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4.8
読み終えた…
というよりも、
一生を共に生きた様な疲労感… 笑
そして、
思いもよらない所で、
説明の出来ない涙が溢れてくる…
そんな本でした
杏奴と二人、
縺れ合う様に過ごした巴里で、
生まれて初めて自分を開放した類の心の軽さが、こちらまで巴里の空気を運んで来て、自分もマロニエの路に佇んでいるように…
老いて後、
三女の生活するパリを再び訪れた時の、
カフェのギャルソンが男前過ぎて、
悪名高きフランス人の印象が覆ったり…
様々な困難を乗り越えて世に出た、
類の初めての著書「鴎外の子供達」の新聞評に対し、負の感情を抱く類に佐野が諭す場面。
佐野の言葉に対する類の様子を
「佐野の言葉は妙な動き方をした。
日を経て、徐々に背骨を通っていく。
飴玉とは異なる苦みと痛みを伴うが、類はそれを少しずつ受け入れている」
と。
放たれた言葉に対して
「動き方」と表し、「背骨を通って」と表現する感性
…そして語彙力に舌を巻く。
久しぶりに連れ出した散歩で、動かなくなった飼い犬・次郎。
ー「散歩への期待に気づかぬふりをして、愛情が単なる義務に成り果てたと気づいた時、次郎は老い切っていた」ー
そのまま妻や子供に当て嵌めれば、なにやら妙に我が身が薄ら寒い…
美穂を喪った後、
焦がれるようにパートナーを求める類に
また涙…
そして女達の見せるエグ味…その出会いの難しさ…
老齢化社会の、行き着く先が…
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森鴎外を知れば知るほど巨大な人物に見えてくる。作家としても、思想家としても、政府要人としても大きな足跡を残した。そして森鴎外は一方で類稀(たぐいまれ)なる家庭人だった。於菟(オト)、茉莉(マリ)、杏奴(アンヌ)、類(ルイ)の兄弟姉妹は、その海外でも通用する名前をもらって、愛情もって育てられる。二章目で森鴎外は亡くなり、そのあとは戦後のずっと先までの彼ら家族の物語になる。
類が森鴎外の才能を受け継いだわけではない。むしろ(言及は一切ないけど)軽度の発達障害だったかもしれない。知能に障害があるわけではないが、成績が上がらない。凡ゆることに集中が続かず不器用だ。遂には中学校を中退する。ただ、遺産相続があり、一家は一生困らない生活ができると思っていた。
底辺にいる末弟の類を通して華族的な森一家を見れば、森一族の世界が立体的に見えるだろう。というのが、作者の「狙い」だったのではないか?
現在我々が簡単にその著作を手にすることができるのは、長女・森茉莉の作品だけである。しかし、次女の小堀杏奴の才能も素晴らしかった。4人兄妹や鴎外の妻や叔母の金井美恵子さえも本を出している。森類「鴎外の子供たち」(ちくま文庫)は、本書を機会に是非とも再販して欲しいものだ。
一転、戦後家族人となった後の貧乏生活。世間一般の極貧とは違うが、初めての会社勤めをして類は1か月後に丁寧に追い払われる。後に同僚から言われた「役に立つ、立たないじゃないんですよ。あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです」との指摘がキツい。類がそのホントの意味を分かり得ていないのもキツい。
それでも、類たちには貴重な「体験」という資産があり、類は姉以上の記憶力を活かしてなんとかモノになる本を書く。尚且つ僅かばかりの本物の資産もあり、最後まで落ちぶれず(姉の茉莉は「贅沢貧乏」という形で精神の華族を表現した)彼ら森一族は昭和を生き延びてゆく。
森一族という狭い眼鏡から観た昭和史。森鴎外という巨人の影からどうしても自由になれなかった芸術家の子供たちという「運命」。でも決して不幸ではなかった。それは彼らにあった「森鴎外の名前を汚しててはならぬ」という使命感が、彼らの顔を上に向かせていたからではないか?偉大な「パッパ」を持った一族史という「小説」だったと思う(同様の一族で、私は手塚治虫の子供たちを思う)。
