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長崎県の離島にある、誰も住まなくなった古い家に、かつてそこで暮らしていた兄妹とその娘たちが訪れ、草刈りをする話。
親子が交わす会話に引かれて浮かび上がるように、ところどころ「家の記憶」が小話として挟まれるのが面白い。
それは満州に新天地を求めて旅立つ家族の話だったり、戦後、朝鮮に帰郷する強制労働者が遭難して流れ着いた話だったり、本島から30万円の現金と共にカヌーで航海してきた中学生の話だったり、興趣に富む。いずれも家の長い歴史の中で、時間の長短はあれど一時を過ごして去っていった者たちだ。
家を手入れする兄妹にも老いの気配が漂っている。最後、帰りの車内でうたたねしていた娘の起き抜けの一言は、一炊の夢になぞらえているのだろうか。人の生は儚いものだ
。でも刈っても刈ってもいつのまにか繁茂する背高泡立草のように、連綿と続く人の歴史に逞しさも感じた。
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2020/03/23
母の実家の納屋に生い茂る草を親族で刈り、また帰っていく。物語の主軸は現代で、それは平凡な家族の年中行事のようで何の変哲もない。
だが、実家の土間であったり、置き去りにされたカヌーであったりに刻まれた歴史やエピソードがオムニバス形式で過去に飛んで挿入されていくのは面白い。
芥川賞をとった作品だけにメインの話にも何か展開があることを期待していたので、評価は平凡になりました。
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さすが芥川賞。最近はストーリー展開が面白いものばかりもてはやされるけど、ストーリーとしては全然完結しないにも関わらず面白く、言うまでもなく文学的に優れている。小説を貫いているのは、ときどき娘から発せられる「なぜ雑草を刈りにいくのか?」というテーマ。もはや誰が住むわけでもなく、住宅密集地でもないため別に誰の迷惑にもならないのに、なぜわざわざ福岡から車を走らせ、フェリーで島に渡り、親族総出で納屋周辺の草を刈るのか?
ストーリーとしては、3人の姉妹弟、その子どもたち(いとこ同士)が集まり、雑草を刈るというただそれだけの話。しかしその家に住んでいた者や、そこを出て満州へ渡ったエピソード、またそこに漂流民がやってきた過去が間に挟まれ、ただなんとなく生きている人間たちの生というものが、知っているかどうかに関わらず数々の歴史、そこに生きてきた人たちの生の蓄積の上にあるのだなぁと感じられ、奥深い。エピソードが差し挟まれるのに、メインの登場人物たちがその事実を知るとか、そういう展開にならないところが逆に面白い。ちょっと覗いた土間のに見えたカヌーの描写は、薄暗い古い家の土間に鮮やかなカヌーが浮かび上がるようだし(実際には色などは詳しく書かれていないのに、鮮やかな黄色が目に浮かんだ)、その後そのカヌーに乗っていた少年の昭和のヤンキー風な言葉遣いもとても面白い。
終盤、帰り道に母親が雑草の名前を次々挙げていくシーンもとても良い。ひとくくりに雑草と言っても、古い家にまつわるたくさんの生があったように、それぞれの生を全うしているのだというような。雑草の中に顔を出す美しい花も、目に浮かぶようだ。
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背高泡立草て、地方に住み始めてよく見るようになりました。特に田舎に行くと、緑や茶色の雑草の中で背高泡立草の濃い黄色が目につく。この黄色の多い場所は、それだけ人の入っていない場所なのかなと感じます。そういう草の名前がタイトルって、どんな本なんだろうと思って手に取りました。
田舎の島を舞台に、その島が過疎化していく、それでもその土地を大切に思う人はいるという現代と、その島がこれまで刻んできた歴史の1コマを振り返る話が交互に入っていく。過去の話は結末のようなものは用意されていないのだけれど、その構成自体が長い島の歴史の1コマを現しているように感じました。それぞれのエピソードで異なる人が登場しますが、登場人物の些細な習慣に伴う思考の流れなども丁寧に描かれていて、その思いに心を馳せやすかったです。
