紙の本
贅沢な生き方
2020/12/11 18:02
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投稿者:かずさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者名と森鴎外の子供達の話とにひかれて購入。鴎外の次男 類 を中心に母、姉二人の人間模様。文豪の血を引きながらも兄、姉たちと比較され世間に認められず。でも屈折することなく自分の生き方を通す類。お金には困らなかった戦前から戦後一挙に貧困に近い生活を過ごしながらも生き方を変えなかった類。ある面、うらやましさも感じました。 しかし子供達には不自由をさせたくないと育てる妻には悲哀を感じました。
親の七光りで。とか好き勝手ばかりしている人間だと思いながら読むと彼の内面や周囲の人たちとの関係を読めなくなる感じがします。
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生きるって大変なこと
2020/10/21 16:55
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝井まかてさんの渾身の長編伝記小説といえる作品。
タイトルの「類」は人の名前で、正式には森類(るい)という。
明治の文豪森鴎外の三男二女の末っ子として生まれたが類。そもそも鴎外の子供たちは鴎外の西洋嗜好だろうか、当時の名前としてはどの子も珍しい名前がついている。
長男が於菟(おと、と読む。類とは20歳以上離れていて、鴎外の先妻の子供)、、長姉は茉莉(まり。彼女の自由奔放な生活ぶりはこの作品でも描かれている。晩年多くのファンをもつ作家として活躍)、次姉は杏奴(あんぬ、と読む。随筆家として有名)、次男の不律は早逝している。
こうして列記すると、茉莉を筆頭に鴎外の子供たちの個性の強さに圧倒される。
そして、この作品の主人公類であるが、父や母あるいは兄姉をことを綴った作品は残しているが、他の兄姉と比べて見劣りがするし、こういう人が親類縁者にいれば周りの人はかなり迷惑するだろう。
つまり彼は鴎外が残した遺産と印税で暮らした高等遊民で、戦後の混乱時に初めて働きに出るも続かず、同僚に「あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです」と言わしめる。その言葉にも、彼は反応しないのだが。
こんな人物がよく生きたものだとあきれるが、だからといって彼を唾棄できないところがある。
妻の言う「森鴎外というお人が充実し過ぎていたんだわ。あなた、お父様に全部持っていかれてしまったのよ」という言葉が、類という人間をもっともとらえているといえる。
作者の朝井さんは「その人がつまずいて、そこからどう生きたかというところに惹かれて書くことが多い」とあるインタビューで答えている。
森類はまさにそんな人生を生きた人であった。
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著名な親を持つということは大変なことだ
2021/02/28 17:13
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投稿者:のりちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は類がなかなか自立できず自分の生活がちっとも確立出来ないことになんとも呆れる思いで読んでいた。他の兄妹たちはみんなそれなりになったのに。どうして彼だけがこんな出来損ないになってしまったのか。親が偉大だと子供は苦労するということの典型的お話しと感じ取った。
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森鴎外の子供
2022/08/02 21:50
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
森類という人は森鴎外の息子という地位を利用だけした放蕩息子みたいなイメージを持っていました……しかし、その思考過程を、こうして読むと、気の毒であったりもします。親は、選べませんからね。
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森鴎外の息子・森類の生涯を描いた作品。
実際に存在した人の生涯をここまで描ける朝井まかてさんの文章力がすごいです。
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覚悟(?)してたけど、揃いも揃って浮世離れしてて、かつそれぞれが独自の審美眼を持つ、美しくも面倒臭い人たち…。彼らには生きにくいことこの上ない、かくも散文的な現代社会になったもんよ。己が日常を振り返って、何だかやるせない心持ちにさせられる、年の瀬である。
しかしまあ、中でも茉莉のイカれっぷり、ハンパないわあ、期待通り(笑)。本人のエッセイも何冊か読んだことがあるが、何の何の!家事も子育ても完全スルー、女中の采配さえ家政婦任せ、そりゃ亭主も浮気するわな。まあ、ご本人に罪はないね、甘やかした鴎外が悪いと思うわ~!
