。後悔しても取り返しのつかないことがあるから。という言葉が印象的だった。
○日をつなぐは、最後の結末が気になる。
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字数が少なく、あっという間に読める。が、内容は良かったと思う。
先天性のマヒがある”僕”と、事故で1日以上の記憶を保てない女性。世間的には”弱者”と見られがちだろうが、おそらく2人はそうは思っていないところが、心地いい。
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文學界新人賞佳作に選ばれた著者のデビュー作「静かな雨」に「日をつなぐ」を加えた2編収録の短編集。
文章自体は決して長いわけではないが、2編とも登場人物たちの想いが交錯していて物語の奥行きを感じさせる。切れているようで切れていない関係、相手のことを理解した中でのさりげない心遣いなど、温かさを感じることができる。
物事はどうしても自分中心に考えてしまう。決してそれは悪いことではないが、相手に対する心配りなど、今だからこそ再認識できる作品であると思う。
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本の装丁とタイトルが素敵で絶対読みたいと思っていた。
予想通り穏やかでゆったりして、この空気感は好き。
勤務先が倒産することとなった傷心の行助は、帰り道たい焼き屋を営むこよみと出会う。
行助は生まれつき足に麻痺があり、松葉杖を使う。出会う間もなく、こよみは不意の交通事故にあい、新しい記憶は短時間しか留めておけない障害を負う。
行助を、そしてその後こよみとの二人を、心配し温かく見守る行助の家族(姉、父、母)の優しい気持ちがひしひしと伝わってきた。障害を抱えた二人の、心寄せ合うなんということない日常の描き方の穏やかな文章が印象的だった。
あるいみ、あきらめを受け入れることの大切さを訴えているように感じた。あきらめは悪いことではないと、その中にもある幸せみたいな。
後の、日をつなぐは、お豆のスープとバイオリンがでてきて(静かな雨も、たい焼きと音楽)。
とにかく、一曲。一曲聴くことができさえすれば道が開けるような気がした。力を得られる、この無間から抜け出せる、と私は思う。この気持ちがよくわかる。
無間とは、無間地獄のことなのですね、知らなかった。
ラスト一行で、一瞬思考が止まりかけた。が、こういう結末を読み手に委ねる終わり方嫌いではない。好きでもないが。
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『静かな雨』
映画が好きなので読んだ。
読まなきゃ良かった。
それなりに古い小説のせいか、ユキスケという男の視点から見ているせいなのか、読んでいて非常に胸糞悪かった。
何よりユキさんの口から「(鯛焼き屋をやっていくのに) もっと安全な場所のほうがいいんじゃないの?女ひとりなんだからさ」という言葉が出てくるとは思わなかった。
映画では割りとクライマックスに使われたブロッコリーのシーンも原作は最悪だった。
勝手にこよみさんに怒って苛立ちをぶつけて、挙げ句の果てにこよみさんの努力を認知した後訳わからないモノローグで誤魔化してて非常に腹が立った。
この小説があまりにも未熟で、逆に映画があまりにもこの小説を上手く映像作品として昇華してて素晴らしいことが分かった。
『日をつなぐ』
これも一人称小説……この人ってこんなにモノローグを多く書く作家なのか?
育児ノイローゼになった時、仕事が忙しいからと支えもしない夫との過去の記憶を辿っても胸糞悪さしか残らない。
この二人は最初からコミュニケーションが極端に少なくて、就職と結婚、妊娠があまりにも上手くいきすぎて歯車が最初から噛み合っていなかったことに気づかなかったんだろうな。
個人的には夫と会話してる中で文句垂れている所で「この小説自分に合わないな」と思った。
ラストの文章の後、見捨てられちゃうんだろうな。
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生きるのに前向きなたい焼きやのこよみさんと足に障害があり、前に進みづらい行助の物語。こよみさんに好意を抱きながらも進めない行助が 事故でこれからの記憶が積めなくなったこよみさんと 時を重ねていく姿が語られている。記憶が積めなくても、強い意思と前向きなこよみさんの姿が痛々しい。
日をつなぐは知らない土地である秋田で始めての出産、子育てに戸惑い、苦しむ真名を主人公に
やがて、秋田の市場での人や産物との出会いで強く生きていくであろう話。
ああ、こういうタイプの小説もあるんだなと感じた。どちらも、余韻を残したまま終わる。
どうなったかではなくて、どうにも変わらないままで。なんだか残すなあ…
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「私は光をにぎっている」「四月の永い夢」を観て好きになった中川龍太郎映画最新作の原作ということで「静かな雨」を読んでみた。
職を失った「行助」が、屋台でたいやきを売っている「こよみさん」に出会うところから始まる。
次第に距離を縮める2人だが、そんな折にこよみさんが事故に遭い、記憶障害を患ってしまう。こよみさんは寝るとその日の記憶が消えてしまう。
やがて、行助とこよみさんは一緒に住み始めるのだが、行助は、「人間は何でできているのか」思いはじめる。
記憶を失う人の生きていく意味を、行助は思いめぐらす。
行助が思うように、特別な日の特別なできごとを覚えていられないのは、我慢できるんだろう。
こよみさんのぶんまで覚えていればいいのだから。
→同じ方向を向いているふたつの視点
だけど、『朝ごはんの干物だとか、洗濯するときの癖だとか、帰り道に浮かんでいた月だとか、そういう日々の暮らしの記憶が積み重なっていないことがたまらない』
のは、日々の暮らしこそ、ふたりの感じ方(『ふたつの世界』)は同じものではないからではないか。
→向かい合う双方的なふたつの視点
『あたしの世界にもあなたはいる。あなたの世界にもあたしがいる。でもふたつの世界は同じものではないの』
登場人物の余白にも面白さを感じた。こよみさんの過去に言及するエピソードがいくつか出てくるが、細部まで明かさないことで想像させられる。
なぜこよみさんはひとりでたいやき屋をしているのか。
リスにリスボンと名付けたこよみさんの家族はどこにいるのか。
なぜこよみさんは事故に遭った後、『記憶力をなくした数学者のはなし』(おそらく「博士の愛した数式」)を好んで読んだのか。
映画はまだ観てないので、早く観たくなった。
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宮下奈緒さんのことばは柔らかいが、時折胸を刺してくる一文がある。
胸を刺してくるものは一文だけでなく、その一場面だったりもする。
この本は、それがよく現れてると思う。
表題作の静かな雨より、日をつなぐの方が心に残った。爽やかで憧れすら感じる恋模様から、一転して、子育てに翻弄し疲弊しきった一人の女性が描かれていて、ふと、ノイローゼとなってしまう母親のニュースを思い出した。
夫婦の話し合い模様は描かれないまま、物語は唐突に終わってしまう。希望のことばが夫から紡がれるのか、それとも絶望なのか、読者の想像力によってこの女性の未来が決まってしまうこと自体が、なんだか悲劇のように思えた。
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「日をつなぐ」
知らない土地で赤ん坊と1日中2人きりで、疲れきってしまっていた私は 豆のスープを作り、赤ん坊に笑いかける回数が増えるが
忙しい夫はスープも飲んでくれない
毎日好きな音楽を聴くこともできない
疲弊した母親の描写は辛すぎて同情しかない