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「レイラの最後の10分38秒」https://hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014612/ とってもよかった!心肺停止後も脳波が検知された医科学研究に想起された小説。ひとりの女性が、意識が絶えるまで人生を走馬灯的に思い返す前半と、彼女の友人たちの奮闘が語られる後半。とても温かい気持ちになる。トルコが舞台なのも好き(おわり
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つくづく
人生は短いものだなーと思う。
心臓が止まって
脳が機能を停止するまでの
ほんの10分ちょっとで
振り返ることができるほど。
そして
こんなに利発で聡明な人が
娼婦となり、無残な死に方を
しなければならなかった
その時代や国籍や性別に
虚しさとやるせなさが残った。
それでも、けっして主人公が
不幸だったわけじゃないことに
救われる。
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私たちは死後、どのような人を、どのようなことを回想するのだろうか。レイラは、痛みを伴う悲しみや苦しみ、ささやかな歓びとともに、5人の友を回想する。選べなかった人生だったとしても力強く生きたレイラ。愛情深いその姿に友は皆惹かれていく。レイラも友に救われた。装幀の深いブルーやイラストがこの物語のラストにしっくりとくる。
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〝レイラ・アカルス〟が、トルコ東部の町ヴァンで生れた1947年1月から、イスタンブルの路地裏のゴミ容器の中で息絶える1990年11月までの43年間を、脳波計の針が完全に停止するまでの10分38秒に凝縮して、運命に翻弄されながらもひたむきに生きるレイラと5人の友人たちの姿が切々と描かれ、心に深く刻まれていきます。東西文化が交差する喧騒と混沌のイスタンブルに生きる社会的弱者やマイノリティな人々と〝寄る辺なき者の墓地〟の存在は、病める社会への著者からのメッセ-ジが込められており、長く記憶に残る哀哭の物語です。
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心臓が鼓動を止め呼吸が途絶えたあとも、10分38秒の間、脳波は続いていたという論文があるそうだ。本書はその論文を基に、1人の売春婦が“完全に”死ぬまでの時間に想起したことを綴った作品である。味覚や嗅覚と共に断片的に思い出される彼女の人生は決して幸福なものとは言えず、楽しい読書ではなかったが、読む手が止まらない。そして第2部で綴られる彼女の5人の友人たちの奇想天外な冒険譚! トルコというあまり馴染みのない国を舞台に、生と死を思う深い読後感だった。
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主人公の女性レイラは最初から死んでいるのです。しかもごみ箱に捨てられて。体は死んでいるのですが、意識だけは10分38秒残っていて、その間レイラが生涯を走馬灯のように回想するというところが第一部。第二部はその友人たちがレイラの遺体をめぐって行動に出るお話としてつながっていきます。レイラは10代で故郷を捨て都会へ行き、あっけなく騙されて娼婦となります。読者からは転落人生のように思えて、しかしそのことをただ嘆くのではなく、5人もの親友に出会って力強く生きていきます。レイラの心はその境遇においても濁るがありません。イスタンブールという街は複雑な社会情勢、たくさんの宗教、人種が交差する街。そこでたくましく生きるひとりの女性とその友人たちの人生が描かれていました。人はどんな境遇でも魂を濁らせることなく生きることができるんだと教えられた小説です。
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娼婦レイラは、殺されイスタンブールの裏道のゴミ箱に捨てられた。息絶えてから10分38秒、レイラにこれまでの事がフラッシュバックする。
