紙の本
天才論だが
2023/03/31 09:29
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投稿者:きうれんす - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者によれば、見過ごされている「狂人」中に天才が埋もれていることになると思われる。しかし、天才=「狂人」という図式だけでは天才を見誤ることになるのではないか。
天才に関する一つの視点としては面白く読める。
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大学時代にお世話になった本。
「天才」とは何か。
心理学・精神病理学から、また遺伝の見地からのアプローチが興味深い。
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事情があって再読。1993年に読んだようだ。今読むと精神分析的なアプローチは古い気がするが、それを差し引いても「天才とは何か」というテーマを考える上でおもしろい。マルクスを筆頭に紹介されている近代の「天才」たちが変人だらけなのもよい(宮城の天才の定義では、定義上、天才は社会的不適応者なので必然的にそうなる)。女性に天才はいないということをかなり強く主張しているのも考えさせられるところだ。天才は教育か遺伝の結果か、天才は狂気なのか、というような問いが本論だが(宮城は基本的に天才は狂気という立場)、序論と結語の、民主主義的社会では天才は生まれにくいというミル的な主張や、計算機は優れた作業ができるが天才的能力は発揮できないといった主張は今でも重要だ。最近はあんまり「天才とは何か」という問いが正面切って問われないようだが、時間があれば私も真面目に考えてみよう。
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たまたまkindle unlimitedのラインナップの中で目を引いたので読んでみることにした。著者は心理学者で、本書は1967年発刊の岩波新書であり、やや内容的には古い部分があるのかもしれない。
「天才」の定義って、確かにわからない。日常的には「ずばぬけて頭のいい人」という意味がいでこの単語を使っているように思うが、定義するとなると曖昧だ。
だけども、そういう歴史に名を遺した、いわゆる「天才」と呼ばれてきたような人たちは、どんな風にしてそうなったのか、あるいはもともと生まれながらそうだったのか、努力をすれば「天才」になれるのか、には興味がわく。
「天才」を研究している人が多数いるということを本書で初めて知ったし、心理学が「天才」の研究に密接に関係するということも本書を読んでわかった。
「天才」とは「頭がいい」というイメージだが、例えばIQの数値によって定義されるものではない。いくらIQが高くても無名の中に埋もれた人はごまんといるようだ。そもそもIQの出し方が、「知能年齢/実年齢×100」というようなものなので、端的に言えば早熟者はIQが高いことになるが、早熟=天才とも言えない。
著者は、本書で「特異な能力は一般の水準を抜いているだけで、人類文化に新し価値を生み出していない、ある歴史の時点にいおいて、価値を生み出さないと天才とはいえないだろう。」と言っており、価値創造を伴うことを天才の条件としている。それも人類文化レベルの価値創造を成し遂げたことが条件のようだ。
著者による才能の分類に、「天才」「能才」「異才」「無才」「凡才」とあり、最初の3つはすぐれた才能をもっているが、「天才」は人類文化レベルの新しい価値を生み出す者、「能才」は既存の価値を最大限に活用できたり、発展させたりできるような才能を持った者、「異才」は計算など特定分野で高い水準の仕事ができるが、それが人類文化レベルの価値創造をもたらすかどうかとは別物というイメージだ。
「能才は天才になれない。能才は教育できるが、天才は教育ではつくられない」というカントの言葉が引用されているが、これからすると「天才」はやはり努力から生まれるものではなさそうだ。
では「天才」は何から生まれるのかと疑問がわく。
歴史上で人類文化レベルの価値創造を成し遂げた人物について調査してみると、社会不適合者が多いという。むしろ「能才」のほうが社会適合の達人のようである。
「天才」と呼ばれた人物の偉業は、生きた時代では評価されず、むしろ異端視されたり、変人扱いされたりし、没後など時間がたってから評価されることが多い。
「天才の考えは、多くの無知の人々からあざけられ、大衆から迫害されることが多いが、自分のめざすことにすべてのエネルギーを集中する執念をもち、自信を失わなかった。この意志的性格は多くの思想的天才、科学的天才の特徴である。」と著者はいう。
人類文化に影響を与えるレベルの新しい価値創造を行うのであれば、そういう現象は理解できる。凡人にはわかないということだ。
そのキーワードである「創造」の原動力を3点あげている。①意志的なもの(知能などの能力だけでない=エネルギー、情熱、執念、自信)、②特定の物事や人物に対する感情(怒り、恐れ、愛、憎しみなどにより思想や行動が支配される=体験感情的:コンプレックスが偉業を成し遂げさせるなど)、③愉快な気分(→憂鬱のときには考えが進まない=全体感情的)
「天才」は、知能に情熱や執念を伴って、あるいはコンプレックスなどが引き金となって、爽快な気分の中で大偉業を成し遂げた人物ということができる。
また調査では、いわゆる「天才」と呼ばれた人は、精神的に問題のある(あった)ものが多いようだ。アドラーの「劣等感を持つ人間は神経症になるか、変質者になるか、またはこれに打ち勝って天才になるかである。」という言葉もその一面を示している。
著者は結論的に、次のように述べている。
・「天才は正常よりもむしろ狂気に近い」といったショーペンハウアーや「極端な知力は極端な狂気ときわめて似たものだ」といったパスカルのコトバをあげるまでもなく、「天才と狂人は紙一重」という一般人の常識を是認すべきであろう。
・私は「天才は不適応者だ。社会的適応性を犠牲にして創造作用を行なう人間だ」と考えるのである。
・創造は天才の第一条件であるが、そのために、習慣的なものから離れ、そのときの常識を脱出しなくてはならない。日常生活への適応を犠牲にすることが必要なのは、このためである。
これらの創造行為が、途中で挫折することなく、人生を通じてなされていき、その間評価されるわけでもなく、むしろ無理解のゆえに迫害されるに至るようなことがあっても、信念や情熱、あるいはコンプレックスの克服のためなどにより貫かれていき、あるとき(没後時間がたってからが多い)その成果が、人類文化レベルの新しい価値創造として認められた瞬間に、その人は「天才」と呼ばれるようになるのだろう。