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遊び観、ゲーム観を変える一冊。
ブログでレビューを書きました。
https://shumi-ame.com/play-matters/
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「遊び心を大切」とはよく聞く言葉だが、果たして遊び心とは?そもそも遊びとは何なのか?
コンパクトで、それこそ「遊び心」に溢れた装丁の本書はその可愛らしい佇まいに反し幅広い知識と深い洞察を行き来するわりかしハードコアな哲学の旅を提供している。
本書で幾度となく現れる「流用」という概念は、遊び心というものの本質を捉えている。
遊びなどないコンテクストをハックし遊びのように仕立て上げること、それが流用であり遊び心。
特に近年はやたらと遊び心が重宝されている向きがあるが、それは何故なのか。
ハックして遊びを注入せねばならぬほど、遊びに乏しい時代なんだろうか。本書を読みながらそんなことを考えた。
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▼遊び、遊び心とは?
■遊びは現実/仕事などの対局概念ではなくモードの1つ
■遊び心とは、遊びの文脈の外側で遊びを使う能力
■ゲームは遊びの一形式にすぎない
◉遊び心は既存の概念を拡張する
◉これからは遊びの建築の時代
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遊びという概念を、多方面からみて、著者が解説している本。私の読解力がないのか、訳があまりスムーズに入ってこなくて、最後は惰性で読んでいた。
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図書館の新刊で見つけてざっと読む.MIT Press から Playful Thinking というおもしろそうなシリーズが出てるんですね,知らなかった.
本書はそんなシリーズの1冊で,遊びという人間の営みについてどちらかというと記号論的なアプローチ強め,ミハイル・バフチンの影響を伺わせる論考.
非常に充実している脚注だけをまとめ読みするのも面白い.
ただ惜しむらくは訳語のこなれなさ.こんな日本語誰も使わないでしょうという訳が多くて,辛く,読めない,面白い大学准教授の語りを,playful な thinking を読者に伝えられるような日本語を,次のシリーズではぜひ.
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人はボールでもティッシュでも山でも、遊びを生み出し、すべてを遊び道具として変えることができる。モノや場所の新しい価値を生み出すことができるという意味も含めて、"遊び"が持つポテンシャルをずっと感じていた。スポーツやビデオゲームだけを遊びとするのは勿体なく、もっと広い意味での"遊び"を捉えることができれば、クリエイターとして豊かな体験を創造できるのではと思っていた。そんな自分にとってこの本は最高に面白かった。
特に、遊び心によって世界を再多義化、そして個人化するという内容には衝撃をうけた。まさにそうだと思う。既存のルールを乗っ取り、自分らしく働きかける過程はまさに"遊び"に他ならない。そう考えると、日常生活の中で行なっている遊びは実は無数に存在していて、結果として個人的な表現につながっているということ、まさに遊びは"世界のうちに存在するモードの一種"だとわかった。
決して読みやすい本ではなかったけれど、ひとつひとつのテーマが濃く、"遊び"のすごさを身に染みて理解できた。
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「遊び」って何だろう。「遊び心がある」ってどんな状態だろう。
誰もが小さい頃から遊んでいるけれども、それはどういうことなんだろう。
「遊び」の持つ要素や、「遊び」が人、社会にもたらす影響を、屋外、屋内の遊びにとどまらず、政治、建築、デザインにまで考察を広げた「遊び」に関わる全ての論文を集約したような一冊。
まず、著者がヨーロッパの人なので、欧米の事例がとても多かったけれども、これだけ世の中にはいろんな遊びがあるのか、ということに驚いた。面白いと思った観点として、遊びには創造的な側面と、破壊的な側面があること。遊びを通じて人は世界と接点を持ち、遊びを通じて世界と繋がる、という話はたしかに遊具や最近流行りの遊びを見ても納得した。
何歳になっても、何にでも「遊び」は作れる。「遊び」があることで、今までなかったものが生まれるかもしれない。
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主にデジタルの世界(ゲーム)と人の遊び心の関係を考察する本。
若干難解?抽象的に感じた。
この本自体は2014年の作で、今からほぼ10年くらい前の本だけど、挙げられているゲームがどれも非常に楽しそう。
"本書では遊びを、流用とそれに対する抵抗のダンスとして、あるいは想像と秩序の破壊のダンスとして考えてきた"
既存の文脈から絶えず離れながら文脈に引き戻されていくところに著者のいうゲーム(というよりもICCとかで展示されてるインタラクションみたいな感じ)の自由さや面白さみたいなものがあって、
そうした異化の過程が人にとって必要なものなのかなあと感じる
ただ、身体的なものをどう考えるのかまだ、ここではわからない感じもする。
いまのマイクラなんかは、まさに著者の言うゲームの王道なのかも。
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【遊びと現実社会とのつながり】、
コペンハーゲンでコンピューターゲーム研究センター准教授をされている著者が、
遊びとは何か、みたいな、哲学的に論じられている本。
遊びは文脈に依存する。
遊びの基本構造が検討されていました。
物、人、場所のネットワークがあって成り立つもの、
何らかの意味でルールを含んでいて、
そのルールは変化する。
想像と破壊の緊張関係の中で、バランスを維持する活動、らしい。
いろいろな遊びの場やゲームなど具体例にも触れられていつつ、
私が気になっていたのは、
「遊び心」だったということが分かりました。
著者によると、遊び頃子は、遊ぶという態度、モード、とのことです。
現実社会、
ゲームの考え方を持ってみることで
退屈な日々も少し楽しくなったりする、
そんな風に生きている人の話を聞いたりすることがありますが、
場やモノ、ヒトといったゲームの文脈を自ら見出して、
自分がプレイすることで有益になるルール、ミッションを設定する。
そのためには、
現実で自分と他者の立ち場をわきまえる視点や、
その場のしくみを理解するセンスが必要だなーと思ったりしました。
そして、
ゲーム感覚、ともいうけれど、
遊びにある心の余裕こそ、
至上主義にならずに、
倫理規範や社会性を保って楽しむために大事なのではないかなーと思いました。
遊びを通して社会を学んでいく、というようなお話もありました。
私はゲームをする人ではまったくないのですが、
今日溢れるたくさんのゲーム、ルールもかなり複雑化していて、
ゲームの世界観もとても緻密だったりして、
ゲーム好きな人とそうでない人の違いや、現実社会とのかかわり方の違いはあるのかなどが、
さらに気になりました。