男の子を期待され生まれてきたレイラ。イスラム教の厳格な教徒である父の元、厳しく育てられるが、叔父に性的ハラスメントを受けた。自由を求めて家出し、イスタンブールへ向かうが、娼館に売り飛ばされてしまう。そこで出会ったそれぞれに傷を抱える仲間たち。
第二次大戦後のトルコ、厳しい戒律と裏腹とも思える怪しい社会の裏側。第一部心は、ひたすら暗いレイラを取り巻く社会に読み手も暗くなる。第二部体は、残された仲間のレイラの遺体奪還ストーリー。あきれて笑ってしまう。そして、泣けてくる。第三部魂は、その仲間たちのその後顛末。
すごい構成とストーリー。インパクトのある小説だった。
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殺されてごみ箱に捨てられた女性が、死後に残っている意識の中で過去の様々な出来事を思い出す。読み始めた時は彼女が置かれる悲惨な状況と描かれる臭いや不衛生な環境に(なんで手に取ったんだろう)と思ったが、数分の回想を読み進めると次第にヒロインの人生に何が起こるのか、また彼女の友人たちの背景とどうかかわるのかが気になって止まらなくなった。半分も読まないうちに10分近くになるのでどうなるのかと思ったら、後段は彼女の大切な友人たちの様子が描かれる。そして読了したときには、読んでよかったと心から思えた。それほど厚い本ではないのにレイラと友人たちの人生を辿ることができる描写が素晴らしい。リタ・ヘイワースがレイラの幼少時も大人になってからもかかわってきたり、ちょっとした描写がのちに意味を持っていたりと、良質なドラマやミステリの伏線回収のよう。
臭い(あえてこの字で)の描写が注目されるが、私は水(液体)に関する描写も多く、意味を持っていると思う。またこの物語は、一人の女性の物語であるとともに近代イスタンブルの物語でもある。著者はヒロインに「イスタブルは液体の街だ。」(p.360)と言わせている。これがこの物語の姿を表現していると思う。
もう一つ気に入った個所は、レイラが人生で持つことができる友人は5人までと考えていて、5という数字がイスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教、また科学でもそれぞれ意味を持つことを語っているところ。でも彼女とディー・アリを加えたら7人になる。7もまた各宗教や私たちの日常で意味がある数字だ。作者がそこまで考えて登場人物を設定したとは穿ちすぎた読み方だろうか。
イスタンブルは好きな街の一つで、特にヨーロッパ側、ガラタ塔の近くは大好きなエリア。いつかまた訪れたい。
本作は今年であえて良かった本のうちの一冊となった。
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2017年3月、医療系情報サイトにある驚くべき記事が掲載される。カナダの集中治療室勤務の医師らの報告だ。「臨床死に至ったある患者が生命維持装置を切ったその後も10分38秒間、生者の熟睡中に得られるものと同種の脳波を発し続けた」というものだ。医師らはこれが機器の誤作動ではないことを確認し医学誌に論文として掲載した。この記事に興味を抱いて執筆されたのが、本書だそうだ。「人はわずかなその時間に何を思うのだろう?もし、人生を振り返るならどんなふうに?」
物語は1990年トルコのイスタンブルで暮らす娼婦レイラが、殺人事件の被害者となり、心停止となり呼吸もとまり、まさに死に瀕した状態であるにもかかわらず、意識があり、分きざみで自身の人生を回想するシーンから始まる。生い立ちからはじまり、出会った様々な人間との交わりの中で織り成されてゆく怒り、悲しみ、苦痛、後悔、恨み、嫉妬、、そしてかけがえのない友情。。10分38秒が終わるとき、第一章「心」が終わる。そして二章はレイラの友人たちによる物語「体」 だ。レイラの埋葬を巡り、友人五人の奮闘が時に胸にせまる切なさと、時にコミカルに友情を軸にして語られる。一章とは全く異なる色合いだ。そして締めくくりとなる第三章「魂」。