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子どもが借りてきた本を又借りして読んだ。書籍でムーミンを読むのは初めて。
著者のトーベ・ヤンソンがフィンランドの作家というのは知っていた。2018年1月の大学入試センター試験の地理Bで、アニメのムーミンとビッケの絵が掲載されて、フィンランドとノルウェーのどちらに所縁があるのかを選択させる問題が話題になったのは記憶に新しい。
原題の“Farlig midsommar”を翻訳ソフトにかけると「危険な真夏」と出てきた。内容を考えると原題のほうが的を得ているように感じるが、日本語の題もいい線はいっている。
それにしても場面の転換の多さには驚いた。ヤンソンはおそらく、キャラクターを中心としたイラストをネームや絵コンテのように頭の中か、あるいはスケッチブックに描き、それから文章を組み立てていくタイプなのかな、と思った。つまり構成が映像作家的に思えたのである。
次に内容を具体的に見ていく。
「いま、みんなは、なにも知っていません。でも、みんな、希望はもっていました。あの子たちは、いままでだって、もっとふしぎな事件にぶつかっても、そのたんびに、事件はいつもうまいぐあいに、運んだではありませんか。」
私もこのような“運命”の受け止め方を日常では忘れがちだったかな?と思い直し、自分が思うようにいかず「なぜ自分だけこんな目に」とネガティブな感情におちいったときに、ムーミン谷のみんなが突発的に起こった災難に対してもクヨクヨせずに取りあえず前を向こうとしていたことを思い出せば、少しは落ち着きを取り戻すきっかけになるのかな、と思っている。
ただし、読み物としてみれば、日本の今の生活感からはかけ離れた状況が多いうえに、登場人物が複雑に各場面を行き交うので、読書好きの小学生でも難しく感じると思う。
終盤になれば大団円に向けてパアーっと加速し、最後には面白かったと思えるタイプの本ではあるけれど、前半はいわゆるきつい“上り坂”が続くので、途中で挫折する可能性も無きにしもあらず。そこをうまく乗り切り完読してほしい。
それがあっても、ヤンソンが描いたイラストはキャラクターの表情が豊かで、白と黒のコントラストが実に美しい。そのイラストがこんなに多く掲載されていれば、もう満足でしょう。
(特に私は、ムーミントロールたちの突き出たような顔の曲線が何とも言えず好き。ヤンソンの想像力&創造力の源泉はこの曲線にある!)
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新しく登場するキャラクターたちが魅力的です!
ミーサのうじうじと自分で不幸な気持ちになっていく様はイライラするけど、誰でもそういう面があるかも?と思って身近に感じられる。エンマのなんだか嫌味だけど演劇への情熱を感じられる話し方も素敵。
子どもを育てる親の心を優しく面白く描いている場面が多いです。いつでもムーミントロールに愛情を注ぐムーミンママ、チビのミーを叱りとばすミムラのおねえさん、小さな子どもたちに接するスナフキン、それぞれの言葉に親心が垣間見えます。
ムーミン谷の大洪水から始まる楽しくハラハラする冒険+演劇物語です。
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洪水によって家が沈んでしまったムーミン一家が劇場に移り住む話。
おもしろくて一気に読んでしまった!
ムーミンパパが脚本を書いてみんなが芝居をするって、なんてはちゃめちゃだろう。
絶対観に行きたい。
スナフキン
「たいせつなのは、自分のしたいことを、自分で知ってるってことだよ」
いいこと言うなー。
ミーサもフィリフヨンカも本当に自分がやりたいことを知ることができてしあわせだね。
私も自分のやりたい、好きなことを見つけたい。
フィンランドに夏まつりというのがあるのを初めて知った。すごく楽しそうだから見てみたい!
大学生の頃フィンランドに行ったとき、タンペレの図書館の地下にムーミン博物館があって、このエンマ劇場と船に乗ってお客さんが芝居を観ている場面が展示されていたのを思い出しました。もうムーミン博物館は移転しちゃったらしいんだけど、この展示はもうないのかしら?またフィンランドに行きたいな。
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ミムラのむすめがしっかりもののミムラねえさんに?と思ったけど、別人?洪水で流されてきた劇場に仮住まい?したムーミン一家とその他の人のお話。小さいヘムルが何でノートに文字を書いてるのかと思ったけど、あんなオチになっているとは…。
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劇場の説明を聞いたママが「わるいことをした人の更生施設ですね」て言ったのが面白かった笑
スナフキンが意外と面倒見が良くてびっくり
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【オンライン読書会開催!】
読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です
■2022年2月9日(水)20:30 〜 22:15
https://nekomachi-club.com/events/60a27457107a
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ちびのミイとミムラねえさんの関係性がとくに大好きだった4巻。
夏至をお祝いするフィンランドの短い夏への入り口を、火山の噴火による洪水という驚くべきエピソードで描いてしまう、トーべのユーモアの感覚に驚かされます。
ムーミンハウスが浸かってしまい、たまたま流れてきた家に移り住んでみたところ…そこはなんと劇場だっただなんて!
ムーミンパパの文才がここでいかされる?ことになります。
最初はムーミンママが、ムーミンのためにちいさな木の皮の船をこしらえているところからはじまります。「これで嵐になってもだいじょうぶだわ」
なんて、お日様のひかりを浴びながら、ミムラねえさんとちびのミイと、いたところに、火山灰がぱらっと降ってきて…
ちびのミイったらほんとに困った子!
ミイが流されてしまって、でもちゃあんとスナフキンに助けられるところが安心して読めます。
そしてこの2人がいいコンビ。さすが異母兄弟ww
スナフキンが公園から救ってしまった24人の子どもたちの扱いに困っていると、ミイがアドバイスしてくれます。
「あたいのねえさんみたいにするのがいいわ。だまらないと、たたきころしちゃうぞ!っていうのよ。そのあとであやまって、キャンディーをやるの」
「そうすりゃききめがあるのかい?」
「ないわ」
ないわなww思わず突っ込みましたもんね、読みながら。
そういいながらも、ミイとミムラねえさんはとっても思いあっているのがらすとでもわかります。いいなぁ。すきだなぁ。
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結局のところ、かなしいことばかり考えてしまって、がっかりしてめそめそしてどうしたんだいの権化、ミーサ、もしくはフィリフヨンカが主人公であって、ムーミン一家はほとんど端役でしかない。ミーサの悲観とフィリフヨンカの孤独は似た趣があって、彼女らのかなしみもしくは寂しさが、演劇(=劇場という場所)に、文字通り見立てとしての人生や親類を設定することで視界が晴れる。演劇というものもしくは舞台という場所が、目に見えないもののために見立てられて存在しながらも実態として肉体を伴うというのは、たちかえれば儀式的・祝祭なニュアンスを構造に内包する(この本のタイトルは「ムーミン谷の夏まつり」である)。
シャーマンの例をとるにおよばず、俳優の身体には自身とは別の人格が降霊され、自身とは別の人生を歩む。しかしそれらは、別の世界線や多層的なレイヤーを重ねることではなくて、あくまで俳優自身の人生の中の一部である。だから何かを上演することは、俳優の人生に影響を及ぼす。それで俳優が救われるというのは、演劇の効用として、正しい。
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2024.08.06
森のペンションで
この翻訳かつムーミンシリーズ独特の言い回しが癖になるんだよなぁ
芝居をすること
自分じゃない誰かになることで得られるもの
何かを作ること
スナフキンのスナフキンのままパパっぽくなるところがたまらなく好きでした
生きるために大事なこと
自分が何をしたいかわかっていること
何があってもなんとか乗り越えようとすること