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アニメーションの巨匠たちを分析し、そこから社会構造を垣間見る試みはこれまで見たことがなく、興味を強く惹かれる。
この上巻では宮崎駿と富野由悠季について取り上げられている。
母性、父性といった観点で作品と対峙し、作家性と時代性を見つめながら本質を紐解いていく過程は面白い。
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大好きな宇野本。
ほとんどのアニメを見ていないこともあるが、相変わらず思考が追いつかない。なので、(賛否はあると思うが)何度も同じことが繰り返し語られている部分は、刷り込みとして僕にはちょうど良かった。
設定した目的に対して、一側面からの題材批評をつなぎ、
複数の題材を一つの主張につなげるところはさすが宇野さん。
物事の網羅性に執着しちゃう僕には、足りない思考。
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総論はなかなか読ませるし、富野由悠季論は頷けるところも多いのだが、宮崎駿論がしっくりこない。宇野常寛は宮崎駿が嫌いなのかなと思ってしまう。別の著書の村上春樹論はもっと辛辣だったような気がするのだが、好き嫌いは特に感じなかったんだけどな。あんまりジブリ見てないから分からないだけかなとも思うけど、ガンダムも別に見てないんだよな。何でだろ?
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宮崎駿、富野由悠季、押井守の3人を中心的に取り上げながら戦後から現代までの日本の思想を射程とした評論。
アメリカの庇護の元経済大国となり、そしてそこから滑り落ちた日本の課題をアニメーションを通して示している。
本書では戦後以降に限定しているが、アメリカ当たるものを変えれば、同じ状況(母性の肥大化と矮小な父性)はずっと古い時代まで遡ることができるのではないか。中華文明の辺境として生きてきた日本列島人が根底に持っているものではないかとすら思う。
巨大なムラと化したSNSを含めて私たちの「成熟」の難しさを感じる。