レイラは海を漂いながらすべての負の感情を捨ててゆく。前述の怒りや悲しみ、苦痛、後悔、、、、。そして叫ぶ、魂。「free at last」ついに自由になった。 レイラ、貴方は過酷な人生を生きながら決して手放さなかった。他者への優しさ、寛容さ、忍耐、公平さ、高潔さ。その美徳が愛を手に入れ結婚に結び付き、死してなお貴方を敬い愛する友人たちを支え導いている。筆者は貴方を「青い闘魚」 と称する。美しく気高く自由な魂をもった闘う女性の象徴として。。帯には「生き方などえらべなかった」とあるが、個人的には選べなかったのは生まれ落ちた境遇であり、そこに派生する人生であって、生き方ではないと思う。生き方とは、職業や環境や性別には関係なく、人としての在り方を拠り所としてはたらく意識であり、それにもとづいて自己以外の世界とどう関わるかという行動全般をさすものだとおもうからだ。少なくともレイラとその夫、そして五人の友人に私は共通する「生き方」を感じたし、そこに輝きをみた。死とは?その根元的な問いと、それにまつわる怖れやイメージを傍らにいつも意識させながら、しかし、物語の核には力強い愛が貫かれている詩的で、彩りの豊かな、まさに文化色多彩なイスタンブルにふさわしい、そんな物語だと思った。
個人的な喪失の痛手を癒したくて、様々な物語を手にしてきた。がしかし、小説では癒せないと思い始めていた時に出会ったこの本は、私に慰めときっかけを与えてくれたと思う。もしも、同じようにうちひしがれている方がいるなら、ぜひ。
最後に本書からの三文を記そうと思う。一文はかの有名な科学者が親友の死に際してのべた言葉から。そして、もう二文は本書より。
「こうしてまた彼は少しばかりわたしに先んじて、この奇妙な世界に別れを告げました。ですが、嘆く必要はありません。われわれのような物理学に信を置く者にとって、過去、現在、未来における別離とは、固定観念による錯覚にほかならないのです。」
アルベルト アインシュタイン。
「悲しみはツバメと同じです。ある日目が覚めて、いなくなったと思っても、実は他の場所に渡って翼を温めているだけなんだ。遅かれ早かれ、また戻ってきて心のなかに止まるんです。」
「人ひとりが持てる友人の数は五人までだ。ひとりでもいれば、運がいい恵まれていれば、ふたりか三人、もし輝く星でいっぱいの空の下にうまれついたなら、五人、、、生涯でそれだけいれば、じゅうぶんすぎるほどだ。」 別れの悲しみと痛みを癒し、大切な人のいない現実を受け入れながら生きるのにこの3つが、道しるべとなった。
悲しみは癒えないけれど、それと共に生きてゆくしかないのだ。そう、レイラとその仲間達のように、寛容に、気高く、忍耐強く。死がいつどんな形でおとづれるかも、その時がどんなものかもわからないけれど、最後に残された意識の中で愛を回想し、そして、すべての負の感情を浄化して、free at lastと叫べる魂の存在を信じて、私は在りたいと思う。
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言葉にならないくらい良かった。
殺害されてから意識がなくなるまでのわずかな時間に、彼女の人生・人々との思い出、心がほどけていく。
友人達に送られて、魂はイスタンブールの一部に帰る。
理不尽で無慈悲な話だけど、命は明るく美しいと思える。
フィクションだけど、イスタンブールの地図も掲載されているので、GoogleMapのストリートビューで見ると、街の雰囲気を感じられてとてもよかった。
なんと河の水上までストリートビューで追えるので、最後の橋のシーンまでレイラの視点で見ることができる。本と一緒におすすめです。
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出だし読んで挫折した。
いつの頃からか、翻訳本に苦手なのが増えた。想像力が働かなくなったのかも…。
