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自分の中のもやもやと向かい合う必要があったからか、読み終えるのに、ちょっとがんばった。確かに40に近付くにつれ、生きやすくなってきた気がする。正解を選ぶんじゃなくて、選んだ答えを正解にしていく生き方もありなんだな。東京六大学野球の大会に出るために東大で野球をするという遠回りようで近い選択肢。思考停止していてはもったいないな。
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正解を選ぶことを学んできた私たち
正解を選ぶことよりも、選んだ事を正解にしていける事を学ばせる方がよほど素晴らしい!と実に共感
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「自分らしさ」と「女性らしさ」をセパレートする1冊。人生の先輩であるこのお2人の書籍は本当にいつもためになります。
こういう本を読んでいると自分が女だったから遭遇した不幸(美醜で語られることとか、痴漢にあったことだとか、職業・進路について言われたことだとか…)を思い出して未だに泣けてくることがあるのでたまに読んでいて辛いのですが、あれはまさしく社会のバグだったんだな…。
あと自分も中野先生と同じように合理的に考え行動しがちなので共感できるところも多かった。時代は確実に女性のために変わりつつある、その中で私だけの生存戦略を考えて生きていきたいと思う。
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こういうの読んでる女は男に嫌われるだろうなあ、という思考そのものが、まさにモヤってるよなー。
女も男も、人間はみんな、助け合って生きられればいいのにね。無理だろうな。
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激しく頭を振りながら読んだ。共感の要素しかなかったです
以下読書メモ
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はじめに
・人生をゲームに例え「女の人生はイージーモード」という人がいるが、設定された女をやり続けること自体が私にとっては無理ゲーでした。でも、それは私のゲーマー能力が低いからではないと気づいた時、とてつもない解放感がありました。 Byジェーン・スー
1章 女らしさは誰のため?
・女らしさ=お嫁さんにしたいとほぼ同義
→生活を共にするならばこの人と一緒だったら安心、自分が足りないところを察して補ってくれそうだなという印象を与えられる人
・ただ、だからといって、「女に生まれてよかった」「女だから得をしてきた」とはやっぱり思いにくいんだよね。世間では「女だから優しくしてもらえる」「男におごってもらえるから女は得だ」「女は優遇されている」と思っている人が大勢いるようですが、それは「下に見られている」のと同じことですからね。
・私が女に生まれてよかったなと思えることの筆頭は、社会からあまり期待されないで生きてこられたことなんです。男のように社会で台頭していくことや、組織で競争を勝ち抜いていく、といった期待をされてこなかった。だからこそ、この年齢まで好き勝手に生きてこられた部分はすごくあります。
・「女は男に高いもの買ってもらえて得じゃん」「主婦は昼間から美術館に並べて、高級ランチ食べられるからいいね」「家でゴロゴロしていられるから得だよね」という言い方を男性がするとき、彼らは金銭的得や時間的な余剰を得とみなしているんだよね。
けれども、これって本当に得なのかな?男の目にうつらないデメリットは考慮に入れられてない気がするんだよね。
・可視化されるメリットだけが得ではない。レイヤー(階層)がいくつもあって、可視化も言語化もされていない損得のレイヤーもある。それは社会的地位だったり、多くの企業でガラスの天井(組織内で男性が優遇され、能力のある女性が要職に就けない状態)があることもそう。つまり、目に見える損得と目に見えない損得があって、両方を加算した上でプラスになるものがあればそれは得と言っていいかなと私は思います
