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大正2(1913)年、東京・神田生まれのドイツ文学者によるエッセイ。この世代によくみられるモダニスト、やわらかい心の持ち主かと思い手にとってみれば、やや期待外れ。
文中しばしば登場する「昔の日本はよかった」「近頃の若いもんは」「女というものは」式な発言は、なんだかおじいさんのお小言に付き合わされているようで、現代のぼくらからするとあまり居心地のよいものではない。とはいえ、エッセイを読むということは、心にピタリとくる一文をみつけるいわば「宝探し」のようなものと思えば、著者のいかにも江戸っ子らしい歯に衣着せぬ物言いと人間への洞察力に富んだ見方には、読んでいて目から鱗が落ちる瞬間も少なくなかった。
たとえば著者は、「はっきり言うと、うまいものは民主主義的ではありえないのである。うまいものは、少数の人間の独占物なのである。いや、そうならざるをえないのではないかと思う」と、〝自称グルメ〟たちがメディアに影響されて一流料理店に押し寄せるような風潮に釘を刺す(「異説・食べもの考」)。この点は、辻静雄の半生を描いた先日読み終えたばかりの伝記小説から受けた印象とも通じる部分があり興味深く読んだ。
また、おなじ文脈から「おしゃれ」を論じるとこうなる。おなじ「平凡な」身なりでも、「さんざん衣裳道楽した揚げ句の果ての平凡」と「ただの何の変哲もない平凡」とではその中身がちがうとした上で、こう言うのだ。「『渋さ』に至るには、その前に華美、派手の段階を通過していなければならない」。
他にも、無用のものへの偏愛を綴った「北海の魚」、エピソードから〝師匠〟内田百閒の〝人物〟をユーモアたっぷりに語った「忘れ得ぬ人々」などもよかった。
文庫版のあとがきは常盤新平、装丁は柳原良平。