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わかったようなわからないような読後感
何事にもわかりやすさを求めるのは無茶であり、わかりやすさを優先することで損なわれる(失われる)ものは大きいという主張が繰り返されていた印象
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なんか良く分からない本は、途中で投げ出すのだが、最後まで読み切った。内容をよく理解した気がしないけど、少しは理解した気がする。
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会話が成り立たない。話者の説明が悪いのか、聞き手の理解力が足りないのか。お互い責め合うのはやめよう。何もやりとりしないよりはましではないか。まずはわからないままにしておこう。世の中白黒はっきりさせるべきことばかりではない。ここは治めて、時間がたてば何か得るものもあるだろう。要約してはいけなくて、「わかった」とも言ってはいけない。そんな本の感想で書き留められることはそんなこと。もやもや感残して誰もが納得しないがそれでいい。小田和正の「言葉にできない」。詞の中の主人公が「何も考えてない」とは思わない。
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"選択肢を前にした時に、選択する前にすべきことがある。他に選択肢はないのかを考えることだ。"(p.13)
"あらゆる場面において「 要するに 何が言いたいの?」に応える必要なんてない。「要するに」って、必ずしもコチラの仕事ではなく、オマエの仕事でもある。なぜ、いつもコチラがかいつまんで伝える必要があるのか。"(p.33)
"理由がないことを、思ったままのことを、そのまま言い放ってしまえるというのは、子どもの特権の一つでもある。自分の感情に理由なんていらない。先生から理由を聞かれても、答えなくていいし、考えたって答えられないかもしれない。「なぜなら」の強制は、いわゆる「大人」にさせるための教育といてはベストなのだろうが、それは、理由なんてなくても構わないという、とっても大切な自由を手放している。"(p.161)
"私たちはいつだって、どっちでもないはずなのだ。ある状況において、それは、今のところ、ただ、どっちかであるにすぎない。だからこそ、単純な選択肢をぶつけられている状況に置かれたら、その選択肢から疑い直すことが必要になる。"(p.262)
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決して分かりやすさが悪いとしている本ではない。他人が押し付けてきたものを少しは疑おう。>少しは自分の頭で考えて判断しよう。という気持ちになる本。
「分かる!」「わかりやすくまとめました」「私ってこういう人だから」といった言葉に対して「分かりやすいかどうか判断するのも、あなたのことがどういう人間か判断するのもこっちの勝手だから」という気持ちを忘れてはいけないと感じた。自分自身の考えの「主導権」のようなものを他人に明け渡してはいけない・・ただしそうなると、現代の日本においてはめちゃくちゃ生きにくくなるかも・・・なんてことを考えるだけでも一歩、自分を取り戻す方向に進めたんじゃないかと思う。
「感動する」とされている映画を見て感動して、「コスパが良い」とされている商品を買う。いつの間にかちょろい消費者に成り下がったものだ・・。そういう誰かにコントロールされている生活に満足なら無理に変える必要もないけれど、これって「自分で選んだのかな」と考えるくらいはした方がいい。そういうきっかけを与えてくれる本だ。
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ディベートはそれ自体でイデオロギー。
多様性とは「わかる」をしないこと。
「まるで偶然」はフィルターバブル。
「本当の偶然」はリアル?
