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奥野修司(1948年~)氏は、立命館大経済学部卒のフリージャーナリスト。2006年に『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2014年度より大宅壮一ノンフィクション賞選考委員(雑誌部門)。
2011年3月11日の東日本大震災は、1万8千余人に上る死者・行方不明者(このように数字で書くのは憚られるが)を出した、日本の歴史でも稀に見る大きな自然災害であった。
本書は、著者が、震災後3年ほど経った頃から3年半に亘り、震災による死者・行方不明者にまつわる「不思議な体験」をした人びと16人(組)に話を聞き、月刊「新潮」と別冊現代「G2」に掲載したものまとめたものである。2017年に出版、2020年に文庫化された。
私は、基本的には非科学的と言われるものは信じないタイプで、客観的な「霊」の存在には懐疑的にならざるを得ない。しかし、本書を読み終えて感じるのは、客観的な「霊」の存在を云々することと、本書で語られているような人々の体験を受け入れるか否かという問題は、全く別物だということである。
東北地方では、昔から、柳田國男の『遠野物語』に描かれたような妖怪、神隠し、臨死体験などの話や、恐山のイタコが行う口寄せのような、生者と死者をつなぐ「霊」のような存在が自然に受け入れられてきた。阪神・淡路大震災のときにはそれほど語られなかった霊的体験が、東日本大震災のときに多く聞かれるのは、東北の人びとの心に、そうした精神・魂が連綿と引き継がれているからなのだろう。
そして、そういう人びとが出会う霊的体験は、著者が語る通り、「人は物語を生きる動物だが、その物語はけっして不変ではない。津波という不可抗力によって突然断ち切られた物語を、彼岸と此岸がつながるという不思議な体験によってふたたび紡ぎ出す。とりあえずつながった物語は、時の経過と共に自分が納得できる物語に紡ぎ直されていく。創り直すことで、遺された者は、大切なあの人と今を生き直しているのである。」といえるのであろうし、本人たちにとって、掛け替えのないものだと思うのだ。
そう考えると、本書の本当の意味は、著者が記録したものを読者である私が読むことにあるのではなく、著者が、被害に遭った人びとが(信じてもらえないと思って)それまで他人に話せなかった物語を語ってもらったことにあると言えるのではないだろうか。
(2020年4月了)
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震災で家族を亡くした方々の貴重な体験談を集めたノンフィクション。それぞれの物語というより著者との対話を通じたナラティブな内容が胸に迫る。あの日をあの人を忘れない...。残された者たちの回復過程がここにある。「冬の旅」の発刊を待望。
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考えてみれば自分は、同居家族を亡くす、ずっと一緒に暮らしていた人がある日突然いなくなってしまうという経験をしていない。その悲しみがどれだけ深いものなのかを知らない。
なのでここに紹介されている霊体験を語る人々の話には逆に違和感がない。そういうものなのかもしれない、と思う。
P14 「お迎え現象は、臨終が近づくにつれて訪れる生理現象で説明できるが、幽霊は正常な意識を持ちながら、身体的にも異常がないのに発現する現象だ。それもおk人氏や宗教観は関係なしに出てくる。つまり脳循環の機能が低下したとかそういう生理現象ではないという事だ。おそらく、この社会が合理的ですべて予測可能だと思っていたのにそれが壊れた時に出てくるんじゃないのか?」
P15「霊は科学で認識できないが、霊に遭遇した生者にとっては事実であると?」
「人間が持つ内的自然というか、集合的無意識の力を度外視してはいかんという事だよ。」
P73 オガミサマを信じない人にはたわごとでしかないが、信じる人にはあの世に繋げるかけがえのない言葉である。死者とコミュニケーションをとれることは、遺された人にとって最高のグリーフケアなのだと思う。
P191 人は物語を生きる動物だが、その物語はけっして不変ではない。津波という不可抗力によって突然断ち切られた物語を、彼岸と此岸がつながるという不思議な体験によってふたたび紡ぎなおす。とりあえずつながった物語は、時の経過とともに自分が納得できる物語に作り直されていく。作り直すことで、遺されたものは大切なあの人と今を生き直しているのである。
P308 家に漂う、もういない人たちの気配。そうした説明のできない現象に直面したとき、証言者たちに生じるのは恐怖ではなく、安堵や喜びといった感情だ。死者たちのメッセージの多くは「自分はもう大丈夫だ」「苦しんでいない」と伝える。きっと証言者たちが、何よりも欲していた概念なのではないだろうか。(解説・彩瀬まる)
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私の中では日本を代表するノンフィクション作家の一人として信頼している奥野修司が、東日本大震災で愛する家族を亡くした人々の身に起こった霊体験とも呼ぶべき不思議な事象をまとめあげた一冊。
出てくるエピソードは第三者から見ればそれが真実かどうかを判断することはできない。しかし、本人たちが科学的には説明が付かないような事象を主観的に経験したという事実だけは残り続ける。
科学的に正しいかどうかはある種どうでも良い。徹底的にその主観性のみにフォーカスし、その経験によって彼らが多少なりとも心の傷を癒すことができた、そういう事実を知れるだけで本書の価値は十分にあると思う。
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被災者の被災の体験は映像で見るより怖いものがある。
霊体験といわれると、なんか違うような。
霊体験っていわなくてもいいと思う。
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身近な人を亡くす体験はいつになっても癒されることはないのかもしれない。どういう形であってもそばにいてくれるという現象があると嬉しいものだ。震災の年に両親を病気で亡くした自分にもその気持ちは痛いほどわかる。
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東日本大震災の津波で家族を喪った人々が体験した出来事であり、どこにでもある家族愛の物語であり、困難に向き合おうとする人間のしなやかさを綴った本でもある。
怪談ではないので恐怖は覚えないが、切なさや愛おしさで目の奥が痛んでくる。
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筆者が取材した内容をそのまま記録した一冊という感じに思えました。
私は幽霊の類は、見えないしそんなに信じないタイプですが、
最愛の亡くなった人からの合図なんだと言われるとそれは確かに嬉しくてあったかく感じるようなものなのだなと思いました。
体験談の別れてしまう瞬間は泣けるものがありました。
一番辛いときに出てきてくれないのは辛いですね・・・!
