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神との対話、アティテューディナルヒーリングに続く同様の内容。「いまここに在る」とは何ぞやを、とにかく説明した本です。スピリチュアル本でも「いまここに在る」については書かれているが、今一つピンとこなかった人にはお勧めの本です。PCへ。
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難しい言葉で書かれているわけじゃないけど、所々くり返し読んで意味を考える場所があった。
内容が深いので、時間をかけてゆっくり読んだ。
くり返し書いてあるのは、「今に在る事」
この本を読んでみて、自分は結構さとりに近いところにいるのでは?なんて思ったりもした。
よく言われるけど、やっぱり瞬間瞬間を意識して過ごすことが大切なんだと思う。
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過去と未来への思考を絶ち、「今」に意識を向けること。
人生には「今」しかない。過去も未来も想像の中にしか存在しない。
「今」をあるがままに受け入れることで、心の平安に至る。
ごく大雑把に言えばそれが【さとり】だ。
「今」私を取り巻く状況自体は、よく観察すると何の問題もない。
問題があると感じられるのは、過去や未来に思考を巡らせて
難点を引っ張り出しているからに過ぎない。
さとることによって、心の平安、内から湧き上がる喜び、
判断の明晰さ、身体が軽いかつエネルギーに満ちた感覚、などが得られる。
生きることの素晴らしさが日々実感できるのである。
そして、そのように生きていると、不思議と自分を取り巻くあらゆる
状況が好ましいものになっていく。
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『ニュー・アース』に続いて読んだ本だが、主張は共通している。
それは、「今に在れ」ということ。
これまで、やりたいことも見つからず、自分を信頼しきれず
長いことやってきた私に足りないものは、それだと思った。
「今」に全力を注げないから、何に取り組んでも中々楽しみを見出せない。
楽しいから全力を注ぐのではない。順序が逆。
また、自分を常に過去の行動・思考パターンから評価している。
自分が生きているのはあくまで「今」。
自分を過去に照らし合わせて評価する必要はない。
そう評価したくなるのは、どんな評価であれ
それにアイデンティティを見出しており、そしてそのアイデンティティを
手放したくないから。
なぜ「今に在る」ことができていなかったのか。
それは、不平不満を述べる自分と、「本来の自分」を同一化しており、
そのアイデンティティが最も心地よいと錯覚していたからではないか。
また、それを手放すことが怖かったのだろう。
多分それは、他人から受ける評価が変わることに対する恐れでもあるだろう。
長々と述べてきたが、実際は「本来の自分」でいることの
喜びを味わえる瞬間が増えてきている。もっと持続させたい。
筆者が言うように、どんな生物やものにも「大いなる存在」が宿っているから、
「すべては一つである」ということがもっと強く実感できるようになればと思う。
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「頭で理解する」こととは違うということだけは、なんとか判ったが「今を生きる」ことの難しさ。
考えすぎを辞めればいいのか・・。
過去の問題にはケリをつけ、愚にもつかない未来の不安をスッパリと切り捨て、今ここに生きている喜びをかみしめる。
寝る前の睡眠導入本として最適。
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タイトルがミスマッチなのと(原題通りに『「今」の力』とかでいいんじゃないかと思う)監修者の名前が原作者よりも翻訳者よりも大きく書かれていること、監修者によりかなり編集されているらしいこと、が気がかり。
書いてあることは、直感的には分かるような気がするんだけど、具体的に理解するのは難しい。そもそも具体的に理解するのが難しい性質のことなのかもしれない。とっても抽象的で、特殊な言葉の使い方をしているところが多いので、少し時間を置いてから読むのもいいのかもしれない。
さとりをひらく…というか、平和な心で本当に自分らしく生きるためには、いつも「今」に在ることが大切。過去にとらわれたり(過去の体験によってパターン化された思考と感情に支配されたり)、未来にこだわったり(ある目標とする未来のためだけに生きる)するのではなく、今現在、ここにある自分の思考と感情をよーく観察し、思考は自分ではないと知ることが大切、というのが主旨だったように思います。
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段階を追って分かりやすく、エゴを説明している点が良い。インナーボディーの概念について理解を深めることができる。
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一ヶ月かけて原書をなんとか読んだのち、図書館に予約していた
順番がきた。英文の読解が不十分なところをフォローするつもりで
ページをめくっていったが、こころなしか、英文の表現の方が
シンプルな気がした。翻訳の文章は、原書のコトバの抽象的なのを
補おうとしている感じ。なので、具体的でわかりやすい(オマケに
日本語だし)のだけど、エックハルトトール氏の静かな佇まいから
離れた印象になってしまったような…。
いちばん思ったのがタイトル名。原書のカタカナ表記でよかったのでは?
