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3−
なかなか難解
美穂の実家 吉川家の納屋の草を刈りに行く話し
吉川家には子供がおらず、敬子の次女 美穂を養子とする
美穂の兄 哲鉄雄 姉 加代子とそのま娘 知香
娘の奈美
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その人の1日を切り取っただけでも、その背後には様々な人たちの出来事がある。私たちはそんな世界の中で生きているということを思い出させてくれる。繋がりを忘れそうな今こそ、読むべき本かもしれない。
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長崎の海に浮かぶ島へ、里帰りに訪れた人々が
実家の草刈りに精を出す
それだけの話に、いくつかの挿話が挟まれたもの
タイトルの「背高泡立草」とは、非常に繁殖力が強い外来の雑草で
刈り取っても刈り取っても生えてくる
それを、どのようなメタファーと捉えればよいのか
おうちの人と考えてみてください
島の外から来るものたちへの寛容さか
そう見えながら、けして余所者に心を許さない排外性か
あるいは、それらの本質にあるだろう隠れキリシタンの歴史の呪縛か
うーん
まあ少なくとも、この本を読んでわかることは
今更そういった問いに切実さなど、ありはしないということだけである
近年、日本国内における背高泡立草の繁殖力は衰えてきてるようだ
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芥川賞受賞小説であったが、船の転覆の場面だけでいいような気がする。また活字が実に読みづらい。岩波新書よりも小さい字で行間がびっしりつまっている。上下左右の余白をもっと削って、読みやすい活字と文字の大きさを考えた製本にすべきであった。
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第162回芥川賞受賞作。「一体どうして二十年以上も前に打ち棄てられてからというもの、誰も使う者もないまま荒れるに任せていた納屋の周りに生える草を刈らねばならないのか、大村奈美には皆目分からなかった。」(p.3)という冒頭の一文に惹かれ購入を決めた。
セイタカアワダチソウという名前を知ったのは、中学校の頃。毎日の掃除で学校の校門付近の草取りが担当だった際、大きい上に数が多くおまけに比較的簡単に抜けるため、穫れ高を稼ぎやすいので狂ったように抜きまくっていた。それでも、いくら抜いてもなくならず毎年ガンガン生えてくるセイタカアワダチソウには、植物とは思えない意思のようなものを感じた。
本作は、奇数章で現代、偶数章で過去(章によって時代は異なる)と、時代の異なる同じ場所の様子を描く物語。現代と過去を繋ぐのは、そこに住む人間ではなく、住む人を失った建物だ。その建物周辺に繁茂する雑草を刈ることが、現代の登場人物たちが物語の舞台に訪れる目的となっている。そして、建物やその中にある道具が引き金となり、その建物や道具が見ていた過去の物語が語られだす。不思議な雰囲気の小説だ。
既に住む人間を失った建物に存在意義はなく、同時に草を刈る必要もない。
そういえば、私の実家も約20年もの間住む人を失った廃屋が建っており、かつての居住者の親族が定期的に除草剤を撒きに来ていたが、あくまで近隣住民への迷惑を考えた義務的なものだったように思う。
この物語でも、恐らく主人公格の女性が、宿主のいない建物の草刈りをせねばならぬのかと不平をこぼすが、明確な答えは返ってこない。やれみっともないだの、やれゴミを捨てられるだの。何か意味を与えるとするならば、別々に暮らす親族が集まる目的ということになるだろうか。
でも、印象に残ったのは、以下の文章。
(草刈り後の疲れを訴える母に対し草刈りを中止にすればよかったのに、と語る娘。それに対する母のセリフ)
「そうやけどさ、草の生えとったらかわいそうかろうもん?」と美穂は相変わらず痛みを顔に表しながら、しかし歩くのは止めずに言う。
「何がかわいそうなん?」
「納屋がさ」(pp.103-104)
この小説では、モノにより親戚が引き寄せられたり、それこそタイトルが「背高泡立草」だったり、装丁が草と水の色だったりと、何かとモノが中心の物語だという印象が強い。
先述のようにモノが過去の物語の引き金になっているところなどは、まるでモノが記憶を持っており回想しているかのようだ。
たとえば、私は高祖父母の名前を知らない。著名な人物でもなければ、たった150年程度の年月で、誰かが存在したということの記憶なんてものは忘れ去られてゆく。そんな人の世を長年の間見守ってきた、人以外のものがあるんだな、記憶の担い手は何も人だけじゃないんだな……と、ぼんやりと思った。
物語の雰囲気としては非常に好きだったんだけど、方言の分かりづらさ、読点で延々と続く読み辛さなどで文がなかなか頭に入って来なかった。方言の小説が悪いとは思わないけど、読む側に煩わしさを感じさせる程のものは勘弁してほしい。
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独特の味わいの文章と構成で、最初は戸惑いました。
二度読むとわかるところも出てきてスルメ的味わいです。
ストレートなメッセージ性はないかもしれない。
様々な雑草が生茂る納屋の草を借りにいく場面と、その家になんらかの関わりのあるストーリーが交互に繰り広げられる。
草刈りをする本人たちは及びようもないような意外な歴史があって、人間の人生の交わりって、些細なものなんだなと感じさせられる。
草刈りをする一家の会話は、一般の家族をとてもよく観察していると思う。
お婆さんの反応とか女だけで集まったときのお喋りとか。