続きの冬の旅も読みたいと思いました。
旅立ちの準備・・・筆者の執筆に向けてのあらすじみたいなもの
春の旅・・・5体験
夏の旅・・・5体験
秋の旅・・・6体験
旅のあとで・・・冬の旅についても語っている。ぜひ続きが出たら読みたい!
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熊本地震の時、今まで生きてきた中で感じた事の無い恐怖を、家族と抱き合って必死に耐えていた時間を思い出した。
本震後も、電気も水もなく寝床は車。
余震も頻繁に起きて心も体も限界な中支え合う家族が居たから乗り越えられた。
本書を読んで、同じ被災者として、本震だけでは終わらない余震の恐怖やいつまで続くか分からない現状だけでも耐えられないのに、最愛の家族がいない。本当に胸が締め付けられた。
遺された人にとって"納得できる物語"が創れたらいいな。と心から思った。この地震を絶対に忘れない。
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3.11東日本大震災...突然襲いかかった未曾有の大災害で、親兄弟、我が子、つれ合いを亡くした人々が、胸に秘めていた「亡き人との再会」ともいえる霊体験を拾い集めた奇跡の記録。ここに収められた悲痛な声のドキュメントは、「この世」と「あの世」との交信を信じる、信じないとか、科学的根拠のない死後の世界をうんぬんするものではない。東北の地で「霊媒師・オガミサマ」が、死別し悲嘆に暮れる人々を力づけ支援するように、〝亡き人との魂の触れ合い〟の体験をとおして、喪失からの回復が垣間見える証言の数々に涙する。
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壊れたはずの携帯が光り、メールが送られてくるなどあり得ないと思うのが普通だが、本当にあったのなら信じるしかない。まだまだ世の中には分かっていないことがたくさんあると感じた。
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10000円選書本
幽霊は、たぶんいるんだろうなと漠然と思っている。
私は理系で科学の子(笑)だけど、世の中に幽霊がいた方が、世界への理解が進む気がするからだ。
ただ、幽霊が「良いもん」か「悪いもん」かの判断はつけかねている。稲川淳二の世界に出てくる幽霊は、きっと「悪いもん」。人を怖がらせる幽霊なんて、「悪いもん」に決まっている。
でも、今回読んだ本に出てきた人たちは、みんな誰かの愛しい人で、「魂でもいいから、そばにいて」と願われる人・動物たちだった。
読んでいると、
「いやいや、寂しい気持ちを紛らわせるために、自分の都合のいいように生み出した幻影でしょ?」って思ってしまうシーンは多々あった。基本的には、その人の生み出した都合の良い「夢だ」って。
そう思う自分は、大事な人を急に奪われたことのない、幸せな国の住人なんだろうな。
いつから、死に際にみる「お迎え」を、「幻覚」や「せん妄」という言葉で片付けるようになったのかな。大切な人が迎えにきてくれるという、幸せな人生を送ることができたという証につける言葉としては、いささか無機質すぎるなと。
最後の最後まで、生きた証を示したいと願うことはつまり、最後の最後まで精一杯生きるということ。
そして、魂になった彼らの思いを、生あるものが感じることは、彼らが生きた証を受け取ることなのだなと思った。
死を思うことは、生を思うこと。
あまり科学で凝り固まると、見失うものがあるんじゃないか?そう学んだ。
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東日本大震災によって妻や夫、子供を亡くした人々。その中には、亡くなった人が枕元に立ったり、亡くなった人からメールが届いたり、亡くなった子供のおもちゃが勝手に動き出したり、といった霊的な体験をする人がいる。そんな人々へのインタビューをまとめたもの。
親密な人を亡くした後の霊的な経験を経て、彼ら彼女は亡くなった人が身近にいると実感するようになる。見守られているように感じる。それが生きる希望になる。絶望を希望に変えて生きていくことは可能なのか?背景に土着のスピリチュアルというか、遠野物語的なものが垣間見えるところが興味深い。
亡くなった人が現れて見えたり、その人が見守っていると感じる体験に、サードマン現象との類似性を感じた。しかし、著者はそんな余計な解釈はしない。その姿勢がよかった。ひろゆきみたいな人じゃなくて良かった。
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東日本大震災で家族を失った方の不思議な体験をまとめた話。津波で家族を失った苦しみ、亡くなった方からのメッセージなどから愛を感じて感動する。
岩田書店の一万円選書で送られてきた本。とてもよかった。
遠野物語についても本の中で触れられており、読んでみようと思った。
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科学的には説明のできない、根拠のない被災地でのエピソード。最初はちょっと読んだら怖いと思うのかなって思っていたけど、どの出来事にもちゃんとメッセージが込められているようで、胸にストンとおちていく感じがしました。恐怖よりも、ぬくもりを感じます。
「彼らが不思議な体験をするのは、亡くなったあの人を忘れたくないからであり、同時にそれが、死者の願いでもあることを知っているからだ。」
この一文がこの本を的確に表現しているなと感じました。
忘れたくないし、忘れられたくない。死にはつきものだと思うけど、突然訪れたからこそ、その想いは一段と強いのだろうなと感じます。