表紙は類の絵だ。観潮楼(団子坂の鴎外邸)の、鴎外が手入れした花畑に違いないと思う。
※細かいところまで神経が行き届いている。観潮楼に生えている郁子を見ては「郁子なるかな」と祖母が呟いているエピソード。「むべなるかな」の元ネタを踏まえてのことだけど、それ以上の説明はない。ウィキにさえ載っていないモノネタである。
森一族への直接取材も可能だったらしい。恐ろしいほどの取材を経て綴られた。約500頁、読み応えのある「小説」だった。
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森鴎外の末の息子類の物語。結婚には向いていなかったが翻訳と小説で才能を認められた長女の茉莉、絵も小説も多彩な次女の杏奴に比べると絵を描いても小説やエッセイを描いてもパッとしない類。どうしても類には生活という言葉が浮いてしまいそうな感じがずっとしていた。戦時下、戦後であってさえもふんわり感が抜けない。森鴎外の妻だった母の苦労と同じく類の妻美穂の苦労が耐えず、お嬢様であった彼女の逞しくなっていく様は頼もしかった。
しかし主人公の類には最後まで興味が持てず…
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森鴎外の残された家族を、鴎外の末子・類(るい Luis)を主人公に描いた作品です。
まかてさん、ますます上手くなったのかな。私の嫌いなタイプを主人公にした500ページにわたる大長編。でも、とても面白く読めました。
文学者であり同時に医者として軍医総監まで務めた万能の天才・森鴎外の子に生まれながら、中学校の勉強について行けず、今なら「発達障害」とでも言われそうな少年時代(ついつい同名の栗原類が頭に浮かぶ)。そして何を為す事無く過ぎる青春時代。晩年の類の
「どうして何もしないで、ただ風に吹かれて生きていてはいけないのだろう。どうしても誰も彼もが、何かを為さねばならないのだろう。
僕の、本当の夢。
それは何も望まず、何も達しようとしないことだ。質素に、ひっそりと暮らすことだ。」
という独白がその生き様を良く表します。
鴎外の残した財産が有るうちはともかく、それも尽き果て家計はひっ迫。子供らの食費にと奥さんが嫁入り道具を質に流すのを傍らに、一人で行った東京でウナギなどを食べたりする。悪気は無いのです。妻を愛してるし、子供らも可愛い。でも金持ちだった癖が抜けず、今では過ぎた贅沢と感じる感性が無いのですから、家庭人としては失格。
中年を過ぎた頃からは多少は世知も着きますが、それにしても最後までフワフワと生き通します。それでも子供たちから慕われた所を見ると、そのフワフワ具合が欠点を上回る魅力だったのでしょうね。もっとも奥さんが偉かった事も大きいでしょうが。
長姉の森茉莉(随筆家)と次姉・小堀杏奴(あんぬ、同じく随筆家)も主要登場人物です。特に類以上に世の中から浮き上がり自分の感性で生きた森茉莉は興味深く。今度何か読んでみようかな。
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文豪・森鷗外の息子、森類(もり るい)さんの生涯。
分厚い本を約一週間かけて、類さんの生涯にお付き合いした。
文豪の子という宿命(あるいは枷)をとにかく生き抜いた類さんの一生だった。
小説として昇華されているのだからぜんぶ鵜呑みにしてはいけないことは分かっている。
しかし、以前、類さん本人の随筆を読んでいて、この本に出てくるエピソードは、細かい会話部分はともかく、ほとんど事実だ。
全く、小説ネタには事欠かない、個性的で「キャラ立ってる」森家の人々。
読み始めは、頼りない子供な印象。
長ずれば、何をやっても長続きせず、モノにならず。
今盛んに言われている“グレーゾーン”か?
ケーキを切れない何ちゃらか?