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1990年、トルコ。イスタンブルの路地裏のゴミ容器のなかで、一人の娼婦が息絶えようとしていた。テキーラ・レイラ。しかし、心臓の動きが止まった後も、意識は続いていた―10分38秒のあいだ。1947年、息子を欲しがっていた家庭に生まれ落ちた日。厳格な父のもとで育った幼少期。家出の末にたどり着いた娼館での日々。そして、居場所のない街でみつけた、“はみ出し者たち”との瞬間。時間の感覚が薄れていくなか、これまでの痛み、苦しみ、そして喜びが、溢れだす。トルコでいま最も読まれる女性作家が描く、ひとつの生命の“旅立ち”の物語。
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2017年、カナダの医師らは、臨床死に至った1人の患者が、10分38秒間、生きている人と同様の脳波を発し続けていたことを発見した。
少々奇妙な本書のタイトルは、このニュースに由来する。
心臓が止まった後、10分余り、人に意識があるのならば、その人は何を思い、何を考えるのだろうか。
主人公はレイラ。トルコ・イスタンブルに住む40歳代の娼婦である。
物語冒頭、彼女はすでに虫の息である。襲われ、サッカー場近くの大型ゴミ箱に捨てられた。心臓が止まる。カウントダウンが始まる。
1分。2分。3分。
薄れゆく意識の中で、彼女は自分の人生を振り返る。
生まれた日のこと。1人の父と2人の母がいる複雑な家庭であったこと。望まれていたのは男の子だったのに、女の子として生まれたこと。
4分。5分。6分。
人生の時々には、思い出深い匂いがあった。
時にはスイカの匂い。時にはヤギのシチューの匂い。時には薪ストーブの匂い。
寄る辺ない娼婦となるには理由があった。抑圧された少女時代。近親者による性暴力の被害者であったのに、彼女は声を上げることを許されなかった。丸め込まれることを是とせず、彼女は家を出た。単身、都会に出た彼女にはしかし、職業の選択肢は多くはなかった。
7分。8分。9分。10分。
楽な暮らしではなかったが、しかし、彼女にはかけがえのない友人がいた。
気の弱い幼馴染の男の子。性転換手術を受けたトランスジェンダー。イスラム教徒とキリスト教徒の間に生まれたソマリア人。122cmという低身長だが楽天家の占い師。メソポタミアのバラッドを歌う歌手。
生まれも育ちもばらばらで、どこか世の中からはみ出した彼らは、レイラと深い友情を結んだ。悲しい女を見たら、すぐそれと気づく、そんな美点が彼らにはあった。
10分10秒。20秒。30秒。残り8秒。
レイラにも美しい過去があった。
相思相愛の優しい恋人がいて、彼と、娼婦だった彼女は結婚する。
だが幸せな時は長くは続かなかった。
反体制派だった夫に連れられ、レイラはデモに出かける。そこで悲劇が起こる。
余命のカウントダウンとともに、描き出される彼女の、そして友人たちの人生の苛酷さに胸が痛む。だが、レイラは人生を闘い続ける。たとえ、勝てないことがわかっていても、闘うことを諦めてはいない。そのことを友人たちは知っている。
レイラの物語は、残念ながら終わりを告げる。彼女に奇跡は起こらない。
だが、悲しく葬られた彼女を、友人たちは放っておきはしない。
10分38秒の後、友人たちが物語を引き継ぐ。
終盤近くのボスポラス大橋から見る景色の美しさに息を呑む。
物語には、イスタンブルというもう1人の登場人物がずっと寄り添っていたのだ。猥雑で汚れていて複雑で、けれど紛れもない輝きを持つ大都会が。
表紙の絵の意味、そして章の間に挟まれた小さなマークの意味が、最後にわかる。
しなやかに人生を泳ぎ切った、レイラの魂に安らぎが訪れることを願う。
著者はトルコ人の両親を持つ。フランス生まれ、イギリス在住。母の仕事の関係で各国を転々とした経験がある。英語とトルコ語で執筆活動を行い、LGBTQの人権擁護者でもある。
さながら、多様性の旗手といったところか。
物語の大筋は悲惨だが、読後感は悪くない。著者のまなざしの温かさのゆえだろう。
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死ぬ時ってこうなのかな、とまだ見ぬ死に思いを馳せた。ファンタジーだけど、こうなるといいな、私はレイラみたいに寛容に生きてるかな、って反省した 90
