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【帰属意識と自分の”居場所”】
”居場所”とは、どこにあるのか探すものではなく、「今自分が居る場所」こそが居場所なのだ。
コミュニティの重要性はもちろんだが、このコミュニティに自らを縛り付け動けなくなるのは本末転倒。
『コミュニティは、結合することが容易であったのと同じく、分解することも容易でなければならない』
帰属意識の自由度と同時に、肩書き、年齢や学年(笑)、職業などタグを付けて歩かないと自分を説明出来ない社会でなく、属性で人を判断する・されることからも自由でいられると生きやすい。
【”大目に見る”】
かつての地縁や血縁で結ばれたムラ的なコミュニティから都市型コミュニティへと文脈が変化していく中で、互いに迷惑をかけたりかけられたりすることが大前提だったムラ社会のシステムが都市では通用しなくなる。
「許す/許さない」「白か黒」「善か悪」の二元論で性急に答えを求められる風潮。こうでなければならない、という圧力に自らがんじがらめになる中で、そのどちらとも言えないハザマや遊びを赦すグラデーションがある社会、”他者を赦す寛容さ”が何より大切な事に思える。
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コミュニティ難民:自分の価値観に則った生き方をしている人。公私融合で働くことで、パラレルになりがちな仕事と私事の境界をなくすことができる。一方、専門性が広く公の肩書がない為所属コミュニティが曖昧という難民性を持つ。
コミュニティ難民の方々の事例も面白く読めた。特に小倉ヒラクさんはすごいね。彼の考え方好き。
幅広く活動されてる方は多いものの、皆さん軸とする専門性は高く、器用貧乏という感じではなかった。みんながこうなったら社会は崩壊すると思うけど(笑)、僕はこういう働き方好きだなーとおもいます。
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著者が自分生き方や考え方を、
「新しい生き方」のモデルように示しているが、
おそらくまだまだ少数派だし、著者の能力や気質あってのものが多いだろう。
著者のようなスキルがない人にとって、
どの部分を参考にすればよいのかがわかりづらい。
所属せず、軸を定めずに生きるには、
努力やセンス、行動力、コミュニケーション力など、
それ以上の何かが求められるはずだが、
その部分への踏み込みはもう少し欲しかったかな。
ただ、本のデザインはユニークだし、
横断的に生きるという発想自体も興味深いとは思う。
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うーん。期待しすぎたのかもしれないが、既読感が強く、途中からパラパラと流し読みしてしまった。
仕事が分業化される中で、専門性が生まれ高まりながら、複雑に絡んで形を成していく。専門化が進めば進むほど、それらの専門性は分断し、やがて中間的な役割が再認識されていく。そうした役割が"価値っぽいもの"を生み出していこうとする。
それらの役割が不可欠なのは重々承知している。だが、本質的な価値はどこにあるのだろうか。本書ではどこの自分であるかというアイデンティティを捨て、中間的な役割で表現していくことを提案する。一方であなたが何をしているかを強く求めていく。言い換えれば、何もしていないあなたには価値がない。
中間的な役割は高度な専門性の上に成り立つ。だからこそ、誰よりも専門性を尊敬し、あなたが誰であるかを見なければならない。著者がそうでないと言っているわけでは決してなく、ただ上澄みをすくうだけの中間的な役割が増えることを危惧してしまうのだ。
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コミュニティ難民、と名前をつけてくれたことは嬉しかった。
でも筆者は、
コミュニティ難民と言いながら、
家庭を築けているではないかと思う。
きちんと帰属意識をもって、
支えてもらっているではないかと思う。
女のコミュニティ難民は、
コミュニティにも属せず、
家庭も築けない。
支えてくれる人もいない。
もっと難民ですけど、と思う。
あなたには帰る場所があるよ。
奥さんと子どもがいるではないか、
自分の命がつながっているではないか、
何がどこが難民なのか?
男性はいいですよね。
自らお腹を痛めなくても、
活動を止めなくても、
誰かが命をつないでくれる。
あなたは孤独になんかならないのだ。
子どもを産んで育ててくれてる奥さんのおかげで、孤独になんかならないのだ。
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おもしろかった。
今の組織がいやだとか、別のことをしたい、とか思っていたけど、特に銀行員の藤原明さんの事例を読んで目からウロコ。
あわせて最近どこかで、公務員だというだけで、まずまちの人は話を聞いてくれる、というのを読んだのだ。
この、せっかくの立ち位置を活かさない手はないんじゃないか?と思う。単純だけど。
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以下引用
音楽の専門性が教育現場や地域づくりの営みに転用されている。↓専門領域で閉じていない
一つのコミュニティの価値観や常識に従うことによってのみ、そのコミュニティ認められるからという社会通念への違和感
↓郷に入れば郷に従え。逆に開き直り、意識的に新たな社会との実践的なかかわりを生み出す
表現できることと、表現するべきものの本質を把握することは別物
デザインやモノを作る人は、ある意味すぐに表現ができてしまうがゆえに、かえってその段階で終わってしまう
技術と本質の把握力
自分の能力の使い方は自分で決めるものではなく、相手が決める
分野-近代科学的
日本はデザインやアイデアなどソフトにお金を払わない
居場所とは、相手との関係の持ち方の今この瞬間だという感覚
自分にはこれが欠けている、減算的プロフィール。
アレンとー引き籠った思考活動が、公共的世界に参加する市民の活動の前提条件
価値観を異人が持ち込むと、そのコミュではしんどいが、共有していた既存の価値観が更新されて新たな可能性を生む
各々の島のルールに同化せず、関係性を構築するーー信頼をもとにした対話をすること
自分で振ってみて、偏っていると思えば、調整する
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つながりたがり、つながりっぱなしの世界で、一つのコミュニティに安住、同調せずにいたほうが、境目が見えるし、いろんな可能性があるよ、という本、だろうか。
話の多くは、複数のコミュニティで活躍できてしまっている感じで、なんだよこれじゃあリア充乙、みたいな感じじゃねえかよ、と思うのだが、きちんと最後まで読もう。後半は、弱さの力、蚊帳の外感を楽しむ、といったキーワードが出現する。
コミュニティ難民のススメ、というタイトル。難民、というネガティブワードをあえて使っているところが著者のメッセージでもある。不安定さや葛藤なども、そこには含まれている。これでいいのだ、という確信や、これがコミュニティ難民だ、という線引きもない。このへんはわかる。
このところよく見聞きするようになった(のは、自分の興味がそっちにあるからかな?)、職能を超えること、一箇所にとどまらないこと、そういうことを繰り返して、さまざまなものを産んでいくコミュニティ難民。難民はクリエイティブなのである。何かを生むための難民。なんか変なの。
僕は一人になり疎外感を楽しみたい。コミュニティを求めなければ難民にもなるまい、と強がりたいが、一人で何が出来るでもないし…「コミュニティ」って、便利なようで扱いづらい、なんか気持ち悪い言葉だ。
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9年前の本。
自分も気質がこんな感じなので賛同するんだけど、本としては何言ってるかいまいちわからなかったりする。
理解されなくていいと思うんだけど。