などと思ってしまう。
文学に無縁な周りの人間も、同じように考えたのでは無いかと思える話もあり…
植木屋に防空壕を掘らせていると、訪れた斎藤茂吉先生が興味深げに覗き込む。
「どちら様で?」と尋ねる植木屋に、文学者としての肩書を説明しても分からないだろうと思った類は、「精神科のお医者様」とだけ説明する。
気の毒げな顔で納得した植木屋は、森さんがついに頭のお医者様にかかるようになった、と思ったのだろう。
しかし、文学や芸術の関係者は、何かと森鷗外と比べずには居れない。
親の七光り、印税のおかげで働かなくて済む高等遊民。
「あなたのような人が今の時代に生きてることが間違い」
「あんたが偉いんじゃない、森鷗外が偉いんだ!」
などとひどい言葉を浴びる。
類は、本人の随筆を読んでも、自分の手で当たり前に稼ぎたいという気持ちは確かにあったのだけど、自分が何に向いているのかもよく分からなかったらしい。
それでも、結婚して、子供も四人生まれる。
戦前戦後の混乱をどうにか暮らしていけたのも、ひとえに奥さんの美穂さんのおかげだと思う。
そんな美穂さんにも、不甲斐なさを責められて喧嘩になることもしばしば。
芸術家はダメ人間が多いものだ。仕方がない。
と思いつつ、終盤に差し掛かれば、何だか類さんが素敵なシルバーに見えてくるのだ。
子供たちも(まともに)成長して、穏やかな晩年。
ルックスも生き方も飄々として。
「僕の本当の夢は、何も望まず、何も達しようとしないこと。質素に、ひっそりと暮らすことだ」
生き方の多様性を認めようという流れも出てきた現在、類さんを理解できる人も多いのではないかと思う。
最後に、母が同じ鷗外の三人の子についての印象。
・茉莉は、己のうちに夢の世界を作り上げ、鷗外に溺愛されたという誇りに生きた。
その呪縛、他人からの目については、三人の中ではわりと自由。
・杏奴は、自分から「鷗外の娘」という呪縛に縛られようとし、世間に対して完璧な姿を見せようとした。
・類は何も繕わず、正直だった。
自身にはその気が無いのに、親の威を借りようとしている、と歪めて判断され割りを喰った。
そして三人とも「表現したい」という思いと父親への愛は同じだったのだろう。
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森鴎外の末子、森類 偉大な父親の庇護のもと何不自由なく育つ。
しかし偉大な父親を持ったがために、世間や家族からの無言のプレッシャーからも逃れられない。
何もせずとも暮らしていけるが、何かやりたい、やらねばという思いで、絵画に打ち込みパリにまで出かけて修行?するが芽が出ない。
二人の姉は、文筆で名をあげ益々焦る類であるが、いかんせん道楽(のように私には見える)である。
やがてエッセーのようなものを書き始めるが、家族の暴露本のようになってしまい、姉たちを怒らせ絶縁状態に。
その間に結婚するがやがて戦争が始まり、終戦、生活は経験したことのないどん底、それではと仕方なく初めて勤め人になるが、使い物にならなくすぐに解雇、無理もない、それまで働いたことのない人だから。
と、なんともあからさまにその生涯が綴られている。
世間知らずのお坊ちゃまだから、悪気はない。
世が世なら、森鴎外の子供として一生涯周りからちやほやされ、苦労知らずで何の心配もなくその生涯を送れていただろうが、戦争がすべてを変えてしまった。
それも類という日との運命なのだ。
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森鴎外の息子、類の物語。
学力も画才も文才も中途半端な類は、親の遺産で暮らしていけるはずが、敗戦によって貧困の身に落とされる。
悠々自適の高等遊民から日々の食い扶持をあくせくと稼がなければならない立場になった類の苦労は想像に余るが、それ以上に感心するには妻美穂の献身だ。
作者もインタビューで語っているが、経済的には不遇ながら妻子に愛され、周囲の人からも救けられたのは確か類に独特な魅力があったからだろう。
全編を通じて漂う気高さ、芸術の香りは即ち類たち姉弟の身に纒ったものだったか。
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森鴎外はなるほど立派な人物だったのかもしれないが,その子どもたちの生活力のなさには驚いた.類氏の行動にイライラしながらそれでも妻もいて(この奥さんが偉い!)生活していけたのだから,この呆れるほどの極楽とんぼぶり,妻の死後は寂しいといって再婚するのが最後まで自分のことだけしか考えていないことの現れで,ここは再婚しないで欲しかった.