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旅先で路地裏に入りこみ、人の暮らしを垣間見せてもらうのが好きだ。人々がにこにこと笑顔を作っているよりも、環境の中で懸命に生きている姿が見たい。そういう姿が見えると、そこは私にとって特別なものになる。エリフ・シャファフ『レイラの最後の10分38秒』はそんな私にとって、イスタンブルの路地裏を覗き見たような気持ちにさせてくれる本だ。シャファフは非常にサービス精神の行き届いたガイドで、イスタンブル、そしてヴァンという東の都市の姿とその街に住む人々の息遣いを見せてくれる。
『レイラの最後の10分38秒』は、人生を”泳ぎ渡る”娼婦のレイラの物語だ。といっても、レイラは冒頭から死んでいる。10分38秒というのは、臨床死に至ったある患者が生命維持装置を装置を切ってあとも10分38秒間、夢を見ているのと同じ脳波を発し続けた、という事実が元になっている。レイラは10分38秒間で、彼女の出生から死に至るまでの人生を回想する。
回想は色と匂いと音と満ちている。赤い褐色の髪、枯葉色の服を着た老女、血、りんご、ザクロのシャーベット。そういった描写が続く中、レイラの誕生シーンでは、難産に苦しむレイラの生みの母のために、家に閉じ込められた生き物たちが順々に放たれていく。カナリアやフィンチなど放たれた後、上質なサファイアの青色をした優美な長いひれを持つ、闘魚が放たれる。それまで暖色系、褐色系の色に溢れた描写が続く中で、この青の鮮やかさは、非常に印象的だ。
生まれた子はなかなか産声をあげず、産婆は「まだあっちの者たちと一緒にいるんだろう」「前途にある苦難を知っていて、それを避けたがるみたいに、人生に挑むことを選ばないでおく赤ん坊もいる」と思う。あの手この手を施して、やっと産声を上げた赤ん坊に、父は「夜のように暗い目を持つ」ことに因んで、レイラと名付ける。
褐色の世界で血族とすごすレイラはそこに馴染めていない。抑圧され、虐げられ、唯一その生活で心を通わせられるのは、町で異端とされている女性薬剤師の息子、シナン一人。彼と初めて会った時、レイラは高熱にうなされている。そして彼の手を握ってレイラが見たのは、青い、大海原の夢。シナンは遠いイスタンブルに憧れるレイラに、外の世界を知らせてくれる人でもある。
その後、レイラは血族からのひどい扱われようから逃れるために、10代にして一文なし同然で一人、イスタンブルに乗り込んでいく。そして「イスタンブルで初めて海を見て、水平線まで広がるその青い水面に目を瞠った」。
その「青い」イスタンブルも、レイラにとって決してやさしいものではない。ちょうど、青いお気に入りのスリッパを履いていたから、事故で被害に遭ってしまったように。
イスタンブルでレイラは騙されて娼婦になり、その後出会った結婚相手も死んでしまう。しかし、同じように困難な境遇にある、トランスジェンダーのナラン、ソマリア出身の娼婦ジャメーラ、小人症の占い師ザイナブ、夫の暴力から逃れるために容姿を変えている歌手のヒュメイラ、そして幼馴染のシナンとたしかな友情を育んでいく。
五人の友達は、血族が彼女の尊厳を一切無視したのとは対照的に、彼女��亡骸のためにも奔走し、法を犯すことも厭わない。その結果、彼女の魂は無事に解放され、出生時に解き放たれた青い闘魚に再会し、自由になる…
レイラの境遇は決して幸せなものとは言えない。しかし、それも運命。人生を泳ぎ切ったレイラの姿は清々しい。
作品中、ナランはこう思う。
「世の中には二種類の家族があるーー肉親からなる血族と、友人からなる、いわば水族だ。血族のほうがたまたま思いやりにあふれたいい家族だったなら、その幸運に感謝してせいぜい大事にすればいい。もし違ったとしても、まだ望みはある。大嫌いなわが家を出られる歳になれば、状況は好転するかもしれない。
水族の方については、人生のもっとあとでできるもので、たいていは、自分自身で作っていく。たしかに、幸せで愛情深い血族がいちばんなのだろうけれど、それがないなら、素敵な水族が、黒いすすのように胸にたまった傷や痛みを洗い流してくれる。」
水族。レイラは水族と、人生を泳ぎ切った。イスタンブルは、レイラとシャファフによって、光と影と彩に満ちた姿で私の中に残っている。