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私たちが暮らしているのは人口の半分が不当に虐げられる社会である。はっきりとそれがわかる本でした。女性と男性の対立を生むことがフェミニズムなのではなくて、女性に不当な役割が与えられている社会構造の変革を求めるのがフェミニズムだと、この考えが男女共に広がればいいなと思いました。個人的に男性や周囲の環境にぶつけて来た怒りが対社会、公的な怒りになればよりよい社会もできてくるのかなぁと考えるきっかけにもなった。
また、政治について全く知識のない(中学の基礎的な政治についても危うい)私でも用語の解説が入っていたり、段落ごとに話す内容が整理されていたりして理読みやすい本でした!
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福祉国家を標榜している日本をジェンダーの視点で定量的に捉えれば、感覚的に分かっていたとはいえ、男性に比して女性の利益がいかに損なわれているのかを知った。そもそもジェンダーという言葉を認知したのがごく最近で、いまだに固定観念から放たれているとはいえない。「女性にとっては結婚や出産などのライフイベントと同時に労働市場から退出するリスクが高まる」という状況は、現在の保障制度が機能不全に陥っていることに起因しているということをどうにか理解できた(と言えるか?)
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【本書の概要】
「民主主義」「ポリアーキー」「福祉国家」など、種々の政治学的概念は、いずれもジェンダーの視点を欠きながら誕生したものであった。
【まとめ】
1 本書の流れ:「標準な政治学」をジェンダー視点から批判する
政治学の教科書が執筆されるときには、収録される学説と、省略される学説がある。その際、男女の不平等に関する学説は省略される側に含まれてきた。それはフェミニストが言うように、政治学が男性の視点に基づいて書かれてきたからだ。
しかし、政治とは男女双方に対して開かれるべき場である。
本書は、今まで語られてきた「標準的な政治学」を列挙しながら、それに対するジェンダーの視点からの批判を展開する。
2 政治と組織規範
従来の概念では、政治的決定は話し合いで行われるべきとされている。これは自明のことにように思えるが、現在の社会における政治的決定の成立過程は変容し、「権力を握る人々が、それ以外の人々に自らの意思を強制する活動」となっている。ある国で誰が権力を握るかは、その国における政治的資源(派閥や利益者団体)の配分によって決まるのだ。
これをジェンダーの視点から見た場合、政治家や高級官僚などの政治エリートの圧倒的大多数を男性が占めているため、権力の中心が男性に占められている構図となっている。
とすると、一見ジェンダー中立的な規則や慣行も、知らず知らずのうちに「男らしい」ふるまいを評価し、「女らしいふるまい」に低い価値を与えて来たのではないか。
組織規範は、それが策定される組織の男女比によってバイアスがかかる。組織は通常多数派の規範に少数派が従うという構造を取るため、政治などの男性多数の世界では、女性が男性的規範に従うよう求められがちだ。組織の男女比に近年注目が集まるのは、それが「制度的にコントロールできる」からなのだ。
政治に限らず、男性が多数を占める社会構造が、知らず知らずのうちに男性にウエイトを置いた政策を策定したり、男性が特に関心のあるニュースを報道したりしたため、女性の地位が低いままなのではないか。
ちなみに、組織において女性が能力を十分に発揮できるのに必要とされる「クリティカル・マス」は、女性成員が全体の30%以上のときだと言われている。
3 政治的争点
マンスプレイニング:男性が女性に対して一方的に自らの意見を説明すること。このジェンダー規範によって、男:話し手、女:聞き手の構造が生まれるとされる。
政治において大きく争点になる項目は、経済政策と国防である。しかし、争点の大きさからみれば、男女間の不平等のほうが影響力は大きいのに関わらず、ジェンダー問題は表立った争点になりにくい。争点は話し合いによって発生すると考えれば、これは前述のマンスプレイニング等が、女性が発言する機会を奪ってきたことによる弊害だと考えられる。
4 女性のいない民主主義
シュンペーターが定義した民主主義:民主主義とは、政治的指導者が競争的な制度を通じて選ばれる政治体制。
ダールが定義したポリアーキー:民主主義とは、市民の意見が平等に反映される政治体系。普通選挙と異議申し立てという二つの要素から構成される。
上記2つは、民主主義が勃興する過程において定義された民主主義の概念である。しかし、シュンペーターの時代は女性に投票権が無く、ダールの時代は当選者のほとんどが男性だった。つまり、この二者のいずれにおいても、市民を「代表」する要素としての民主主義は発現していなかった。
同様に、今まで様々な政治学者によって定義されてきた「民主主義とは何か」や「民主化が進行した過程」については、いずれもジェンダー的視点が抜け落ち、男性目線からのみ語られている。
