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紙の本
ある一人の若者の日々
2004/02/23 01:10
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ガブリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
あまりの新鮮さに驚いた。
50年前、戦後間もない時期に留学するというのはどんな感じがするものかと気軽に手に取ったのだが、一人の留学生の苦く青く美しき日々がここにある。
今はWeb上で留学生の日記をリアルタイムで見ることもできる時代だが、今留学中とupされても信じてしまいそうなほどに若々しい記録だ。
もちろん途中に歴史的事件は起きている。スエズ運河を航行中に朝鮮戦争勃発の報を受け(著者はマルセイエーズ号で渡欧した)、サンフランシスコ講和条約も渡欧中に締結された。
ときどき、これは戦後まもなくの話なのだ、まだ日本は瓦礫と焼け跡の時期なのだ、と念じてみても一向に感覚が50年前に飛んでくれない。
この新鮮さはどこからくるのだろう? 著者の若き感性だけの問題だろうかと気になってきたのは本の半ばまで読み進めていたときだった。何かを見過ごしている気がする。
この日記は留学中に大学ノートに記録されたものでこの当時は遠藤周作はまだ作家ではない。1980年に出版された時のあとがきで、「これは『作家の日記』ではなく『作家を志した青年の勉強日記』というのが正確な題名だろう」と言っている。
1950年6月にカトリック留学生として横浜港を出発し、1ヶ月かけて7月にマルセイユに入港。9月までの2ヶ月をルーアンのホストファミリーの元で過ごし、それからリヨンでの大学生活に入っている。
この日記を三部に分けるとするならば、第一部は出発から航行中の見聞とルーアンでの時期、このとき途中インドで見た貧困の衝撃が若者の身のうちに沈んでゆく様子が見てとれる。ルーアンでは慣れぬ異郷での孤独と緊張が、美しくのどかなノルマンディの風景とホストファミリーの善良な信仰に包まれて夢のように過ぎてゆく。
第二部は大学での研究の時期、カトリック文学の勉強のために渡欧した若者は芽生え始めた西洋カトリシズムへの懐疑を身に抱えながらひたすら読み、書き、分析し続ける。
第三部は結核の再発のためにアルプスの麓の療養所で過ごした日々。勉強への焦燥と挫折感、そして死への恐怖が次第に純化されていく様子が見て取れる。
この本の日記は療養中の1952年8月で終わっているが実は続きがある。翌年2月に帰国するまでの日記が抜けているのだ。この残りの日記と留学中『カトリック・ダイジェスト』に寄稿された渡欧記が「ルーアンの丘」(PHP研究所)として著者の没後出版されている。なぜ、抜かれたのか?
療養中で読書もままならず内容に乏しいため、あるいはフランス人女子学生との恋愛秘話のため、などが解説に載せられているがそれだけではないだろうと思われる。
この残りの日記はすでに日記ではなく創作ノートなのではないかと思う。
若者のリヨン大学での勉強はすでにカトリック文学研究から創作研究へと移っていた。研究者ではなく作家になろうと決めたのは渡欧の船の中であったと著者は言っているが大学在学中はまだ揺れていたのではないか?
西洋カトリシズムへの懐疑を胸のうちに沈めた若者が日本人としてカトリシズムを受容するには西洋の既存文学の研究では出来ぬと思い定めたのはいつなのだろうか。
目覚しいほどの勢いに見える勉強の最中に重苦しい不安と逡巡が常にのしかかっているように見えたのは、結核の再発を疑い死への恐怖にとらわれていると見えたのは、カトリック信者としての若者の死ではなかったのだろうか。
そして、復活はなされたのだと思う。
復活は残りの日記の最後の三日間で起きたのではないか。ただ、その出来事、フランス女子学生との旅行を書いた夢のような三日間がすでに創作であった可能性もある。
「作家の日記」と「ルーアンの丘」この二つは表裏ではあるが別の物語なのかもしれない。
しかし、この夢のような新鮮さは…!
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