有名人の自虐は他虐になりうる。
システムを壊すのではなく抜け道で大声を上げてるだけの人(立花孝志)
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「人の振り見て我が振り直せ」という言い方(?)がある。人様の様子を見ながら、ああなったらイヤだなあ、ぼくにはああいうところはないかなあ。まあ、そんなふうにこっそり思えばいいことが、たくさんある。
あんまりたくさんあると、「いいかげんにしてくださいよね!」と言いたくなる。
で、言ってしまうのが武田砂鉄さんで、ぼくは、この方の、そういう物言いが、結構好きなのだが、「書く」ということの常というか、本質というか、「わかりやすく書く」という呪縛から逃れることは、武田さんも難しい。
というわけで、自分のわかりやすさは、あの人たちのわかりやすさとは違うという、実に、堂々巡りに似た葛藤に陥ることになる。
そこを悩んでいると見える、武田砂鉄が、実は、もっと好きなのだから、ぼくはかなりな武田ファンということになりそうだ。
いろいろ、世間にはびこる「わかりやすい」例について教えていただいて、なおかつ、そこから逃れようとする武田さんの葛藤も読める。なかなか読みごたえがあるというものですね。ちょっと面倒くさいですが。
ブログでも、意味不明のことを書いています。覗いてみてください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202104260000/
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重松清さんがインタビューでお勧めしていた一冊。
「世の中を鵜呑みにするな」というメッセージがたくさん詰まった本で、これまでの自分がいかに無意識のうちに世間に迎合していたかがわかった。
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最近、ドラマでも映画でも、展開のわかりやすさと早さが気になっていたのだが、やはり間違いなく、そうなっていると確信した。視聴者が求めているものを、はい、これですよね、と差し出されるあのつまらなさはこの「わかりやすさ」を追求していった結果なのだろう。わかりにくい映画はとんと上映されなくなっている。そのほかにも社会ではわかりやすさというものに縛られていることが多いことを指摘する。世の中、わかりにくいのが当たり前なのだ。
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『分かりやすさが尊ばれ、どっちでもないことが排除されるー。』そんな世の中に警鐘を鳴らす一冊。分かりにくいことが、分かるの第一歩なのではと思いました。声が大きい為政者や知識人ぶったタレントが跳梁跋扈している時代。きちんと見極める目と聴き分ける耳を鍛えていきたい。
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最初は、めんどくせえなと思った。でも確かに言いたいことはわかるよと思った。読んでいくうちになるほどと唸らされた。でも本当にそうか?と疑ったりもした。でも、ぐぬぬたしかに、とまた思う。でもなんかちょっと逃げてないか?とも思ったり。もう、頭の中がぐちゃぐちゃ。著者の狙い通り「残尿感」を受け取ってしまった。ちょっとくやしい。本書自体が「わかりやすさの罪」に抗おうとしている。というか、そういうことにしているズルさも感じる。
NHKの「ドキュメント72時間」が好きだ。好きな理由は、常に結論がないから。なるべく作為を抑えてひとつの結論を描いてしまうことに抗おうとしている感じがいい。ただ問題もある。毎週録画しているけれど、心に余裕がある時しか観れないのだ。観るには、ある程度の思考を必要とする。仕事が終わって疲れている時には絶対に観れない。それなりにわかりやすい番組ではあると思うけれど、観る気になれない。そんな時に観たいのは「わかりやすさ」に特化したバラエティ番組だ。思考せずに垂れ流して、そして笑える。
「わかりやすさ」に人が流れてしまうのは、未来が「わかりにくい」からだと思った。この会社にいても一生安泰とは限らない。100歳までお金があるかわからない。というか明日飯を食えるかもわからない。みんな予測不可能な未来に不安で疲れきっている。そんな時にメディアから流れる「わかりやすさ」は安心する。秒で笑わせてくれる一発芸なんか、最高だ。そういうものに日々すがりついてないと、うっかりすると「わかりにくい」未来に心が押しつぶされてしまう。
「わかりやすさ」は生きるのに大事だ。でも「わかりやすさ」に逃げてはいけない。同時に「わかりにくさ」に甘えてもいけない。その線引きを日常の中でひとつひとつ丁寧にやっていくしかない。
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【感想】
受験戦争、留学とインターン、人生100歳時代のキャリアプラン、新卒からの転職戦略、自己投資、資産運用、早期退職……
世の中全てが、最短距離を求めている。
時間がない。貴重な時間を無駄にしたくない。今日の自分は昨日よりも強くなり、一秒でも早く成長することが求められる。
これが、ほんとうに正しい社会なのか?
