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2021/10/16 11:38
投稿元:
ライト
生物学…?いや生物学ではあるか…?と読んでいると違和感がある。なんだろう、生物学を流用した哲学のような、自己啓発のような、教育本のような。全体的にふわっとしている印象で故にライトだなと感じた。
アベコベガエルを知れたので良し。
2020/07/26 13:01
投稿元:
・こうして、生命はバトンをつないできました。
子どもは大人となり、大人は子どもを作って、走り続けてきました。そして、バトンを渡し続けてきたのです。今、そのバトンを手にした私たちが、未来に向かって走っているのです。たったこれだけ、と言ってしまえば、ただこれだけです。
しかし、それはつまらないことでしょうか。それは、とてもすごいことなのではないでしょうか。それだけでもすごいことなのに、もし、人生に、楽しみや心動かされることを見つけられたとしたら、これはもう、とてつもなく、すごいことなのです。p149-150
→もしかしたら、ここがこの本で最も大切なメッセージなのかも知れない。
⚪︎第1章 大人と子どもはどこが違う?
・大人と子どもの違いは何でしょうか。
遊園地のチケット売り場などでは、子どもは「小人」と書かれています。大人は大きいのに対して、子どもは小さいという特徴があります。
しかし、本当にそうでしょうか?
(中略)子どもが小さくて、大人が大きいって、本当に本当でしょうか?
大人と子どもの違いは、本当に大きさの違いだけなのでしょうか?p11
・キングペンギンが暮らす南極などでは、厳しい冬を乗り越えなければなりません。それは、子どものペンギンにとっても同じことです。そこで、ヒナたちは寒さと飢えをしのぐために、脂肪を蓄えるのです。もちろん、親のペンギンも脂肪を蓄えますが、成長過程にある子どもたちは、より多くの栄養分を必要とします。そのため、親よりも大きくなるほどに丸々と太っているのです。
しかし、不思議です。
親よりも大きいほどの体であるなら、もう子どもではなく、大人になってしまえばよいのではないでしょうか。
しかし、そうはなりません。どうやら、子どもと大人の違いは、単に大きさの問題だけではなさそうです。こんなに大きくなっても、ペンギンのヒナは、まだ大人になることができないのです。p13
・アベコベガエルと呼ばれるカエルがいます。
アベコベガエルのオタマジャクシは、25センチほどの大きさがあります。
ところが、大人のカエルになると、6センチほどの大きさになってしまいます。驚くことに、大人になると1/4程度の大きさになってしまうのです。
子どもの方が体が大きく、成長して大人になると体が小さくなってしまう。まさにアベコベです。
(中略)子どもが大人になるということは、単に体が大きくなるということではないのです。p14
→大きいだけが大人じゃない。人間で言えば大きいほど強そうなものだけど、別にそんなことないもんな。
・アベコベガエルほどでなくても、カエルはオタマジャクシの方が大きい印象があります。オタマジャクシは丸々と太っているのに、カエルになるとほっそりとした姿になってしまうのです。
カエルには長い手や足が生えているので、余計にほっそりと見えるのかもしれません。
オタマジャクシがカエルになるということは、手や足を手に入れることでもあります。しかし一方で、失うものもあります。
尻尾です。
オタマジャ��シはカエルになるときに、後ろ足が生え、前足が生えてきますが、最後に水の中で泳ぐ為に必要だった尻尾がなくなります。
大人になるということは、何かを獲得するばかりではありません。オタマジャクシの尻尾のように、大人になることで失うものもあるのです。p15
→大人になる過程で失うものもある。
・イノコヅチという植物は、イモムシが抵抗できないような方法で、身を守ることを考えました。
じつは、イノコヅチは葉っぱの中に、イモムシの成長を早める成分を含んでいます。そのため、この葉っぱを食べたイモムシは、脱皮を繰り返します。その結果、葉っぱを十分に食べることなく、大人のチョウになってしまうのです。
毒であれば、イモムシも必死になって対抗策を進化させますが、ちゃんと成長して大人になっているのですから、イモムシも文句はありません。チョウになって飛び立っていきます。こうして、イノコヅチは、やっかいなイモムシを追い払ってしまうのです。
早く成虫になることは、いいことのようにも思えます。
しかし、幼虫であるイモムシにとっては、食べることが仕事です。たくさん食べて、たくさん栄養をつけることが、立派なチョウになるために必要なことです。十分に葉っぱを食べることができずに、早く大人になってしまったイモムシは、小さな成虫にしかなれないそうです。
しっかりとした子ども時代を過ごすことができず、こぢんまりとした小さな大人になってしまった成虫には、卵を産む力はありません。こうしてイノコヅチは、イモムシを退治しているのです。
「早く大人になってしまえ」
それが、イノコヅチの恐ろしい作戦です。
もしかしたら、私たちは知らず知らずのうちに、子どもたちに対して同じようなことをしていないでしょうか。もし、大人びた「小さな大人」のような子どもたちが増えているとしたら、それはなんだか恐ろしいことです。
しっかりとした大人になるためには、しっかりと子ども時代を過ごすことが大切なのです。p19-20
→めっちゃ面白い!甘やかしてダメにする感じ?しっかりとした子ども時代を過ごさないと良い大人にならないのは、みんな一緒なんだな。
・どうやら大人と子どもで役割分担がある生物は、大人と子どもの姿が異なり、役割分担がない生物は、大人と子どもが同じような姿をしているようです。p23
・ワニのように、大人なのか子どもなのかわからないということはありません。
人間のことなど子どもは、見た目が違う存在なのです。