またその過去と現代とをつなぐ物や写真などがあり、ああ、今周りにあるものも、こうやって私の知らない過去からつながっているものがたくさんあるんだよなあと思ったりしました。時の流れや流れていく寂しさを感じられる作品でした。
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芥川賞受賞作。前読んだのは…たぶん「共喰い」以来かしら。そのときはずいぶんスタンダードな話だなぁと思ったけど。いやぼくの知ってる近代文学のモチーフが「親殺し」と「性交」だけだったという恥ずかしい話なんだけど。このお話だとモチーフはなんなのかしら。うーん。一言で表せる語彙がない。。
長崎の方は自分にとっての「田舎」で、そんな縁で読んだ。その田舎に住む叔母が言っていたことを思い出す。叔母は子どもたちが福岡なんかの都会に出ていき、祖母と共に二人で暮らしていて。叔母も都会に出て暮らしたら、なんて聞くと「その方が便利やろうけど、ばあちゃんはここで暮らしたがっとるし、先祖の墓の手入れもせねばならんしねぇ」なんて答えたのだっけ。墓の手入れなんかと当時のぼくは思ったけれど。でも否定はできなかった。
少し話が逸れたけど、方言やどことなくある会話の空気感が懐かしく、挿し込まれる過去の話より現代のお話の方が楽しめた。過去話の読みときが難しいけど…。時代を越え、その家に「居着かなかった」人たちの物語で、家になにがしかの爪痕を現代まで残している。古い家の大黒柱に残された背比べの傷跡のような。
そんな微かな物語、誰かの人生の気配が、消えてゆき、なくなってゆき、忘れられていく時の流れに、ほんの少しだけ抗うような。それは思いやりや、優しさや、謙虚さを伴う行為で。でも同時にほんの少しだけ愚かさと諦念をも孕む行為だ。ぼくはそれを否定できないし、どこか尊く感じることも本当なのだ。
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第162回芥川賞受賞作。新聞に掲載された選評を読んでいたので、あまり期待はしていなかったが、うーん……と納得した。意味のとりにくい方言での会話、冗長に長い文章、日帰りで帰省して草刈りをするという内容、間に挟まれるすぐには意味がわからない過去の情景など、令和の作品とは思えない古さを感じた。小津安二郎の映画を想起すると言ったら褒め過ぎだな。著者の過去作も同じらしく、この作品だけでいいやと思ってしまった。
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文藝春秋2020年3月号に掲載。▼福岡から、母、伯母、伯父、従姉妹と祖母の住む佐世保近くの島に祖母の納屋の草刈りにやってくる。場面が過去に帰るたびに話の筋道に追いつけなくなり少し混乱した。でも過去の話には意味があり、島とそこに住む人との歴史があり、その歴史を経て今生きている家族の「今」があることがわかる。▼あたりまえの日常を描いているが、読み終えると、生きるとはこういうものかもしれないという感慨が湧く。▼描写が絵画的で、映像を観ている雰囲気も味わえた。
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「延々と草を刈り続けること」が、「家や土地が時代を超えて存在すること」の象徴として描かれていると理解しました。
唐突に話が飛んで、しかも繋がりがやや理解しにくく、話が中途半端で、読むのに疲れました。
しかし小川洋子氏の選評にある「はっと心をつかまれる」「なぜか印象深く」「忘れ難い」瞬間というのは確かにありました。そこら辺をもっと読みたいのに…というところで話が終わってしまうのが残念でした。もっと読みたいです。
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納屋のまわりの草刈りをしに行く美穂、奈美、哲雄、智香。物語の視点が、草刈りに行く道中から、納屋の周辺でおこった過去の出来事に移る。そして、現代の草刈りに戻る。難しいというか自分には作品の良さが理解できなかった。
納屋のまわりの草が何かを暗示しているのだろうか。納屋は変わらない吉川家を、毎年草刈りをする行為は時間の繰り返しを、草刈りをする親子・兄妹・従姉妹は時間の繰り返しの中の継続を示しているのだろうか。そして背高泡立草は時間の流れの中の個人に視点を集中させたのだろうか。つらつらと書いたが、結局何かを読み解いた気にはならなかった。
