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そうなのね
2022/12/06 20:12
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
台湾人の母と日本人の父の間に生まれた主人公。実は、友人の一人がこの立場です。だから、彼女のこと思いながら読み進めました。そして、この主人公と同様、私の友達も日本人の夫と結婚しているので……。なんとも……深いです。
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ママがずっとわたしの恥部だった――台湾と日本のはざまで母娘の痛みがこだまする。夫婦、親子の〈過ち〉を見つめる物語。
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期待度のわりには。
ストーリー構成がいまひとつな気がした、
けどこの物語の場合、状況だけで充分問題提起になる。
国籍差別についての話だと一見思ったしそういう場面も多々みられた。
が最後まで読んで、
結婚して名前をかえることはどういう状況でも異国の地へ行くように心細い
それを理解せず一方だけが自分の普通や当たり前を押し付けること以上に傲慢で浅ましいことはない、という感想にたどり着いた。
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温又柔さんのお顔の写真はビッグイシューで拝見したことがある(No.379(2020/3/15号))。本の表紙のイラストをよく見れば、目や鼻のあたりが著者そっくりに見えるのは偶然だろうか?
著者は“台湾生まれ・日本語育ち”と書くように両親が台湾人で、台湾生まれだけど3歳のころ一家で東京に移住している。でもこの本の主人公「桃嘉(ももか)」の場合、父は日本人で母が台湾人。そして日本で生まれ育っているから著者とは少し違う。
しかし日本の日常に囲まれて生活を送る者として、母が話す母国語や手作りの台湾料理に何らかの距離感がついて回っていたのは共通しているのかな、と私は想像している。
一方で、親が台湾人であっても日本人であっても、自分にとって家族とともに過ごすうちにいろいろな思い出が溶け込んだ「心に残る家庭料理」っていうのは誰でも思い当たるのでは?この作品では台湾料理の「魯肉飯(ロバプン)」=ルーローハンがそれに当たる。
でも思春期のときの桃嘉は、母が作る魯肉飯を素直に受け入れられなかった。母が作る魯肉飯を日本料理らしくないといって敬遠するくらいに。
最近では“友達家族”も多いと聞くが、この物語はその点ではオーソドックスな母娘関係の微妙な距離感が描かれている。さらに母と娘との世代間の考え方のずれに加え、日本語を話せない母と日本語しか話せない娘とのずれという、この母娘の固有事情がブレンドされている。
母と娘の世代間ギャップと書いてしまうと「ありきたりの作品」だと思われる懸念が生じるが、20代で既婚者になった桃嘉と夫との関係の描写だけは、同世代からの共感も得ると思われるような現代的な男女関係として描かれる。でもこの2人の関係は魯肉飯の好き嫌いを発端に大きく変化していくのだけど…
ほかにも桃嘉を軸に、父や友人や、台湾に住む母方の祖母や伯母たちとの出会いや会話が、これまた魯肉飯を間にはさんでそれぞれの物語として展開していく。魯肉飯に対する思いは各人によって違うけど、台湾料理独特の八角などを使って作られる魯肉飯への思いが、そのまま台湾にルーツがつながる桃嘉に対する感情と巧妙に重ね合わせられているのが読むにつれてわかってきた。(だから魯肉飯を好みでないような言い方をした夫と桃嘉との関係は変化していく。)
最後に、いろいろあったけど、これも魯肉飯を間にはさんで桃嘉ともう1人の登場人物との関係が描かれるが、ハッピーエンドへの余韻を含んだ終わり方が好印象だった。
そして、読後、あえて台湾を直接的にイメージさせないかのような表紙の装丁を改めて見ると、私が冒頭で著者似?と書いたイラストの女性が、台湾女性であり日本女性でもある両方の美しさを表しているかのように見えてきたから不思議だ。
それにしても、私にも誰か魯肉飯をおいしく作ってくれないかな…自分で作ろっか…
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「わたしの羽、そんなにちぢこまってみえるの?」
桃嘉が聖司に対して心の中で疑問を投げかける一文。
言葉とは思いを他者に伝えるために使うものであるにも関わらず、同じ言葉を使う者同士でも使うことを躊躇い、結局''思い''だけで終わってしまう、そんなもどかしさが詰まった一冊。
答えが見つかるわけでないが、そんな時に違う角度から指す光に目を向けることの大切さを教えてくれました。
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著者らしい一冊。
以前『「国語」から旅立って』を読んだが、個人的エッセイの体で、台湾人の両親を持ちながら日本に育った自身の出自から、年齢を経るごとに、自分の立脚点の不安定さに気付いていく様子が丁寧に綴られていた。要は、アイデンティティの問題だ。
「国語」と題されただけに、母語と母国語の間で揺れながら、言葉とは切り離した、本当の自分自身に気付いていく(https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/478851611X)。
本書の主人公である桃嘉は、日本人の父、台湾人の母を持ち、3歳から日本で暮らす、著者の境遇に近い立場である。著者と同じように、「半分台湾人」という己の立場の危うさに加え、日本に暮らす台湾人である母親との関係に悩む、若い女性として描かれる。
そして、大学を卒業してすぐに結婚し、妻としての立場、夫の実家での嫁としての立ち居振る舞い、相手に求めれられる理想と自分としての現実のギャップという、新たな悩みの中で、揺れ動く。
言葉の問題を導入に物語は進んでいき、一見、アイデンティティの確立のためのお話かと思うが、キーワードは、「ふつう」。
「ふつうの料理。その一言がなければ、桃嘉は魯肉飯をもう一度つくったかもしれない。」
夫聖司に「ふつうの料理」を作ってくれと言われ、悩む桃嘉。
「― なんでママはふつうじゃないの?せめて外にいるときはふつうのお母さんのふりをしてよ!」