人間だけでなく、イヌやネコなども赤ちゃんは可愛らしい姿をしています。おそろしいライオンやオオカミでさえも、子どもを見れば、かわいく見えます。
「子どもがかわいい」というのは、哺乳動物の大きな特徴なのです。
(中略)それなのに、どうして、哺乳動物の赤ちゃんはかわいいのでしょうか。
それは、哺乳動物の赤ちゃんが「大人に守られるべき存在」だからです。
哺乳動物は、子育てをする動物です。そして哺乳動物の子どもは、「子育てをされる存在」です。そのため、大人たちから守られるように、かわいい姿をしているのです。カメが硬い甲羅で身を守ったり、毛虫が毒の毛で身を守るように、哺乳動物の赤ちゃんは「可愛らしさ」で身を守るようになっているのです。
(中略)哺乳動物にとっては、大人は子どもを守る存在であり、子どもは大人に守られる存在です。よく似た姿をしていても、大人と子どもの姿が異なるということは、大人と子どもの役割が違うということなのです。
それでは、子どもの役割とは、何なのでしょうか。
子どもの役割は、明確です。それは、「大人になること」です。しっかりとした大人になるために、しっかりとした子ども時代を過ごすことです。
それが、子どもの役割なのです。
それにしても、最近は人間も大人と子どもの区別がつきにくくなりました。
大人びた子どもらしくない子どもが増える一方で、大人になりきれない子どもじみた大人が多いように思えるのが気になるところです。p24-26
・小さく弱い存在であった哺乳類は、恐竜の目を逃れて、暗い夜に行動していたのです。しかし、同じく恐竜から逃れるために、聴覚や嗅覚などの感覚器官と、それを司る脳を発達させ、俊敏な運動能力も手に入れました。
こうして、哺乳類は敵から逃れ、子どもたちを守るだけの能力を発達させたのです。その結果、子を守るために卵ではなく赤ちゃんを産んで育児するという、「子育て」をする生物となりました。そして現在、子育てをする哺乳類は、地球上に繁栄しているのです。哺乳類は、強いからではなく、弱くても生き残るために、「子育て」をするようになったのです。
さらに哺乳類は、「知能」を発達させました。
じつは、この「知能」という機能を活用するために、哺乳類は「子育て」を必要としたという面もあります。
「知能」と「子育て」には、どのような関係があるのでしょうか。どうして知能を発達させた哺乳類は「子育て」を必要としたのでしょうか。
この続きは、次章でお話しすることにしましょう。p42-43
⚪︎第2章 「遊び」と「学び」
・哺乳動物の子どもは、とにかくよく遊びます。
子どもというものは、何しろ好奇心が旺盛です。いろいろなものに興味を持ち、いろいろなことをしたがります。そして、すぐに大人のマネをしようとします。じゃれ合ったり、兄弟姉妹でよくケンカもします。
一日中、そうやって遊んで過ごしています。一生懸命にエサを集めている大人の動物から見れば、本当に気楽なものです。
(中略)しかし、「遊ぶこと」は哺乳動物にとっては、重要な生きる手段です。
なぜなら哺乳動物にとって、哺乳動物の子どもたちにとって、「遊ぶこと」は生きるための知恵を「学ぶこと」だからです。p47-48
→遊び=学び
・生物の多くは本能と知能とを持っています。
(中略)この本能を、最も高度に発達させたのが昆虫です。昆虫は親から何も教わらなくても、生きていくことができます。
(中略)ミツバチは、デザインと機能性に優れた六角形の巣を作ることができます。そして、花の蜜を見つけ、仲間に花のありかを伝えます。誰にも教わらなくても、働きバチたちは女王バチや幼虫の世話をし、巣のメンテナンスをします。
このように昆虫は、本能という高度なプログラムによって、誰に教わらなくても、生きていくために必要な行動を取ることができるのです。
それに比べると、私たち哺乳動物は面倒です。
生まれたばかりの赤ちゃんは、一人では生きていくことができません。かろうじて、飲み方を教わらなくてもおっぱいを飲むことくらいはできますが、本能でできるのは、これくらいのことです。
肉食動物の子どもは、親から獲物の取り方を教わらなければ、狩をすることさえできません。草食動物も同じです。親が逃げれば一緒に逃げますが、何が危険なのかさえわかっていません。
私たち哺乳動物にも本能はありますが、昆虫ほど完璧にプログラムされた本能は持ち合わせていません。誰かに教わらなければ、何もできない存在なのです。p48-49
・昆虫が本能を高度に発達させたのに対して、生きるための手段として知能を高度に発達させたのが、私たち人間を含む哺乳類です。哺乳類は、自分の頭で考え、どんな環境に対しても臨機応変に行動することができます。情報を処理して、状況を解析し、とるべき行動を導き出す。これこそが、知能のなせる業です。
知能を持つ哺乳類は、ブルーシートに卵を組んでいるトンボの行動が正しくないことはすぐに分かりますし、落としてしまったエサは、その場で探します。(本能のプログラムに沿って機械的に動くために、誤った行動をしてしまうのが本能の欠点。決まった環境であれば、正しく行動をすることができるが、プログラムの想定外の環境の変化には全く対応できない。p52)
これが知能の優れたところです。
ところが、知能にも欠点があります。
長い進化の過程で身につけた「本能」は、多くの場合、正しい行動を導くマニュアルです。つまり解答が示されているのです。
一方の「知能」は、自分で考えて解答を導かなければなりません。自分の頭で考えた行動が正しい答えであるとは限りません。考え抜いた挙句に、行動を誤ってしまうこともあるのです。p52-53
・(AIのディープラーニングは人で言う「経験」p56)経験とは「成功」と「失敗」を繰り返すことです。
囲碁や将棋のAIであれば、「こうしたから勝った」「こうしたから負けた」と言う情報を蓄積していきます。
哺乳動物も同じです。成功と失敗を繰り返すことで、どうすれば成功するのか、どうしたら失敗するのかを認識していきます。それが経験です。