民主化は時代とともに進行していったが、女性の参政権の普及は民主化そのものよりだいぶ遅れて成立した。ここから分かるのは、民主化運動が進もうとも、男性優位のジェンダー規範が働くのであれば、民主化は女性の地位向上に寄与しないということだ。女性の政治への進出は、民主化よりもむしろ、文明国が倫理的規範を示すための一要素として取り入れられたり、国際化が進む中で女性運動が広がった結果であったり、グローバル化の進展による要因が大きいと言えるかもしれない。
5 ジェンダー視点から見た日本の「福祉国家」
福祉国家とは労働者を「脱商品化」するための社会保障を整備する目的で始まった。しかし、当時のように男女の性差別的分業が行われている社会では、男性が労働市場における経済的なリスクに直面するのに対して、女性は家庭の内側に閉じ込められ、男性から生活の糧を得続けなければ生きていけないリスクに直面していた。
このリスクを減らすには、女性が男性に経済的に依存する仕組みを改めなければいけない。
この脱商品化モデル(=男性稼ぎ主モデル)での福祉国家は、女性と男性の差別化を増長する原因であるとの批判が起こった。
その後西洋では脱商品化モデルから個人主義モデルに転換したが、日本の福祉国家は依然男性稼ぎモデルの性質を帯びている。この原因を考える上で、日本では政治に影響を与える利益集団が男性によって占められ、男性議員に対して圧力や便益を図る集団であったことは見過ごせない点である。
一般的に、福祉国家は一度進展したら後戻りできない。市民は給付金の引き下げなどのマイナス要因に強く抵抗するからだ。過去に作られた福祉国家の形態は、たとえ財政状況や政治状況が悪化しても以前のままで持続する。これを「福祉国家の経路依存性」と呼ぶ。
すると、日本のような男性稼ぎ主モデルの福祉国家がなぜ持続してきたのかは、そのモデルを支える男性と女性を生み出してきたからこそ、そのモデルがこれまで持続してきた、といえるのではないか。男性稼ぎ主モデル国家がサラリーマンと専業主婦からなる家族を優遇すれば、その家族は政策の変更に反対するからだ。
この経路依存性は少子高齢化を生んだ。男性の雇用の不安定化によりサラリーマンと専業主婦のモデルが崩れ、仕事と育児が両立できない女性が出産を回避するようになったからだ。
日本の特徴は育児支援政策よりも高齢化が早く進行してしまったことである。利害関係者が高齢人口に固まることで、政策の経路依存性がより高まる結果を生み、少子���がさらなる少子化を固定してしまったのだ。
6 日本における女性議員の少なさ
日本の選挙では、有権者が選べる女性候補者の割合が他国に比べて極めて少ない。経済発展を通じて女性候補者が自然と増えるだろうという楽観的な見方もあったが、今のところ、思った以上に日本では女性の政界進出が少ない。これは何故なのか。
女性の立候補についてアメリカで実施された調査によると、出馬したいと思い実際に出馬した男性の数は、同様の行動をした女性に比べて2倍近かった。動機の面で既にこれだけの差がついていたのだ。この理由は、親と政治の話をしたり、立候補を進められる経験が少ないという「幼少期からのジェンダー規範による仕組み」や、政治活動のコストの負担に係る部分が大きいとされた。
対して日本はアメリカと少し様相が変わる。アメリカでは二大政党の候補者は党本部からの資金的な援助を受けることが無いため、個人の資産や資質により立候補が左右されるが、日本の候補者は、地方議員や秘書、労働組合など、政治団体の設定したキャリアパスにより立候補が左右される。だとすれば、問題は何故日本の政治団体が女性をリクルートしてこなかったかである。
それは、女性目線で争点の解決をうたった政党自体が無く(女性党員のみでは組織化できず)、女性としての問題提起を、男性が多数を占める政党の中に女性部門を作ることによってでしか行えなかったからだ。そして、日本での政党の支持基盤は、男性が多数を占める組織(労働組合など)であったため、あえて女性をリクルートする意味が薄かったのだ。
通常、女性候補を積極的に採用するのは野党である。与党は議席が確保されていれば新たな風を吹き込む必要がないからだ。
55年体制下で与党の自由民主党と野党の日本社会党が、それぞれ3分の2の議席数と3分の1の議席数をキープしつづけて競争を行わなかったことも、女性の政界進出に歯止めをかけていた。
【感想】
本書は、ジェンダー視点の欠けた民主主義をこう変えていくべきという形式の本ではなく、今までに当たり前のように論じられてきた定義や制度の根底に、実はジェンダーバイアスがかかっていたのだと警句する形式の本である。民主主義の成立過程のときから、ターゲットの中に女性はずっと入っていなかったことを示して読者に警鐘を鳴らしている、そんな感じだと思ってもらえばいい。
制度を変えたとしても組織の底にある意識や風土を変えるのには時間がかかる。ジェンダーをめぐる議論はまさにその「意識レベルの段階で既に男性が優位を持っている」こととどう戦うかを論点としており、それゆえに一筋縄では解決しない。