森家の実際か作者の趣味か、やたら植物の描写が多いのが印象的。鴎外が薔薇を好まなかったってのが、何やら意味ありげ…。
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高等遊民とは若かりし時の彼のような暮らしをする人々だったのかも。
冒頭から美しい植物のなまえが匂い立ってくる。
なんとも、物語の感想も類さんのこともパッパの庭のように色にあふれ残しておきにくい。
森家の4兄妹の作品をこれから追って読んでいきたいなと思えた。
類さんと奥さんのお話が好きだ。
甘酸っぱさも、ひりつく暮らしも、あたたかな場面も。
出版社の話は下世話な好奇心がムズムズした。
装画は類さんのもの。喜んでおられるだろうな。庭の画ですね。
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森鴎外の末っ子の生涯を描いた小説。森茉莉さんの名前は知っていたけれど、その弟である類さんのことは全く知らなかった。名を成した人の息子として「名家」に生まれ育ったことが彼には幸運だったのか不幸だったのか…でも、ラスト付近で出てくる彼に対する子供の言葉を読むと、世間一般の基準からするとダメ男と言われるであろう彼の良さを理解して愛してくれる人たちがちゃんと周囲にいたんだと改めて感じられて、救われるような思いがした。
彼のフランス留学中のシーンでのフランス人評が私とほとんど同じだったのが面白かったのでメモしておく。まさに私がフランスを好きな理由かもしれない。
「仏蘭西人は人種差別が激しいし欲が深い。それを隠そうともせず、つまりすべての感情が剥き出しなのだ。(略)しかし類はそんな人々が嫌ではない。おべっか笑いや皮肉の向こうにある心情を考えずに、のびのびと息ができる。」(p161)
「でもこちらでは、誰も他人のことを気にしません。(略)誰とどんな時間を過ごすかが人生で最も大切なことで、人目なんぞ気にしないで髪や頬に接吻して、それは幸福そうに踊っています。(略)みんな、自分のことが大好きで、自分を最も大切にしている。そしてそれを誰にも憚らないし、誰も非難しない。だって皆が、そうだから。」(p168~169)
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例によって前知識も何もなく、ただ「鷗外の子の話」という情報だけで読み始めた。
始めの方は、有名人の子というだけでここまで子細に家族内のことについて世間一般に知られるなんて、かわいそう…と思いながら読んでいたのだが、のちに自分たちからすすんで暴露しまくっていた内容だったのか、とわかった。だからこれだけの小説が書けるのか。
鷗外本人については、この本をもってしても「神格化」されているように思えるのだが、やはり本当に神だったのかもしれない。
苦労を知らないお嬢様おぼっちゃまが、戦争で一変した世の中をたくましく生きていく様子に、このコロナ禍で価値観も生活も変わってしまいそうな今の時代が透けて見えた。「これで将来は安泰」ということはないのだろう。
森茉莉の想像を絶するお嬢様ぶりに勇気をもらった。
ここまでの人もいる(いた)んだ…と思うと、とりあえず仕事も家事も育児もやっていないわけではない自分は、もっと堂々と生きていても良いような気がしてきた。「一緒にするな」と叱られそうだが、私にとってはそれだけでも読む価値が十分にあった。
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明治の偉人・森鴎外の末子として生まれた“不肖の子”森類の人生を、彼の視点から見つめた物語。
【鴎外の子であることの幸福。
鴎外の子であることの不幸。】という帯の文言、そのまま。
どこまでも優しく偉大な父、粋で美しい母。
花々に彩られた庭、優しい姉たち、贅沢な衣食住、父の遺した印税や不動産、当代一流の画家や文筆家たちとの人脈、良妻賢母を絵に描いたような妻。
一方で、才能を様々に花開かせる兄姉の中で、学業でつまづいた事を皮切りに、周囲の期待に見合うものがなく、何をしても大成しない自分。
美意識や感性には優れたものがあるのに、表現力や洞察力に乏しいアンバランスさ。
5センチ近くあるかという長編は、なかなか捗らなかった。
率直に言って、類には苛々させられた。
妻の美穂から現実を突きつけられ、初めて(!)『働く』ことになったあたりから、哀れなまでに生活力のない類が滑稽。
幸と不幸で言えば、あきれるほど幸の方が大きいとしか思えないのに、『思うようにならない』と感じる彼の鈍感さ、それ故に多くの人にまた許されてしまうことに、また苛々。
………朝井まかてさんの筆力は、いつもながら素晴らしい。仮名遣いなどにも、それぞれの時代の空気を感じられる。
けれど、この作品に関しては、読者として申し訳ないが、自分の現実が邪魔をして、類の心情にピントを合わせる事ができなかった。
類と違って、人脈も遺産もない。子供の前では精一杯見栄を張ってきたけれど…子供の目から見て、この親たちの姿は、どう映っているのだろうか。
とりあえず、絶対先に死んでなんかやらないぞ!