しかし、哺乳動物にとっての経験には条件があります。その経験が安全なものであることです。そうでなければ、私たちは命を失ってしまうのです。
「一度、ライオンに食べられてみた」「高いビルから飛び降りてみた」と言う経験は、私たちの生存にとって役に立つ情報を与えてくれません。死んでしまったら、終わりだからです。
そのため経験は、安全が保障された環境で行われる必要があります。
哺乳動物は、親が子どもを守ってくれます。そのため、子どもたちは、親に守られて経験を積み重ねることができます。
親の保護のない昆虫は経験を積むことができません。一方、哺乳動物は親の保護があります。親が守ってくれることによって、哺乳動物は経験を活かすことが可能になり、知能を高度に発達させることが可能になったのです。
哺乳動物の親の役割は、子どもを守ることだけではありません。安全な環境で経験を積ませることもまた、哺乳動物の親の役割なのです。p59-60
→安全な環境下で学ばせることが親の役目なんだな。
チーター
・哺乳動物の子どもたちは、限られた環境下で、効果的に体験を積み重ねるツールを持っています。
それが「遊び」です。
とにかく哺乳動物の子どもたちは、よく遊びます。狐やライオンなど肉食動物の子どもたちは、小動物を追いかけます。あるいは、兄弟でじゃれ合ったり、喧嘩したりします。
こうした遊びは、「狩り」や「戦い」や「交尾」などの練習になっていきます。遊びながら、成功と失敗を繰り返し、獲物を狩る方法や、仲間との接し方を学んでいきます。
そして、安全な環境のもとで危険を学ぶと言うことが大切です。p62
・多くの生物は、生きる技術の全てが本能に組み込まれています。
ところが、哺乳類は違います。生きるために必要な「最低限の技術」さえも、親から教わらなければできない場合があります。
それが「知能」という戦略なのです。
肉食動物は、子どものときに獲物を獲る狩りの練習をします。
(中略)そして、お母さんチーターは獲物になりそうな草食動物の子どもを与えます。ところが、子どもたちはそれが獲物だとは気がつきません。中には獲物である草食動物の子と遊んでしまおうとするチーターの子もいるというから驚きです。
しかし、やがてチーターの子たちは、獲物を覚えます。そして、獲物を追いかけ、狩りをすることを覚えていくのです。肉食動物は草食動物の狩りをしなければ生きていくことができません。それなのに、生きていくうえで最低限、必要なことさえ、母親に教わらなければできないのです。p63-64
→ここもめっちゃ面白かった。生きるうえで必要最低限のことさえも教わらないとできないのが「知恵」という戦略。チーターの赤ちゃんは草食動物の赤ちゃんとも遊ぼうとするなんてね。まぁ、俺らもひよことか子牛とか可愛いと思うしね。
カワウソ
・(中略)カワウソの母親は、この「泳ぎの教え方」をどのようにして身につけたのでしょうか。本能に備わっているものなのでしょうか。
おそらく、そうではありません。
カワウソの子どもは、母親に泳ぎ方を教わります。そして、その母親を見て「教え方」もまた学んでいたのです。大人に成長し、親になったカワウソは、自分がしてもらったように子どもに教えます。親もまた、子どもの頃に教え方を教わり、学んでいたのです。
動物園で人間に飼育された動物は、上手に子育てができなかったり、子育てを放棄することが知られています。最近では、動物園は動物を繁殖し、数を増やすことも重要になっているために、できるだけ子どもと親を一緒に飼育したり、飼育員が親の子育てをサポートするようになっています。
私たち哺乳類は、親もまた、親となるための練習が必要なのです。p66-67
→親に育てられながら、子育ての方法を学ぶ。それが満足にいかない動物園では、育児放棄が発生する。…面白いね。でも動物の世界には反面教師はなさそう笑。
・もし、親が適切な学習をしていなければ、子どもを育てる���とができません。そして、子どもも適切な学習を受けなければ、生きていくことができません。
なんという危うい仕組みなのでしょうか。
(中略)しかし、それこそが、哺乳動物が発達させてきた「知能」という戦略ゆえのことです。
本能には、生きるための技術がプログラムされています。このプログラムに従えば、誰の助けを受けなくても、生まれたばかりの子どもは生きていくことができます。本能というのはすばらしいシステムなのです。
ところが、本能には欠点がありました。
環境の変化に対応できないということです。どんなに状況が変化しても、生物は「本能」というプログラムに従って行動します。環境の変化に合わせて本能のプログラムが書き換えられるためには、長い進化の歴史を必要とします。それができなければ、時代遅れのプログラムのために滅んでしまうかも知れません。
一方、知能は、自分で状況を判断する能力です。環境が変化しても、状況に応じて行動を変えることができるのです。しかし、知能にも欠点がありました。知能は、学習してたくさんの情報をインプットしなければ、何もすることができないのです。
本能にも知能にも、メリットとデメリットがあります。この二つの戦略のうち、哺乳動物は知能を選んで、進化を遂げたのです。
もっとも、哺乳動物にも本能はあります。生まれたばかりの赤ちゃんは教わらなくても母親のおっぱいを飲むことができるようになります。恋の季節になれば、オスはメスを好きになり、メスはオスのことが好きになります。環境が変わっても、変化することのない不変の行動は、本能にプログラムされているのです。p67-69
→不変の行動には本能を、環境によって変わる行動には知能を。にしても知能偏重型だな。
・カワウソはどうでしょうか。
環境によって泳ぎ方は変わります。棲んでいる川は、流れの早いところかも知れませんし、水深が浅い場所かも知れません。場所によって、獲物になる魚の種類も必要な泳ぎ方も変化することでしょう。哺乳動物は、不変のことには本能で対応しますが、変化することに対しては知能で対応するように進化をしているのです。