・ゼロサム(資源や富の総量が一定であり、一方の利益が他方の損失になること) じゃないよね。金銭や物質のように可視化されているものの損得はゼロサムにもなり得るけれども、それは20世紀までの経済学の考え方だし。人間は金銭的得ではないものを感じて、ときにはそれを優先してる。金銭的報酬がごくわずかでも充実して満足できる仕事もあれば、自分が損をしてでもあいつに嫌な思いをさせたい、という気持ちもある。そういった見えない心の部分を定量的に評価して経済的にも反映しようというのがニューロエコノミクスという領域です。
・女らしさって要するに「男らしさ」と対になる概念なんだよね。じゃあ男らしさとは何なのか、羅列してみると、「頼りがいがある」「リーダーシップがある」「決断力がある」という感じ。一言で言えばドミナンス(dominance:支配、優越の意)と言っていいと思う。
・女らしさは誰かに気に��られるため、誰かをサポートするだめの要素であつて、言い変えれば「誰かに気に入られないと社会でうまくやっていけない」という強迫観念にもつながる。
要は、男女問わずみんなに好かれる「いい子」になろうとすると、自己決定権を手放しがちになるんだよ。自分の意思より親や社会の期待を優先して、職場では同僚から嫌われないように、上司の機嫌を損ねないように振る舞う。割を食っても、頑張る。女性の場合は女らしさの社会規範に従い続けていくと、誰かにとってのベストサポーターにはなれるかもしれないけど、自分は何がしたいか、どう生きたいかを自由に考えて決めるのが難しくなることがあるよね。
・お嫁に行けないって脅迫の言葉なんだよね。今、婚活に勤しんでいる女性たちも、全員が全員、すごく結婚したいわけじゃないんだと思うんですよ。結婚したいのではなくて、「女として自分がまっとうであるか」という証明書が欲しい、それだけのために、結婚という事実を必要としている、そんな気がします。
・私たちの身体には脳という器官がありますよね。これは一応、「有意な性差がある器官」なんです。ただし、その差は個人差と比べると小さいと考えられてはいる。スウェーデンのカロリンスカ研究所のイヴァンカ・サヴィックが割とこのあたりの研究をしています。
・短期的に得を取れる場面もあるけれど、目減りしていく資産に自分の価値を見出すこと自体が危ういし、長期的には「損」に転じるよね。目減りする武器には頼らない戦略を模索するほうが、私は得を得やすいと判断するけど。
↑若さや美しさ
・金銭的得で見るなら、「美人」のほうが得というのは行動学的なリサーチでもたくさんのエビデンス(証拠、根拠)があるよね。くりかえしになるかもしれないけど、損得というのは必ずしも一元的ではない。金銭的報酬・物理的報酬だけが報酬ではないんです。人間としてどう扱われるのか、という社会的報酬、もっとシンプルな感覚的報酬、知的好奇心がみたされる知性的報酬もある。
・美人は「お前の中身なんかいらない」というメッセージを常に社会からうつすら受け続けているとも言える。美人である自分にあぐらをかけるような、言葉は悪いけれど、「適度に鈍い美人」はある意味幸せかもしれないよね。でも、繊細で頭のいい美人はかわいそう。「お前なんかいくらでも代わりがいる」「後から若い女の子はどんどん出てくる」というメッセージをずっと受けながら、今受け取っている得がいつ失われるんだろう、と常に脅えながら生きていかなきゃいけないから。
・美しさは競合にならないけど、頭脳は競合案件になる不思議。つまり、美は女性、頭脳は男性の担当分野だと思われてるんだろうな。
・フランス南ブルターニュ大学のニコラス・ゲーガン教授が発表した「バストサイズとヒッチハイクのフィールドスタディ」という有名な実験があるんです。どういうものかというと、女性たちにヒッチハイカー役になってもらって、まったく同じ服装をさせて、バストサイズだけをAカップ、Bカップ、Cカップと変えていった場合、男性のドライバーはどれくらいの割合で車を止めてくれるでしょう?