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朝井まかての作品はこれが初めてだけど、過剰な自然描写(特に花木の名前の多さ)にいちいち思考が中断して、流れに乗れなくて難渋しました。
森家の子供たちは、長男・於菟に始まり、長女・茉莉、次女・杏奴、そして末子・類と全員が父である鷗外について、ひいては森家の家族についての文を残しているから、このような小説を他の作家が書く意義は何なんだろうなぁ〜。
このやたら情緒的で回りくどい描写のせいで無駄に長い作品に仕上がっている割に、感情の起伏も覚えず、読後の達成感も感動もないのは、類という人物がなんとも憐れな高等遊民の成れの果てとしか思えなかったからかもしれない。
彼は言う、「どうして何もしないで、ただ風に吹かれて生きていてはいけないのだろう。どうして誰も彼もが、何かを為さねばならないのだろう」
ん〜、偉大な父の重圧はわかるんだけどね、ただ何もしないでいても食べていかなきゃいけないんだから、何かを為さなくてもいいですから食い扶持だけは稼いできて下さい!って言いたくなるよね‥‥
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森鷗外の末の息子・類の物語。まかてさんが男性の主人公ってめずらしいなと思ったけど、類の目を通して見た森家の女性たちの物語として読める小説だった。類の心境の変化から二人の姉に対する見方が変わるところの描写が鮮やかで、すごい。
類は今でいったら自閉症スペクトラムの人なのかなと感じるのだけど、そういう特性を持っている人の心理描写が素晴らしい。親の心持ちを敏感に受けとる子どもの気持ちとかが繊細に描かれていて、切なくなる。
冒頭の鷗外が生きていた頃の描写、鷗外パッパのぬくもりがにじみ伝わってくるなぁ。明治の上流階級のクリスマスのお食事風景のワクワク感と美味しそうなお食事が目の前に見えるよう。
まかてさんは庭の植物や着物や人物の描写が細やかで、その時代を肌で感じているような気持ちになれる。
森四兄弟それぞれの著作を読みくらべたくなった。
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まさに大河小説。偉大な小説家であり医者である父親をもつ家庭の長女・次女とその弟(異母兄はいるが略)が、それぞれどのような思いで生きていったかを、骨太の文章で鮮やかに描ききっている。が、あまりこの娘・息子に感情移入できない自分もおり、小説としては素晴らしい作品だと思ったが、自分の中でのスペシャルにはならないかな。
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森鷗外の未子、森類の生涯。
鷗外の子であることの幸福と不幸。
読み応えのある長編小説、面白かった。
長編なので先先にどんどん読もうとするが、文章が味わい深く、ついついゆっくりと読んでしまう。
まかてさんの文章は読む者を惹きつける力がある。
印象に残った文章
⒈ 役に立つ、立たないじゃないんですよ。あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです。
⒉ 子供は過去で飯を喰わない。今だ。いつも今が大切だ。
⒊ 贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。