そして、子育てには知能を使います。
子どもがかわいいとか、子どもを守りたいと思うのは本能です。しかし、子育ての方法は、本能には何もプログラムされていません。それは、親が子どもに教えるべき「生きる術」が、時代や環境によって変わるからです。さらに、子どもによっても違うからです。
「知能」は、もしかすると判断を誤るかも知れなかったり、うまくいかないかも知れないというリスクを常に負っています。
それでも哺乳動物は、「教え方は変化するーという戦略を選んだのです。p69-70
鳥
・哺乳動物に比べると、鳥は本能で行動できる部分が多いのです。
どうしてでしょうか。
鳥は子育てをする生き物ですが、親鳥たちはヒナにエサを運ぶのに精いっぱいです。そのため、鳥の子育てでは、子どもたちに様々なことを教えている余裕がないのです。つまり、知能を活かし切ることができずに、本能に頼らざるを得ないのです。
一方、哺乳類はどうでしょうか。
哺乳類は、母親��母乳によって子どもを育てます。父で子どもを育てるということは、哺乳類が進化の過程で手に入れた画期的なシステムです。このシステムによって、哺乳類は子どもたちのためにエサを集めなくても、子育てができるようになりました。そして、その余裕を利用して、哺乳類の親は、子どもたちを遊ばせたり、子どもたちに様々なことを教えることができるようになったのです。
「知能」を発揮するためには、親による保護と、親の保護のもとで経験を積み重ねるという「子育て」が必要です。そして、この子育てによって、哺乳類は「知能」という能力を存分に発揮することができるようになったのです。p83
→「知能」を存分に発揮させるためには、子育ての過程で子どもにたくさんのことを教えないといけない。母乳は、親が子どもにずっと付き添うことを可能にした発明なんだ。
カバ
・生物の多くは、「本能」を発達させることによって、生きる術を身につけています。
これに対して、哺乳類は「子育て」によって、「知能」を活用することを可能にしました。「本能」が、自然界を生き抜くための最低限のプログラムであるのに対して、「知能」は、環境応じてそのプログラムを変化させてアップデートしたり、新しい形にグレードアップできるようにするものなのです。
そのため、哺乳類の世界では、本能のみで生きる生き物には見られないような、高度なプログラムが見られます。
それが「ルール」です。
たとえば、カバのオスは口を大きく開けて、口の大きさを競い合います。別に口の開け方が小さかったからといって、力の強さが否定されたわけではありません。本当は、力づくで勝負を挑むことだってできますし、実際に激しい戦いになることもないわけではありません。しかし、カバの世界には、「口の開け方の大きい者が勝者である」というルールがあります。このルールを破って卑怯な戦い方をすれば、オス同士が傷つけ合い、結果としてカバの群れ全体が弱くなってしまいます。どのオスも争いに明け暮れて傷ついていれば、肉食動物に襲われやすくなってしまうかも知れません。他のカバの群れになわばりを奪われてしまうかも知れません。
口が大きいことが、本当に強さの証なのかどうかは、わかりません。自然界で重要なことなのかどうかはわかりません。しかし、無用な争いを避けて群れが生き残るために、口の大きさで勝負を決めるという、高度なルールを発達させているのです。p86-87
→面白いなぁ。知能によっても、社会性を獲得する。群れを傷つけない方法で争うルールがある。
・戦わずに勝敗を決める。こういった高度なルールは、知能が得意とするところです。
しかし、「激しく戦い合えば、死んでしまう」「みんなで戦い合えば群れが滅んでしまう」という、そんな危険な体験を簡単にすることはできません。そのため、そのルールは誰かがどもたちに教え伝える必要があります。
哺乳動物では、そのルールを教える存在こそが、オスなのです。
メスには体の中で胎児を保護し、母乳で子どもを育てるという大切な役割があります。
そして、オスが子どもにルールを教えていくという役割分担しているのです。
哺乳動物の中には、オスが子育てに参加しないものもたくさんありますが、群れを作って暮らす動物のように、ルールが必要な場合は、オスの役割が重要になります。p88-89
ゴリラ
・人間に近いと言われるゴリラのオスの子育ての例を見てみましょう。ゴリラはオスが子育てをすることが知られています。
ゴリラは、一頭のオスがリーダーとなり、複数のメスを率いて群れをつくります。子育てといっても、小さな子供の面倒を見るのは母親の役割です。
(中略)子どもが小さなうちは、母親がずっと抱っこして、愛情を注ぎます。
しかし、子どものゴリラが離乳する頃になると、オスのゴリラにも出番が回ってきます。母親がオスのゴリラのところへ、子どもを置きにくるようになるのです。
ゴリラの群れには複数のメスがいます。他のメスのゴリラも同じように子どもを連れてくるので、オスのゴリラのまわりは子どものゴリラで賑やかになります。
まるで幼稚園のようです。ゴリラの幼稚園では、子どもたちが互いに遊んでいます。
オスゴリラは、子どもたちの面倒を見ることはありません。子どもたちが遊ぶ様子を見守っているだけです。しかし、子どもたちが喧嘩を始めると仲裁に入ります。
オスのゴリラの仲裁は平等です。年下の子どもや、攻撃を受けた方の子どもを保護します。こうして、子どもたちにゴリラ同士のルールや社会性を教えているのです。
集まってきた子どもは、全てオスゴリラの子どもですから、えこひいきすることはありません。しかし、母親だと、こうはいきません。母親は自分が産んだ子どもがかわいいので、どうしても自分の子どもをかばってしまいます。
それでは群れが治らないので、オスのゴリラが子どもたちの面倒をみるのです。そして子どもたちは、オスのゴリラのもとで「社会のルール」を身につけていくのです。
