電子書籍
新聞というメディアに対する見方が変わる
2020/01/12 18:44
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投稿者:碧雲淡日 - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者が、ここ数年の各紙の記事の背景を、短い随筆の形式で述べています。筆者は、新聞というメディアの将来を憂える人間のひとりとして、とりわけ朝日新聞に対して批判的に述べています。言論の自由、表現の自由、報道しない理由など、読後は、新聞というメディアに対する見方が、いい意味で変わる一冊です。
電子書籍
今や都会では……田舎はさておき
2021/07/07 06:36
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
新聞をとっている住戸が減っています。マンションのポストが見える位置にあれば、外からでもよく分かります。新聞に魅力がなくなったのか……その原因はネットの発達より、新聞記者が偉くなってしまったから記事が……なのか、……考えさせられる一冊。
紙の本
新聞記者が「偉くなってしまった」のである
2021/01/02 20:47
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投稿者:FA - この投稿者のレビュー一覧を見る
『新聞記者が「偉くなってしまった」のである。
いま新聞に往時の輝きはない。いつ頃からか、自己の主義・主張、すなわちイデオロギーに固執し、事実そっちのけで紙面がそのことを「訴える場」であるかのように錯覚してしまった。読者は敏感で、そんな臭みが増すにつれ、そして特筆すべき情報が少なくなるにつれ、新聞離れを加速させた。』
ネット時代である。それこそ、誰が見ている、撮影している、ネットに流されているという時代だ。マスコミが情報を握って離さないという時代は終わっている。
私は、もう新聞を読んでいない。若い頃は、日経新聞を読むべきだといわれましたが、もう必要とは思わない。テレビの報道も見ない。ちっとも困らない。
紙の本
情報リテラシーを高める一冊
2019/07/02 11:59
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投稿者:たか - この投稿者のレビュー一覧を見る
新聞がおかしい。だからこそ、新聞を通して世界を冷静に読み解くことが重要なのではないか。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んでみて、新聞というのはどんなもので、どのような立場でいないといけないのかということを、考えさせられました。
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「観念論と現実論」との闘いの時代。
筆者は現代のジャーナリズム(だけでなく日本社会も)をそう位置づけ、「国内外のさまざまな現実に対応していこうという人々と、イデオロギーに固執して現実を見ようとしない理想論、すなわち観念に縛られた人々」の具体事象を、筆者の見解を含めて本書に綴っています。
個人的には、新しい時代のメディア、従来のマスコミュニケーションに変革を持たらす、などど言われるSNSの世界でも、全く同じことが起きていると思います。
さらに言えば、新しい時代のメディアにおいてこそ、観念論が横行しているように思えてなりません。
情報の受発信がより個人に近づいている今こそ、手に取る価値があると感じた一冊です。
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「新聞という病」というより「朝日新聞という病」という本でした。萩上チキの『すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論」で「産経はかまってちゃん」「産経をスルーする朝日」と新聞同士の相互言及性を表現していましたが、その実例。著者は産経の人ではなく週刊新潮育ちですが。もはや、「バカヤロウは愛の言葉」(by パール兄弟)?特にあとがきはLOVE感じます。
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朝日と毎日に厳しく読売と産経によりのスタンス
一貫してそうだと言う事は本人の主義主張と言うよりも
全国紙各紙への単なる好き嫌い、好みの問題
そのスタンスで一貫している、のが本書の特徴
最後まで読んで結局得るものはほとんどなかった
まさに自分の「正論」を本にまとめたものでしかない
本と言うものは、本来、「1つの主張」について
「論証」をおこなうものだと思う
大学時代の指導が懐かしい!
