投稿元:
レビューを見る
とりあえず、軽く読み流しました。
現時点で欲しかった知識と少しばかりずれているのだけれど、
今後、研究を進めていく上でも、”食の起源”に関する読み物と
しても、多聞に面白い内容。
図書館で借りましたが、自分で買って1冊持っていてもいいかな、
と(個人的に)思えるものでした。
投稿元:
レビューを見る
歴史上での記述と近代までの農耕の世界分布を、農耕文化複合の概念によって合理的に説明している。
世界の農耕文化の時代を超えた全体像や、文明の初期段階における農業の発展が原始国家の形成に対し果たした役割などを具体的にイメージできるようになった。
少し読み難い日本語で書かれていることと、新大陸原産の作物が殆どおまけ程度にしか触れられていなかったのが残念。発行が1966年なので現在の定説とは違う点もあるかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
宮崎駿がもののけ姫をつくるきっかけになった本のうちの一冊にあげていたので読んだ。関連知識をもっていないので「そうなのかぁ」とおもっただけだったがおもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
文化"culture"の元の意味は耕す"cultivate"から来ているという指摘は言われてみれば目から鱗。なるほど、農業"agriculture"はまさにカルチャーそのものってわけだ。マクニールの『世界史』が紀元前における農耕文化の発展に対してやたらとページを割いていたのも今となってはよくわかる。農耕文化とは技術や儀礼だけでなく、栽培植物の品種それ自体も含まれるというのはその通りだと思う。僕らが日々食べているご飯も何万年もの改良の跡が刻まれているわけで、美味しく食べられるってのは一つの歴史的行為なんだ。
投稿元:
レビューを見る
バナナが優良な栽培に適した果物、と著作された頃は、まだ、バナナはそれなりに高価だったかも?
と、思うので(両親の発言やちびまる子ちゃんを思い出して、なんとなく)
そうすると、バナナは確かに安く売られるようになって、安定的な栽培化に成功したのかな?と思う。
こうゆうの、学生のころに読みたかったな
投稿元:
レビューを見る
(1993.07.27読了)(1992.10.01購入)
内容紹介 amazon
野生時代のものとは全く違った存在となってしまった今日のムギやイネは、私たちの祖先の手で何千年もかかって改良に改良を重ねられてきた。イネをはじめ、ムギ、イモ、バナナ、雑穀、マメ、茶など人間生活と切り離すことのできない栽培植物の起源を追求して、アジアの奥地やヒマラヤ地域、南太平洋の全域を探査した貴重な記録。
投稿元:
レビューを見る
#野生種のバナナから、果実が大きく種子のできにくい突然変異を見つけてこれを掛け合わせ、倍数体の種無し品種を作り出す。この品種改良の歴史は5千年以上、つまり僕らが今食べているバナナには、楔形文字やピラミッドよりも古い歴史があるってこと。「文明ではなく文化を考えたとき、文字に残された歴史以前の時代を、自然環境から演繹的に再構成できるのではないか」(『蓬萊学園の復刻!』オーシャンロード仮説より) 文字や宗教・製鉄技術だけではなく、栽培植物もまた人類の「文化財」であるとして、その歴史から人類のルーツを追跡した好著。
#「コメがコムギよりうまい」とか、そ、それは加工法次第じゃね?って箇所もありつつ、うん、でもそうね、確かにコメは美味しい。それはとっても重要。楔形文字を、ピラミッドを作った人たちのことを僕らは想像しづらいけど、このコメをやれうまし、まぢうましって、今僕らが消費しているコメの方向に「美味しがった」無数&無名の古代人がいたことは、味覚をテコに想像できる。栽培植物という「文化」を通して、顔の見えない人を想像すること。
#原始採集生活を営んでいた人類が、大草原のあちこちでキャンプをしては移動し、そのキャンプ跡に撒かれた灰や排泄物から、他所とは異なる土壌に適応した植物が生え、これが繰り返されることで、人類に有用な栽培種がある日発見された──というくだりは、とりわけ想像してみるのが好きなイメージ。
(2009/09/02)
投稿元:
レビューを見る
文化(カルチャー)はその名前の通り、耕す事というのが、この本を読むと実感します。人類の英知をかけて、いかに人間が栽培しやすく、より多くの収穫が得られるように長い年月をかけて品種改良をしてきたかが良く分かります。
投稿元:
レビューを見る
1966年刊。著者は照葉樹林文化論を提唱した大阪府立大学名誉教授。
2001年段階で47刷を数えるベストセラー。
それは、世界史的な農業の起源・発展史を農作物(栽培法他の農業技術、食品加工等の食法を含む。ただし農地制度・母系制等の社会制度や農耕儀礼他の宗教面は除外)の観点から見た書が極少数だからに違いない。