自分としては、女性の社会進出が進まないのはマーケティングの不足が大きな原因ではないかと感じている。民間のレベルでは、マーケティングにより顧客層を男性から女性に大きく転換することに成功した企業がある。これは商品パターンの見直しよりもむしろ広報戦略の刷新によるものであって、まさに制度ではなく意識を変革した成功例である。強制力を伴う制度の変更が効果的なのは間違いないが、より民主的な解決方法がまだ残っていると感じている。
そんな中、2021年1月14日に、社民党が役員・候補者のクォータ制導入を決定した。常任幹事会と国政選挙候補者はいずれも50%を目標とすると発表している。まさに意識が変えられないのであれば制度をラディカルに変化させる実例だ。この調子で、各政党にもクォータ制導入の流れが生まれてくれることを切に願っている。
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「どうやら、筆者も含めた多くの政治学者は、女性がいない政治の世界になれきってしまっていた」ことへの反省から物された、テキスト的な新書。最近の議論がコンパクトに整理されていて、とても便利。
日本の政治で女性の参加がとりわけ進まないのは、男性稼ぎ主モデルに依拠した福祉国家が構築されているため。そして、これがなかなかに崩れないのは、日本の政治過程が、男性を中心とする利益集団が男性を中心とする政治家・官僚に圧力をかける過程だからである。そこで解決策として、ジェンダー・クォータ制の導入が提唱される(ただし、ジェンダー・クォータ制が性的少数者を政治的に代表するために用いるには適さないことにも、目配りがなされている)。
外側からの感想を記すと、男性稼ぎ主モデルの福祉国家は政治過程だけの産物ではなく、日本的雇用が男性正社員を中心とする構造であることの産物でもある。なので、正社員の長時間労働とか、女性に偏る非正規労働の不安定性とか、「働き方」が改善されないと、女性の政治参加もうまく進まないだろう(もちろん、「働き方」には、政治家の「働き方」も含まれる)。本書の経済学版もあったら便利と思う。
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【標準的な政治学】として括られた箇所は、教科書的で役に立つ。
それ以外の部分は、特定の立場から見た解釈によって根拠なく誘導し結論づける内容が大半である。その点では"筆者のブログ記事のまとめ"といった域を出ていない。偏った態度によって書かれた本は内容も偏るという良い見本である。
詐欺師やニセ科学というものは全部が間違ったことを述べているのではなく、一般論など誰でもわかることについては真っ当なことを言っていて、検証の難しい個別の事項に迫るにつれ次第に道を外れていくものである。本書もそのパターンに従っている。
特定の角度の見方を養うには良い本であるが、その視点からの問題意識が果たして本質的な問題かというと必ずしもそうではない。目に見える問題の背後には何らかのメカニズムがあるが、そのメカニズムに関する解説はほとんどない。このことから、本書は日本政治の問題点を把握し解決するには全くの不十分である。人の判断を誤らせるという点ではむしろ有害ですらある。
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政治はよくわからないし、政治学なんてもっとよくわからない。だから本書にとりかかるのもエネルギーが必要だった。
でも、読み始めてしまえば多少難しい言葉はあっても、書かれていることは(良いのか悪いのか)実感を持って理解できることが多く、これまでもやもやとしていた物事に輪郭が与えられたというか、よく見える眼鏡を与えられた気分になった。
「政治」も「民主主義」も「政策」も、みんな男性が男性のために築き上げてきたものだった。
以下、一部端折りながらの抜き書き。
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女性は、ジェンダー規範に従えば組織規範に従うことはできない。ダブルバインドは大きなジレンマになる。『保守系の女性政治家がフェミニズムに対する厳しい批判を展開するのは自らのジェンダー規範からの逸脱を埋め合わせるための戦略の一環であると考えられる』。『組織の男女比が、組織規範のシグナルになる』。
公的領域は政治介入する、私的領域は政治介入しないものとされてきた。この公私区分が女性を抑圧してきた。女性は私的領域である家庭に閉じ込められ、家庭で起きていること(DVや偏ったケア労働など)は政治の争点にはならない。ケア労働を担う女性は自律した主体とはみなされず、二級市民として扱われる。公私二元論が守っているのは男性の自由に過ぎない。
これは「個人的なことは政治的なことである」
というフェミニズムの標語に集約される。
女性を適切に代表するには、一定以上の女性議員が必要とされる。にもかかわらず衆議院における女性議員の割合は1946年とそれほど変わらない。
ピル導入の遅れや配偶者控除は誰のための政策なのか?どういう意図で定められているのか?