→結果は身も蓋もない。お察しの通り、一番多くヒッチハイクが成功できたのはC>B>A
・「セックスできそう」という性的対象として選ばれたに過ぎないとも言える。
別の実験で、プリンストン大学の心理学者スーザン・フィスクが行ったものがあります。ビキニ姿の女性と、露出の少ない普通の服装の女性の写真を両方見せた場合、ビキニ姿の女性を見たときの男性の脳では思いやりや共感、良心などを司る脳の領域がまったく働かなかった。これは、ビキニを着ている女性を男性の脳は人と判断していなかったということなんだよね。つまり同じ人間ではなく、「モノ」として女性を見ていた。女性をモノとして扱ってもいいんだ、と感じてしまう脳の仕組みがあるからこそ、いろんな性犯罪の事件が起きてしまうとも言えるかもしれない。
・男性からモノ扱いされることもそうだけど、「美人すぎるメメ」もひどい。あれの職業に就く女は不美人だと思われているからああいう言い方にな美人は努力して特別な技能を獲得する必要などないとも思われてる。どっちにしろ、失礼。
・結局、若さや美貌のご褒美に与えられた得って、どれも蓄積されない資産なんだよね。どんなにいい思いをしても、権力者に獲得されたその先には選択権・決定権のない未来が待っている。
・美人と不美人という比較ではありませんが、米国疾病対策センター(CDC)によれば、アメリカではアフリカ系米国人女性と白人女性の妊産婦の死亡率を比較したところ、アフリカ系米国人女性が妊娠に関連する原因で死亡する確率が、白人女性の約3倍にものぼっているという統計データも出ています。その背景には、もちろん収入、所得の格差もあるけど人種差別や偏見から黒人というだけで医療関係者の扱いが雑になっている可能性があるのでは、という指摘もある。容姿の優劣だけではなく、肌の色の違いが他者にそういった影響を及ぼす場合もあるという事実は覚えておいていいかもしれない。
・「ミュンヒハウゼン症候群」: 周囲の関心を引くために、自分で自分の体を傷つけたりする精神疾患。自分で変な薬を飲んだりして周囲の関心や同情を引いて、誰かに看病されることで、「私はいろんな人からヘルプをもらっているから安心」となる心の病気
ね。
・私自身はおごられることは好きじゃない。できれば避けたい。それってなぜなんだろうとじっくり考えてみたんだけど、結局はさっきスーさんが言った「自己決定権を手放すことだから」なんだよね。おごられることを受け入れるのは、相手の支配を受け入れることと等価になる。
→「また行きましょう」と言えるのは、金を支払った側だけ。
→やむなくおごられたら、「後日、必ず返させてください」と言いたくなってしまう。という話をしていたら、生物学者の池田清彦先生が「それは支配されることが嫌だからだよね』ってズバッと見抜いてきて、あっこの人、わかるんだな、すてきだなと思っちゃった。
・そもそもヨーロッパのレディー・ファーストだって、女性が男性より劣る、という前提があるから生まれてきたもレディースデーもレディースセットもそう。表面のサポートの部分だけを見て「女は優遇されている」みたいに勘違いする男が今の日本には多過ぎる。ただ、その構造自体が巧妙に隠されているから、���性自身もあまりそのことに気づいていない。
・たいていは可視化されないようにうまいことできてるよね。気づいたとしても、口に出すには社会規範が重荷になる。「こんなことを言うのは女らしくない。」そういった構造が見えている女性が「いや、得ではないしむしろ「損をしている」と主張すると、「そんな見方をするなんてあんたがブスで損しているのをひがんでるんでしょ」「そういうこと言うと結婚できないよ」とか批判的に見られたりする。構造が見えていても言いづらくさせる圧力が世間にはある。
・「女は損だ」と声高に言うと、すぐに「フェミだ」という批判的な声があがるよね。過剰に主張する面倒な人、みたいに思われてしまう。でも「フェミニズム」という言葉が存在している時点で、男女平等ではない、構造がおかしいということの証明でもある。
・他者からどう見られているか、俯瞰の目を持つことは大切。それは否定しない。でも、社会の目をそのまま自分の目にしちゃうのは、すごく危険。「どうせ私なんてプスだから」となるのは、「美人は価値が高くブスは価値が低い」という社会のものさしを自分のものさしにしちゃってるからなんだよね。
・そもそもこの世が真っ暗闇だったり、人間に視覚がなかったりしたら、「美人になりたい」なんて望みを誰も抱かないですよ(笑)。今の社会でなぜ美人に憧れる女性がこんなに多いかというと、「美人になれば自分が社会から受ける恩恵を最大化できそうだから」であることは間違いでないでしょう。そこは私たち人類はみんな社会的生物だから、ある程度はもうしょうがない。
