NHKの「紅い花」の資料として
2024/02/21 22:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
書店で冷やかしているとNHKが昭和51年に制作した「紅い花」について書かれていたので買って帰った。以前見かけた事がある本なので、その時に買っておけばよかった。
今回の「セクシー田中さん」絡みで「原作と同じじゃなきゃダメですか?」を蒸し返された日本シナリオ作家協会の機関誌「月刊シナリオ」昭和52年3月号に佐々木昭一郎が「夢の島少女」の後日談めいた事を書いた個所と食い違う部分がある。「一回目見た時、自分のと比べましたので客観的にはなれませんでした。二回目は驚ろきました。三回目で、これはやっぱり新しい、と思いました」の回数に関して本放送と再放送、「芸術祭大賞受賞受賞放映」の計3回「紅い花」を見たと「つげ義春日記」にはあるので矛盾はしないが「全国に放送されていると思うと、荘厳な気持ちになる」だが「出来映えには失望。新しい技法も陳腐。原作には無い戦時中の空襲場面を挿入したのは反戦思想を示し、専門家筋への受けを考慮したとの由」と酷評しているのはどうだろう?「月刊シナリオ」の寄稿文が「つげ義春日記」より先に書かれているので、つげ義春は佐々木昭一郎にはオブラートに包んで感想を伝えたのか「つげ義春日記」を書く時に彼のファン「への受けを考慮」して酷評したのかは知らない。
芸術祭大賞受賞作の「川の流れはバイオリンの音」を本放送から1年間に何回放送したか知らないが「アンダルシアの虹」と「春・音の光」は芸術祭大賞を受賞していないのに1年に3回放送していたのは中尾幸世の魅力で?
この本は「紅い花」だけでなく他の人の悪口も色々と書いているので佐々木昭一郎が「創るということ」などで書いた自己陶酔的な文章並みに鵜呑みにしない方が良さそうだ。
「紅い花」は「夢の島少女」が酷評された佐々木昭一郎の名誉回復の為に制作された面が多々あるのは担当プロデューサーの近藤晋の「プロデューサーの旅路」を読めば分かる。後年「四季・ユートピアノ」で評価されたにしろ「夢の島少女」のヒロインでもある中尾幸世のような限りなく「素人」に近い人ではなくアラカンや「七色村」にも出演していた草野大悟のようなプロの俳優を起用した中で沢井桃子をヒロインとして起用したのは脱「夢の島少女」の一環だろう。何でもつげ義春は彼女が出演していた番組をたまたま見ていたが「ひどくイメージが違うのでがっかり」だそうだ。Wikiによると沢井桃子が出演していたのは「Gメン75」らしい。
「紅い花」の漫画家は草野大悟が演じていたが佐々木昭一郎はつげ義春に話を持っていったが「台本を読んであまり感心できなかったので」断られた結果らしい。そう言えば草野大悟が出ていた「七色村」の指揮者役は佐々木昭一郎を反映した役らしいが芳村真理・吉村実子姉妹の実兄の東京新聞の記者だったはずだ。
佐々木昭一郎はCSで彼のドラマが放送された時に「月刊ドラマ」のインタビューで「夢の島少女」から「四季・ユートピアノ」に飛んでいるので相当「紅い花」には思い入れがないらしい。川口幹夫や近藤晋のような理解ある上司や同僚がいたからこそ「夢の島少女」での挫折から「四季・ユートピアノ」につながったのに。
テレ東で放送した「つげ義春ワールド」には「紅い花」もリメイクされているが映画「ねじ式」共々「どちらにもほとんど協力できず」と年譜にあるが、つげ義春はNHKのドラマ同様、テレ東のドラマをどう思っているのだろうかと知りたくなった。
投稿元:
レビューを見る
つげ義春の昭和50年から55年にかけての日記。文庫本ブームで収入が増え子供もできる一方、妻の癌に始まり自身の不安神経症の発症といった波乱の日々?を淡々と妻や周りの人間への不満を吐き散らかしながら記したもの。
基本、漫画のイメージそのままの神経質というか「気にしぃ」な人だったんだな。
解説によると奥さんもほぼ同時期を絵日記として出版しているみたいなんでそちらも読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
長男誕生前後は微笑ましい場面もあったが、その後は育児の苦労に加えて妻の癌、自身の不安神経症など雲行きはどんどん怪しくなり、下降の一途。そんな状態を、ここまで書くかというくらい赤裸々に綴る。でも、悲惨な私小説を読んだという読後感がない。それが、つげによる日記文学の妙味。
そして、松田哲夫による秀逸な巻末解説でも同じ指摘が。松田さんに認められたようでちょっと嬉しい。