参観日に来た母親に、「ふうつのお母さん」を強要した子ども時代。
「― お金のことは気にするなよ。奥さんと子どものために稼ぐのは、男にとってあたりまえのことなんだからさ。」
聖司の「あたりまえ」=ふつうのことに、違和感を覚える桃嘉。
「ふうつ」とは何か、誰かにとっての「ふつう」は、別の誰かにとっても「ふつう」なのか否か。否、としたら、どうしていくか。
そんな、価値観のギャップを埋めていく物語だった。
たぶん、誰にとっても「ふつう」の正解はない。
最後は、違いがあっても、相手を思いやる気持ち、大きな愛情が、カバーしてくれるにちがいない。
「― 何を言ってるのよ。それであなたが幸せになれるならあたしがうれしくないはずないでしょう。あなたが無理してあのひとと一緒にいてそうやって苦しんでいるほうがママはずっとずっと悲しいの・・・。」
母親との確執を経て、その母の愛に気付いていく結末は、悪くはなかった。その愛の発露の表現に、言葉の違いは意味を成さない。表面を取り繕うアウトプットではない、本物の愛情は、何語で語ろうと、相手には伝わるに違いない。
「日本語かと思いきや、中国語になる。かと思えば台湾語もまじっている。母の声が桃嘉の背中を押した。」
悪くない。
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私も娘であり、妻・母である。親と子、夫と妻、同じ日本人同士でもお互いを理解し合うことが難しいと感じる時は、長い年月の中で誰しも一度は経験したことがあるだろう。母雪穂の異国での子育ての中での孤独、妻桃嘉の夫との価値観の相違、自分のことのように切なく胸に迫り、移動中の地下鉄で思わず涙が出てしまった。
そんな彼女たちをいつでも無条件の愛情で迎えてくれる台湾の祖父母、伯母たちの優しさ、ともに囲む食事の情景、そして雪穂が桃嘉のために作る食事、とても温かく、心にほんのりと灯りがともる。様々な面でとても感慨深い小説。
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台湾人の母親でも、台湾人と日本人の間に生まれた娘でもないけれど、とても二人の気持ちに共感できた。台湾にルーツを持つという点は、理解できたというのはおこがましいが、それ以外の母であり妻であり娘である部分に関しては、わかりすぎて辛いほどだった。
コロナ禍ギリギリで台北、淡水を旅したので、もうまた行きたくてたまらない。おいしい台湾料理をいろいろ食べたい。
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2020冬の文芸書フェア
所蔵状況の確認はこちらから↓
https://libopac.akibi.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2001011726
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表紙借り。台湾人の母雪穂と日本人の父の元に生まれ、日本で育った女の子桃嘉。母と娘の物語の章が交互に織りなす。他の国にルーツがある人の日本での生き辛さが伝わってきたのと同じくらい通じ合える夫婦と通じ合えない夫婦の違いを見せつけられた。ラスト、父母の愛情に助けを得て自分の足で歩き出した桃嘉の未来を感じられてこちらまで幸せになった。
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BGM ひとつだけ/矢野顕子
母性の尊さ、家族愛を知らしめさせられた。
しかしこの男にも同情すべき点はある。だってほとんどの男がそうだから。悲しいけど
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心のすれ違い。聖司には、結婚する事でもう大丈夫だとあう甘えがあり、桃嘉にはすれ違いに気づきながらも、それを言えない辛さがある。
「女が好きなことを言える家庭が良い家庭」
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『夫婦としてやっていくのに最も重要なのは、妻が言いたいことをなんでも言えること』というフレーズが出てくるが、夫婦に限らず、つくづく人間関係に必要なのは言葉を尽くすこと、理解しようとすることなのだと思った。
ちょうど暮しの手帖の『家事シェア』を読んでいて、いいなと思う夫婦に共通しているのが会話を大切にしていること、だったのでなおさらそう感じた。
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『魯肉飯のさえずり』温又柔
主人公の桃嘉は台湾人の母と日本人の父を持つ。彼女を通して、ときにふつうという冷えた枠に触れ、ときにそこに差し伸べられる温もりを感じながら読んだ。
アイデンティティは属性の集積だけど、その集積は数え切れないほどの積み重ねによるものだ。この小説には国籍、母国、母語、男女などでは語りきれないものが滲み出てくる。
属性による分類、結婚、就職といった制度や社会的儀式を通じて感じる違和感。『82年生まれ、キム・ジヨン』のように女性の生きづらさに触れた部分もある。夫の聖司はそんな社会を体現しているような人物だった。
塞ぎ込むことが多い桃嘉だけど、母雪穂は温かく見守ってくれている。現在と過去を行き来する構成が、そんな母娘の小さなミステリーを明かしていくのも、前のめりに読ませてくれた。
さまざまな問題を扱いながらも、誰にとっても普遍的なこととして描かれているのは、歩むことだと思う。ぼくはポジティブとか前向きを装ったり、人に強いることが好きではない。
逃げるように何かをして、傷ついた経験のある人こそが足を踏み出して前に進めるのだと思う。でもそれは、それを見守ってくれる人がいればこそというのも忘れずに。
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日本って意外と外国人に対して厳しいんですよね。
ハーフのモデルさんや芸能人が羨ましがられる中でも、いざ自分の知り合いやクラスメイトとかにハーフもしくは外国人がいるとそれはまた別の問題。
島国だから独特の考え方はあると思いますが、日本人としてこういう風潮はあまり良いものではないと思っています。
台湾はとても親日の国ですが、台湾と日本のハーフで悩む姿に心を打たれました。
ぜひ読んで欲しい一冊です。