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歌舞伎の批評家として知られる著者が、東洲斎写楽の謎にいどんだ本です。
著者は、従来の写楽研究が、写楽の作品を「絵を見る」という観点からのみおこなわれてきたと批判します。著者によれば、写楽の作品は美術品ではなく、役者の似顔絵と彼の出演した芝居の物語を表現しています。それゆえ、「写楽を読む」すなわち歌舞伎という演劇空間のなかでその人物がもっている個性や芸風などを作品のうちに読むことが、写楽の作品を鑑賞するさいには求められると著者は主張します。
つづいて著者は、写楽の作品に登場する役者たちと彼らのおこなった上演との関係について検討をおこない、まずは写楽の正体が狂言作者の並木五瓶であったのではないかという説を提出します。そのうえで著者は、この説に対してさらなる検討をくわえてその問題点を洗い出し、五瓶の弟子であった篠田金治という人物が、写楽の正体ではないかという新説を打ち出します。
江戸歌舞伎にかんする該博な知識をもとにした推理小説的な構成の評論となっており、おなじく写楽の正体について自説を打ち出した梅原猛の『写楽―仮名の悲劇』(1991年、新潮文庫)とともに、おもしろく読むことのできる本であるように感じました。