高速化する世界の中では、複雑な話なんて耳に入れる暇はない。わかりやすく、シンプルに、聞き手に100%尽くすつもりで論理的に話す。それが求められ続けている。
筆者と同じように、私もそんな世界が嫌いだ。
人間の営みというのは、もっと、複雑で名状しがたいエネルギーに満ちた現象なのではないだろうか。そう思ってやまないのである。
知的活動が魅力的なのは、自分の中にあった「わからなかった」という気持ちが、遠回りしつつもなんとか形になっていって、最終的に一つの「わかった!」を見出すからだと思う。
そして、その過程における一番楽しいものは、「わかった!」と感じた時の明快さよりも、頭の中でああでもないこうでもないとウンウン呻っている時ではないだろうか。
そうすると、「わかる」という現象にあまりにも早く最短距離で駆け抜ける行為は、果たして我々の頭を豊かにしているのか、という疑問が浮かぶ。
「いいから早く教えてくれ」という願望は、試行錯誤の楽しさから遠ざかる。
また、試行錯誤ののちに解決に至ればいいものの、当然上手く行かないことがある。迷路に迷い込み、頭がぐちゃぐちゃになり、結局ゴールに至らずに、思考や感情が打ち切りになる場合もある。
しかし、社会はそのような挫折を認めてくれない。
間違った道のり、中途半端な行動、誤った判断がますます許されなくなっている。求められるのは単純明快で理にかなった「生産性」の高い行動だけだ(わたしはこの生産性という言葉も嫌いである)。あらゆる活動を圧縮し、空いたスペースに時間を詰め込もうとして、じっくり腰を据えてやるはずの「知的活動」すら単純化されている。
複雑さを均した平坦な道では、スピードだけが勝因だ。言葉を変えれば、スピードに取りつかれた人間が、自分が勝つために無理やり道を平坦に地ならしした。まるで一番のりだけが一番偉いかのように。
しかし、そうではない。そこには順位なんて存在しない。短時間で価値あるアウトプットを生み出す行為だけが正義ではない。
ゴールまでの間に迷子になる行為こそが、尊いものではないのだろうか?
「わかりやすく」なる世の中が、なんだか気に入らない。そんな人は是非、腰を据えてうめきながらこの本を読んで欲しい。
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※本書のスタンス的に「要約」を作るのはいかがなものか…と思いましたが、書きました。スミマセン…。
【本書のまとめ】
1 わかりやすく、簡潔な説明を社会全体が欲している
あらゆる場面で、短時間で明確な説明ができる人を求められるようになった。答えにたどりつくまでのスピードが��ければ速いほど優れている、と思い込まされるようになった。
私たちは日ごろ、「そういうことにしておきましたんで」という前提を簡単に飲み込むことによって、いくつもの議論を放置していく。なんでも選択肢にしてしまい、片一方を選ばされている。
そんな世の中における分かりやすさの罪の一端は、「どうして私にわかるものを提供してくれないのか」という態度だ。そして、「こっちはそっちも理解していますから」という身勝手な能動性だ。
「わからない」ことは人を不安にさせる。理解できないことに人は耐えることができない。
だから、人はわからないことをそのままにしておくことができない。
氾濫する情報のなかで、人は動きを止めて、わかるものだけをわかろうとするようになった。次々と玄関先に情報がやってくるものだから、顧客が偉そうになった。
考えていることがわからない、といった複雑性が、文化も人間も政治も豊かにする。日々の暮らしに分かりやすい物だけが並ぶのは窮屈だ。
言葉を溢れてくる思いだけで査定し、「言葉にできないのは考えていないからだ」とする考えを簡単に認めたくはない。人には「言葉にできない」という頭の中の跳躍力があるのだ。
2 要約主義
あらゆる思案とは、複雑に絡み合っている状態だからこそ生まれたものだ。だが、このところの風潮といえば、その試案がどのように発生したかなんてどうでもいいようで、とにかく目の前の事象を即座に理解してもらうことが求められる。そのため、複雑な事象がシンプルに加工され、主張は手短に済まされる。
要約という慣習には気をつけなければならない。簡略化に慣れ、簡略化を急げば、簡略化はよきものとしてどんどん持ち上げられていく。
3 結論ありき
今、二者択一が、「二者択一の前に議論をさせておきながら、実は答えが決まっている」に、「わからないことはそのままにしておく」が、「そのままにしておきながら、やりたいように進めてしまう」に変わってきている。本来であれば、素材が決まっていながらも、結論が決まっていない物事に可能性があるのではないか。