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話題の産経新聞出版新書らしいので札幌の書店を何店か回りましたが、どこも扱いがなく仕方なくアマゾンで購入しました。きっとこれからも図書館では置かれないでしょうねえ。筆者は元新潮社「週刊新潮」デスクなどを経てジャーナリストに、反日リベラル新聞特に朝日新聞大批判。どの新聞も販売減少が続いており根本的な解決策はなさそうです(笑)私は購読している朝日に毎朝ツッコミを入れるのが趣味です。
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新聞に書かれていることをそのまま信用するのではなく、自分で考えましょう。
通常、新聞は1冊しかとらないと思いますが、ここで度々名前が出てくる新聞は事実を伝えるのではなく、新聞社の主張を伝えているところがあるかとおもいます。
(「角度をつける」「事実を伝えるだけでは報道にならない。朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」というスタンスで記事を書いている。)
福島第一発電所の吉田調書も紹介されていますが、冷静に考えると、そんな指示出すはずがないというのがわかるかと思いますが、記者の主観をもとにかかれた記事(角度がつけられた記事)では間違った印象となるのではないでしょうか。
『正論』等の雑誌を読んでいるので目新しさは感じませんが、日本の新聞の危険性を知る事、自分で考えることがいかに大事かを教えてくれる本だと思います。
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「新聞」と言ってますが、殆ど売国新聞、じゃなかった某朝日新聞の重篤な病についての解説本です。もう門田氏のご意見に120%同意できます。読んでいてスカッとすると同時に、新聞を筆頭にしたメディアの役割を改めて考えさせられました。
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新聞記者がブンヤでなくなり、社会規範を示す存在と(仲間内の認識において)なったことで、いかに変質してしまったかを一片の斟酌もなく記している。
似たような事例が次から次へと出てきて、うんざりする。
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本書が伝えていることとは、
新聞をはじめ、マスコミュニケーションの世界では、印象操作といわれる作為的な記事・報道により、事実とは異なる印象を与えて、ある思想を押し付けることを主目的に世論形成をしようとしていることがある。情報の取捨選択がとても大事だということ。
はやりの言葉で言えばフェイクニュースとでも言えばいいか。
あるニュースを耳にし、興味を持った時に取るべき行動とは?
どの新聞の記事なのか?
どのテレビ局からの情報なのか?
元のソース(情報源)はどこからなのか?
事件であれば、加害者のコメントなのか?被害者のものか?第三者?
等、比較したり、さらに調査することで掘り下げないと、ミスリードされかねない。長年の経験、また本書を参考にとりあえず信頼できそうな媒体を探しておくこと。
そのうえで、うのみにしない気概。
本書は、新聞記者への応援・叱咤激励であると著者は言っている。
新聞記者という職業の矜持がどこにあるのかを、今一度見つめなおせ。
こんな新聞にしていいのか!と。
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本当の日本の害悪は、その底にあるものはともかく、やっぱりマスコミ、新聞とテレビだろう。
世論を、大衆を動かすのは俺たちだと言う傲慢と陶酔。
主義主張を煽る、デマチラシに堕ちた言論の府。
そんなところだろうな。
内容としてはコラムのまとめというのもあって、そこそこ。
いつもの体当たり感は、もちろんない。
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表題の新聞とは、ほとんどの場合、朝日と毎日です。
確かに、A新聞の反政権振りはデマでもねつ造でもOKという隣国の反日無罪を彷彿とさせるものがあります。
とはいえ本書全般を通じて、門田氏は新聞の復活を心から願っているテイをとりながら、現状のままでは不可能だということをさりげなく、しかし読めばそうなるとしか思えない不可避な現実として明らかにしています。
7章立ての本書は、捨て章なしの絶品ぞろいですが、特に6章と7章は必読です。
それにしてもA新聞がなぜこれほど日本を貶めようとしているのかという1つの回答は、「記者には日本を貶めているという意識はなく、まして中国や韓国を喜ばせるためではなく、過去の日本を糾弾することで平和を愛する自分や国家権力に勇敢に立ち向かう姿に陶酔している」としか思えないのだが、そんな小さな自己満足だけで日本の足を引っ張られてははた迷惑です。
何かといえば「言論の自由」を標榜する新聞ですが、「異論には耳を貸さず、力で踏みつぶせばいいのだという考えは許されないといいながら、自分と異なる意見や質問を無視し牙をむく姿勢、果たしてあなた方に言論の自由を守る意思はあるのですかと聞きたくなる」(P264)
そうしたA新聞の姿勢を、既にビラ活動家であり、倒閣運動家であり、ご注進ジャーナリズムでしかないと喝破しています。
また、「児童虐待死事件と嘆き記事」では、親の権利やプライバシー侵害という人権の壁や児相の職員の意欲と能力の問題という本質をみない議論を繰り返すことで、同様の事件が繰り返される愚を指摘しています。
「就活ルール廃止」では、自分たちはルールを守っているのにそれを破る企業があるから、そのルール自体を廃止する経団連、そもそも大学とは教育研究の場であって、企業の下請け機関ではないという見識をなぜ示せないのかとあきれる。
ドラマ「相棒」で薬物依存症の女性が殺人をおかすシーンがあったのだが、A新聞は「中毒患者への差別を助長するもの」とし、精神的な病を抱えた障害者で、依存症の人に対する差別意識だけを高めることになると批判した。覚せい剤は禁止薬物で犯罪であり、暴力団の資金源ともなり、覚せい剤の恐怖の実態をドラマ化しただけで、「差別だ」と抗議する歪んだ正義、独りよがりな人権意識を笑っています。
このように門田氏は終始激昂することなく、穏やかな書きっぷりですが、言うべきことはきちんと表現している匠の技をぜひ堪能してください。