・「男たるもの顔や体なんかにかまうな」って社会規範は、これから命取りになると思う。年取ったらセルフネグレクト(自己放任)まっしぐらだよ。若い頃は「やるのはみっともない」と言われてたことが、シニアになったら「できなくてみっともない」になる
・そもそも女性と男性では、異性を選ぶときに活動する脳の働きが違うんだよね。実は多くの女性は、あんまり相手の外見を重視していない。女性は前頭葉にある機能で、振る舞いや雰囲気で好ましく思う相手を判断しているらしい。じゃぁ一方で男を選んでいるかって言うと、これは完全に視覚なんですよ。だから「イケメンに限る」っていうテンプレ(紋切り型)は完全なる誤解。「ただし美人にという男側の認識が強いから、女もそうだろうと思い込んでいるんでしょうね。
・ただし、かつてヒトのオスがメスを選ぶときの視覚の基準としては、顔の美醜よりもくびれがある体型だということのほうが重要だったというのが研究者たちのコンセンサス(合意)としてはあるようです。
→おっぱいよりくびれなんだ?お尻の大きいメスが魅力的とされていたけど、二足歩行になって前からお尻が見えなくなったからおっぱいの大きさが重要になったって話を聞いたことがあるけど。 お尻が大きいって、つまりくびれがあるということにもつながるんですよ。
=まとめると、これまではたんなるスケベ心だと思われていた男性の「性選択」が、実は自分の遺伝子を賢く産んでくれる女性を探すための指標だったのかもしれない、という話なんだけど。
→視覚的なインパクトにそこまで左右されるなら、���の種においても「見た目の麗しさ」という価値が大幅に下落することはないのかなあ。時代の価値観が変わって、それに匹敵する他の何かが登場する可能性はあるだろうけど。
・「金」「地位」「人生経験」がないとマイナスとみなされがちな男という性別。まったす同じ資質が「うぶ」としてプラスに捉えられがちな女という性別。加齢がネガテイブ要素にならない男システムは、正直うらやましいね。 年齢やキャリアの積み重ねがプラスに転じやすい。女の場合は逆なんだよね。
・私たちはしばしば「女性は理数系が苦手」という言説を耳にすることがあるだろう。このような「『AはBが苦手』といったステレオタイプがあるとき、実際にAのパフォーマンスが下がってしまう」という現象を「ステレオタイプ脅威がある」という。心理学の用語である。
2章 敵と味方とルールを再検証する
・そうそう。それなのに、外からはすぐに「女は」というかたまりで見られがちだよね。まあ、「外集団バイアス」なんだけどね。自分と違う人たちは全部同じに見えるというバイアス。
女もときにそうなっちゃうんだよね。男をひとかだまりに見てしまうとか。あと、女自身が、「女は一枚岩である」「女という塊だ」と自認してしまうと、そうじゃなかったときに大きく傷つくからやめといたほうがいいよ。
・まずは、意見が異なる、利益が対立する。たったそれだけの理由で、誰かを簡単に敵認定しないほうがいいですよね。SNSではそういう振る舞いをする人をたくさん見ますが、そういうスタンスはいまいち格好よくはないし、無駄も多い気がします。単純に、違うよね、だけでいいよね。
・おじさんたちのアイドルになったほうが、物事を円滑に進められる可能性は高い、ということなんでしょうね。そこをわかって自覚的にそうしている女性の政治家も存在すると思う。裏を返すと、どんなタイプの女性が多く働いているかを見れば、その国や社会が女性をモノとして見ているかどうかが判別できるということになるね。
・「女の敵は女」じゃなくて、「自分の敵は自分」よね。私の中にも、名誉男性(男性的価値感を身につけた女性)と呼ばれる女性たちをどこか冷めた目で見ちゃうというのはありますよ。でも実は自分の中にもかつて「男性になりたい」という気持ちがあった。だからこそ、彼女たちの心理がとてもよくわかる気がするんだな。
・ひっどい話だなぁ。名誉男性って基本的に男社会の広報なんですよね。「悪意のある男性ばかりじゃありませんよ」「私は女ですが、この男性主導のコミュニティに平和的に属していますよ」と伝えるための。社長の判が押された文章しか読めない。そこから自分で意思決定ができるポシションまで登っていけるか、難しいところだと思う。そのスタイルのままだと、最終的に行き止まるよね。やつぱり得にはならない。