近頃わかりやすい文ばかり読んでいたので、久しぶりに味わいのある文体に出会えた気がする。
一文がとても長くて理解はしにくいところもあるが、リズムを掴むとスルスル読めた。
エンタメ性はないが、日々の積み重ねで忘れ去られてしまった小さな物語が、私たちの生活の中にも潜んでいるのかもと感じさせる作品。
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「背高泡立草」 古川真人(著)
2020 1/30 第1刷 (株)集英社
2020 1/31 第2刷
2020 2/19 読了
大きな時間の流れの中で
人はいつも、いつまでもそれぞれの人生を送っていく。
自然はただ通り過ぎる人を見ている。
自然と人の関わりが
切なくて健気で一途な時間の流れが
独特の九州弁と共に
母の白い割烹着やら父の山高帽の映像となって
九州男児のぼくには染み渡って来るのです。
第162回 芥川賞受賞作
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芥川賞受賞作ということで図書館で借りて読んだ。ストーリーは20年以上前から使われていない納屋の周りに生える草を刈りに行って帰るまでの話し。途中にその土地、島の過去からの時代の流れが挟んである。
大村奈美は母に使ってもいない納屋の周りの草を何故刈りに行くのかと聞く。
母は「あんまし草茫々やったら、みっともないじゃんね」「良いやないね」と言うが奈美は納得しない。
昔の思いを感じるために草刈りに行くのだろうか?
やっぱり、私は芥川賞受賞作よりストーリーを重視した直木賞や本屋大賞の本のほうが好きである。
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ううむ…何とも読みにくい。方言の多用がその大きな要因ではあるけど、それだけでもなさそう。
また一つの土地にまつわる3つの挿話が、現在の物語に対してどういう意味合いで存在するのか読み取れなかった上に、現在の物語についても何を表現しているのかもわからない…
そこにある日常にも様々な積み重ねがあるって感じなのかな…
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こういうトポスを感じる小説好きです。一人の「私」を超えて、土地に脈々と流れるものに想いを馳せることって、なんだか宇宙的な感じがして解放される。
この小説は、主人公一家の話とその土地に根ざす挿話とが繋がりそうで繋がりきらないので、読み手の期待を成就させてもらえない感じが若干あります。が、それによって逆に、話が特定の人物に執着せずにたゆたっていられるので、この広がり感が維持されているのだという気がしました。
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第162回芥川賞受賞作。
長崎県の島、20年以上も前に打ち棄てられ荒れるに任せていた吉川家の納屋の周りの草刈りをする兄弟とその娘たち。何故そんなことをしなければならないのか皆目わからない娘。
そんな母子のやり取りから始まる物語は、長崎の方言がいい味を出しているが、一文一文が長くわかりにくいうえに、章が改まるごとに時代も登場人物もあらぬ方向に飛んで脳内が混乱を極める。
「草は刈らねばならない。そこに埋もれているのは、納屋だけではないから。」
それでもいつか家族はみな歳を取り、家も朽ち果て、時の流れに埋もれてしまうのだろう。
だけど、元気なうちは草を刈る。束の間、過去と今と未来を見渡しながら。
面白くはなかったけど、いろいろ酷評されているほどひどくもなかったけどね・・・
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草刈りからどんどんイメージが膨らんでいく筆力は認めますが、何か大きな物語の一部ならまだしも、エピソードが私の中では結びつかなかった。地の言葉はだいたいわかるが、過去にいけばいくほど絵空事のようで、こちらで構築せよということか?背高泡立草も以前ほど見ないし。
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親戚が集まるとどこにでもあるような喧しい会話、異年齢の集まりにありがちな話がずれていたり通じなかったり、けれど親し気な遠慮のない会話。
まるでうちの親戚かと思うほど普通。普通の人々の何でもない一日を切り取って読ませてしまう、さすが作家。
草に覆われている人が住まなくなった家があり、どの家にも家にまつわる過去の物語がある。草を刈ることで見えてくる家と過去の物語。そしてまたすぐに繁殖力のある草に覆いつくされて見えなくなるのだろう。そしてまた草を刈る…その繰り返し。
背高泡立草をはじめとするたくさんの草に取り囲まれ、家だけがじっと過去の物語を抱えて佇んでいる様子が、遺構や廃墟を目の前にした時の気持ちにちょっと似ていた。
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島に残っている家の現代と過去の二つの話が交互に語られ,訳のわからない隠喩に呆れ本にする意味がわからないと思いながらも,とりあえず最後まで読んだ.モヤモヤしたスッキリしない読後感.ただ,草と海を象徴するかのような表紙は良かった.
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序盤から無駄に人が出てきて、名前も時代を無視したような設定(母の美穂と姉の加代子は逆にして欲しい)で、また、引き込む強い何かがあるわけでなく、読みすすめたい気持ちが早いタイミングで完全になくなってしまった。
どういう切り口で受け取っても、高評価をつける要素が無い。