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現代編と過去編が交代で描かれるのと、過去編の登場人物が「彼」や「男」などで表現されるので、どの登場人物の言動なのかしっかり読みこまないと分からない。
人間にも歴史があるように、家にも土地にも歴史があり、草刈りすることで美穂達もその歴史に組み込まれているんだなぁとしみじみ思った。
舞台となる土地が海に近いこともあって、穏やかな海、荒れた海、夜の海などいろんな表情を見せてくれるのも印象的だった。
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草刈り行って草刈りから帰ってくる話。
草刈りする土地に歴史があったという件だが、まったく印象に残らない。最後のカヌーだけが最後だけに覚えていた程度。
芥川賞とか直木賞とかいうものは偉そうな人が分かった風に賞を与えて価値をつけてるだけじゃねーの?って疑いたくなるレベル。
自分には無理だった。
方言の多用も物語を厚くするものではなく単に読みにくいだけのものでしかなく、140ページちょっとの苦行ですんでよかった、というのが感想ですw
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「歴史小説」、「群像劇」、「伏線小説」。ひたすらに帯に書かれ続けるこうした、溢れるほどあるジャンルの縛りをすべて否定し、読み手による世界構築を要求する非常に高度な小説だった。
いったい誰が誰に話しているのかわからなくなるような会話の応酬(しかも方言)。そして、いつの時代の誰の話ともたいして説明されない場面展開。一見すると、あるいは「浅い読み方」では結びつかないこれらの要素が(じっさいにそういうレビューも散見される)、かつて民家があった土地という「現代から振り返る歴史」を感じる場所の、一見するとなんでもないものの群れとしての「草むら」をめぐる現代の家族の一日に集約されている。時代と場面と脈絡(と呼ばれるもの)とを自由自在に行き来するストーリー展開を可能としているこの小説の構造そのものが、非常に洗練されている。
最後、名もなきものどもとして駆逐された(ゴミ袋に入れて捨てられた)はずの草たちの名が次々と羅列され(もちろんこの中に、セイタカアワダチソウもあるわけだ)、小宇宙としての草むらの生命がありありと立ち上ってくる場面は、この小説の全体をわずか数ページで総ざらいしてしまい、いくつもの時代や大陸間の歴史の目に見えない有機性を語らずして語ってしまうかのような、凄まじい迫力を感じさせるものであった。
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ストーリー展開を楽しむのではなく、映画で言えばそのカットカットに映っている登場人物の思考、仕草、独り言も含めた台詞、等々を細々と並列に描写し続けている感じ。30歳手前の奈美からみた「母と伯母はどちらも、せっかちかと思えばだらしなく(略)概してあまり悩むことがなく(略)忘れっぽく、良く怒りもすれば笑いもし、何につけても言葉に出してみなければ気が済まず、大体のことに対してはずけずけと仮借なく物を言い‥」「二人は口から出る言葉を辺り一面にどこまでも、ほしいまま繁茂させ(略)」「静かに黙り込んでいること、物事のあらゆる面をとっくりと(略)観照するために考えに沈んでいること(略)は彼女たちにとってはただ退屈な時間でしかない」。奈美と同い年の従姉妹知香を含めたこんな主な登場人物4人による誰が誰にか分からない同時進行の会話が描かれるが、これは世界中どこでも親類が集まれば起こっている事で、この描写はある意味超写実的で面白かったっちゃね。
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何がいいのかさっぱりわからんが文章のテンポはいい。
草刈りの話の間にあるのは何だろうか。そのさきの物語が知りたいと思う。
句点が多い。つまり一文が長い。これぞ純文学ってか?
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純文学なので、ストーリーじゃなくて文章の美しさというか描写がすごく良かったです。
ただ、私には難しかったなあと。もっと色々な本を読んだのち、数年後に再チャレンジします。