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寓話が無知蒙昧の徒を説得する方便、幼童教育の教材とされているわけであるが、寓話はまた奴隷と結びつけられて、弱者の主張の隠れ蓑とも考えられていた。
「ここで簡単に、寓話というものがなぜつくりだされるにいたったか、説明させていただくことにします。そもそもは罰を恐れて何も言えない一人の奴隷が、自分の気持ちを短い話に託し、滑稽を隠れ蓑に叱られるのを免れようとしたのがはじまりです」(パエドルス『イソップ風寓話集』)p29
「イソップの寓話は翻訳する値打ちがあるが、適正な配列と部類分けを施すのがよい。それは、ただ一人の人間が作ったものではなく、何世紀にもわたって多くの人々が営々と書き継いだ本であるからだ」(マルティン・ルター『卓上語録』)p50
イソップという名前はただひとりの人物に対応するというより、寓話作家の集合名詞に化している。p52
【寓話作家イソップの誕生】
人々が才能の分前をヘルメス神に祈った時のこと、イソップの捧げ物は極めて貧しく、ヘルメスは豊かな捧げ物をした者から順に哲学、弁論術、天文学、音楽、叙事詩、イアンボス詩、等の能力を授けて行ったが、疲れてイソップのことは忘れてしまった。そこでヘルメスは、生まれて初めて揺籃の中で使った寓話の術がまだ残っていたのを幸い、それをイソップに与えた、と。(ピロストラトス『テュアナのアポロニオス伝』)p65
【ヘシオドスの教え】
悪しきことはいくらでも、しかもたやすく手に入る、それに通ずる道は平らであり、しかも身近に住む。だが不死の神々は、優れて善きことの前に汗をお据えになされた、それに達する道は遠くかつ急な坂で、始めはことに凸凹がはなはなだしいが、頂上に到れば、後は歩きやすくなる- 始めこそ歩きがたい道ではあるが。p71
【賢者はつねに自分の内に宝をたずさえている】
シモニデス、船が難破。何も持って行こうとしない(宝石など)
「財産はひとつ残らずこの身にたずさえている」
知識や見識は何が起こっても自分の内に残る。p99
インドの寓話を含む重要文献としては1世紀から6世紀の間に原本が成立したと考えられる寓話集『パンチャントラ』が挙げられる。p149
毛利元就「三本の矢の教え」