・なぜ多くの女性が自分に自信を持てないのかを考えると、「自信満々じゃないほうが女らしくてかわいい」と刷り込まれてきたのもひとつの理由だと思う。自信がなくておどおどしている女のほうが、「かわいげがある」「謙虚で控えめ」と褒められて、得点がつけられてきた。そういう意味では本人のせいだけではない。じゃあ誰のせ���かっていうと、「社会」とか「世間」とか、個別の顔が見えない存在なんだけど。
・女性って会社組織だとそこまで期待されてないじゃないですか?少なくとも男性ほどには期待されていない。それって裏を返すと、「キャリアを積み続け、自らの意思とは裏腹にトップを取らなきゃいけない」とか、「一貫して統率力を持ち続けなければならない」っていう、男性が背負っている過剰な期待からはまだ自由でいられるということ。
・生物学的に有意な性差、つまり男女差はある。でも、その「差」を理由にして機会を不平等にするのは、なし。そして性差と同じように個体差もある。これは同時に両立する話。「私たちはそれぞれ性差と個体差の掛け合わせで個性が決まる」、私はそういう理解。
・一方で個体差があるという事実に乗っかって「じゃあ有利な人がどんどん勝てばいい」という新自由主義の流れが、日本では多分ここ15年くらいで起きているよね。負け組は自己責任、生まれ持った資質が劣っているなら諦めろ、格差社会万歳、って。まさに新自由主義の陥穽よね。「持てる者はますます富み、持たざる者は搾取される」というのが新自由主義の基本構造だから。
・「女性同士でも意見は違って当たり前。個たれ!」と言った。自分を「女性」という枠だけでくくらないで、常に個人であってほしいって。今でもそう思っているけど、今なら「個であることと、すべてを自己責任で賄うことは別」と注意書きを入れてもらうかな。個であることが命取りになってきた側面もあるから。
・じゃあ誰が戦える武器を持っているかっていうと、男女問わずそもそも恵まれた環境で育っている人が多い。多いというより、そういう人のほうが有利。もちろん本人の努力もあるけど、恵まれているからこそ獲得できた武器というのがあるから。武器があれば勝てるのはいいことのようにも思えるけど、武器を手に入れるにはバックグラウンドが必須となると、そうじゃない人にとってはたまったもんじゃないよね。機会の不平等がえらいことになる。そういう問題を内包しながらも、男女を分けるガラスの天井が薄くなったからこその成果でもあって、女性の社会進出という点では喜ばしいこと。
・日本では一部の保守的な人たちが、「男は働き、女は家を守るのが本来の姿。女性は家庭に戻るべき」と言うじゃないですか。つまり、無賃のケア労働で家庭を支えろと。終身雇用制があって年金をたんまりもらえた時代はそれが成り立ったけど今やその役割分担は無茶だって。女が家に戻っても終身雇用や潤沢な年金は戻ってこないでしょ。そのツケを女が支払う謂われはないよ。他人のツケばっかり支払わされる。
・今後はおそらく我々のような選択をする人のほうが数が増えていくだろう、とは思うのだけど、ここでバイオロジー(生物学)としての問題が出てくる。というのも、私たちのような選択をする人は、あまり子どもを作らないんです。そうすると、意思決定の傾向に遺伝的要因があると仮定するなら、遺伝子的には誰かの庇護下にいることを望むタイプのほうが数が多くなる。最終的にどちらの数がどう増減していくか
3章 恋愛と結婚、私たちの戦略
・社会人になってからは比較的スムーズに恋人がで���るようになりました。ただ、恋人ができるってことと、その関係性を続けていくってことは、また別の話じゃないですか。私も劣等感の裏返しで、メサイア・コンプレックス(救世主妄想)みたいなのがあるんですよ。彼の理解者は私だけ、と二人の関係をテコに自分の価値を上げようとする。
・そういう意味で一番心地よくフル回転でつき合えるのは女友達。
フル回転できる価値観の同じ相手とばかり一緒にいると、どうしても偏ってしまう。クローン人間じゃないけど、育ちとか考え方とかが自分と似た人ばかりのコミュニティって、そこに多様性はないんですよ。
・一人でキレててみっともない。でもその後、反省します。もっとキレずにこうべきだったな、っていう風にいつも後で思う。片方しか怒ってない状態だと、ケンカって成り立たないんですよね。私が「もう頭悪いんじゃないの?」とかって言っても、「いや、僕が今悪いのは腰なんだけど」みたいに返されて。
・防御ですね。あとは、実家と一線を引きたかった。別に所帯を持てば、実家から独立して別の家です、ってなれるでしょう?実家の家族と仲が悪いわけじゃないんだけど、やっぱりちょっと距離を詰めようとしてくるところがあるので、「いやいや、そこは線を引かせて」と感じていたし。母が私に干渉してくることは今でもちょいちょいありますけど、「言えた義理かよ」って悪いけど思っちゃうところがあるんですよね。それを言うと相手が傷つくこともわかっているので、そこは言わないし、言わせないのも礼儀と思っているのね。