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浅井まかてさんの待望の長編なのに、本棚に入れようか迷った。最後まで読むことだけで精一杯だった。
特権階級の人びとがどんな趣味のものを好むか、奔放で、特異な才能に溢れていても、それをよしとして眺める気持ちが、私にはなかった。むしろ嫌悪感がいや増してくる。(ここで作者の術中にはまったのかもしれないが)
小説の形を借りているが、ほぼ評伝に近いと思われる。
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傑物の息子であることのずっしりした重たさと、風に吹かれて彷徨うような世間知らずの頼りなさ。母志げの歯痒さと心配はいかばかりだったか。妻美穂の心許なさはどれほどだったか。
親は選べない。そこには幸せもあれば、不幸せもある。親と子は全くの別物。それでもひと繋がりのものを見出そうとしてしまう。
不自由、だったろうか。それでも、美しいものをたくさん、見ることもできたろうな。人生、山あり谷ありなんだな。
森茉莉作品に傾倒した時期があったので、あの話は類から見ればこうだったのか、裏側にはこんなことがあったのかと思ったり、作品には出て来ない茉莉の姿を知ったりする楽しさもあった。
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明治から昭和の時代に生きた森鴎外の息子、森類の生涯を描いた長編小説。
長女の森茉莉は有名で、彼女の小説はずいぶん前に読んだ記憶があるけれど、末っ子である類のことはまったく知らなかった。
鴎外の子であるという宿命を抱えながら、画家としても作家としても大成することなく、根っからのお坊っちゃま気質のままに生きた類。その類の生涯を通して、森家の雰囲気や家族の様子が立ち上がってきて、興味深く読んだ。
類をサポートする周囲の人たちはかなり苦労したのだろうけれど、浮世離れした情けない部分にもどこか憎めないものがある。庭の草木を初めとする趣のあるしっとりとした描写が美しく、直木賞ほか数々の文学賞を受賞している作者の、力量を感じる作品だった。
また個人的に、森鴎外の眠るお寺が親族の葬儀を行った場所であり、馴染みのある地名がいくつも出てきたため、より親しみを感じた。
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この時代の、上流階級の文化人の暮らしが丁寧に書かれていて興味深い。偉大な文化人の遺された家族の生き方の難しさ。偉大な父親といつも比べられ比べてしまう不自由さを感じながらも、反面遺されたものに縋り付き甘えて、己では何も生み出すことが出来なかった主人公の葛藤。ということかな。
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森鴎外の不肖の息子、という惹句に手に取り、しかし厚さに怯みつつなんとか読了。
文章は分かりやすく「よくぞここまで詳細に造り上げられたものだ」と入念な調査や研究のあとが感じられるような一族の物語でもありました。
大きな才能の肉親を持つ、偉大な親を持つと言うことの苦悩が伝わりました。文中に出てくる「どうして誰も彼もが何かを為さねばならないのだろう」という思いはきっと主人公が足掻きつつ生きる日々の本音だったのでは、と感じました。
装丁が素敵だなと感じましたが類さんの作品だそう。爺ちゃんになっても愛すべき坊っちゃんのままである主人公が何だかとても可愛く感じられました。
でもこんなに浮世離れした人と仕事するのは大変そうだなぁとも(笑)
鴎外という人は何だか堅いイメージでしたがこんなに子供好きの一面が書かれていてそこも好もしかった。
朝井まかてさん初めて読みましたがよくぞ書いてくれましたねという読後感。
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森鴎外の作品も子どもたちの作品も全部読みたくなりました。
類さんが美穂さんと家族になれてよかった。
よいお父さんにしてもらえたのでは!
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こういう作風なのか、それとも連載によるタイムラグのせいかわからないのだけれど、章から章への時間の飛び方が粗いので、馴染むのに労力が要って少々疲れた。
森類は『鴎外の子供たち』しか読んだことがなく、小説は読んだことがないので、ちょっと読んでみたくなった。
日々のお金を巡っての類と美穂のケンカについては、私は断然美穂の味方で、自分1人で美味しい物や珈琲を食べて帰ってきてしまう類には呆れもし、腹も立つ。ピュアさを失わない心根の美しい人だったのだろうとは思うものの、それは姉の茉莉に負けず劣らず"浮世離れ”していたということでもあっただろう。こんなにお金を稼げない人が、妻と子を持ったことが苦労の元ではある。
育ち盛りの4人の子をかかえながら奮闘する美穂が健気だし気の毒になるけれど、悪口も言わず最後まで献身を全うしたのだから、美穂の幸せの元でもあっただろう。