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1964年、日本を熱狂させた東京五輪の後に、あまり多くの注目を集めることもなく開催されたパラリンピック大会は、日本が障害者スポーツというものに初めて接する場になった。それがどのように実現され何を残したか、選手をはじめ関係者の証言からたどるノンフィクション。
五輪とともにパラリンピックのホスト国にもなることが決まり、なんとか面目を保つために奔走する日本政府。選手たちの間には「見せ物にされるのでは」という不安さえあったが、障害者のリハビリと社会復帰に一生をささげた医師中村裕や、若者たちにボランティア精神を広めた橋本裕子、その橋本と親しく接した皇后美智子ら関係者の熱意、また前向きな海外選手との交流を通じて、パラリンピックは日本における障害者福祉発展の基礎を築いた――これが現在も語られる公式のストーリーだ。そこからはみ出し裏切る出場選手らの語りを拾っていることこそ、本書の大きな功績といえよう。実際、各地の療養所からかき集められた患者たちは、やったこともない複数の競技にわずか1年程度の練習で駆り出されることになったのだった。
なかでも驚かされるのが、「わたしには(パラリンピックに出る以外の)選択肢はなかったの」という笹原千代乃の証言。国際イベントに日本もなんとか女性選手を出さなければという圧力の中、彼女はパラリンピックに出るのなら箱根の療養所に入れてやるがダメなら荷物をまとめて帰れと告げられたのだという。箱根療養所はもともと戦争負傷者のための「廃兵院」に起原をもつ国立施設。だから「国の意向には従う必要がある」とはもうひとりの選手の発言だ。療養所の壮行会では事務長が「なにがなんでも勝たねばならぬ」と歌って選手たちを送り出したという。
これまで障害者に見向きもしなかった国の突然の関心を圧力と感じつつ、選手たちの多くは気乗りしないままに参加した大会だったが、実際にパラリンピックは彼らの人生を大きく変える転換点となった。はじめて「自分たちこそが主役だ」という感覚を得、明るく人生を楽しむ他国の選手たちの様子に衝撃を受け、療養所で一生を送るだけの人生しか描けなかった者たちの多くが、ここから社会的自立への意欲や職を得ていくことになる。
とはいえ、いろいろ問題はあってもパラリンピックには日本の障害者権利のうえで意義があったとまとめてしまうことには慎重であるべきだろう。彼らにとっては競技への参加よりも、他国の障害者たちの様子や彼らが使う機能的な車いすを目にしたこと、パラ後における企業での体験などの方がずっと重要な意味をもっていた。実際、障害者の権利のための運動は、一過性のイベントよりもずっと広い社会のなかで根強く闘われてきたのだ。
その点で著者の筆は十分に慎重であり、医師や療養者、ボランティアたちの気持ちと、出場した選手たちの気持ちとの微妙なズレや、選手たちの中での経験の消化のしかたの違いにも注意を払って書き留めている。だからこそ、本書の最初と最後を皇室のエピソードでまとめていることには首を傾げざるを得ない。