(中略)ゴリラは成熟した大人になるのに、10〜15年の期間を必要とします。これは、哺乳動物の中でもかなりの長さです。このような長い期間をかけてゆっくりと子育てをすることができるのは、ゴリラに子どもを守る力がある証でもあるのです。
そして、ゆっくりと成長するということは、それだけ大人になるために、学ぶことが多いということでもあるのです。p91-92
→子どもたちで遊んで、それを親が見守りながらルールを教えるって図式は素晴らしいな。時間はかかるだろうけど。そりゃ動物園のゴリラはうまく子育てできんわ。
・子どもたちは、遊ぶことを本分としています。とにかく子どもたちは遊びます。
なかでも子どもたちは、大人のマネをする「ごっこ」遊びが大好きです。お母さんのマネをしてままごとをしたり、駅員のマネをして電車ごっこをします。大人のマネをして電話をかけてみたり、車の運転のマネをしてみたりします。
ごっこ遊びが好きなのは、人間の子どもだけではありません。
サルの仲間も少女になると赤ちゃんザルに興味を持ち、抱っこしたがります。この経験があるサルは自分の子を不器用ながらも育てることができますが、この経験をしていないサルは自分の子を育てられないそうです。動物園のサルがそうです。
ごっこ遊びは、いわば模擬練習です。p94
→ごっこ遊びをしないと、子どもを育てられない。学ぶ機会がないとできないのは仕方ないね。
⚪︎第3章 「ふつう」ってなんだろう
・みなさんは、「オナモミ」という雑草を知っていますか。
トゲトゲした身が服につくので「くっつき虫」という別名もあります。オナモミの実は知っていても、この実の中を見たことのある人は少ないのではないでしょうか。
オナモミの実の中には、やや長い種子とやや短い種子の二つの種子が入っています。
この二つの種子は性格が違います。
二つの種子のうち、長い方の種子は、すぐに芽を出すせっかちな性格です。一方の短い方の種子は、なかなか芽を出さないのんびりとした性格です。オナモミの実は、性格の異なる二つの種子を持っているのです。
それでは、このせっかちな種子とのんびりとした種子は、どちらがより優れているのでしょうか。
そんなこと、わかりません。
もしかしたら、早く芽を出したほうが良いかも知れません。
「善は急げ」や「先んずれば人を制す」ということわざがあります。
他の植物に先駆けて芽を出すということは、それだけ有利なような気もします。
一方、「急いては事をし損じる」ということわざもあります。「ゆっくり行く者は遠くまで行く」という格言もあります。
早く芽を出しても、その場所はまだ環境が整っていないかも知れません。早く芽を出したことによって、人間に草取りされてしまうかも知れません。
早く芽を出したほうがいいかも知れないし、遅く芽を出したほうがいいかも知れない。そこでオナモミは、二つの種子を用意しているのです。
つまり、種子に「個性」を持たせているのです。個性があることは、オナモミの戦略なのです。
(中略)自然界の生物は、このようにバラバラな性質を持っていることがよくあります。
オナモミのような雑草は、早く芽を出したり、遅く芽を出したり、バラバラです。抜いても抜いても雑草が生えてくるのは、そのためです。p99-101
→面白いなぁ。確かに雑草って年中生えてるもんな。
・一方、葉っぱの形は個性がありますが、タンポポの花の色には、個性がありません。
タンポポはみんな黄色い色をしています。それはなぜでしょうか。
タンポポの花は、アブなどの昆虫を呼び寄せます。アブなどの昆虫は、黄色い花に集まりやすいという特徴があります。そのため、タンポポの花は黄色い色をしているのです。
タンポポの花の色は黄色が正解です。正解のあるものにバラツキはありません。
バラバラであるということは、何が正しくて、何が優れているか、わからないということなのです。p102
→正解が決まってるものは均一。正解が分からないものに個性が宿る。
・生物はバラバラです。バラバラであることが生物の価値です。
しかし、「たくさん」が苦手な人間の脳は、それでは困ります。そのため、人間は、バラバラな生物をそろえる努力をしてきました。
たとえば、人間が栽培する野菜は、バラバラでは困ります。
同じ時期に芽が出て、同じ時期に収穫できる方が便利です。あるいは、大きさもそろっているほうが、箱に詰めたり、並べ���売るときに便利です。そのため、できるだけバラバラでないようにしてきたのです。p120-121
→家畜とか栽培用の野菜とかは、確かにバラバラでは困るよな。そーゆー風に品種改良したのか。自然の摂理に反するまで。
・赤ちゃんの生育を示す発育曲線と呼ばれるものがあります。
この発育曲線には、平均値と、それに近い幅が示されています。赤ちゃんの身長や体重がこの幅の中にあれば、「ふつう」だと言うのです。
確かに、発育曲線には意味があるのでしょう。
しかし、私自身の子育ては、この発育曲線に振り回されていたと後悔しています。
発育曲線よりも数字が大きければ、普通よりも太り過ぎだとミルクの量を制限し、発育曲線よりも数字が小さければ、他の子よりも成長が遅いと心配して、たくさんミルクを飲ませたりしたのです。
ミルクを制限されたかと思ったら、急にミルクをたくさん飲ませられたり、赤ちゃんはずいぶんと迷惑だったに違いありません。p124-125
→平均にとらわれすぎないようにしないとな。
キツネ
・(中略)キツネの狩りは高度なテクニックを必要とします。
基本的な狩りはジャンプです。ネズミや野ウサギを追いかけ回してつかまえることは簡単ではありません。そのため、音もなく忍び寄ると、一気に高く跳ね上がり、上から獲物に襲いかかるのです。