・私も父親と超険悪だった時期があるから、親を愛せないことに悩んでいる人の気持ちは理解できるけど、今にして思うとそれも「親子らしさ」に縛られてたからだと思うんだよね。たんなる人間同士の相性だから、ある程度はしょうがなくない? 同じ親から生まれて同じ家で育ったって、一人一人性格も好き嫌いも違う人間に育つんだから。
・せっかくのおいしい食事の席であっても、人間としてではなく、女として求められてるのか」ということがわかると、もう砂を噛むような味になっちゃうし、シンプルにつらい。別にこちらは相手を男としては見てないし。自分の女性性を否定したいわけではなくて、その奥にある人格もちゃんと見てよ、この男性はもっと頭のいい人だと思っていたのになっていう気持ちになってがっかりしますね。
スー 品のない言い方をすれば、会話を楽しもうと思ってた相手から、「やれる、やれない」の軸でジャッジされるってこと?
中野 そこまであからさまではないけど。でも、「女のくせに生意気だ」みたいな発言をする男性は、私を一個人ではなく、女として見ているってことなんですよね。そういう残念なケースは多々あって。同じことを発言をしても、私が言うと「生意気だ」と鼻で笑われて、別の男性が言うと納得されるということはしばしばあるんですよ。
・E・ヘイルマンとアーロン・S・ウォレン、コロンビア大学教育学大学院のダニエラ・フックスとメリンダ・M・タムキンスが実施した「男性の分野とされる仕事で成功した女性が支払うぺナルティ」という研究で、伝統的に男の分野だと思われている業界での成功談を男性の話として話した場合と、女性の話として話した場合では、聞き手の印象で全然違う結果が出たと聞いたことあるな。女性だとステレオタイプから外れるから、非協力的だとか敵対的だとか悪印象を持たれて嫌われがちになる、っていうね。聞いてる方が男でも女でもそう思うって。これまたその人のせいじゃなくて、社会のバグだと。
・いや⋯⋯もうそんなに言うなら選んでもらわなくていいですよ。
選んでもらっても、タダ働き同然で男性のライフのメンテナンスに一生を捧げることをどうせ求められるのでしょう?
男性のほうが強くなくてはならない、などという思考から自由で、女性に意思と能力があることを肌感覚で知っており、気負わずつき合ってくれる、楽しい人がいいなと思う。
男性だって、自分のほうが強く、賢く、格好よくなくちゃいけないとか、そんな刷り込みのせいで毎日ストレスかかって大変だろうなとも思う。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とシモーヌ・ド・ボーヴォワールが喝破してから70年(『第この性』が刊行されたのが1949年)。性はあらかじめ決まっているわけではなく、私たちは社会からそう誘導されて、女であることを選ばされる。受動的選択をさせられている、という意味だ。
4章 なぜ女は自信を持ちづらいのか
・それまではやっぱり自罰的な気持ちがあったんです。自分らしさを突き詰めるほどに、世間一般でいう女らしさから乖離していくから。誰かのために生きられない自分にすごく罪悪感を持っていた。
・これは特に論文になっているような根拠のある話ではないのですが、プライベートでお会いしたある精神科医の方が「生きづらさやメンタルの病気を抱えている患者さんは、40歳くらいまで生き延びさせてあげると、あとは結構寛解するんです」というお話をされていた。ざっくりとしたメルクマール(指標)として40歳という年齢がある、というのは面白いよね。
・何か目標を達成したり仕事に成功したりしても、「私の実力ではなく、運がよかっただけ」と思い込んでしまうことを「インポスター症候群」というのですが、インポスター症候群は女性がすごく多いんです。男性よりも、女性のほうがこの心理を持ちやすい。本当は実力があるのに、「私なんて実力がないのにいいのかな」と罪悪感に苛れてしまうのは圧倒的に女性のほうだ、という。アメリカの研究によると、男性よりも女性やマイノリティ属性を持つ人のほうがインポスター(Impostor:詐欺師、偽物)感情が出やすいというデータがあります。
