投稿元:
レビューを見る
2018年の作品。当時70歳になろうとしていた橋本治が、その約30年後、2046年頃の世の中を舞台に、98歳になろうとしている自分自身を語り部として独り語りをする異色の小説。
東京大震災で首都圏は壊滅し、科学者の暴走により甦らされたプテラノドンが野生化していることを除けば、社会のありようは今とそれほど変わっていない。この辺の設定は近未来っぽくって絶妙。
主人公は、社会や若者(といっても「ゆとり世代」が50歳くらいになっているのだが)に対して毒づき、思うようにならない自身の身体、記憶力の低下、至るところの不調に悩まされながら、それでもなかなか死ねないという境遇を愚痴りまくる。
このあたりは、社会や大人に大して文句、不満をぶち撒きまくっていた「桃尻娘」を彷彿とさせ、皮肉とユーモアたっぷりの暴言のセンスは、この人ならではだなと思う。
沸々と湧き出た本質を捉えた感情が、豊かな川の流れになるような、豊かな言葉の流量。表現の水圧が高く、それでいて決壊しない安心感がどこかに漂っている。
こんな小説を書いておいて、その直後に橋本治は71歳で逝ってしまった。それはもう皮肉としか言いようがない。
本作は怪作の部類で、正直評価に戸惑うのだが、もっとこの人の小説を読みたかった、と改めて思わされる。
投稿元:
レビューを見る
大笑いしながら読んでいます
デイサービスで働いていますが利用者さんの心のうちを類推したりして
年重ねるのが怖くなくなります
投稿元:
レビューを見る
もし自分が九十八歳になったと仮定した小説書いてみてと言われてもここまでのボケボケ具合は絶対に書けない笑本を読むとなにかしら頭に残ってたりするけど本当に半分ボケたおじいちゃんの脳みそをいっとき見た気分になった笑
途中の『こけろ!』とか年寄りのおばあさんの例えとかも、もう電車では笑って震えた笑
ほんとによくわからない部分となんか言いたいんだろうな…っていうおじいちゃんの感じが最高だった。年上の人とか年寄りを敬え的なことがあるけどだいたい頭ん中こんな感じで、足もぐらぐらでごはんもまともに食べれんけど、その中で時代を渡り歩いて長い時間たくさんを見て経験してきて
そんな体の状態のまま記憶もぽつぽつ置いてきて
恨みつらみとかよりもスチャラカチャンとか言えるお年寄りになりたい笑
投稿元:
レビューを見る
「あとがき」には、雑誌『群像』から「三十年後の近未来」についての小説を執筆してほしいという依頼を受けて、1948年生まれの著者が98歳になったときのことを書くことにしたという本書誕生の経緯が語られています。
98歳になった橋本治は、
50歳の「ゆとり」世代の君塚をはじめとする周囲の人びとに対して、心のなかでぼやきながらも、繰り言めいてくる自分の愚痴にしだいにどうでもよくなっていく経緯などが追いかけられていて、とりあえずおもしろく読めました。
ところで本書には、著者の文庫本にはめずらしく、巻末に「解説」が付されています。執筆しているのは内田樹で、「「脱力」を推進力にしてグルーヴ感のある文章を駆動させる」ところに、本書の魅力があると述べています。この評の着眼点には納得させられたのですが、そうした試みでは小島信夫の先蹤があるのではないかと思ってしまいます。
投稿元:
レビューを見る
『#九十八歳になった私』
ほぼ日書評 Day518
あの橋本治が、齢69を数える年に、30年後の未来予想を紡ぐ。小説なのかエッセイなのか、そんなことも超越した、自由な文章の連なり。
読んで何か得るものがあるか、と言われると、ほぼナッシングだが、年の瀬に、肩の力を抜いて、自分を見つめ直すには良いかと思う。
https://amzn.to/3FMltFj
投稿元:
レビューを見る
九十八歳まで生きたいとは思わないけど、うまく死ねなかったら嫌だなという思いはある。
100歳に近い人の外見は想像できるけど、頭の中は想像したことがなかった。
作者も想像で書いたんだろうけど、こんな感じなんだろうと思えた。
脳の中を駆け巡る思いに反して、回らない口、動かない体
逆にその口と体だけで、他人が判断する自分
お年寄りを見たら、気をつけよ。
投稿元:
レビューを見る
著者、橋本治さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
橋本 治(はしもと おさむ、男性、1948年(昭和23年)3月25日 - 2019年(平成31年)1月29日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。
2019年1月29日午後3時9分、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。 尾崎紅葉著『金色夜叉』を種本にした翻案小説『黄金夜界』が遺作となった。
とのことで、70歳で、亡くなっています。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
時は2046年、東京大震災を生き延びた、独居老人で元小説家の「私」のもとを、「ボランティアのバーさん」やゆとり世代の50代編集者などさまざまな人たちが訪れる……。生きるのは面倒くさいとボヤキつつ、人生の真実を喝破する、橋本流老人文学の傑作!
「人生は消しゴムのようなものだ。いくら使って消して行っても、使い切るということは起こらないのだ。」
「生きているだけで疲れる年頃なんだ。あーあ。」
著者が2046年まで生きていれば、98歳になっていたわけですが、本作が刊行された翌年に、著者は亡くなっています。人生はわからないものです。
2046年には、私は85歳になります。
生きているのかどうか微妙な近未来になります。
さすがに、ブクログにレビューを投稿はしていないような気がします。はあ。(←ため息)
投稿元:
レビューを見る
この世界観がハマる人にはハマるんだろう。
私には…。
でも、いつか来る自分の老いを想像するとこんなふうになるのかな、というのは興味深い。
ピンピンころりが理想。