「チャーミング」と呼ばれる特殊な狩りもあります。獲物を見つけたキツネは、獲物が逃げ出さないほどの距離で、苦しそうに転げ回ります。そのキツネの姿に魅せられたネズミやウサギは、好奇心のあまり逃げることも忘れてしまいます。そして、激しく転げ回りながら、キツネは少しづつ近づいていき、獲物の不意をついて襲いかかるのです。死んだふりをして、獲物を油断させることもあるといいますから、高度な演技力が必要です。
水鳥などを狩るときには、水草や雑草などを身にまとって、カモフラージュして近づくこともあるといいます。まさに高度な知能を必要とする狩りなのです。
こんな高度な狩りをするためには、高度な学習が必要です。
生まれてから3ヶ月を過ぎる頃になると、親ギツネは、子どもを遠くへ連れ出していくようになります。そして、狩りの仕方など、生きていく上で重要なことを教えるのです。
やがて、狩りの仕方を教えると、父親は子どもたちにエサを運ぶのをやめてしまいます。こうして、子どもたちの自立を促すのです。
なんとも冷たいようにも思えますが、ただ突き放すだけではありません。近くにあらかじめエサを隠しておき、子どもたちが自分で探せるようにすることもあるようです。厳しいように見えて、実は愛情にあふれています。この不器用さが、なんとも父親らしい子育てです。
しかし、夏の終わりになると、別れのときがやってきます。
子どもたちは、いつまでも親元にいるわけにはいきません。巣立ちのときになると、親ギツネは、子どもたちを追い払います。
キツネは子煩悩な動物です。愛情深く、子どもを育てる動物です。母親のキツネも父親のキツネも、子どもたちにとってとても優しい存在でした。そして、子どもたちはそんな両親にいっぱい甘えてきました。
それなのにキツネの親は、一変して厳しい態度に豹変するのです。
子どもたちは、何が起こっているのか理解できず、戸惑うようにいつものように親元へ戻ろうとします。しかし、親ギツネはそれを許しません。激しく威嚇して子どもたちを追い払います。母ギツネは子どものキツネに噛みつくことさえあります。
それでも、子どもたちは戻ろうとします。しかし、そのたびに親ギツネは、子どもを威嚇し、攻撃するのです。
やがて、子どもたちはあきらめたかのように、親元を離れていきます。
これが子どもたちの自立です。そして、親のキツネにとっては子離れのときなのです。このときのために、親のキツネは、子どもたちに生きる術を教えてきました。やがて、子どもたちもまた、自分のなわばりを持ち、やがて親となっていくことでしょう。
すべては、子どもたちを自立させるため。これこそがキツネの子育てなのです。p136-138
→高度な技術を要するキツネの狩り。それを教えるために、キツネはこを愛情深く育てる。その分、辛い別れがやってくる。タンポポの話(p131)みたいに、親の近くで住むことは、互いの獲物の食い合いにしかならなかったりするんだろう。でも、そんな辛い別れを経ても、子ギツネが親になったときに、またその別れを繰り返す。親になると自分の親のありがたみがわかるもんなんだな。
・人間は、直立二足歩行をする動物です。元々は四足歩行をしていた祖先が、やがて二足歩行するように進化してきました。そして、二足歩行をすることによって、巨大化した脳を支えることが可能となり、自由に使える二本の腕によって道具を扱えるようになりました。
二足歩行によって、人類は人類となったのです。
ただし、二足歩行には問題もありました。
直立歩行で体重を支えるために骨盤の形が変化して、お母さんが赤ちゃんを産む産道が狭くなってしまったのです。人間のお母さんが、他の動物に比べて出産が大変なのは、そのためです。
そして、赤ちゃんも、狭い産道を通るために、小さくて未熟な状態で生まれてくるようになりました。そのため、目も見えず、よちよち歩きさえできないような、か弱い赤ちゃんが生まれるのです。P141
・(生まれたときは150gのパンダの赤ちゃんが、3年で立派に成長し、生まれたときはわずか1g・2cmのカンガルーの赤ちゃんが1年以内に親離れをすることに対してp142)じつは「ゆっくりと育つ」ということが、人類の戦略なのです。
哺乳動物は、生きるために、知能を発達させてきました。そして、知能を発達させるために、子育てをして「学び」を与え、「遊び」によって経験を積ませてきたのです。
人間は、その哺乳類の中でも、もっとも「知能」を武器にしている生物です。
「知能」を生きる武器とした人類には、生きていくために学ばなければならない「知識」がたくさんあります。
(中略)そのため、あえて発育を遅くして、すぐに大人にならないような進化を遂げたのです。
「早く大人になってはいけない、ゆっくり大人になりなさい」
それが、人類の生存戦略なのです。
人間が「知能」を武器にするために、「子育て」は不可欠です。
しかし、ゆっくりと育つ子どもを、長い時間かけて育てるのは大変です。そこで、「一夫一妻制」を基礎とした、子どもを育む「家族」が発達しました。そして、集団で狩りをしたり、集団で子育てをするようにもなりました。こうして、子どもを育む「社会」が作られていったのです。
それにしても、人間の「子育て」の期間は長くなる一方です。
(中略)それでもまだ、何歳になっても、いつまでも親に面倒を見てもらっている子どもがいます。
何歳になっても、子どもの世話をやいている親もいます。
人間というのは、本当に奇妙な生き物です。p143-145
→二足歩行により高い知能を得た結果、未熟な子どもが生まれる。そして、その子どもを育て上げるために、子どもはゆっくりと育つ戦略を取る。
・人間は、子どもが親の面倒をみる奇妙な生き物です。
もちろん、親孝行をすることはよいことです。育ててくれた親に感謝することは、素晴らしいことです。
しかし、親のために、子どもが人生を犠牲にしているとしたら、それは生物学的には正しいことではありません。
親は子どものために、持っている全てを惜しみなく与えます。しかし、子どもはそれを親に返すことはありません。