4 他人の心は理解できない
人が何を考え、何故その行動を取ったかについて、外から完全に解析することはできない。
そこかしこでコミュニケーションが能力として問われる時代にあるが、他人との関係性でのみ成り立つものを、自分の能力として問われてしまえば、当然、みんながみんな、どうしてその能力が私には欠けているのだろうと悩む。しかし、とにかく無理解を嫌い、意味の分からないものを遠ざける昨今、結果的に個人が理解すべき範囲が拡張され、抱え持つ必要のないものまで持たねばならない。
今の時代は、ものごとを論理的に理解するため、「偶然」が介入することを嫌う。理解のしすぎは言葉の幅や表現の幅を狭めるだけでなく、偶然を偶然のまま放置しなければ、起こりうる事象が限られるはずなのに。
5 相手にわかる説明
相手の立場に立った説明とは、「私」を剥奪してから生まれる。しかし、頭の中で説明を形成するプロセスは、どうしたって個人的なものだ。わかりやすい解説ばかりをしていると、自分はどう思うんだ、と考えることができなくなる。
「何かを言うことは最後通牒のように行い、実はそれが話のはじまりであることに気が付かないことが多い」。
人心を、自分の考えを、1分で話してはいけない。わかりやすくしてはならない。複雑さの中にある無数の可能性を探るのが、会話であり文章なのだ。
6 当事者性の重視
当事者であるから、その意見を言ってよし。そうでないなら、まずは当事者になってから言って見ろ、そうした意見が増えた。
今の世の中に生きづらさを感じることが多いのは、よくわからない状況にいる人を「未成熟」だと片付ける人があまりに多いからではないのか。
7 ベストセラーコード
今の時代、「その人ならでは」を諦めて、受容してくれる人たちに寄り添うように言葉が選ばれている。「コード」が頒布され、そのコードに基いて言葉が書かれている。没個性をベタに変換する手続きをさっさと終え、多くの人に通用するものを提供しましょうよ、という圧が強くなっている。無意味なモノには触れない、その感覚の高まりがある。
今は子供までもが、自分の感情に「なぜなら」をつけて日記を書かなければならないという。理由がないことを、思ったままのことを、そのまま言い放ってしまえるというのは、子どもの特権の一つでもあるのに。
それは、理由なんてなくても構わないという、とっても大切な自由を手放しているのではないか。
8 わざと雑にする
世間は、「えっ、だって、そうでしょう?」という声に弱い。「だって、そうでしょう?」という疑問形が、おおよそ「だって、そうでしょう!」として機能する。相手が即答できなければたちまち論破したことになり、オレはアイツを打ち負かしたんたぜ、という実績として積み上げられていく。
論点がかみ合わないのではない、意図的にズラしているのだ。
なんでもかんでも単純にして、いちいちしっかり考えることを放棄していては、なにもかもが雑になっていく。「わかりやすいこと」と「雑に考えること」は相反するように思えるが、この2つはときに共犯関係になる。雑に考える土壌が整えば整うほど、その中で、強い意見、味付けの濃い意見がはびこる。雑にしていくことで培養されていくわかりやすさは、積み重ねられた議論を一気に無効化させる。
9 人はいつだってぐちゃぐちゃだ
外部とのコミュニケーションを断絶し続けると、内部での絆は強まるものの、限定的な「わかる」の中で相互を褒め合うしかなくなる。結果が見えていないと動かなくなる。同意ばかりを重ね、狭い社会が形成される。
誰もがハマる爽快感とパンチのあるテイストを目指した文章がメディアに溢れすぎることで、受容するほうの思考力が削がれているのではないか。
人はいつもぐちゃぐちゃだ。「わかりやすさ」は人間の営みに反している、とわたしは考えてきた。人間は複雑な環境の中を生きている。ならば、複雑なほうに心情を合わせていくほうがいいのではないか。
結論を出すというのは、そんなに優れたことなのだろうか。そう簡単にゴール地点を探さないほうがいい。しかし、世の中全てがどんどんゴールを急かすようになっている。
わかりやすさも同様だ。「だって、わかりやすいでしょう」が客を集める。そうではない。戸惑いを表明しないと、このわかりやすさの中に埋もれていく。それを回避したい、とわたしは思ったのだ。