また、西欧(特に英)で提唱されてきたティグリス・ユーフラテス川流域を淵源とする一元的・同心円的農耕起源論に対し、多元的起源説に立つ本書。
① 東南アジア源の根栽農耕文化(芋)。
② 地中海周辺域農耕文化(麦)。
③ 新大陸農耕文化。
④ サバンナ農耕文化(米その他の雑穀)
とに区分けして解説する。
耕作に手をかける必要性のない場合(①)、技術や生産力増進への工夫が少なく、発展性が停止・遅延したという指摘は重い。
一方、②は四段階に分けて技術・手法の革新が進んだというが、3~4段階の区分がいまいち理解しにくかった。
また、日本に関係の深い稲作の淵源(勿論、陸稲と水田耕作とは別物)についても多く頁を割く。
いわゆるゲノム解読と近縁性とその程度の議論は殆どなされないが、それを割り引いても一読する価値は十分ある。
多年生植物が多い野生植物の中、野性の一年生植物を峻別し利用開始したこと、あるいは交雑により生み出された一年生植物の利用開始が農業開始とほぼ同値という指摘も、念頭から去らせてはいけない指摘だろう。
投稿元:
レビューを見る
アグリカルチャーがカルチャーの一環であるとする著者が、各地を回って調べたもの。
農耕文化単一起源説を否定し、起源地はアフリカ、中近東、メキシコ、東南アジアの四系統であると唱える。
さらに、メソポタミアで発生した農耕文化は、それ以前に東から来たとする説を紹介する。
文章はわかりやすく、面白い。
投稿元:
レビューを見る
気候や地域性に栽培植物や農耕の方法が左右され、それが文化・文明に与えた影響について書かれた本。
この中尾佐助の述べている照葉樹林文化というものが、現在受け入れられている学説かどうかは知らないけれども、刺激的な学説であることはたしかだなぁ。
米の単一作物性や日本の農業の立場(産業社会における農業の立ち位置問題)の問題点はすでに指摘されていることにも驚いた。
投稿元:
レビューを見る
戦史を学ぶときに見落とされがちなのが、農耕の進化だ。よく出来た本ならば兵站についても語られることはあるが、それでもその時代の生産能力、収穫時期、保存技術が語られることは少ない。
まずは人類の農耕は如何にして発展してきたのか、というところから学ぼうと本書を手に取ったが、期待からはややずれていた。
本書は、野生植物が栽培植物として育てられるようになるまでをたどる歴史本であり、その視線の先はほぼ紀元前にある。
進化の概念が明らかになるのは近世まで待たなければならなかったが、配合の技術は紀元前どころか、人類の誕生とともにあった。
バナナ、イモ、クズ、アワ、ヒエ、ムギ、トウモロコシ。それぞれの農耕文化における代表的な主食を、その原種の生息地と遺伝子情報から伝搬経路をたどり、同種の農耕文化を規定する。という繰り返しが基本的な流れ。それ以上の総括や考察があるわけではなく、面白味に欠ける。
そもそも倍数体や多年性植物、条播や禾本科なんて言葉が注釈なく使われるあたり、読み手は限定されているのかもしれない。
本書単体で楽しめる人は少ないだろうが、食と文化の結びつき、地域別の発展速度の違いや宗教との結びつきなんて面白そうなことを考えるには、本書のような探求の積み重ねこそが必要となるだろう。
投稿元:
レビューを見る
救荒植物は、なんでもできるかぎり利用するというわけではなく、それぞれの地域の文化複合の一つとしてそれが定まっているものである。
61頁
投稿元:
レビューを見る
世界の農耕文化を根菜農耕文化、照葉樹林文化、サバンナ農耕文化、地中海農耕文化、新大陸農耕文化に分け、それぞれの農業の形態の特徴や、栽培植物とその伝搬ルートについて説明する。
・根菜栽培植物が石斧があれば金属や土器がなくても成り立つ。BC1000年頃にアフリカ東岸に到着して西へ広がり、バンツー族が発展して勢力を拡大する要因となった。ブタとニワトリを家畜化した。
・照葉樹林文化の中心は、中国西南部のロロ系民族(イ族等)の地帯。
・サバンナ農耕文化は雑穀、果菜類、油料作物が特徴。マメは煮て柔らかくする必要があり、土器の発明以降に食用になったと考えられる。
・地中海気候地帯は野生の一年生植物が多かった。冬作物。古代オリエントの灌漑農業、ギリシアとローマのドライファーミング(乾地農業、二圃式)による第二次革命、ゲルマン系民族の三圃式による第三次革命、輪栽式などの第四次革命と発展した。ウシ、ヒツジ、ヤギ、ウマ、ロバを家畜化した。
・ジャガイモを凍結乾燥加工できたことから、アンデス文化が余剰を蓄積、輸送でき、高度の文化への発達の基礎となった。
図の説明が多かったので関心をもって読み始めたが、農業に関する知識に欠けるため、難儀した部分が少なくなかった。
投稿元:
レビューを見る
「イネ作」など、出版年相当に言葉遣いが古いのは致し方ない。イネの移植栽培についてなど、自分がごく当たり前と思っていること、勝手に思い込んでいることが、他の文化と照らし合わせることで実は違っていたことに気付かされた。一度読み終わっても、また読みたくなる。