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第6章 翻訳とはなにか から引用
ある一つの文章を訳すときに、翻訳の正解は一種類ではない。五人の訳者がいれば、五通りの正しい翻訳ができあがる可能性がある。
つまり正しい翻訳とは、非常に多くの可能性の束として存在しているということだ。
<略>
正しい翻訳もまた多数の潜在的訳文の束として存在している。それぞれの訳者はその束の中からみずからの言語感覚に沿って一本の筮竹をれ選び出し、それを紙の上に固定していく。
<略>
たとえばカント自身がドイツ語の一文を書いたときにも、同じように多様な表現の束から、最終的に一本の筮竹を抜き出して紙の上に記したという事実だ。
<略>
カントが選んだ筮竹をいったんもとの束に戻し、あらためてそこから、日本語への翻訳にもっともふさわしい筮竹を選び直すという作業をすることは、けっして責められるべきことではない。翻訳とはむしろそのような能動的、生産的な作業であるべきだというのが私の考えだ。
以上の考え方を述べるまでに、明治以後、閉鎖的で、権威主義的な翻訳グループがとって来た方法を非難している。
岩波の翻訳本がなぜ、読みにくいのか理由が解る作品です(笑)。
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思想・哲学書は我々にとって、なぜ読みにくいのか。
本書を読むと、その謎がかなりの程度わかるような気がします。
翻訳というのは、その原語の文法や言葉遣いに忠実であるべきか。
それとも、原語の語順や言葉遣いよりも意味に忠実になるべきか。
いわゆる「読みにくい」翻訳書というのは、まさに前者だった。
途中でたびたび入る哲学の説明はあまりよくわからなかったけれど、結論として「翻訳はいかにあるべきか」という問題提起をしている点さえわかれば、それで良いのだと思います。
そもそも書物とは読まれるためにあるもの。そして、翻訳者も翻訳でメシを食べていかなければいけないことを考えると、非日常性をかもしているような思想・哲学書でさえ、売れるためにはどう翻訳するか。そうした点において、ビジネス書などの翻訳書と、思想・哲学の翻訳書は、決定的に乖離しているのだと思います。
翻訳も、原語の言葉順や文法に忠実だったり、意味に忠実だったりと、様々な紆余曲折を経ていることには、ちょっとした驚きがありました。
翻訳というものをどう考えるかという良いきっかけに、本書はなるのではないでしょうか。
「翻訳をなによりもまず商品と見なし、商品の質を購買者である読者の目から読み直し、批判的に検討するという、この視点こそ、後の思想・哲学翻訳に決定的に欠落しているものだ」(p39)
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[ 内容 ]
難解な思想・哲学書の翻訳に手を出して、とても理解できないと感じ、己の無知を恥じ入る。
そんな経験はないだろうか。
読者をそのように仕向ける力の背後には、じつは日本の近代化における深刻な問題が控えているのである。
カント、ヘーゲル、マルクスの翻訳の系譜とそこに反映された制度的拘束をあぶり出し、日本の学問と翻訳の可能性を問う。
[ 目次 ]
序章 思想・哲学書の翻訳はなぜ読みにくいのか
第1章 『資本論』の翻訳
第2章 ドイツの近代化と教養理念
第3章 日本の近代化の基本構図
第4章 ジャーナリズムとアカデミズムの乖離
第5章 輸入学問の一断面-カントとヘーゲルの翻訳
第6章 翻訳とはなにか
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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理系の人間にとって,文系の翻訳本は難解というか日本語がデタラメである。なぜそうなってしまったのかが,分かる。
輸入学問で食っている人は多いからな。
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どの大学からも、哲学領域が縮小していると聞く。哲学と縁がない人はいないのに、哲学と疎遠になってしまうのは、アカデミズムと一般庶民の間の断絶にあると著者は主張する。ドイツと日本の近代化の比較も大変興味深い。カラマーゾフの兄弟の新訳が話題になっているように、主な哲学書の読みやすい翻訳書は出版されないのかしら。
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学術書の直訳的翻訳に抗議しているだけの本で、その議論はほとんどこじつけで書籍として出版するに値しない。このレベルの内容ならtwitterなどで数行で示せばいいものだ。
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日本語の構文把握などに読書が無駄な知的エネルギーを使わずにすむように、翻訳者は配慮すべき。
近代の教養理念のオリジナリティあhどこにあったのか、それはこの子供の成長過程を固有の内的勝ちを備えた個性や自然素質の調和的な事故完成の過程とみなしたところにある。
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本書は、思想系の翻訳の読みにくさの原因を追究する本だが、そのバックボーンである、明治期の話が面白い。明治政府の改革を支えたのは幕府時代に幕府に支援されて勉強していた人たちであるとか、明治政府は個人主義、民権主義を弾圧した上に成り立っているとか、倒幕に功あった士族を迅速に廃絶したことが統治に成功した秘訣だとか、これまで認識してなかったことがらが色々知ることができ勉強になった。明治政府の成立のバックボーンをざっくり知りたいかたにお勧めしたい。
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翻訳の引用をとばしたのですぐ読み終わった。翻訳論というより教養論とか日本文化論に近く、もっと早く読むべきだったがタイトルとちょっとイメージが違った。著者の立場、主張も基本的にはおおよそ共感できた。2冊にするという話もあったようだが、もっと紙幅があったほうがよかったのではないかなという気はした。
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マルクスの『資本論』やカントの『純粋理性批判』、ヘーゲルの『精神現象学』といった著作の翻訳にひそむ問題を検討しつつ、明治以降西洋の学問を受け入れてきた日本の近代化のありかたを、翻訳文化という独特の視点から見ようとしています。
こうした本書のもくろみそのものは非常に興味深いと感じたのですが、学問の現実社会からの乖離という、やや常識的な落としどころに結論が置かれていることについては、すこし期待はずれに感じてしまいました。近代日本のアカデミズムにおける「教養」の権力分析のような方向へと議論を展開していくことも可能だったのではないかという気がします。
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主にドイツ語の哲学書の翻訳の問題点について書かれています。
第一章にはマルクスの資本論の翻訳について書かれています。
資本論は私も読みましたが、確かに非常に読みずらかった。
ちなみにこの本も極めて論理的に重層的に書かれているため、なかなか読みずらいです。
ドイツ語の哲学の翻訳書を熱心に読む方は読んでみる価値があると思います。
私のような哲学書を一切、読まない方には、オススメしません。