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最初の構想から心変わりしたのが残念な作品。
愚行を地上から消滅させることは不可能であると認識していた者は、何らかの条件さえ整えば、人は愚行に対して勝利を収めることができるものだと考えていた。しかし今日にいたるまで愚行は消滅することなく、それどころかますます猖獗を極め、強固な構造として世界に遍在している。――――(本文より)
当初の予定通り、世界に未だ遍在している愚行を分析し、その背景に過去の愚行の歴史にも触れていけばまとまった内容になったのにと惜しまれます。
また、筆者が事例として引き合いに出したのが、フローベル、ドストエフスキー、ニーチェ、ヴァレリー、バルト、老子、谷崎潤一郎なので、現実的な構造分析よりも文学的、思想的背景から読み解こうとしたアプローチも疑問です。
あえて愚行を3形態に分け(ナチュラルボーン(天性)なもの、本人の意思よりも所与の条件によって仕方なくするもの、確信的にあえてするもの)、愚行そのものの意味や意義(もしくは無意味や無意義)に迫った方が普遍的な問題として提示できたのでは思う。