・それが一番救いがあるよね。自信がないと人って攻撃的になるでしょう。私がそうだった。自信がなかったから、誰かと張り合つたり、マウントを取るような真似をしたり、なめられないように強気に出たりとか、そういうことばかりしていた時期があった。自信がないことで逃したチャンスもあったし、優しくしなきゃいけないところでなぜか強気に出たりとか、不適切なことをたくさんしてきました。
・自信がないからこそのよさもあるよ。人間はライフサイクルのうちで10代ー20代にかけてが、最も自信がなくなるフェーズで、なぜその時期に自信がないほうがいいかというと、自信がない方が圧倒的に学習効率がいいから。
・ちなみに、自分の不安��埋めるために恋愛や結婚に走るのは無駄だと思う。結婚したって、相手や相手の優れた資質が自分のものになるわけではないし、結婚した夫婦の3分の1が離婚する時代だし。
・何が言いたいかというと、要するに日本は間違った努力の仕方をしてるんだなと思ったの。「自分自身であれ」ということが一番大事なことなのに、「あなたのためにこんなに私は自分を殺して合わせることができます」が重視されてしまう。フランス人は早い段階からそれを手放せていると感じました。
5章 いつか結婚も出産もレジャーになる
・高学歴、高収入、高身長、容姿がいい男性っていうのはちょっと私は警戒しちゃうなあって言うのね。頭もよくて挫折した経験も少ないからということなのか、どうもDVやモラル・ハラスメントで駆け込んでくる女性のクライアントさんのご主人というのは、そういう人が多い感じがすると。高級車に乗っている人のほうが、大衆車に乗っている人よりも交通規則に従わないというデータがあって、それを連想してしまったりはした。もし、本当にそうだとしたら、勝手な想像だけれど、彼らの多くは、女性を対等な存在として見ることができないまま大人になってしまったのかもしれない。妻は自分のマスコット、もしくは代理の養育者、または言い方は悪いけれど、スレイブ(奴隷)でしかない。女性がそういった存在でいるうちは、大事にしてくれる。でも、いったんそこから外れたら途端に手のひら返しされてしまう。
・ない。女性側は見た目が好みといった要因以外にも、「この男の子どもを産んでもいいのか、子育てにどれだけコミットしてくれるのか」ということについて、ある程度長期間にわたる予測をしなければならない。そのために異性を選ぶときに前頭葉を使うのだろうと考えられているのだけど、男性の場合はそんなことジャッジする必要はない。とりあえず健康に、生き延びる力の高い子を産んでくれさえすればいいので、外見でぱっと相手を判断する、ということのようです。
6章 ジャストフィットな生き方は自分で決める
・私は人の期待に敏感だから、すぐに過剰適応してしまうところがあるのね。だから、過剰適応を自覚したらすぐ別の場所に移動するようにしてきたわ。「人の期待を的確に察する」って特性をフルで活かすためにはそれが都合いいんだよね。
・人類の進化はほとんど終わっていると言われている。とすると、人類はこれで完成形なのだ。ある確率で最適解を選ばないことが、私たちの繁栄のカギであったのなら、今もその性質が私たちの中に残っている理由が明確になる。いわば私たちは、よく迷い、よく間違えるように仕組まれている。
セレンディピティ、とそれを呼ぶ人もいる。これは一見、想定外のように見える何かの中から、新しい何かが拓けていくことを言う。重要な科学上の発見の多くは、想定外の結果や失敗した実験の中から生まれている。
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中野さんが気になって購入
うーん
なるほどと思うところも多々あったのですが、私には合わなかった
無理矢理一言で言うなら、もっと自由に!って事なんでしょうが…
最終章は、スルッと入ってきて気持ちよかった
選んじゃった答えを正解にする力
間違えてもふてくさらない
ここを読めたので良かった
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中野信子さんとコラムニストのジェーン・スーさんの共著。
私は男性ですが、女性は「女らしさ」を強制されて大変だなと思いました。時代の移り変わりとともに昔の価値観もだいぶ揺らいできてますが、これからもっと男性も女性も「らしさ」から解放されて自由に生きれる社会がくればなと思いました。
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勇気の出る本でした!自分も無意識のうちに自分の可能性を狭めていたり、自分を抑圧してるところがあったなぁと感じました
本当にやりたいこととか、無謀な夢も積極的に口に出していきたいと思いました!