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わかりやすくする。要約する。ことに、慣れすぎている社会ってどうよと武田砂鉄は、ナンクセを付ける。このナンクセが、実にわかりにくく説明されているので、首尾一貫しているのだ。常にわかりやすい社会って、気持ちが悪いのである。どうすれば、わかりやすさから逃れることができるかを武田砂鉄は考えている。どうもわかりやすさを求めているの私と全く違う。毎日豆腐ばかり食べていると、柔らかいものを出して欲しいと思って、せんべいが食べられなくしてしまうことに警告を発している。
この本は「何を考えているかわからない人」という言葉から始まる。
うーん。それは、私だ。次から次に考えているので、何を考えているのかが、自分でもわからない。
とにかく複雑に絡み合っていて、繋がっているのだが、その繋がりがわかるのは、自分だけで外から見ていると単なる思いつきに見える。とにかく、言葉の洪水で溺れているのだ。
「どっちですか?」と2者選択は、どうもい心地が悪いという。もっと他の選択肢があるだろう。なぜその選択肢なのか?考える必要があるという。
企画書は1枚でというシンプルなものが優良とされているのもおかしいと指摘する。
コピーライターの梅田悟司が「言葉にできないことは、考えていないのと同じである」ということに、武田砂鉄は異議申し立てをする。梅田悟司は「世界はだれかの仕事でできている」「この国を支える人を支えたい」とジョージアのコピーを書いている。武田砂鉄は、「人が考えていることは、言葉にならず、言葉として吐き出されないものが大量に蓄積されている」という状態が、ある意味では自分で考え自分の言葉になっていくと思っている。これについては、私は賛成する。
本の要約サービスについても、なぜ本にするかを理解していないと憤慨する。要約サービスは、その上、本の評価までして、著作者に対して、お金を払うこともない。そりゃおかしいだろと言っている。
わかりやすさで評判の池上彰は、「自分の意見を言わないように封印してきたことで、自分の意見を持たなくなった、持てなくなっていた」池上彰の質問は「〇〇という意見も出ていますが、どう思いますか?」と聞いて、全く自分の意見は言わない。そういうところに、本当のわかりやすさがあるのかと武田砂鉄は言いたいようだ。
シンプルにすることで、わかった気になることが、危険だともいう。とにかく、わからないことの状態の方が、よく考え自分の意見を持つことができるのだということだ。確かに、わかりにくいこと、わからないことの方が多い。そこに楽しみはあるのである。
4回泣ける映画というキャッチコピーの映画を見て、4回泣く人はどうなのよといじったりする。
とにかく、武田砂鉄は、様々な事象やAmazonレビューや本の中から、わかりやすいって困ったもんだと叫び続けているのである。というかボヤいている。まぁ。こういう人も、世の中に必要かもしれない。逆張りで突出する。でも、私はわかりやすい方がいいなぁ。シンプル イズ ベスト!
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分かりづらい世の中を無理やり「わかりやすく」まとめるから、世の中が余計に分からなくなる。
RHYMESTERの「グレイゾーン」を思い出す。
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今特にテレビ番組は、とにかく視聴者にわかりやすく作っているものが主流だと思う。過度すぎるほどにわかりやすく、もはや「誘導」している。
自分もまんまとその誘導に乗ってしまっているし、いつのまにかはっきりとした結末を求めてしまっていたりする。
そんな我々に警告を鳴らしてくれる砂鉄さんの本です。
同じようなタイトル「わかりやすさの罠」を書いた池上彰の"自分の意見は言わないようにしてきたら、自分の考えがなくなっていた"という話。
私も以前複雑な中東問題を知りたいと思い、池上彰の本を読んで、図式化されて確かにわかりやすいなと思ったのだけど、いつのまにか「イスラエルが」「パレスチナが」とかめちゃくちゃ俯瞰された一個のモノとして捉えており、そこには人々が暮らしているということが頭から抜け落ちた理解であると気づき、これはキケンだなと思ったのを思い出した。
是枝監督のTwitter140字以上の話。
「文章を長くすればもう少し考えて書くんじゃないか。」たしかに!!と思った。
それにしても、話題として出てくる面々(安倍晋三、河村市長、立花孝志、堀江貴文等々…)の絶望的な発言の数々にはうんざりする。
しかし、砂鉄さんのような方々がいることが希望だし、これからもTwitter、ラジオなどでどんどん発言してほしい。