投稿元:
レビューを見る
以前借りて読んだ本ですが、
また読みたくなって再度購入。
尊敬する作家なのに、
作品に対する苦悩や
生活感があふれていて、
人様の日記を読むのはこんなに面白いものかと思う。
何度も読み返したい1冊。
投稿元:
レビューを見る
講談社文芸文庫のありがた味の一つが詳細な年譜だと思っているが、本作も日記本体と併せて読むと、正に私小説作家の作品を読んだ感覚を味わえる。
投稿元:
レビューを見る
私の過去を照らし合わせて読んでいた。図々しさとか開き直りとか、自分を客観視しないとか。処世術。試行錯誤して私はここまでやってきたのだなあと。また、私自身の父親についても思いを馳せた。私の知らない若き日の父は、幼い私と接しながら、何を思いどのように感じて、日々を送っていたのだろう。
投稿元:
レビューを見る
昭和50年=1975年、子供が生まれ、入籍。作品が文庫化し儲かる。
昭和52年=1977年、マキ、癌手術。家の問題。
昭和55年=1980年、不安神経症の診断。森田療法。
といった、いわば「「ガロ」以降」の私生活を、1983年から「小説現代」に連載した、というか、売ったというか。
子が生まれて5年ほどの記録だ。
ほぼ同時期の記録を藤原マキが、1982「私の絵日記」、1987「幸せって何?ーマキの東京絵日記」として出している。
この2冊は持っているので、続けて読むつもり。
つげの持つ、旧来の男性的子育て価値観/神経症的・心配し過ぎな子育て価値観、をマキ側から光を当てられる、結構稀有な題材だと思うなぁ。
この日記の単行本が再販や文庫化されなかったのは悶着があったからだというが、むべなるかな。
近所付き合いや、母や弟との交流、妻との諍いやら久しぶりのセックスの日付まで。こりゃ喧嘩になるわけだわ。
しかしすべてが実話かどうかはわからないし、おそらく藤原マキの著作との齟齬や合致もあるだろう。
そのへんもこの日記集の終わりのほうで、自分が私小説が好きなのは覗き見することで慰藉されるからだと書かれており、それが読み手の意識に連帯を促す、という作りだ。
個人的には、4歳児を育てている中で、もうひたすら子が愛おしく感じられたり、子がいることで何もかも嬉しく感じられたりする半面、自分のコンディションが悪いと一転して鬱陶しさの芽のようなものがぐんぐん育つという状況や、数年先に予想される落胆がじわじわしみ込んでくる感触とか、15年前から10年間ほど悩まされたパニック障害とかについて思い返されたりして、全然他人事ではなかった。切実な読書になった。
たぶんというかほぼ100パー、「つげ義春全集」の打ち水的文庫化企画だが、つげファンは引退して金を自由に使えるんだろうか。
そういう作家の年齢ーファンの年齢層、みたいなことも頭の片隅に置いてしまう。水木しげるとか、大友克洋の全集とかもさ。
投稿元:
レビューを見る
つげ義春 日記 昭和50年(38才)〜昭和55年(43才)
常に不安で心細く頼りない自分、辛うじて生きてきた自分を赤裸々に綴っている日記〜癌への不安や不安神経症に悩まされる日々、奥さんへの愚痴 が多め
著者は 自身と同じ境遇、気質を持つ人を慰め、勇気づけるために この本を出したように思う。これだけ 陰鬱性や死への不安に悩まされながらも 生き続けた著者の日記は 自死した文学者の言葉より、ずっと信頼できる
仕事も順調で、小さい子供もいて、幸せのはずなのに、死の不安 や 他人の幸せを羨む気質に起因する病気が全てを台無しにしている。精神病は恐ろしい病気である
投稿元:
レビューを見る
大阪の古書店で購入
不安神経症に悩まされるつげ氏の独白には、こちらにも影響を及ぼしそうな何かがあった。
投稿元:
レビューを見る
子供が生まれた年から5年間の日記。過保護気味に長男正助を可愛がっていたこと、妻の癌発覚を経て不安神経症となり日常生活にも苦しんだことなどが記されている。これを読むと無能の人が自身の生活をかなり明け透けに漫画化していることが分かる。
投稿元:
レビューを見る
昭和50~55年頃の暮らしを赤裸々に記した日記。こんなの書いて奥さんに怒られなかったのだろうかと思ったら、Wikiに案の定怒られたと書いてあり「ですよね」と思うなど(笑)。後半になるにつれ不安神経症に悩む描写が多くなりますが、文章がサラッとしているからか、重苦しい気持ちになることなく読めました。
余談ですが、自分の誕生した日の日記もあり、ちょっと嬉しかったりしました…(笑)。