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この手の話を理屈っぽく話すのは面白いけど、本当に理屈になっちゃうとあまり面白くない。だからジェーンスーや酒井順子までは面白いけど、中野さんみたいなのはそこまで。
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女性として生きて年齢を重ねると、悩むこと、苦しいこと、迷うことがたくさんあります。どうしたら良いか分からないままに、多くの決断をすることが必要です。こんな想いは、私だけ?などというモヤモヤを払拭し、「そうそう、そうなんだよね!」と共感できる本。女性の権利だとかそういうことではなく、ジェーン・スーさんは女性のリアルに寄り添ってくれる存在だと感じます。
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20代前半で読めてよかったし、度々読み返したい。
他の人は大体こうだよね、という暗黙のルールみたいなものを感知して、それを自分のあるべき像と重ねていることが息苦しさの原因と気づいた。
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悩みをなんとなく解決できる糸口にはできるんだけど読んでるとだんだんしんどくなるのはなんでなのかしら?
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ジェーンスーさんと中野信子さんの対談。スーさんのラジオやPodcastでの喋りに慣れていると、それが字になった瞬間、彼女の当意即妙、瞬発力みたいなものが半減してしまい、文字に書き起こされるころに向いていないのが若干残念。特に前半、2人が女に生まれてもやった瞬間を語る場面は、女性なら多かれ少なかれ10代20代の頃を思い出すと思うが、少し食傷気味に。
たしかに、体が大きいことがコンプレックスになって女らしさに反発していたスーさんと、頭がよく、そんな彼女を受け入れきれなかった母親との関係をこじらせていた中野さんの若い頃、ずいぶん生きにくかったんだろうなあと思う。だからといってチヤホヤされる美人が徳かというと、常にモノとして見られる辛さがあるという指摘。その後に待ち受けるのは男性に依存する人生であり、どこかで破綻する。どういう容姿であれ、多かれ少なかれ若い頃は男性からの判断基準で右往左往させられていたというのはなんとも悔しい話。
ただ後半、「中年」となった2人が、若い女性という域を脱したことで「初めて人間になれた」という部分は同感。おばさんは図々しいとかフィルターが無くなるとか言われるけれど、結局男性の目を気にするとか女だからという足枷が取れた本来の姿が出せるからなのかもしれない。自由になった2人が満足のいく選択をして今を楽しんでいる感じが伝わってきて、読後感は爽やかだった。
「女だからこんな結果になってしまったんだ」とネガティブに捉えることから脱出し、「自分の出した答え/選択を正解にしてしまう」=女に生まれよかったと思える人生を送ろうという、非常に前向きなメッセージで締め括られている。
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女らしさ=自信がないこと
自信があること=女らしくない
罠だなぁ。
なぜ自分にOKが出せないのか考えてみよう
適切な自信を持つことは生きていく上で強みに。
私が男だったらもやもやしないな。ってことはバグだから気にしなくてよし
これから必要なのは選んじゃった答えを正解にする力。
間違っても不貞腐れないこと!
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最初、女であるハンデの乗り越え方指南と期待したけれど具体案があるわけでなく、がっかりー。
と、思い読み進めるとモヤっていることへの見方を指南してくれてありがたいと反転。
丁寧にモヤモヤと向き合い、自分は何に囚われているかを突き止め、そこでどう乗り越えるか。そうこうことみたいですね。
"常識"ってこれからもどんどん変わっていくんでしょう。