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森鴎外の子供達が、西洋でも通じる名を付けられていたことは有名だ。では、その人達個人の事は、どのくらいに知られているのか。森茉莉さんは、いまだに確固たるファンを持つ作家である。小堀杏奴さんも名随筆が多く、『晩年の父』などは、今も読み継がれている。では。男兄弟は?となると、もう一つよくわからない。末子の森類さんについて、何ほどの知識を持って読み始めたわけでもない。
人がよく、世事に疎く何事もモノにならず、センスと人柄、育ちは良いけれど、才能は屹立していない……ように見える。少なくとも不肖の息子と思われてしまった人。誰にもなれず、何もなし得ず、他人の扶助がなくては生き難かった類さんの人生。彼には彼の美質があったと思うのだけれど、それは外側から見ている我々が、彼の人生を背負っていないから言える話。本人は、か弱くダメな自分に何度歯噛みをしただろうか。
ただでさえ答えも実績も出難い、画業や文筆での身過ぎ世過ぎのことである。何も出来ない、という空白の時間が積み上がること、そうであるのに茫漠と過ごしてしまう悲哀は、想像以上に重かろう。
昭和の中頃あたりまでは、彼のような人でも、良いところの出であれば、周りが助けてどうにか生きて行けた。今のような殺伐とした世の中では、どれだけ傷ついていただろう。類の悲しい気持ちも、姉君や周囲の、詠嘆とも怒りとも、諦めともつかぬ思いも、解りすぎて、最後のページを閉じるまで胸が痛んだ。
それでも、最初の夫人美穂さんとの家庭生活は、読んでいてほっとする。温かくて美味しいコーヒーを誰かと飲んだような感触がする。才気があって夫を愛し、家政の切り盛りの上手い、愛らしい女性。彼女が添い遂げてくれたこと、お子さんたちが立派に育ったことが、実は彼の一番の財産だと思う。小説の登場人物に、『自分もこうなりたい』なんて思うのは少ないのだけれど、美穂さんは本当に、なれるならこんな女性になりたかったと、心から思った。なんて可愛くて、暖かで、品があるのに勇気がある人なのだろう。
類さんというひとは、決して悪い人ではない。両親譲りのシックで上質な生活を大切にする生き方も、森家を愛おしく誇りに思う気持ちも、嘘はない。妻子を慈しみ、いとおしいのも本当なのである。この人の才能というのは、父祖伝来の屋敷の花畑に咲く、ささやかで淡い花を愛でたような、ちいさな愛惜に満ちた眼差しにあったのだろうし、高等遊民然とした、紳士の贅沢な暮らし方も身についたものだから、嫌味はない。生き方そのものが作品で、価値があったひとなのかもしれないのだ。
ただ悲しく痛ましいことに、それでは世の中は渡りきれない。文豪森鴎外の子として、すぐれた美的感覚を持った家庭に生き、良い家族を持ったこと。良縁に恵まれて支えてくれるひとに恵まれ続けたことは、幸運だった。今、表紙に装丁された類さんの絵を見ると、人を驚かすパンチ力よりも、ちいさな命に向ける優しさや、伸びゆくもの、命の濃密さへのあこがれを感じる。それは、近代以降、イケイケドンドン、成功せよ、結果を出せという路線をひた走ってきた中では、優しすぎて凡庸に映ったのかもしれない。今見れば、とてもきれい���のに。
そして、この作品に漂う品の良さと香気は。どんなに悲惨な生活の場面でも失われない。それは、森家の人々が持つ品の高さであり、類さんの長所でもある。それを描き出したことは、朝井まかてさんの、作家としての才能と充実した筆力によるところ。きっと代表作になることだろう。読み応えのある、良い小説だった。