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公的領域私的領域からのフェミニズムの標語の流れはそういうことか、と腑に落ちた。『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』を思い出した。
また、政策を検討するときに必要な視点を初めて知った。目が覚めた感覚だった。
これまでクォーター制には懐疑的だったけどこの本を読んで、とにかくまずは数が必要なんだとわかった。女性だけクォーター制を設けるのは不公平だと言うなら、男性にもクォーター制を設けてもいいのかもしれない。(意味があるかわからないけど)
これは余談だけど、今週末、金曜ロードショーで『タイタニック』を放送していた。救命ボートには女性と子どもが優先的に乗せられていたけど、確かこの時代の女性って参政権がなく、男性から守られる存在としての女性だったんだよね、ということをぼんやり思い出しながら観ていた。(間違っていたらごめんなさい)
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めちゃくちゃわかりやすい!どうして日本では女性政治家が少ないのかもわかった。これからの政治の見方にジェンダーの観点は欠かせないので選挙権あるひと必読にしてほしい
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「時給はいつでも最低賃金、これって私のせいですか」で紹介されていたので気になって買ってみた。
女性のいない民主主義。一見してジェンダーと政治学の本であると分かるのはすごくいいし、とても鮮烈で印象に残るタイトルではある。
内容に関しては、200ページと言う分量よりも多く感じた。それもそのはずで、この本はジェンダーに関する本と言うよりは、政治学と言う縦軸とジェンダーと言う横軸で展開される、面のような内容となっている。
政治におけるジェンダーについて知るには、そもそも政治学のあり方や歴史に関して知る必要があるためだ。そうして、従来の政治や民主主義の中に存在している男女不平等が見えるようになってくる。
男女平等が進展したスウェーデンにおいてさえも、女性主体の政党は存在しておらず、やはりジェンダークオーター制のような仕組みを導入することがマストだとよくわかった。
面白かった。ジェンダーだけではなく政治に関しても勉強になるし、あとがきで分かる筆者の熱く深い優しさに触れたのも良い読書体験だった。
(書評ブログもよろしくお願いします)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/2022/01/08/%E3%80%90%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%82%82%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%88%B6%E3%81%AE%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%82%92%E3%80%91%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84
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面白かった。非正規の問題は男性の非正規化が進んで初めて可視化されたというのには、ほんとだ、全く気付いてなかったよ、と。私もまだまだ無自覚なところが多いんだろうなぁ。
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今まで読んできた政治学の本の中でトップレベルに読みやすく、そして新たな視点に気づかせてくれる新書でした。
高校中学の社会の授業でやった方がいいんじゃないかな。
今の日本は男性のための民主主義。女性活躍社会と名は打っても、実はそれは男性が働きやすい、または男性を助けるための政策でしかないということに気付きました。いやー、ほんと日本社会に絶望するわ
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政治にジェンダーの視点を持って論じており勉強になった。
男性優位の政策がなされているのはなぜか?なぜ女性の候補者は増えないのか?等、他国との違いや歴史的な背景を知ることができた。
組織内の女性比率として、30%以上いないと本領が発揮できない。政治家もそうだが企業でも女性リーダーを増やしていかないと感じた。