決して薄情なのではありません。子どもが親からもらったものを返すのは、親ではなく次の世代です。それが、生物のルールです。こうして次の世代へ、次の世代へとリレーのバトンがつながっていくのです。
生物の親は、子どものために命をも捧げます。しかし、親のために子どもが自らを犠牲にする生物はいません。ましてや、未来の世代を犠牲にして、今を生きようとする生き物はいません。
もし、いるとすれば、それは人間だけです。p151
⚪︎第4章 成長の計り方
・「踏まれても立ち上がらない雑草魂」
エネルギーは大切なことのために使うべき。
頑張るのは、大切なことのため。
植物にとって大切なことは、高く伸びることではなく、花を咲かせて種子を残すこと。
「大切なことを見失わない」。これこそが、本当の雑草魂なのです。p168-169
・野菜や花の栽培では、せっかく伸びてきた茎をわざと折る「摘心」をする。しかし、その方が丈夫に育つ。
順調に伸びていくことばかりが良いわけではありません。一度折れることは、成長にとって、決して悪いことではないのです。p176
・生物はS字曲線で成長する。
何千年も生きて成長し続けているかに見える大木も、実はS字曲線で成長している。つまり、大木にもいつか成長に終わりが来る。
ただし、木は生きている細胞と死んだ細胞から形作られています。
木は年輪を刻みながら大きくなっていきます。木の幹の中で生きている細胞は、1番外側の部分だけです。じつは、内側の細胞は全て死んだ細胞なのです。
木の細胞の成長には終わりがあります。しかし、新しい細胞がまた新たな成長をします。こうして成長年を繰り返し、S字曲線を繰り返しながら、木は大きくなっていくのです。
成長を止めない方法は、S字曲線を繰り返しながら、成長を繰り返すということなのです。p180-183
→成長が止まるのは仕方がない。そしたら違うアプローチから成長していけば良い。ゆくゆ��は、ブレイクスルーにつながるだろう。
・高く伸びた植物Aと、背は低いがたくさんの花をつけた植物B。
同じ植物のAとB。さて、どちらがより成長していると言える?
例えば稲は、まず茎の数を増やす「分けつ」→分けつが止まり茎が伸びる「節間伸長」→茎が伸ばし終わると穂を出し花を咲かせる。
稲の成長には横の成長→縦の成長→実りの成長と、異なるステージから構成されている。
あなたは、穂を出した後の稲は、成長していないと考えますか。それとも、それでも稲は成長をしているのでしょうか。p185-188
→目に見えること、評価しやすいことばっかりが成長じゃない。
⚪︎第5章 成長する力は、どこにある?
・時期が来れば、やりたくなる。時期が来ればできるようになる。それが「成長」です。成長することに、頑張ることは必要ないのです。p198
生物は「成長するちから」を持っている。
それは身体の成長が止まった大人になってもそう。
自分の「成長する力」を見つめ、「成長したい」という声に耳を傾けてみると良いかも知れません。心の底から楽しいと思える「好奇心」や、心の底からやってみたいと思える「挑戦心」や「向上心」があったとしたら、それこそが、今の成長ステージで発揮される、成長する力なのではないでしょうか。p200
→身体の成長が止まった大人。生物としてではなく、自己実現のため、愛するもののために成長するステージが大人なのかもしれない。
・昔の人は「稲作」という言葉は使わなかった、「稲を作る」ではなく、「米が穫れる」と言った。イネは人が育てるものではなく、育つもの。
それは昔の人の辞書に「作る」という言葉がなかったわけではない。実際に「田を作る」という言葉はあった。
根が伸びるよう土を耕し、水を引かなければならないが、成長するのはイネ自身。「人間ができるとこはら環境を整えることだけである」と、昔の人たちは、育てることの本質を知っていたのかもしれません。
それに比べて、「稲作」という言葉の、なんと図々しいことでしょう。
そういえば、「子育て」という言葉もありました。子どもは育てるものではありません。子どもは育つものなのです。大人にできることは、子どもが育つ環境を作ってあげることだけなのかもしれません。p204-206
2020/08/27 19:32
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本作も面白い。
植物の生き方には、改めて人生を生きるヒント満載だなぁ、と思わせてくれる。
辛い時期にこそ、根っこをはっている。
踏まれてもたちあがらず、本来の目的である、
子孫を残すことのためにエネルギーを温存する。
本来、伸びるだけ伸びたら方がはやくても、
リカバリが可能なように、節をつくる。
折れても節から再生できるように。
2020/10/07 20:01
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家で飼っているグッピーが最近子どもを産んでいます。
生まれるとすぐに泳げるし、エサも自分で探して食べます。
これって凄いことだと見ていて感心します。
2~3ミリくらいの体が日に日に大きくなり、いつの間にか3~4センチ程に育ちます。
生まれた時から小さな大人という感じでしょうか。
生むのは卵か赤ちゃんか。
子育てをするか否か。
大きくなるのか質を変えるのか。
子ども時代が長いか短いか。
本能のみにたよるか知能を活用するか。
生き物に関して、このような話題について書かれている本を読むのが好きです。
昆虫はトンボやチョウやカブトムシのように親子が別の生物にしか思えない不思議な成長をします。
カエルもそうですが、親子で明確に形態が違う生き物は、大人になった時期が明確です。
なぜ、このような成長の仕方になったのかという疑問は解決されないままですが、興味が失せることはありません。
『第3章 「ふつう」ってなんだろう』 あたりから、人間という生き物を見つめなおす方向に話が進んでいきます。
普通の犬ってどんな犬?ふつうの花やふつうの顔って何?