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さすがに読んだだけではさとりは開けませんし、宗教っぽくならないようにってまえがきにあったのに、かなり宗教っぽかったんで、どうかなという感じでした。
あんまりしっかりは理解出来ませんでしたが、理解するものでもないようなので、いいのかなと。
とりあえず、人類みないつかは死ぬって意味では平等ってのが金言だった気がします。
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理不尽なことがたくさん起こる社会人にぜひ読んでもらいたい。
生きていく上での苦しみなんてものは本来存在せず、自分の思考が勝手に生み出しているだけ。
苦しみに惑わされず、如何に心地よく生きていくか。
その一つの答えが詰まってます。
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16年前の本ですが瞑想やマインドフルネス、禅が見直されている今読めばこそストレートに響く内容だと思います。
問答形式で書かれており、その問いが自分の意見を代弁してくれるのでとてもわかりやすいです。
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ジャンル的にはスピリチュアル系の本当ということになる(訳者が飯田氏だし)。
「いまに在る」ということが全てで、キリスト教や仏教と通じる部分も含めて、その重要性が全編で述べられている。
確かにその部分は理解も出来るが、「いまに在ること」それだけで、全てを「手放すこと」が出来て、解脱?悟りを開いた状態?に至れる、というのは心底からは納得できない。
というより、その状態を経験したことがないので、実感できない。
漠然とした不安感や、将来に対する恐れなど、手放したいものは多くあるのだが…。
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いろいろ勉強になりました。あるがままを受け入れる。
・「いま、この瞬間」以外は、存在しないという事実を、心の奥からさとることです。
・「いま、この瞬間」を受け入れると、どんなできごとにも動じない、「心の平安」が得られます。
・人間が死を信じているから、肉体が滅びるのではありません。人間が死を信じているから、肉体が存在する、またはそのように見えるのです。肉体も死も、幻です。
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購読の動機:
「神へ帰る」の第29章において、
「いまにある経験を理解する助けになる」
という文脈で紹介されている。
ユーチューブに音読動画があるのでとてもありがたい。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGYT6bP3f1flN1yckvY_MJ93A8H6FgAAz
所感
全てはあなたの中に備わっていることに気付きさえすれば良い…「神との対話」と同じ言葉に出会った。
●この本の内容を一言で表すと「心のトリセツ」である。
*著者が居る境地は、空の時空(生死を超えた次元)に自分の意志で入り込み、意識を保ったままで居る。言葉にできないほどの心の平安、幸福感と神聖さに満ちている。これをさとりをひらいた境地と言う。
*どうしたらその境地になれる?
*誰でもそれを持っているのだが、心の平安を実感できないのは、思考の雑音が煩すぎるからです。思考の雑音を消せば良い。
*重要語句
・大いなる存在
・在ること
*本書で独特の意味を持つ言葉
・思考
・幸福
・意識
*本書を読むときの注意点
・頭で理解しようとせずに、感情がより動かされ、心の奥が「YES !」と共鳴するところを見つけてください。あなたが知っているはずのことを思い出す手助けをするのです。
*目指す境地:さとり(著者の居る境地)
・「大いなる存在とひとつであること」そして「この状態を保つこと」がさとりである。
・「大いなる存在」は本質的に「あなた自身」であると同時に「あなたよりもはるかに偉大なる存在」なのです。それはあなたと言う人間の名前や外見を超えた「本当の自分」を見つけ出すことでもある。この一体感を感じることです。
*大いなる存在とは?
・死を運命づけられた生命形態を超える、唯一の「不滅の生命」である。
・あらゆる生命の奥深くに、目には見えず、絶対に滅びることにない本質として宿っている。
・人間のもっとも深いところに「ほんとうの自分」として存在しており、わたしたちははそれに「つながる」ことができる。
・頭を使って考えようとしないで、思考が止まっている時、あなたが「今に在る」時、感じることができる。
・「大いなる存在が、自分とともにある」という感覚を保ちつづけることが「さとり」である。
*悟りの邪魔をするもの
・自分の思考を「ほんとうの自分」だと思い込むこと。
・デカルトの名言「我思う、故に我あり」は「考える」ことを「在ること」と等しくしている。思考活動によって自分のアイデンティティを確立するという誤りを犯している。
・自分の思考をコントロールできない人は「人間はみんな離れ離れなのだ」と信じて人生を歩いています。その人に人生にはこの信念が反映されて、問題と摩擦が次から次へとやってきます。
*あなたへの質問
・好きな時に思考を止められますか?スイッチオフのボタンを持っていますか?