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読了。タイトルだけでハッとさせられる一冊。これまでの民主主義論や政治の中で何が忘れられてきた、あるいは考えられないで来たのかというと、やはりそれはジェンダーの問題がとても大きいと思う。能力主義だから性差は関係ないという論調も、そもそも男性優位社会を土台にした主張であることがほとんどだし、「女性活躍!」と政治家や企業が言う背景には、「(ただし男性の既得権益を侵害しない限りで)」というカッコ書きが潜在している。
包摂や協働を掲げる政治や思想や政策が、何を「包摂“していない”のか」を考えるところから、これからの民主主義は始まると言っても過言ではないのではないか。
政治や思想の表舞台に出てくる「包摂」「平等」等は、その過程で絶対に何かを切り捨てている。そのことの重要性をこれでもかと教えてくれる貴重な一冊だった。
「一方には、積極性があり、競争的な、『男らしい』行動を求める組織規範があり、他方には優しく、包容力のある、『女らしい』行動を求めるジェンダー規範がある。例えば、会社で出世競争に勝ち抜くには、他人を押しのけてでも積極的に行動しなければならないとする。だが、そのような『男らしい』行動をとる女性は、『女らしくない』と言われてしまう。男性であれば『リーダーシップがある』と評価される行為は、女性であれば『偉そうだ』とみなされる。 つまり、組織の構成員が直面する規範は、実際には二重構造になっている。その基底には男性と女性に異なる振る舞いを命じるジェンダー規範があり、それを補う形で、組織の構成員に一定の振る舞いを命じる組織規範がある。この組織規範が表面上はジェンダー中立的であるからこそ、それ自体は批判の対象になりにくい。組織の構成員も、自分は男女差別をしているつもりはなくても、無意識のバイアス(unconscious bias)の働きによって男性と女性に対して異なる基準を当てはめてしまう。こうして、男女を差別しないはずの組織において、大きな男女の不平等が生まれることになる。」(p28)
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「マンスプレイニング」「マンタラクション」「ブロプロプリエイション」「クリティカル・マス現象」「コンドルセのパラドックス」「エコーチェンバー現象」
レベッカ・ソルニットの著作をこの本の前に読んで、名付けがいかに大切かを実感したところだったから、この本に出てきた多くの新しい言葉を覚えようと思う。この言葉たちが存在することで、その現象も存在するようになるのだから。
人口の半分を占めるのは女性、ということ。当たり前すぎて、この本で改めて指摘されて、こんなに重要なことを忘れてるなあと反省。半分なのだ。その半分の意見の反映されない政治が罷り通る不思議さ。
なぜそうなってしまったか、研究者として解きほどいてみせてくれる。
がんじがらめだ。よく女性自ら動かなければ世の中変わらないんだよ、と言われるが、たしかにそうなのだが、それだけでは解決できないシステム上の軛があるのだ。
ジェンダークォーター制を取り入れてない国は少ないということ。野党から女性議員は増えていくということ。
何から変えればいいのか途方に暮れているより、具体的にやるべきことが見えてくるのはいいことだ。
女性のため、なんて姑息な(書いてみてすごい漢字だ…)ことを言ってるんでなくて、そうしなければ、男も女も関係なく、日本という国が衰退の一途を辿ることになるだろう。もう手遅れかもしれないが。
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まず、政治過程論の導入書として非常に素晴らしい。一つの政治イシューがどのような経路を辿ってある政策に結びついていくのか、政治の力学を学びたい人にはオススメ。
その上で、ジェンダーがどのように社会に、政治に影響を与えているのか、深い考察がなされている。
東大教授の本ながら、新書として読みやすく、それでいて深みがある。
興味を持った方は是非手に取ってみてほしい。(T.I)
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ちゃんと消化しきれたわけではないが、政治や政策の視点から、日本社会の福祉政策の特徴やジェンダー関連の課題を考えたことはあまりなかったので、かなり新鮮な視点があった。
所謂「民主主義」と定義されているものをジェンダーの観点から問い直すことや、女性が政治に関わることで男性ばかりでやっていたときには見えなかったアジェンダが浮かび上がってくる点にはなるほどと納得。
一方で、政策としての意図は本来別にありながらも、政策の帰結が違うものになることがある、という点は、その結果を当たり前として受け入れるのではなく政策の意図や目的にまでたちかえって一有権者として考える重要性を感じた。