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本書は2014年に米国で刊行された、クトゥルフ神話小説アンソロジーの邦訳です。創造者であるラヴクラフトの作風からも啓蒙者であるダーレスの作風からも外れた、いずれも個性豊かな新時代のクトゥルフ神話。上巻は『ドラキュラ紀元』で知られるキム・ニューマンの『三時十五分前』など8作を収録。
以下、なるべくネタバレなしの感想。
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『世界が再び終わる日』(ニール・ゲイマン/1994)
"それ"があった次の日の朝は、決まって二日酔いのような不快感に塗れている。吐き出した胃の中のものを掃除して身体を洗い、服を着て外に出ると、そこは冬のインスマスだった――。
(インスマスを舞台に、主人公を儀式の生贄にしようとする謀を書いたハードボイルド・タッチの作品。言及も仄めかしもないが、登場人物の一人はおそらく混沌の化身なのだろう。)
『脅迫者』(レアード・バロン/2004)
19世紀のアメリカ。殺人犯の男を追ってサンフランシスコを訪れた探偵のケーニグ。情報を得て男が隠れているであろう洞窟に足を踏み入れたケーニグだったが――。
(人探しの仕事を請け負った探偵の顛末を書いたハードボイルド・タッチの作品。なお原題は「威嚇する者」のスラングで、追う者と追われる者の双方を指している。)
『赤い山羊、黒い山羊』(ナディア・ブキン/2010)
クリシュは裕福なグナワン家にシッターとして雇われる。子どもたちは「生まれた時から山羊乳母に育てられた」と謎めいたことを口にする。その夜、クリシュは闇夜の中で、山羊の足を持った異形を目撃する――。
(作者の地元であるインドネシアを舞台にした作品で、インドネシアの文化とクトゥルフ神話の文化をうまくミックスさせている。)
『ともに海の深みへ』(ブライアン・ホッジ/2013)
時は2012年。動物学者のケリーは合衆国の国土安全保障省に招聘される。詳細を知らされないまま、ケリーが送られたのは米軍の秘密捕虜収容所だった。そしてそこに囚われていたのは、1928年に摘発されたインスマスの住民、深きものどもだった――!
(最後の一行にぞっとさせられる、アフター・インスマスものの秀作ホラー。ぜひ映像で見てみたい。)
『三時十五分前』(キム・ニューマン/1988)
ぼくは寂れた町の寂れたダイナーで、店番をしながら本を読んでいた。客が来ているのも気づかずに。客は少女だったが、その腹は多胎妊娠しているように膨らんでいた――。
(往年のジャズナンバーをBGMに、深夜のダイナーの気怠い雰囲気を、クトゥルフ神話の要素を絡めつつ叙情的に著した掌編。言葉遊びを駆使した翻訳者泣かせの、原曲を知らないと楽しめない読者を選ぶ作品。)
『斑あるもの』(ウィリアム・ブラウニング・スペンサー/2011)
失踪した探検隊を見つけ出すため、ジャングルへ赴いたサー・ラッジ一行。乗り物は金属の触手で密林を切り開く銀色の球体<女帝>号。はたして探検隊は無事に見つかるのか――。
(さらなる災いを予感させるような暗示的な結末でクトゥルフ神話的恐怖を演出した、スチームパンク風冒険SF。)
『非弾性衝突』(エリザベス・ベア/2007)
タマラとグレッチェンは、賭けビリヤードで糊口をしのぐ流れ者の姉妹。ある時の勝負で、対決したピンキーの家で食事をすることになる。食事を作っている最中にピンキーは言った。「彼は帰らせてはくれない。」と――。
(「神話生物が任務失敗の罰として人――しかも女体化!――にされて地上に堕とされる。」ってそれなんて■■■?)
『残存者たち』(フレッド・チャペル/2010)
近未来。外宇宙からの侵略者により、地球と月は改造され、人類は滅ぼされんとしていた。ピースリー家は母と兄妹が生き残り、サバイバル生活をしながら山間の洞窟に隠れ住んでいた。ある時、自閉症の妹が川辺の砂に地図のようなものを描く。一縷の望みを抱き、三人は示された場所に向かうことに――。
(パルプフィクション風味のSFもの。終盤の「おぞましい眺め」は、不定の狂気を発症させるほどに正気度を喪失させるような「人知の限界を超えた異世界の感覚」を見事に表現している。)