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ウィトゲンシュタインやベルクソンなどの研究をおこなっている著者が、西田幾多郎の哲学にひそむさまざまな問題に取り組んだ本です。
「はじめに」で、「それぞれの章や節を、基本的に一話完結ものとして読んでいただきたい」と述べられており、ひとつのテーマを追求するようなしかたで西田哲学を読み解いたものではありません。それでも、著者の議論には一貫した関心が脈づいているように思えます。
著者は、西田の最初の書である『善の研究』を論じた箇所で、経験の「前面」と「背面」を区別し、「前面」に浮かんでくるものにともなうかたちで、けっして対象化されることのない「背面」が存在しているのではないかと論じています。両者の関係は、著者は直接言及しているわけではないのですが、ちょうどハイデガーの「存在論的差異」のようなしかたで語られており、さらにそれが西田の術語である「場所」や「永遠の今」といった概念に変奏されていきます。
ベルクソンやフッサール、デカルトなど、西田が直接言及している西洋の哲学者はもとより、鈴木大拙や山口瑞鳳、井筒俊彦や清沢満之といった思想家たちの議論をそのつど引っ張り出してきて、さまざまな側面から西田哲学にせまろうと試みられているのが、本書の特徴といえるでしょうか。そのためもあって、若干議論が拡散してしまっている印象もありますが、全体を通じておもしろく読むことができたように思います。