「ふつう」は、平均値という便利な道具を作り出した人間が好んで使う言葉。
これが「ふつう」なんて明確な定義ありません。
どんな動物でも3~4年もあれば立派な大人になるのが「ふつう」ですか?
「5歳になったら一人前になって独り立ちするなど、人間ではとても考えられない。」言われてみれば確かにそうです。
ヒトは、なんと成長が遅い生き物なんだろうと思います。
10歳でも子ども。20歳でやっと成人?
ゆっくり大人になる戦略をとった人間は奇妙な生き物です。
親のために子供が犠牲になる生き物はいません。
未来の世代を犠牲にして今を生きようとする生き物はいません。
これが「ふつう」の生き物だとすると、「ふつう」でないのは人間だけです。
そして、「成長するってどういうこと?」という話題に入っていきます。
成熟してこそが成長、いくら体が大きくなっても未熟のままでは成長とは言えません。
生き物は単に大きくなることでなく、質を変え成熟することを目指しています。
経済や社会も同じではないでしょうか。単に右上がりに数字が伸びていくことが成長でしょうか?と問題提起しています。
生き物には成長する力が備わっています。頑張ったから成長できたわけではありません。
草が芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせるのは頑張ったからではありません。
人がハイハイし、立てるようになり、歩いたり走ったりできるようになるのは頑張ったからではありません。
時期が来れば自然とそうなるようになっているのです。と、頑張ることを美化しすぎる社会を風刺しています。
この本の表紙をめくると、そでの部分に「知ると、人間が見えてくる。」と書かれています。
さまざまな生物の多様な成長の仕方を題材にして、人間にとって大切なことを考えてみようといった子供向け(小学生には無理かな)の本です。
この本のカテゴリは"生物学"になるのでしょうが、本質はチョット違っていました。
生物としてのヒトの特性や成長戦略と、他の生物が選択している成長の姿(生存戦略)を根拠として、人間の生き方を考えるという新鮮な体験ができました。
2021/02/11 13:27
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「生き物の死にざま」と同じ著者であるため、同じような記述がいくつか見られる。読みやすい文体なので、さらっと読める。
ちょっと「当たり前」に依存しすぎな感じがして、そこからこぼれ落ちてしまった人はどうするんだよ、という気持ちにはなるが。
当たり前が当たり前になっていない現在についてちょっと考えさせられる部分もある。
2021/04/25 23:27
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生物学の知識から、人間についての問題提起まで。
大人と子供。遊びと学び。ふつうとは。成長とは。
好きな分野で、文章がシンプルなこともあり、とても読みやすい。
1時間ほどで読了。
2021/07/10 22:16
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稲垣先生の本は、読みやすくてためになりますね。
ただ、この本は、ちょっと説教臭いかも(笑)。
本能と知能の話は、改めて、考えさせられるものがありました。
書籍の中では、種による差について述べられていましたが、種の中でも、個体による差もある思うと、新たな観点を得た気がしました。
稲垣先生の本は、時々読みたくなりますが、また、気が向いたら読んでみようと思います。
2021/12/04 21:25
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動物と植物。
様々な生き物が大人になるまでを綴りながら、人間の成長についても綴られています。
それがとても自然で分かりやすくて、時々ハッとさせられたり、しみじみと頷いてしまう。
生き物の様々な不思議もおもしろかった。
生きるうえでの学びがたくさん詰まってました。
*第一章 大人と子どもはどこが違う?
*第二章 「遊び」と「学び」
*第三章 「ふつう」ってなんだろう
*第四章 成長の計り方
*第五章 成長する力は、どこにある?
2022/02/13 17:08
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生物学の本と思って読み始めたら、
哲学の本だった。知っているようで知らなかった植物の話が満載。
踏まれたら立ち上がらない雑草魂
そもそも立ち上がらなければならないのか、、
植物にとって、大切なことは何だろう、、
勝手な思いこみはやめよう、、とある。
くっつき虫の実の中、見たことなかった。
やや長い種子とやや短い種子の二つの種子が入っていて、性格が違うらしい。
子育てしていて感じる子どもたちの性格の違いと一緒。
どちらがいいとかではなく、どちらもいいのだと植物を通して改めて再確認でき、読後には優しくなれる。
誰かを育てていたり、支えたりしている人にもおすすめ。
2022/03/03 14:23
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BC01701632
2022/08/02 01:44
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臨月が近くなった時に友達が貸してくれた本。
とても読みやすい生き物や植物が切り口の自己啓発本といった感じだった。
最後の方に"大人にできることは、子どもが育つ環境を作ってあげることだけなのかも知れません。"
とも書いてあるように、子どもに期待をかけすぎず、固定観念に囚われすぎず、子どもと成長できたらな、と感じた。
2022/09/13 16:08
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面白かった!と、読み終わってすぐ思った。
動物、植物の生態や本能について述べながら、人間がどのように生きていくと楽なのか、ヒントを提示してくれている。
他人と比べない、自分に備わっている能力を育て成長させること。年をとったら次の世代に生き方を見せること。
生きることをシンプルに考える道を教えてもらった。
2023/08/20 16:53
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さまざまな著作を非常にわかりやすく整理されていると感じたうえに、ときおり「はっ」とさせられる
「稲作」「子育て」という言葉 なんか簡単に使っていたけど 成長とは何かということを考えると、また違って見える
目に見えない成長 の大切さ
大切にしていきたい視点であった。