・答えが「NO」だとすると、あなたは思考のしもべになっています。自分で気づかないうちに思考を「ほんとうの自分」だと思い込んでいることになります。
*思考から自由になるための第一歩は「思考を��観的に眺めること」
・思考を客観的に眺めることができると、高次の意識が活動し始めます。
・思考をはるかに超えた果てしない「知性の世界」が存在することや思考はそのごく一面に過ぎないことにも気づき始める。「ほんとうにかけがえのないもの」が見え始めます。それは思考とは別の源泉から湧き上がる「美しさ」「愛」「創造性」「喜び」「心の平安」です。その時あなたは「わたしはやっと目を覚ましたのだ!」と思うはずです。
*最初のステップは「思考の声に耳を傾けること」。
・これが思考を客観的眺めることです。
・あれこれ批判をしないで偏りのない心で聞きましょう。
・独り言を聞き、観察している自分、これがほんとうの自分なのです。
・思考している自分とは別に「ほんとうの自分がいる」と言う感覚は思考を超えた源泉から発せられているのです。
・ほんとうの自分に気付くと意識は新たなレベルに達します。勝手気ままに活動していた思考はパワーを失い、「ほんとうの自分」のしもべになります。これが無意識的な思考を終わらせる第一歩です。
・思考がおしゃべりをやめると「無心状態」が生まれます。最初のうちはほんの数秒間しか続かないかもしれませんが、心がけるとだんだん長く続くようになります。無心状態の時には「心の平安」を実感するはずです。これが普段は思考の雑音でかき消されている「大いなる存在との一体感」なのです。
*無心状態を作る方法は他にもある
・意識を100%「今」に集中させて思考活動を遮断する。
・これは瞑想の極意でもあります。
*日常生活で具体的にどう行うか。
・単なる手段として行っている動作に全意識を集中させる。
・これが「完全に今に在ること」です。
・折々の隙間で自分の呼吸を観察して「わたしは存在する」という感覚を楽しみましょう。
・エクササイズをして「心の平安」を感じることができればうまくいっている証拠です。
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非常によくまとまってて有用だと思う。
キリスト教圏の人にも理解しやすいだろうし、
ちょっと前(トランプ当選)まで続いてた瞑想ブームの発端になったは理解できる。
他の本でも、今にいることの意味と、瞑想の方法につは書かれているが、
生きてる間じゅう、なるべくサティをこまめに入れるベキ。
むしろそれが瞑想の目的。ってハッキリ言ってる本は少ないので、そこも良い。
「心が平穏であるか」をサティが入ってる(今にいる)かのチェック方法にするのは、良いアイディアだと思った。
ただし、この本だけでは、魔境に入ってしまうのでは?というのが不安。
他の本だと、そのために「慈悲の瞑想」を併用することをすすめるんだが、この本にはなかった。
サティを続ければ、自動的に慈悲も進むんだろうか?
評価は☆4.5くらい
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いま、に在ること。今行っていることに前意識を集中させる。手段が目的に変わる。階段の一歩一歩に前意識を集中させる。これが、完全にいまに在ること。
心の平安度が高まれば成功している。
思考をほんとうの自分とみなすことをやめる。
思考のすきまをつくると、意識の光が輝きだす。
思考と意識は同意語ではない。思考は不要なもの。
悟りを開きたい、が欲望のひとつにならないよう、努力しない。思考を観察する人、になる。目覚めた人、になる。
思考はほんとうの自分ではない。時間は幻だと悟ること。
時間に焦点を当てることは、過去と未来に焦点を当てることになる。そうすると、貴重ないま、を見失う。
苦しみが存在するには、時間が必要。苦しみは今の中では存在できない。
人生の状況、に苦しんでいる。人生の状況は時間の中に存在する。
呼吸に神経を集中する。今を感じる。
苦しみの根底には、たえまない欲望がある。
文句を言う、考える、ときはネガティブエネルギーを発している。その場を立ち去るか、受け入れる。
待つこと、に人生を費やしていないか。
今に意識を集中させていれば、思考活動はストップする。いまに在る、状態から外れた時、禅の和尚から叩かれる。
寝るときのエクササイズ=全身の生命エネルギーを各部に分けて15秒くらいずつ、はっきり感じ取る。
呼吸に集中する。
出来事はみんなポジティブ。あるがままを受け入れる。
思考が、良い悪い、好き嫌い、をつくりだす。
手放すこと、執着を捨てること、は敗北、あきらめではない。手放すことは内部の心持ち。状況を変えようと努力することとは別。ぬかるみから抜け出す行動には集中する。レッテルを張らない。この瞬間にすでにそうであるもの、は受け入れる。そのうえで努力する。